雑誌記者 諸岡久志のお仕事 ファッションモデル『YURI』
突如、彗星の如く現れ、あらゆるファッション誌の表紙や巻頭グラビアを飾り、ハイブランドのデザイナー達は彼女の為に挙って新作を作り、化粧品業界は彼女を起用しようと骨肉の争いを繰り広げられた……と、まことしやかに噂される日本の、いや世界のトップモデルだ。彼女が着た服はジャケットやボトムス、靴やアクセサリーに至るまでが秒で完売する。彼女が歩けば、その後ろにはビルが建つとまで言われた。
しかし彼女の私生活は謎に包まれている。本名はもちろんの事、年齢や出身、現在都内に住んでいるのかなど彼女のプライベートに関する情報は完全に秘匿され、ファンの中にはAIではないかと噂する者までいる。
だが、なんと今回我々はYURIの撮影シーンを取材する許可を得たのだ。それもあのヴィクトル・ニキフォロフとの撮影に同行出来るという。世界中に発信された広告の裏側を少しだけお見せしよう。
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「諸岡さん、増刷おめでとうございます」
デスクで栄養補助食品を食べながらキーボードを打っていた諸岡は、叩かれた肩が凝り固まっている事に気付きグッと両腕を伸ばした。背骨と腰が軋むが、それを気持ちいいと感じてしまう程に仕事が楽しいくて仕方ない。
「ありがとうございます」
先日発売された雑誌には諸岡が書いた記事が特集として載っている。
『YURI その素顔』
たった5ページの特集だったが、その内容は客観的でありながら親しみがこもっていて、読者の心を潤わせた。予約の段階で既に予定発行部数を大幅に上回っていたのだが、発売日当日に全国の書店から追加注文が相次ぎ、あっという間に増刷が決定した。
記事自体に真新しい情報があった訳では無い。YURIから誕生月のひとつでも聞き出せたらとは思っていたが、彼女を高嶺の花のまま眺めてているのも悪くないなどと、およそ記者らしからぬ思想に嵌ってしまっている自覚はある。
ならば何が理由でそんなに売れたのか。
それは諸岡が休憩中に偶然見上げた場所にあった。セットチェンジの合間にコンビニへ行こうと撮影スタジオの裏口を出た諸岡は、高く延びるコンクリートの壁に貼り付く非常階段を何となく目で追った。そこに居たのだ。人目を避ける為か、外の空気を吸いたかったのか、その両方か。二つの影は親密でもなく険悪でもない。諸岡にはそれがとても初々しく映った。そして、気付けば自分のスマホで写真を撮っていたのだ。青空を背景に、逆行で黒く写る非常階段。そこに小さく並ぶ二人の影は「素顔」と評するにはお粗末だったけれど、何となく“先”を予想させた。こんな素人の隠し撮った写真を雑誌に掲載してよいものか悩んだ諸岡は、素直に双方の事務所に問い合せた。自分が書いているのはファッション雑誌の記事であってゴシップではないのだ。返事は良。特にYURI側の事務所からは、諸岡が撮ったのなら問題ないとまで言われ、少々むず痒くなってしまった。どうしてこんなに信用されているのかは分からないが、それでもこの一枚のおかげで雑誌は増刷されたのだ。
「さて。仕事、仕事」
そんな諸岡のデスクには、デビュー寸前で消えてしまった男性アイドル『勝生勇利』の写真が飾られているが、これはまた別のはなし。