ポメガ その2どうしてこうなった。
仕事から帰ると、マンションのドア前にはちょこりと座ったポメラニアン。白い毛並みのフコフコボディに黒くて艶やかなつぶらな瞳。
背中には小さな小さなリュックサック。
そしてそのリュックサックにはタグがぶら下がっており『はなざわゆうさく 保護主おがたひゃくのすけ』と書かれていた。
この世界、子供にはこのタグつけとくのが義務だ。もっとも防犯の関係から首から下げて服の内側に入れとくとか、ポケットとかに入れるのが主流である。
勇作が着けているのはその子供用のタグだった。ご丁寧にワンコの形をしている。いい大人が幼稚園児の名札を着けているようなものだ。
大人の場合は財布とかに札を入れていたり、ローマ字表記でアクセサリーにしているものが大半だ。
保護主、とはポメった時にその人間を保護し人にまで戻す責任者である。大抵が家族。単身者は近所の人間か勤めている会社がその役割を担うし、恋人やパートナーの者もいる。どれもいない場合は保護センターだ。
解らない場合も保護センターに連絡が、この社会のルール。
タグをつけていれば迷い犬にも間違えられない。
プラスチックで出来たそれは、明らかに子供用である。いい年してこれはないだろ。
保護主、おがたひゃくのすけ。
そう書かれたタグに背中に虫が百匹這いずり回るような感覚に襲われる。
俺は家族じゃねえ。
しかし、目の前のポメラニアンはつぶらな瞳で俺を見るなり尻尾をこれでもかと振って、弾丸のように駆け出した。
『兄様ー!!!!』
小さなボディを腕に受け止める。
勢いよく飛び込んで来たそれを受け止めた衝撃によろめきそうになるのを踏みとどまった。
『兄様、お久しぶりです、兄様っ!』
そんなテロップが流れそうな程喜び、ぶんぶんぶんぶん千切れんばかりに尻尾を振って、すりすりすりすりとそのモコモコの身体を押し付けてくる。
「…ポメってしまわれたのですね。」
くうーん…と甘えた声を出して、こちらを見る。つぶらな目がこちらをじっと。
背中に虫が這いずる感覚が、今度はむず痒くなる。
「…とにかく、部屋に行きましょう。」
もこふわの身体を抱き上げて、自宅の扉を開ける。玄関に下ろし、ウェットティッシュで足を拭こうとすると、勇作は前足を拭きやすいように差し出した。一本拭き終わると次を差しだす。四本綺麗に拭き終わり、ぺこりと一礼してから部屋に上がった。
「…さて。」
背中に背負った小さなリュックサックを取り外してやる。中には財布とスマフォ、パンツが一枚。おそらく今日はいてた奴だろう。
ポメガバースは大体70から80パーセントの確率で睡眠中にポメることが殆どだが、20%の確率で外でこうなることもある。服は諦めてもパンツだけは己の名誉のためにも死守しようとする者は多い。
「一応聞きますが勇作さんで間違いないですね?」
尾形はB5クリアファイルサイズのプラ板を二枚出す。これは100均にも売っているポメった人間との意志疎通するためのグッツだ。
白い小さなお手々で、はい、のプラ板にぱふり、とお手をする。
「出先でポメったんですね?」
そう言われてぱふり、とはいのプラ板にもう一度お手した。
「…お借りしますね。」
尾形は勇作のスマフォを手に取り、メッセージアプリを開く。
勇作の母親のアカウントに
「友人宅でゼミの発表の準備のため、泊まりで作業いたします。暫く家を空けます。」
と、打ち込んだ。
息を吐くよう嘘をつく兄を、勇作は目を輝かせて眺めていた。前にも人間のときに聞いたら、嘘を考えるのもつくのも苦手で、常にバレるのではと気が気ではなくなるそうだ。嘘一つ吐けないなんて、なんと生きにくい人間像だ。
次にバイト先。
「もしもし、はい、そちらに花沢というバイト大学生勤めてますよね?私、その花沢勇作の家の者です。はい、兄です。そうです、ああ、やっぱり…すみません。戻り次第本人が引き取りますので、暫く預かってもらっても宜しいですか?はい、ありがとうございます。すみませんが仕事の方も暫くポメガ休暇に。あ、そうですか。はぁ…そんなことが。いえいえ、ありがとうございます。それでは…」
そう言って電話を切る。
どうやらついさっき、空き教室で他の講師が勇作の服を見つけ、ポメったのではと心配していたようだ。
なんでも受け持っている生徒の母娘が、勇作をいたく気に入って母娘共々グイグイくるから結構参っているらしい。わかってるならはよ対処しろ。塾であってはホストクラブじゃねーだろうが。肉体疲労より精神疲労のポメは戻りにくいんだぞコラ。
「…塾でポメって、パンツまで放置はマズイと思って持ってきたんですか?」
はい、にポフンと小さな前足を得意気に置く。
まぁ、ポメった所をしつこいファンのその母子にでも見つかって捕まってたら、何されたか解ったもんじゃない。パンツもな。
「…二、三日で戻りゃいいんだけどな…」
尾形は深くため息をつきながら、得意気なドヤ顔した白い犬の頭をわしゃりと撫でた。
あの日…知り合いらしいポメラニアンを保護した次の日の朝。全裸ですやすや横で寝ていた弟・勇作に、俺は絶叫を必死で飲み込んだ。叩き起こして事情を聴くと、ポメって自力で戻ろうとした所、子供達に捕まってしまいあの通りだった、助けていただいてありがとうございます、と話した。勇作だったなんて。直感を信じて無視すればよかった。
「兄様に洗っていただいたり撫でていただいたりして充実したポメライフでしたので、きっとすぐに戻ったのでしょう。」
兄様、とても嬉しかったです。ありがとうございます、とキラキラとした笑顔でそう語る。背筋がゾワゾワする。本当に拾うんじゃなかった。そう思いつつも、なんで自力で戻ろうなんて酔狂なことをしようとしたのか単純に疑問に思い、尾形は尋ねた。
すると勇作がポツリポツリと話したのは、父親との一件だった。アホみたいな根性論を今時振りかざす父も父だが、従うコイツはもっと馬鹿だな、と思った。しかし上手く甘える相手を作れない勇作も随分不器用な男だと思う。まあ、この話が本当であれば、だが。
「…そういうわけですか。」
その時は只の好奇心だったし、ちょっと父親に対する反抗心もあった。
勇作が父から言われた通り誰にも甘えないのか、それとも自分だけにはそう言った姿を見せるのか?見せたら見せたで、コイツと父の弱みを握ったようで気分がいい。
尾形は静かな声色で言った。
「…良かったら、またポメったら来ますか?」
え、と聞き返す勇作の顔は予想外の尾形の言葉に驚きを隠せていない。
「…保護主、俺がなってあげても良いですよ。」
唖然としていた表情が破顔する。
勇作は、本当ですか?ありがとうございます!兄様にそんな風に言っていただけるなんて嬉しい。ふふ、これでもうポメるのも怖くないです。なんて言いながらあの背中がゾワゾワする笑顔でそれはそれは嬉しそうに笑った。
さて、その言葉は本気か、「優しい言葉を掛けてくれた兄」に対する社交辞令か。
答えは割りとすぐに出た。1ヶ月後、白いポメラニアンは尾形のマンション前にお座りして、まるで忠犬ハチ公の様に尾形を待っていたのだ。その後も月1で来る。どうかしたら2回来る。ポメった身体を元に戻すため甘やかし、可愛がる。勇作はとくに恥じるでも何でもなく可愛がられている。
『コイツ、全力で甘える気だ。』
しまった、軽率だったかもしれない。苦手な弟にここに来る言い訳を与えてしまった。しかもコイツ、こんなにも弱みを晒していることに躊躇がない。いや、むしろ進んで見せている気すらする。
どう言うつもりかはわからんが、保護主を引き受けた以上、とりあえず面倒は見る。
何か、利用できることがあるかもしれない。
「お腹空いてます?とりあえずどうぞ。」
棚からポメガバース用ドッグフードと水を出し、器に入れる。
『ありがとうございます!』
白いかたまりが、尻尾をぶんぶんしながら尾形の周りをグルグル回る。
やめろ、転けたらどうする。
皿を置くと、勇作はふんふん鼻を近づけた。
腹は減っていたのだろう。もちゃもちゃ、はぐはぐと勢いよく皿の飯を食べながら、尻尾を揺らしている。
たまにこうしてくるようになってから、最近はポメガバ用フードも常備している。普通の飯でもポメガは食えるが、やはり多少内臓には負担があり、頻繁にポメる、長期間ポメる人は専用食の方が良いらしい。
「特選黒毛和牛ハンバーグ風味」
ポメの癖にいいもん食いやがって。前にコンビニで買ったのよりグレード高いからその分お値段も高かった。ちっ…と豪勢なハンバーグのプリントされた金色の袋を手に盛大に舌打ちした。
旨いのか勇作は一生懸命がつがつ食べている。
口の端に食べカスまで付けて夢中だ。確かに香りはいいなこの餌…いやポメフード。うまいのか…?ちょっと興味をそそられる。
ついてますよ、と口許を拭ってやると、うれしそうに舌をチョロリと出した。コイツ、あざといな。
ちゅ、ちゅっ…と器の水を飲んで、小さくけぷっとげっぷをすると、勇作は尻尾を左右にゆっくり振りながら尾形の座るソファーに寄ってきた。
足元にスリスリと身体を押し付け、ころん、と横になる。誘うようにはしたなく腹を見せ、ごろり、ごろりと身体を揺らしている。
「食って直ぐ横になったら、豚になりますよ。」
そう言いながら、つま先でくいくいとつつく。勇作はくうーん、くぅーんと甘い声で鳴く。
こちらを見上げる目はキラキラと期待している。『アレ』か…。
「…仕方ねぇな…」
まず頭を撫でてやる。すると目を細めてきゅーんきゅーんと甘えた鼻声を出す。
尾形は無垢な白い腹毛に手をいれると、もしゃもしゃもしゃもしゃと撫でた。
『あっ♡兄様っ♡♡』
きゅんきゅんとよがりながら、勇作は左右にころんころんと転がる。
すると、指に何か小さな固いものが当たったのに尾形は気がついた。
「勇作さん、ちょっと失礼。」
豊かなもふ毛をかき分け、その部分を確認する。まさかノミとかじゃねぇだろうな?
そう考えてオガタはゾッとする。
ノミだったら速攻風呂&獣医だ。冗談じゃねぇ。
茂みの奥にいたそれは、小さな米粒ほどの突起。皮膚についており一瞬出来物か皮膚病かとも思った。が、よく見るとミルキーピンクのそれは健康そのもの。あ、乳首かこれ。
くいくい、と指で摘み結論に達する。そりゃ雄でも使わなくても犬も人もついているものだ。
「キャン!」
勇作は抗議するような声を上げ、腕で押さえてガードしてくる。どうやら恥ずかしいようだ。ポメラニアンなのに。
「なに恥じらってるんです、ポメの癖に。あ、ここにもある。」
尾形は無理矢理四肢を広げさせ、二個目の米粒をぐりっと指の腹でつついた。勇作も抵抗するが非力なポメの力では徒労に終わってしまう。
『やっ、駄目ですっ…!』
首を横にだめだめと振り、きゅんきゅんと抗議するも、尾形は手を止めない。
「抵抗されると逆にいじくりたくなりますね。」
ぐりぐり、と小さな突起をゆっくり撫で上げる。
『ちょっ…駄目ですっ…!』
「あ、ここにもある。」
小さくぽちりとした先ほどとは別の突起を、指でツンツン弄ばれ勇作は身悶える。
「こことここ、あ、ここにも。」
ふさふさの白い草原の中にある密やかな粒を指で四ヵ所同時に触れられ、びくびくんっ!と勇作の両足が痙攣する。
『ああ、駄目ですっ…兄様そのような…っ』
「うりうりうり」
お腹全体を尾形の掌がわしゃわしゃと撫で上げる。
『ああーん♡♡♡気持ちいいです♡お腹ワシャワシャ大好き♡♡』
「あ、乳首見っけ。」
『ダメですっ…!』
きゅん!と再び抗議の声。真顔のポメラニアンがこちらを見る。
腹モフモフと乳首の真顔反応の差に、吹き出しそうになる。面白いな、コイツ。
「腹ワシャワシャには喜ぶくせに、乳首はちょっと反応変わるんですね。」
『そ、そこは遊びで触るとこではありませんよ…』
つぶらな瞳が訴えてくるが、可愛いだけで効果はない。尾形は再び腹を優しくも強めにわしゃわしゃ撫でる。
「うりうり」
『あっ♡♡』
お腹はやはり弱い。気持ちよくてゴロリとなり、ふにゃりと力を抜いてしまう。その隙をついて乳首をさわる。
『や、やめてください…乳首はっ…』
「今日は乳首探しながらワシャワシャしましょう。何個あるんでしょうね?」
『駄目ですっ、あっ♡ワシャワシャもっと♡♡お腹気持ちいい♡♡はっ!!乳首は駄目です!』
そんな馬鹿なやり取りを繰り返し遊ぶこと小一時間、勇作は遊び疲れたのか、仰向けにくったりと伸びきっている。
腹の乳首は合計8個あった。まぁ、犬だしな。
最初は解らないほどだったそれが、今はちょっとそれらがほんのり薄桃に色付いているのがなかなか卑猥だ。
パシャっと写真に納めてやる。人間だとどういう面するのか見せてやろう。
「ふふ、可愛いですねぇ…勇作さん。」
そう言いながら撫でると、うっとりした顔で小さな顔を掌に擦り付けてくる。
暖かい。微かな息吹きが指に触れている。
そのままペロペロと掌を舐める勇作。
総てを安心しきってこちらを頼り委ねる小さな命。うつらうつらしながら、尾形の手に頭を預けている。
どうして、そんなにも自分なんぞを信頼できるのか。ほとほと疑問だ。俺はお前なんか好きじゃないし大事にしないし、これだって利用できるネタ捜しみたいなものだ。そんなことをするわけないとでも思っているのか。「兄」という存在を、何処まで神聖視してるのか。
「うっ、犬臭い…」
舐められた手が唾液でネチョネチョになっていた。
洗いたい。
しかし勇作はその手に頭を乗せ、いつの間にかすやすやと眠り始めてしまった。
おいこら離せ。
尾形は弟の頭を退かそうとするも、頭は意外に重くどっしりと乗っかって動かない。ていうか、すごい力だ。このちっさいポメラニアンのどこにこんな力があるんだ。モフモフなのに、まるで岩にでも挟まれたかのようだ。
「勇作さん、ちょっと、あの頭退かしてくださいっ…」
しかし勇作は夢見心地ですやすやと、口からたらーっと涎まで滴しながら寝入っている。うぐぐ、動けん。しかも、痺れてきた。
覚えてろ!やっぱりお前なんか嫌いだ!
ジンジン痺れたネチョネチョ掌を枕に、すぴすぴ幸せそうに眠るポメラニアンを恨めしそうに見ながら、絶対倍返しにしてやると尾形は復讐を誓っていた。