彼方より 透き通る青と生い茂る緑にいろどられた世界は目がさめるように美しく、今までに経験したことのない舞台上の別世界もまた刺激的だ。身の周りのあらゆる物事が新鮮で、地下世界に下りてきたサモナーが消費するエネルギーは日々増していく。したがって、朝も昼も晩も、食卓につく時は常にほぼ極限状態の空腹に陥っているのだった。
つい先程バーゲストが運んできてくれたご馳走が、テーブルを埋め尽くさんばかりに並んでいる。具が見えないほどチーズの乗せられたピザは焼き上げられたばかりらしく、食欲を誘う香りと共にじわじわと熱気を放っている。たっぷりのケチャップとマスタードを添えたチキンナゲットに、ボウルに山盛りのサラダ。パーティーさながらの光景に、サモナーの腹の虫がぐうと鳴いた。
今日は特によく晴れていて、陽射しが強い。水際に持ち出されたテーブルの上には、ストライプ柄のパラソルが広げられている。
「今日もあっちいなぁ……」
まだ昼前だというのに、すでにレイヴは暑さに倦んでいるようだった。サモナーと向かい合って座り、さも大儀そうにため息をつく。
「夏なんだから仕方ないよ」
励ますように言って、サモナーはくすりと笑った。なんだかんだで頼りがいのある年長者が見せる、弱った姿。自らの城とでもいうべき研究室や寮で過ごしている時とはまた違った姿に、知らず知らず心が浮き立つ。
いったいどういう理屈なのか、地下世界の水辺には潮の満ち引きがある。今にひたひたと満ちてきて、テーブルの下に伸びるサモナーとレイヴの足先を、つめたい流れで洗うだろう。
「とにかく食べよう! そしたら元気も出るでしょ」
まだ使い慣れない栓抜きを操ってサイダーの壜の栓を外した、まさにその時だった。テーブルの端で、アラーム音が鳴り響く。着信を知らせてくるそれは、サモナーの端末だった。
よくよく冷やされて汗をかいているガラス壜からそっと手を離す。うす青い壜の中からは、ぷちぷちと泡の弾ける音が聞こえていた。
端末の画面をのぞき込み、サモナーはあっと声を上げる。慌てて取り上げ、耳に当てた。
「ハーイ、オレの可愛いサモナーちゃん。ご機嫌伺いの電話だよ、調子はどう?」
「パズズさん!」
機械越しの響きに応える声には、思わず喜びがにじむ。爽やかさも極まれりといった様子で眩しく笑うパズズの姿が目に浮かんだ。
「嬉しいな。まさかパズズさんが電話をくれるなんて思わなかった」
「ん? どうしてだい?」
自分がサモナーに連絡を寄こさないことなどありえるだろうか。そう言わんばかりの口ぶりだった。
「え……。だってパズズさんは、ハスターにぞっこんだから」
サモナーの言葉に、パズズはひどく愉快そうな笑い声を立てる。
「そりゃもちろん、ハスターはオレのとっておきの、可愛い可愛いトカゲちゃんだよ」
口調が一気に熱を帯びる。こがね色の瞳をきらきらと輝かせ、身を乗り出して伝えようとする姿が思い出された。
「だけどね、オレはサモナーちゃんのことも、大事な仲間だと思ってるよ」
「……へへ」
ありがとう、と答えるサモナーの声は、炎天下のソフトクリームもかくや、と言わんばかりにとろりと溶ける。という風に、レイヴには聞こえた。
今まさに、ふたり差し向かいで食事をとろうとしていたところだったのに。思わぬタイミングで中断されたのが面白くなかったのか、そっぽを向いて鼻を鳴らすと、聞こえよがしに文句を言う。
「どいつもこいつも電話ばっかりかけてきやがって。しかもばらばらのタイミングで……。どうせおんなじところで生活してんだ、集まってからかけりゃいいじゃねぇか」
来る日も来る日も、上野ギルドのメンバーはサモナーに電話をかけて寄こす。――キミがいないと元気が出なくて、毎日なんだかつまんないの。話したいことがいっぱいあるんだ、電話でもメッセージでも足りないくらい! 等々。
むくれた子どものような物言いは、パズズの耳にも届いていたらしい。彼は余裕綽々のポーズを崩さないまま、ふふと笑った。
「みんなさびしくてねぇ……。どこかの誰かさんはサモナーちゃんに付きっきりでいられて、羨ましいな」
誰か、というのがいったい誰を指しているのかは明らかだ。レイヴは口元をむぐむぐと動かし、けれど何も反駁しないまま、大きなピザをひと切れ攫った。
パズズの声はいつも通りの爽やかさをしていて、不満そうには聞こえない。めったにない機会に、レイヴをからかってみたかっただけのようだった。
「それはさておき、寮のみんながまとまって電話をしないのはね……。どうしてだか分かる? サモナーちゃん」
「えーっと……。生活リズムが違うから?」
例えばフェンリルは朝早くからバイトに行ってしまうことも多いし――彼曰く、バンド活動というのは何かと入り用が多い――、ジャンバヴァンは研究が立て込んでいるのか、ごく遅い時間にしか獣人寮に帰ってこない。
サモナーの答えを受け止め、パズズは静かに微笑む。
「みんな、『自分が』サモナーちゃんと話したいからだよ。途中で他の人になんか電話を代わりたくないんだ」
「……ふふ」
さすがうちのギルドで一、二をあらそう好青年は、人をおだてるのがうまい、とサモナーは思う。
すべてがおべっかではないはずだ。けれどいかにも自分を喜ばせるようなことを言ってくれる。
「ありがとう、パズズさん」
サモナーの高揚を感じ取り、パズズはしばし充足感にひたった。
「もっとサモナーちゃんと話したいけど、オレはハスターにも甘いからなあ。ここらで電話を代わろうかな」
おどけたような物言いをする。その隣から、途端に唸り声が発された。
「パズズッ! 吾輩があのニンゲンめと話すことなど何ひとつないわ!」
目尻を吊り上げたハスターは、口をざっくりと開け鋭い牙を見せつけて威嚇する。
「そんなこと言っちゃって、ゆうべも心配してたじゃないか」
「あることないことを言うなッ!」
続いてどたばたと物音がしているのは、端末を差し出したり押しのけたりしているからだろうか。さていったいどうなるだろうと期待を込めて待機しているサモナーの耳に、すん、と鼻をうごめかすような音が聞こえた。
次の瞬間、耳元を何かがかすめて飛び上がる。反射的に端末を遠ざけ、慌てて耳をぬぐう。けれどもちろんそこには何もついていなかった。
「なんだ? どうした?」
そばで見ていたレイヴにも、何がなんだか分からない。楽しげにいる様子に見えた後輩が、いきなり血相を変えて飛び上がったのだ。虫か何か飛んできたのかと思ったけれど、当の本人は顔をこわばらせて立ちすくんでいる。
「今、その……」
耳元を確かめたところで、何も残ってはいなかったはずだ。けれど確かについさっき、サモナーの耳に何かが触れた。――そう、あれはひんやりとしてすべらかな、ハスターの鼻先そのものの感触だった。
サモナーとレイヴ、二人の緊張をよそに、ハスターは端末の向こうで低く唸った。
「貴様。極めて栄養の偏った食事をとっているな?」
弾かれたようにテーブルを見下ろす。チーズが層になって乗せられたピザ、甘い飲みもの。からりと揚がったポテトには塩がたっぷりと振られ、ラザニアの表面はオリーブオイルでつやつやと光っている。
ハスターは苛立ったような声を吐いた。
「有楽町の奴らの食事管理はどうなっている!?」
「それは……あの……。自分たちはゲストだから、歓迎してくれるような料理を……」
「だからといって、いったい何日お祭り騒ぎをしておるのだ?」
問い詰められるものの、それどころではなくてうまく答えられない。例えば揚げ鍋の中で泡が弾ける音を聞きつけたのならまだしも、電話越しに鼻をうごめかして、どうしてこのテーブルの上の状況が分かるのだろう。
それきりサモナーが黙りこくってしまったのを、パズズは「へこんでしまった」と捉えたらしい。まあまあ、となだめるような声がした。
「大丈夫だよ、そんなに深刻にならないで。ハスターはハスターなりに、サモナーちゃんたちを気遣ってるってだけのことだからさ」
勝手を言うな! と大喝が響く。サモナーとレイヴは、思わず顔を見合わせた。