氷に乗る前はヤメテ「ヴィクトル。僕、貴方に隠してたことがあるんだ」
ロシアではまだまだ寒さが残る4月の始め。突然の告白に俺は氷に乗せようとしていた足を引っ込めた。
「なんだい? もしかして冷蔵庫の奥にチョコレートを隠してて毎日少しづつ食べてる事?」
「なんで知って……。や、それは、そうだけど、違くて」
逸らした視線には罪悪感と何か別の感情が薄らと浮かんでいる。
「他には、そうだな。勇利の部屋のクローゼットにカップ麺が隠してある、とか。安心して、まだ食べてないって分かってるからね」
逸らしてた瞳がショックを纏って俺を射抜いた。
「あー……」
どうせ来週、俺が出張でいない時に食べるつもりだったんだろう。この子ブタちゃんめ。
「俺は勇利がどんな告白をしてきても動じないよ。他にもあるならこの際、洗いざらい話してスッキリしておきなさい」
俺は穏やかな大海原を胸に抱いたイメージで、両腕を開き勇利を促した。
「本当に何を言っても驚かない?」
「もちろん」
勇利はモジモジと両手を合わせると、上目遣いで俺を窺った。それに微笑みで頷く。
「えっと……じゃあ、言うね」
意を決した様子でみつめる真剣な眼差しが可愛い。
「ぼく」
「うん」
「あの、」
「言って」
「…………やっぱり」
「ゆうり」
穏やかに名前を呼べば、小さく息を吐いて勇利は唇を噛んだ。
「僕、貴方がはじめてじゃないんだ」
「……なに?」
「だから。はじめては、ヴィクトルじゃ、ないの」
はじめて。ファースト。どれを指してる?
「貴方は僕をし、しょじょだって、信じてたけど……恋愛経験はないんだけど、その……ケイケンはあって」
「なんで今そんなこと言う?」
俺はリンクの冷気とは別の寒さで全身が凍てついていくのが分かった。穏やかだった海は突然の嵐で真っ黒だ。リンクを囲む壁を両手で掴んでいないと今にも膝が折れそうだった。
「それで、ゆうりは、それを俺に言ってどうしたかったの?」
勇利の不慣れな様子に未経験だと勝手に思い込んでいたのは俺だ。だが、幾度か身体を重ねた今、それをわざわざ口にする意図が分からない。俺は処女癖がある訳では無いし、そんな理由で勇利を恋人に選んだのではない。確かに初々しい勇利が可愛くて仕方がなかったのは認めるが、それは勇利の反応に対してであって、処女所以ではないのだ。しかし、勇利がこんな事を言い出したということは、少なからず俺の態度や所作に、勇利の不慣れを喜んでいる心情が滲んでいたということだろうか。そんな俺を見て、あぁこの人は処女が好きだからもう一緒には居られないなどと一人で結論を出して、結果を掴もうとしているのではないだろうか。
「いや、何も言わないで。言うなよ。俺は君がどんな結論を用意していようと受け入れないからね。あぁ何も聞こえない、わー」
俺は両耳を塞いで、ついでに瞼も閉じた。断固拒絶する。
「ヴィクトル!」
「わーわーわー」
雑音の向こうに勇利の声がするけど、聞いてやるもんか。
突如、蹲っていた俺に覆い被さる温もりに、喚き声が弱まった。勇利の匂いだ。大好き。
「ごめん! うそ」
耳を塞いでいた両の手首をそっと掴まれる。
「こんなバレバレな話、絶対に信じないって思ったのに。ごめんね」
うそ?
「僕のことなら何でも分かってる貴方だから、すぐに見抜いて笑ってくれるって見積もってた」
「……ひどいジョークだ」
「うん。ごめんなさい」
俺は勇利の腰に腕を回し、強く抱き締めた。
「僕は、貴方が思ってる通りの僕だよ」
俺の勇利。俺の勇利。
「……おれもゆうりに、ないしょにしてたことがある」
「なぁに?」
「おれも、ゆうりが、はじめて」
「うん。知ってた」
エイプリルフールの嘘か真実かは、勇利だけが見抜いてくれればいい。