リゾートバイト 強い陽射しの下で浮かれたお客が落としていったホットドッグの包み紙や、ジェラート用のプラスチックスプーン。繰り返し寄せる波がどこかから運んできたビールの空き缶は無数の傷をつけ、ぐしゃりとつぶれている。
そういったごみは、気付けば波打ち際のあっちにもこっちにも落ちていた。ごみだけれど、そのひとつひとつに誰かのひとときの思い出が詰まっているような気がして、サモナーはそれらを毎日丁寧に拾い集める。
遊泳エリアを閉めたあとの夕暮れ、それから次の日の早朝。何人ものスタッフが何度もチェックした波打ち際はごみひとつ落ちていない。砂はこまかく、真っ白に光っていてきれいだ。
自分以外、まだ誰の姿もない浜辺に立ち尽くし、サモナーはただ海を眺めていた。波の音が繰り返し耳を洗う。室内にいたらまだ暗いであろうこの時刻、海の遠くにそびえたつ壁以外に遮るもののない海は、すでに明るくなり始めていた。
「よう! おはようさん」
突如背後から機嫌の良さそうな声が飛んできて振り返る。しゃれたカンカン帽に、賑やかな色柄のアロハシャツ。アンドヴァリは今日も溌剌としていた。
けれどサモナーは挨拶を返すわけでもなく、相手を呆然と見つめ返している。あまりの反応のなさに、アンドヴァリは眉をしかめた。
「なんだなんだ、元気ねえのか? お前の目の前に立ってんのはオーナー様だぞ、おはようございますとか何とか言わねえか」
「ああ……おはよう」
おう、おはよう、と頷きつつ、アンドヴァリはサモナーの顔を覗き込んだ。
「どうしたんだ? 元気ねえな」
「あの、アンドヴァリ、ちゃんと寝てるの?」
「あ? 俺様がか?」
質問を質問で返され、アンドヴァリは片眉を吊り上げた。
「だって、昨日も遅かったんじゃないの?」
高級リゾートホテル、広々としたビーチにアウトレットのショッピングモール、グランピングやビアガーデンと、さまざまな娯楽を詰め込んだここアンドヴァリゾートは、諸々の手違いから、ユニークなサメが空を飛んだりビームを放ってきたりする、なかなか危険なアミューズメント施設と化した。
臨海学校と兼ねたアルバイトということで、サモナーは泊まり込みでこのリゾート施設に滞在している。とんでもない形に進化を遂げてしまったサメに対応しながらも、勤務時間や待遇、手当てに関しては素晴らしくホワイトだ。昨日も夕方にはアルバイトを切り上げると、学園の友人たちとバーベキューエリアへ繰り出し、星空のもとで肉や野菜をもりもり食べる。食後にはつめたいサイダーを片手にぐだぐだとお喋りを続け、気の済んだところでコテージへと引き上げた。
その道すがらで遭遇したアンドヴァリは、どうやらリゾートホテルのことでスタッフから通話で相談を受けていたらしい。端末越しにあれやこれやと迅速な判断を下しつつ、サモナーにはアイコンタクトで「また明日な」と伝えて寄こすと、空いていた片手をひらひら振ってくれた。
そんな風に夜遅くまで仕事をして、今日も朝早くから現場に出てきているのだ。見たところ、顔色は悪くないし、服もぱりっとしている。従業員への待遇がいいのは助かるけれど、彼自身が働きづめで体調を崩すのは嫌だった。
心配するサモナーをよそに、当の本人は顔色一つ変えなかった。
「オープンしたばっかりってのは、そんなもんよ。予想通りにいかねえことも多いし、スタッフも慣れてねえ。俺様の他の施設から来てもらってるスタッフもいるにはいるが、色々と勝手が違うからな」
ま、そのうち落ち着くだろ、と言って平然としている。
「うーん、それならいいけど……。あんまり無理しないでね」
とはいえ、彼の代わりを務められそうな人物などちょっと思い当たらないのもまた事実だった。自分くらいのアルバイトならなんとでもなるだろうけれど、アンドヴァリは特別だ。
オーナーとしての損得勘定はもちろん、経営者としての視野も広い。現場のこともよく知っていて、スタッフに気さくに声をかけては相手の創意工夫を褒めている。顧客対応もうまいし、今回のような非常事態についてもよくよく周りと話し合って、方向性を定めていく。
そういうことを指折り数え上げ、サモナーは相手を讃えた。
「俺様だってな、正直自分ひとりで何もかもやってるわけじゃねえ。今回のことだって、豊舟の先生サマや海上保安のプロにご指導ご鞭撻をたまわってだな」
「アンドヴァリは、任せるべきところは任せるよね」
「東京には、そういう時に使う言葉があるんだろ? 『餅は餅屋』ってやつだ」
にやっと笑って、アンドヴァリはそう言った。
遠くの方から、たっぷりした布地をばさばさと広げる音が聞こえてくる。きっと海の家の前のパラソルだろう。
空には雲がほとんどない。今日もよく晴れて、ここは暑くなりそうだ。
「うん、まあ、アンドヴァリがすごいのは分かったよ。でも睡眠は大事にね」
重ねてのサモナーの注意に、アンドヴァリはいよいよ目を丸くする。
「オーナーを気遣う従業員の話なんざ、あんまり聞いたことがねえぜ」
「今は雇い主と雇われバイトだけどさ。……でも普段は、友だちだし」
口に出してしまってから、その表現で合っていただろうかと少し心配になる。「そういう風に、自分は思ってるよ」と、小さい声で付け加えた。
ややあって、アンドヴァリは誇らしげに胸を張る。ありがとよ、と答える声が、ほんの少し照れくさそうだった。
「俺様はコインを稼ぐのが何よりの楽しみなんだ。特にここ最近、心が踊って仕方ねえ。この夏こそ稼ぎ時! 張り切っていかねえとな!」
そこまで言うと、大きく口を開けて満足そうに笑う。それに合わせて、丸い腹がたっぷりと揺れた。