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    sgrk_dangan

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    sgrk_dangan

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    モブエナ END①
    前回の続き
    同居してるモブエナの最終回です

    朝、うっすらと意識が浮上したとき、上に覆いかぶさっていた何かがサッと離れていく気配を感じた。

    「ん……」

    カーテンの隙間から射し込む陽のまぶしさに思わず顔をしかめる。
    少し離れたところに同居タコの姿が見えて、なんとなく問いかけた。

    「お前さぁ……今キスしなかった……?」
    「……すまない」

    直感的にそうカマをかけただけだったのだが、どうも当ててしまったらしい。なに勝手にしてんだよ。
    正直糾弾するのも面倒くさいが暴いてしまったからにはお咎めなしというわけにもいかない。半分寝ぼけながらむにゃむにゃと文句を言った。

    「ひきょうだぞ。オレが寝てるときにこそこそとよぉ」
    「悪かった」
    「うぜーから堂々としろよ。もう付き合ってやってもいいから」
    「……え?」
    「どうすんの。今すぐ決めろよ」
    「あ、ああ……。じゃあ、よろしく」

    そこからすぐ意識が落ちて、たぶん5分くらいたってからまた起きた。
    同居タコはもう着替え終わって机の前に座っていた。身支度をはじめたオレのことをじっと見つめている。

    朝飯代わりのエナドリを飲んでるうちにだんだんと脳が覚醒してきた。
    オレ、こいつと付き合うって言わなかったか?
    やばい。
    寝ぼけてたから適当言っちまった。

    ……ま、いいか。
    全ステカンストしたら別れてもいいし。


      *  *  *


    「おいッ、そっちモグラ行ったぞ!」
    「ああ」

    赤いウキが足元を走り抜ける。
    2時間前に彼氏と化した男は冷静に足場を塗って身をかわしてからボムを転がし入れた。
    爆ぜたモグラから金イクラを回収すると、群がるシャケどもを次々と黄色いインクの海へ沈めていく。背後に連なるオオモノたちを素早く的確に処理し、終わるとすぐに周辺の塗り状況の管理へ向かっていった。
    それをなんとなく目で追ってしまって、オレはあろうことかシャケのインクで足を滑らせた。

    「うぎゃ!」

    視界が反転する。段差から転げ落ちたのだ。

    「ぶえぇ!!」
    「何やってんだアホ」

    真っ逆さまに転落して頭をしこたま打ちつけたオレの横を無の表情のヤニタコがローラーを転がしながら通過していく。その後ろからモブタコが慌てたようすで戻ってきた。

    「大丈夫か?」

    ひっくり返ったままのオレを助け起こし、ぺたぺたと顔をさわって傷がないか確認している。なんとなく気恥ずかしくなってやや乱暴にふりはらった。

    「いいって! 大丈夫だっつの!」
    「それならいいけど」
    「オレに構ってる暇があったら納品しろ! 今日こそカンスト目指すんだからな!」
    「はいはい」

    シャケもいないのに転けたことは棚に上げて威嚇するとモブタコはさっさと高台へ登っていった。シャケの上陸を見逃すまいと海岸を見つめる精悍な横顔に、また目線が惹き寄せられる。
    つい意識して見てしまうのは成り行きとはいえやっぱり彼氏になったからか?

    WAVEの合間、あいつが外周の壁を塗り直しに行ったときにふと思い立って他の2人に聞いてみた。

    「なぁお前ら、あいつのことどう思う?」
    「み?」
    「どう思うって?」
    「そのまんまの意味だよ。こう、働きぶりとか。チームにおける役割っつーかさ……」
    「はぁ……?」

    ヤニタコは怪訝な顔でこっちを見て、それからうーんと考えた。

    「まぁ、このチームの唯一の良心って感じ?」
    「とっても優しいですぅ!」
    「性格もまともだし、腕前もまともだし」
    「とっても物知りで、色んなこと教えてくれますぅ!」

    ……ふーん、オレの彼氏、けっこう評価されてんじゃん。
    基本スペックは高いもんな。チームのリーダーであるオレと……という観点でいえば、まぁ割とお似合いと言えるかもしれない。

    その頃にはオレは久しぶりの恋人の存在にすっかり満更でもなくなっていた。


      *  *  *


    結局その日もカンストできずに帰ってきたのだが、自分自身が集中できていなかったという自覚は多少なりともあったのでいつものように怒り散らすことができずにいた。あと、まあ、編成もちょっと微妙だった。
    もそもそと大人しくツナギから私服へ着替えて、便所に行くと言って席を外した彼氏を待っていたのだがなかなか戻ってこない。ヤニタコとクソザコは先に帰った。
    しびれを切らして探しに行くと、射撃場のほうから話し声が聞こえる。

    「……そうだったんだ。彼、僕の前では全然そんなそぶりを見せないから気がつかなかったよ」

    思わずゲッと顔をしかめた。聞き覚えのある声だ。

    「それについては分かった。彼の前では内緒にしておくよ。それじゃ、また一緒にバイトする機会があったらよろしくね。君と組むのは正直楽しみだ」
    「……ああ」
    「久しぶりに会えてよかった」

    短い返答を聞いて驚愕した。こちらの声も聞き覚えがある、いや、ありすぎる。
    反射的に物陰に身を隠すと、白いツナギに青いゲソのイカ、つまりはオレの同期のいけ好かない野郎が颯爽とロッカールームのほうへ歩いていった。
    その後ろ姿を見届けてから、オレは射撃場に飛び込んだ。

    「おい!!」
    「うわっ」

    とつぜん眼前に躍り出たオレにモブタコが面食らう。こいつが驚いたのなんて記憶の限りでは初めてのことだが今はそれどころじゃない。オレはすぐさま詰め寄った。

    「お前、アイツと知り合いだったのかよ!?」
    「あ、ああ……。一度だけ組んだことがあるんだよ」
    「はぁぁ? それだけであんな親しげに会話できるかよ、無口なオメーとあのスカした野郎がよ」
    「組んだのは彼がまだバイトを始めて間もない頃だったんだ。たまたま僕が引率みたいなポジションで、それで彼も印象に残ったんだと思うよ」
    「何話してたんだよ、なんか噂話みたいなのしてたろ」
    「当時の……同じチームに彼の友人がいて。こないだその子に先に会ったんだ。そのときの話をしたんだよ」

    オレは相手をにらみつけて歯噛みした。物静かなこいつにしてはやけに饒舌。まるで用意されていたかのように穴のない解答。具体的な情報を言いながら詳細を語ることなく切り上げるやり口。

    「お前、なんか嘘ついてるだろ」
    「……どうしてそう思うんだい」

    モブタコに慌てたようすはない。
    底知れぬ紫の瞳がじっと見つめてくる。相手を詰めているのはオレなのに、無感情なこの瞳が、穏やかに凪いだこの瞳が、逆にこちらの心を深くまで見透かしてとらえようとしているような気がして、なんでだよそれは違うだろ理不尽だろうが、とオレは逆上した。

    「もういい! 嘘つきの彼氏なんていらねえ!」

    目の前の彼氏が今この瞬間から元彼に降格した。
    元彼は目をぱちぱちとさせ呆然としたように言った。

    「今、僕のことふった?」
    「ふった。もうオレらは終わりだボケ」
    「ま、まだ半日しか経ってないのに……。中学生のカップルでももうちょっと持つだろう……」
    「うるせーーー!! もう帰ってくんなーーーー!!」


      *  *  *


    商会からひた走り、家につくとすぐさま鍵をかけた。
    しばらくするとあいつが帰ってきてガチャガチャピンポンピンポーンやりはじめたので、あいつの金が入ってる小物入れを丸ごと玄関の外に放り出してやった。今夜の宿は自力でどうにかするだろ。一泊分くらいの金はあるはずだ。
    やがてすたすたという足音とともに扉の前から気配が消えた。

    オレは部屋の隅に畳まれた布団の上にでろんと寝た。しばらくそうしてふてくされていたが、陽が落ちるにつれてじわじわと不安になってきた。自分で閉め出しておいて何だけど、あいつ明日のバイトちゃんと来るよな? オレに付き合うメリットがなくなったとか言い出したらマジで最悪なんだけど。
    不安が高まると、それと同時に幻聴が押しよせてきた。
    てぃってぃってぃってぃっと一定のリズムでコジャケが宙を舞う。はやく止めねえと、あいつらは深緑のインクを飛ばしながら同じところを永遠に回転し続ける。
    ぶおんぶおんと海鳴りのようにテッパンが近づいてくる。はやく、はやく尻をコンテナへ向けろクソタコども!
    ヒューン、と何かが飛来する音。コン、と床にぶつかって、フローリングを同心円上に広がる衝撃波。全身から冷や汗が噴き出た。
    夜が更けてきた。わらわらと集まるシャケどもの声はどんどん勢いを増していく。
    全然寝れねぇ!!

    ここに来てオレは後悔していた。
    どうしてあいつを追い出しちゃったんだろう。夜の静かな空気はシャケどもの声を活性化させるのに。
    今のあいつは金も持ってるしきっと適当な安宿に泊まってしまったに違いない。
    でも、もうこの部屋は海になってしまった。シャケに占拠されてしまった。こんな所にいられるか!
    オレは飛び起きた。当てもないのに探しに行こうとして勢いよく玄関の扉を開ける、と、ゴンッと鈍い音とともに呻き声が聞こえた。
    追い出したはずの元彼がなぜか玄関扉の前で頭を抱えてうずくまっている。
    オレはあっけにとられてそれを見て、しばらくして我にかえった。

    「なんでお前ここに……」

    モブタコは頭をさすりながら答えた。

    「君が眠れないんじゃないかと思って」

    それから付け加えるように「それに外泊は勿体ないし」と言った。そっちが本音だろ。
    話を聞くに、最初は冷房の効いたスーパーで時間を潰し、閉店後は公園のベンチで寝ようとしたが思い直して戻ってきて、それからずっとこの玄関脇に居たらしい。発想がホームレスだ。
    ふと、小脇に何かを抱えているのが見えた。白いタオルに包まれている。

    「は? お前それ何」
    「氷枕だよ」
    「どうしたんだよそんなん」
    「ここで寝ていたら隣の部屋の人に怪しまれて……恋人に追い出されたんだって言ったらこんな暑い夜に大変だねって同情されて、貸してもらったんだ」
    「はぁぁ!? 何知らねえやつに優しくされてんだよ!! 勝手に仲良くなってんじゃねーよ!!」
    「ちょ、近所迷惑だから……」

    モブタコはオレを押し込むようにして部屋に侵入した。まだ許してないのに図太いやつだ。
    しぶしぶながら部屋に戻るとあれだけやかましかったシャケどもの声が小さくなっている。やったぞ、オレは自分の城を取り戻したんだ。
    やっぱりこいつは家に置いてやってもいいかなと思い「もっかいオレに告白しろ!」と言ったら「もとから告白自体はしていなかったと思うんだが……」と腹の立つことを返されて、悔しくてぐすぐす泣いたら「君は一体何と戦っているんだ」と呆れたように眉根を下げてから、片手でオレのゲソを優しくかきあげた。きゅっと目をつむると、ややあって額に湿った感覚。そっと触れるだけのキスだった。
    なだめるようなやり方が気に入らなかったが、とにかくオレに再び彼氏ができた。

    昼間はあれだけ腹が立っていたけれど、オレがいちばん苦しいときに助けてくれたからもういいかなという気になっていた。
    同期のイカとの関係も、ひとまず本人の言い分を信じてやることにした。

    いつものように布団を並べて床についた。
    彼氏は、やっぱり外だと寝苦しかったんだろう、横になってちょっとしたらころりと寝てしまった。
    静かな寝顔をじっとながめる。
    今日に限らず、こいつをむだに振り回している自覚はある。いつもオレの突発的などうしようもないわがままを聞いてくれる。オレの隠している最悪な秘密も、こいつならもしかして受け入れてくれるんじゃないだろうか。

    『そんな酷いことを……。でも、君にも事情があったんだろう』

    そう言って赦してくれるんじゃないか。

    『彼に謝りに行こう。金は僕も出すよ。2人で一緒に弁済していこう』

    そう言って抱きしめてくれるんじゃないか。
    だってこいつはオレのこと必要としているから。

    オレを見捨てた奴らにも教えてやりてえな。こんなに大事にしてくれるやつがいるんだぞ。オレにはそれだけの価値があったってことなのに簡単に捨てちまって、あいつらはどうせ一生アラマキもムニエールもカンストできねえんだ。今ごろ後悔しても遅いんだからな……。
    そんなことを考えながらまどろんでいたら、そのままゆっくりとまぶたが落ちていった。


      *  *  *


    見覚えのある扉が目の前にあった。
    あいつの家だ。

    振り返ると穏やかな顔をした彼氏がいて、

    「行っておいで」

    そう優しく背中を押された。

    お前も一緒に来てよと言おうとしたけど、オレがしたことを謝りに行くのにそれはちょっと違うかもなと思い直して、一人で扉を開けた。
    鍵はかかっていなかった。
    そのあたりから何となくこれは夢なんだろうなと気づいていた。

    開いた扉のすきまが薄暗い室内に昼下がりの陽光を射し込ませる。
    部屋の奥から、ぎしりと裸足で畳を踏みしめる音。赤いモヒカンゲソの男があらわれて「よう」とオレを招き入れる。
    扉を閉める瞬間、目の合った彼氏は無表情だった。思い返せば、あいつがオレに笑いかけたことなんて酔っぱらったときくらいしかない。
    きょろきょろと家の中を見まわした。相変わらずのボロアパートで、それでもオレの部屋よりかは小綺麗に片づいている。

    丸いちゃぶ台に向かい合って座った。
    オレは何となく正座して、居心地わるく机の木目をじっと見つめた。こいつとはここで何度も話したな。バイト終わりに一緒に夕飯を食って酒を飲んで。まだ知り合って間もなかった頃は、趣味とか、恋とか、将来について語ったりもした。

    「で、何だよ? 話って」

    ヤニタコは単刀直入に切り出してきた。
    オレは思わず唾を飲んだ。口の中が乾くような感覚があって、夢の中なのにひどく緊張していた。

    「お前の、借金のことだけど」

    ポンっと軽快な音とともに、手に紙袋が現れた。中には少しばかりの札束が入っている。たぶん、オレの貯金のほぼすべて。

    「あれ、オレのせいなんだ。クマスト壊したの、オレ」
    「…………は?」

    ヤニタコは目を見開き、ぽかんと口を開けたまま固まった。

    「……ごめん!! 本当にごめん!! お前にバイト続けさせるためにお前のことハメたんだよ! ごめん!!」

    その場で土下座せんばかりに頭を下げる。
    ヤニタコは青い顔で「へ……」とか「はぇ……」とか呟いていたが、とつぜん噴火したように「はああああああ!?」と叫んで立ち上がった。

    「お、おまっ、何っ、し、信じらんね……どんな感情で俺と一緒にバイトしてたんだよ、なぁオイ!!」

    衝撃のあまり裏返った声でわめくヤニタコに対してオレは頭を上げることができない。どっ、どっ、と心臓が早鐘を打つ。いやにリアルな夢だ。

    「本当に申し訳ないと思ってるよ。今すぐクマサンに言いにいって、残りの借金はオレが払うことにしてもらおう。んで、今までお前が払ってきた分も弁済するよ」
    「弁済って……何年かけるつもりだよ。お前の生活費抜いたら微々たる量だろ」
    「……量は、少し多く出せるよ。オレの給料分は丸々全部渡せると思う」
    「は? 何で。出どころは?」
    「あいつが……生活費出してくれるって」
    「あいつ?」

    オレがぽそりと彼氏の名前を言うと、ヤニタコは目をまんまるにした。

    「……は? お前ら、そういう関係……」

    グレーの虹彩に縁取られた瞳孔が収縮してわずかにゆれる。

    「いや……いやいやいや。お前、俺がまともな青春送れなくなってる間に自分は楽しく恋人作ってんの??」

    言葉につまって何も返せないでいると、ヤニタコはさらに続けた。

    「青春、どころじゃねえわ。俺の人生そのものがもうおしまいなんだけど」
    「いや、そんなこと……ねえだろ。まだ若いんだし?」
    「終わってんだよ!!」

    ヤニタコは部屋の隅にひっそり隠れるようにたたずむ小ぶりな棚の一番下の引き出しをひっぱり、その勢いのまま中身を床にぶちまけた。
    大量のタバコの箱、いつもの銘柄に紛れて透明な保存袋に入った葉巻……のようなものがこぼれ落ちる。店売り特有のきっちり包装された感じはしない。なんだこれ?

    「金は返せても俺の時間は返せんのかよ!?」

    ヤニタコはキレている。要は自分をヤニ漬けにしやがって許さねえってことが言いたいんだよな。

    「ごめん」

    とにかく、誠意を示さねば。
    オレは表情をひきしめて相手の目を見つめた。

    「お前が怒るのももっともだ。刺されても当然くらいの覚悟で来たよ」
    「……ふーん」

    それはもちろん本心ではあった。
    だが、ゆらゆらとした足取りで台所へ引っ込んだ後、鈍く光る刃物を手にしてふたたび現れた友人を目にしたとき、オレは思いのほか動揺してしまった。
    それは何度も何度も夢で見た光景だった。包丁を持ったヤニタコにぶっ刺されて死ぬ。何度も突き刺されて臓物まきちらして死ぬ。いや、今がその夢なのか? そしたら今のオレにとって現実ってことじゃん!

    「うわああああ!!」
    「え、」

    とつぜん悲鳴をあげて暴れだしたオレに、ヤニタコはぽかんとした顔をした。
    その表情と、いつかの夢の半泣きで憎しみにまみれて絶叫する表情がダブって見えて、オレはさらに錯乱した。

    「ごめんごめん、ごめんなさいっ、ゆ、ゆる、ゆるして」
    「お、おい!?」

    一目散に玄関へ向けて走り出そうとした。立ちはだかるヤニタコが邪魔で、タックルするように突っ込んだ。
    驚いて身を引こうとする奴と揉み合いながら倒れこむ。ずぐ、と腹に刃物が突き刺さるのを感じた。遅れてやってくる、声にならないほどの鋭い痛み。

    「〜〜〜〜ッ、……がッ……ぁ……!」

    痛い。痛い痛い痛い。

    指先から見る見るうちに色が失われていく。腕なんてもうあっという間にまっしろで、おそらく顔やゲソもそうなっていってるのだろうと容易に想像ができた。
    死にたくない。いやだめだ。これは死ぬ。痛すぎ。

    ヤニタコが慌てて起き上がり、オレの顔色と傷口を確認して「ひぃっ」と息を呑んだ。

    オレはもうほとんど息もできなかった。
    最後に、か細くあいつの名前を呼んだ。

    ヤニタコの震える手からコトン、と包丁が落ちる。刃先がはっきりと黄色に染まっていて、薄れる意識のなか、ああオレのインクが、と思った。

    「な……何だよお前、本当に何なんだよ、急に暴れて、刺してもいいって言ったのに、俺は本気で刺すつもりなんて、お前が暴れるから、そのせいで、」

    ヤニタコは膝をついて、そのまま腕も床についた。下を向いて這いつくばったまま、震える声でしぼりだした。

    「……お前は、どこまで俺を……」

    テレビの電源が落とされるように、そこで意識が終了した。



      *  *  *



    ぱち、と目が覚めた。
    そして、すぐさま隣の布団に潜り込んだ。温もりのなかを無我夢中で進んであいつの胸にすがりつく。

    「……なに、また怖い夢を見たのか……」

    半分寝ぼけた声とともにあいつも目を開けた。
    小刻みに震えるオレに腕枕を提供し、疲れているだろうにあやすように頭を撫でてくれた。

    「大丈夫、タワーもテッキュウもここにはいないよ。グリルやヒカリバエだって」

    オレは何も答えられなかった。夢のなかで感じた恐怖が胸の奥にくすぶって消えない。床に這いつくばるヤニタコのまぼろしが網膜に焼きついて離れない。その姿が訴えかけてきた。オレがどれだけあいつを苦しめたかを。

    彼氏はしばらく無言でオレを撫でていたけれど、やがて「そういや、」と口を開いた。

    「前に言ってた……君の秘密っていうのは結局何だったんだ?」

    気をつかって話題を変えてくれようとしたらしい。変わってないんだけどな。
    こいつにはもう言ってしまおうか。吐き出してしまえばきっと楽になれる。
    夢のなかのヤニタコはオレの所業を許してくれなかった。当然だ、嵌められた当事者なんだから。
    でも、オレの彼氏であるこいつはきっと許してくれる。
    いつもの無表情で優しく抱いて、たぶん許してくれる。

    ゆるす?

    親友に裏切られて金を奪われたこいつが?

    「……オレさ、」

    ゆるされるわけがない。

    「……お前のこと、ずっと好きだった……」

    目を合わせないままそう言った。
    それからゆっくりと顔を上げると、目の前の男が今までに見たことがないくらい切ないような、泣きそうな顔をしていた。
    鍛え上げられた腕がそっとオレの背に回り、強く抱きしめられる。

    「君を愛してる」

    わずかに震えた声が落ちてきた。

    「何があっても君を守るよ。だからずっと一緒にいてくれ。僕には、君しか……」

    それを聞いて泣きたくなった。こいつめちゃくちゃオレのこと好きだったんじゃん。
    そんで、どうしてただ同居してセックスしただけの男にここまで入れ込んでしまっているのか、その理由もオレにはわかってしまった。

    こいつ、暇なんだよ。別にいじけて言っているわけじゃない。本当に暇なんだ。
    だってこいつは他に何も持ってない。地上に出てから手に入れた唯一のものが、オレという主要なパーツを含めたこの同居生活だけなんだから。
    自分の選択によってたくさんのものが流れるように両手からすり抜けていって、でもたまたま指に引っかかって残ったものが一つだけあった。そしたら、本能的にそれを守ろうとするじゃん。それまでなくしちまったら、こいつが本気でかわいそうじゃん。
    だから、目の前の身体をぎゅうっと抱きしめ返した。そうだ。他にいくらでも選択肢のあったオレは、本当の意味でこいつのことが好きなオレだけは、こいつの大切なものを守ってやらきゃならない。
    こいつの前で、オレは汚いところのない理想の庇護対象でいてやらなきゃ。そこそこ優秀で高潔で社交的で向上心があってこいつのことが大好きな、そんな彼氏なんて、他になかなかいないだろ。

    「大切にしろよ」

    そう小さな声でつぶやくと、さらに強く抱きしめられた。あたたかい。
    必要とされて、求められている。そして、オレにもこいつが必要だった。



      *  *  *



    『 一年後 』



    あいつが出かける音がした。

    あいつがいなくなると、そのせいで怖いことがたくさん起こる。このあいだなんて、雨がふった。風がつよくふいた。ハシラと、タワーと、テッキュウの音がうるさかった。

    ずっとそばにいてほしいのに、君を養うためだなんて言って毎日出かけてしまう。
    飯なんていらない、お前にいてほしいのに、と怒ったら、そういうわけにもいかない、となんだかうれしそうな顔をしていた。

    ピンポーン、と、玄関のチャイムがなった。

    きた。
    タコの男のゆうれいだ。

    あのヤニタコとまったく同じすがたをしたゆうれいは、オレが1匹でいるときをねらってあらわれる。とびらをあけなくてもかってに入ってきて、口からインクをたらした生気のない顔で枕元にたたずみ、しずかにオレをにらむのだ。

    ピンポーン。
    またチャイムがなった。
    どんどんどん、と戸を叩く音。
    いやだ、入ってくるな。

    『ちょっとバカ弟! 生きてるー!?』

    いつもとちがう声だ。
    姉ちゃんの声だ。
    そうだ、ゆうれいがオレをだまそうとしている。
    開けちゃいけない。そう思うのに、カラダがかってにうごいて玄関のとびらをあけてしまった。

    「あっ! 居たぁ!!」

    姉ちゃんだ。ほんとうに姉ちゃんか?

    「あんた全然連絡もとれないし、たまに電話に出たかと思ったら言ってること支離滅裂だし」

    いや、姉ちゃんかなぁ……。
    ヤニタコがオレをだましてつれていこうとしている気もする。

    「何言ってんの? あんたやっぱり精神的にやばいって。ちょっと一旦家に帰ってきなさい。ほら、準備するよ」

    外はこわい。行きたくない。でも、姉ちゃんだ。
    家に帰る? オレの家はここだ。あいつが帰ってくる。

    「あいつって誰よ。あんたまさかこの状態で誰かのヒモしてんじゃないでしょうね!?」

    ヒモじゃない……洗濯物とか一緒に畳んでるもん……。

    「見た感じ女物なくない? もしかして相手、男?」

    そうだよ。彼氏。

    「そう……。しばらく実家帰るって電話しときなさい」

    あいつ携帯持ってないよ。

    「それじゃ書き置きしときなさいよ」

    オレ帰らないよ。
    ここにいればあいつが守ってくれるもん。

    「この状態のあんたの世話を他人に押しつけたままにできるわけないでしょーが!」

    ひぃ……でもぉ……あいつが一人になっちまうよ……。

    「その子もあんたみたいなアホに心配される筋合いないから。どうせ家賃全部払ってもらってるんでしょ?」

    ……そうかも。よく分かんねえ。

    「よく分かんないならそういう事だから。……とりあえずこれだけ着替えあればいいか。じゃ、行くよ」

    姉ちゃん。

    「なに?」

    オレさ、全ステカンストできなかったんだ。だから、あいつと別れられないんだよ。

    「よく分かんないけど彼氏のこと好きなのね」

    うん。すき。

    「家でよく休んで、なるべく早く帰れるといいね」

    うん。
    オレ、ずっとあいつが守りたいオレじゃないといけないんだ。

    そうだ、書き置きしなきゃ。
    ヤ、ニ、タ、コ、が、オ、レ、を、ね、らっ、て、い、る、か、ら、み、を、か、く、し、ま、す。

    これでよし。
    またね。◯◯◯◯。



    (おわり)
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