山積み段ボールが積まれた室内に、柔らかい光が射し込んでいる。
ぼんやりと戻った意識に、瞼を開いて回りを見渡す。見慣れない部屋の景色がゆっくりと入ってくると、同時に昨日の記憶も甦る。
昨日は引っ越しだった。
手際がいい引っ越し業者によって荷物搬入は
スムーズに進んで、家具類もあるものは所定位置に運び込みは完了。
細々したものの荷解きは明日から、というわけでその後蕎麦とスーパーの値引きパック寿司でささやかな引っ越し祝いをし、その時ビールを少々、のつもりが結構飲んでしまった。
ああ、あのまま寝てしまったのか…
尾形はむくりとソファーから起きる。
新居は駅近コンビニ近、南向き角部屋オートロック付き管理人常駐の広め2LDKの割には相場より家賃結構安め。
ビックリする程の好条件だった。
『かなりの超おすすめ物件です!仕事じゃなかったら自分が住みたい位です。お客様凄いですね、今日から募集開始でまだネットには掲示前ですから今申し込まれるなら、競争相手ほぼなしでそのまま契約行けると思いますよ!』と不動産屋太鼓判の物件。
しかも、『今キャンペーン中で、仲介手数料半額です!お客様超ラッキー!あ、しかもこちら敷金礼金0物件!』
何か恐ろしいほど揃っていた。ここ事故物件じゃないだろうな?と不安になりながら申し込んだら3日で審査は通り、すぐに入居できる手はずになった。
それともこれが勇作の祝福力か。
その横で勇作が暇潰しに答えたアンケートは当たって当選した賞品某家具屋の商品券10万円分が鍵と共に渡され、ちょっと気持ち悪い位だった。
『当たった商品券で明日一緒に必要なもの買いましょうね!カーテンとか、照明とか!』とニコニコしていたな。
勇作は自分の家具類は実家から、家電類は尾形の家から持ってきたから殆ど買うものなんか無いと思っていたが、実際こちらの窓の寸法に合わせたカーテンや足りない食器類、二人で使えるダイニングテーブルや照明、買った方が良さげなものはポロポロと出てきた。引っ越しとはそういうものだ。
朝飯食って、荷解きして、それから午後は買い物…んんーっと伸びをしながら、同居人を探す。
『ゆーさくさん…?』
どうやらそのまま勇作もここで寝てしまったようだ。
昨日着ていた服が見える。その服の間から、すぴぃーすぴぃーと眠る白いもふもふのポメラニアンのあんよがにゅっと延びていた。
ああ、ポメってしまったのか…引っ越しで疲れたのだな…。
まぁ、仕方ないか。予定は変更、近所の公園に散歩だな。
『勇作さん、大丈夫ですか?』
するとぱちりと目を覚ました勇作は、服の中からモゾモゾ起き上がり、きゃん!と一吠えし尾形の顔をなめてくる。やめろ、やめろ!
顔を近づける勇作…いやポメ作を取り押さえると、ふと視界に入った己の手が、犬の手になっていた。
「キャンキャーン!!」
思わず叫ぶ。声も遠吠え。それにあわせて
勇作も
「キャンキャンキャーン!!」
と、元気良くつられ吠えしている。
やかましいわ。
『くそっ…まさか二人ともポメってしまうなんて…!!』
頭を抱えるポメ尾の尻尾に、ポメ作がじゃれついてくる。
『やめろ!!』
と、無邪気な弟犬をぐいと前足で押し留める。
しかしポメ作は尻尾をブンブン振って突進してくる。遊んでると思っているのか。
「くっそ、やめろ!!止めろ!舐めるな!」
小さくバウッと威嚇ししつつ、前足で押さえつける。
しかし、ポメ作はグイグイと首に頭を擦り付けてはペロペロと舐めてくる。
ああ、これ理性無いやつだ…
抵抗するも何分勇作は力が強い。それはポメ作でも同じで、しかもヒートで理性の無いポメ作のフルパワー。
数分後、抵抗むなしくポメ尾はポメ作に抱き締められ、丁寧に顔中舐め回されていた。
…ぐったりしながら尾は考える。さてどうするべきか。
とりあえず、誰かに連絡するか…。
ポメ作の白いもふもふの身体に包まれながら考える。
なんか、いい匂いだ。心地よい。
もふもふの毛皮に顔を埋める。なんだこの安心感。意識がトロリと溶けていく。ダメだ、考えが纏まらない。
『…って!ダメだ!!しっかりしろ自分!』
ポメ尾は顔を振り、ポメ作を振り払うとすくっ!と可愛い四つ足で立ち上がる。
『スマフォ、スマフォだ。連絡っ…』
とっとっとっ…と自分のスマフォを探すポメ尾。その後ろからぽちぽちぽち…と付いてくるポメ作。
口にはボール。どうやら『遊びましょう♡』と言っているようだが、それどころではない。
自分の服の落ちている周辺を必死に探すと、見馴れた小さな黒い長方形。
あった!
自分のスマフォを必死に操作しようとするポメ尾の横で、ピープー鳴るオモチャを咥えてポメ作は尻尾を振っていた。ポメ作は
『兄様、こちら勇作のお気に入りです!』
と言うように、ピープー鳴らしながらポメ尾の横に座っている。それをガン無視してポメ尾は事態の打開に必死だ。
『クソッ…全然うまく操作できねぇ…』
必死に肉球で操作するも、ロックが解除出来ない。ちいさなポメの身で尾形は必死にもがいた。しかし、うまくいかない。
だが、諦めるわけにはいかない。二匹のポメでこのまま遊んでいるわけにはいかない。
ポメ尾は戦い続けた。必死に己のスマフォと。
横でポメ作はじいーっと見つめている。
使いにくい肉球で格闘すること10分、なんとかロックは解除できても、電話はおろかラインで文を打ち込むことも中々出来ない。くそ、せめてもう少し細長いものがあれば…!
ふと、じぃーっと見つめるポメ作。口許にタッチペン。
タッチペン!?
『便利ですよね!』
といった顔で咥えたタッチペンをことりと置いた。
そういうのがあるなら早よ寄越せ!!
そう思いながらもそれを咥えて、ラインを開いてSOSを送る。既読はすぐ付き、ひと安心する。
やれやれ、疲れた。ポメ尾はコロン、とその場に転がった。
するとポメ作はキラキラとした目でこちらを、正確には口に咥えたタッチペンを見ている。
『投げませんか?投げていただければ、勇作何処までも追いかけて捕まえます!』と言わんばかりのワクワクした表情だ。
イラッとしたので咥えたタッチペンを全身使って部屋の向こうにぶん投げたら、ポメ作はダッシュでそちらに走っていった。馬鹿め。
すると送ってきた返事が返ってくる。
『とりあえずなるべく早くは行くが、一時間はかかるぞ?大丈夫か?』
来るなら構わん。
OKのスタンプをなんとか送って、やれやれと一息つく。
するとくきゅ~るるる…っともふもふの腹から音がする。
腹、減ったな…
たしか、ポメフードは…台所の箱に入れている。積まれた段ボールを見上げる。くそ、高い。ポメラニアンにはメチャクチャ高い位置だ。
「キャンキャン!」
『ゆうさくさん!』
『何でしょう兄様ー!!』
兄に呼ばれ尻尾をフリフリさせてポメ作はダッシュでやってくる。
ポメ尾はポメ作にそこに座ってろと指示すると助走を着けてポメ作を踏み台にジャンプする。が、届かない。
べちゃ、と地面に落ちるポメ尾。
そんなポメ尾を見つめるポメ作。
くそ、駄目かっ…
ポメ尾はまた考えると、ゆっくりデスクの椅子の前に立ち、椅子を押した。が、椅子はピクリともしない。
くそ、重い…!
それでも椅子の脚にしがみついて踠くポメ尾に、反対側の脚にポメ作は自分の可愛い前のあんよをかけるとずいっ!と押した。
椅子はずずずずずっ!と動き、箱の前で止まる。
…馬鹿力…
しかし、目的が果たされたのだ。良しとしよう。
ポメ尾は椅子に登ると、箱を開けてポメフード「本格!韓国式プルコギ味」の袋を引っ張る。クソ、重たい!
これからは自身がポメ化した時のことも考えてポメ飯は出しやすいとこに入れよう。小さい身体でポメフードにしがみつき、引っ張り出そうと全体重を掛ける。グラッとポメフードが揺れた瞬間、ポメ尾はやった!と内心ガッツポーズした。その瞬間、自身の小さな身体もガクンと傾いた。
しまった、落ちる…!
そりゃそうだ。自分の体重を掛けてポメフードを箱から出した。箱から引きずり出せばそうなる。
ポメフードと崩れた段ボールタワーと共に床に真っ逆さまに落ちるポメ尾。
まあ、子犬でも死ぬ高さではないが…
そう思っていた次の瞬間、ポヨンっとした床の感触。ポヨン?いや、これは床ではない。
見ると下敷きになっているポメ作。
自分の身を挺して守ったのか、とポメ尾の口に苦しょっぱい感覚が広がる。
どうしてこうなんだ。
ポメ作は、何事もなかったかのように立ち上がると、降ってきたポメフードをキラキラした目で見ている。
口で開封すると、尻尾をブンブン振りながら口に涎が溜まってきているようでたり、と溢れてるのを小さな舌で拭おうとして余計垂らしている。
袋に首を突っ込んでガツガツと頂く。
横で食いたそうにしているポメ作をちらと見る。ので、袋を倒し床にばら蒔いてやる。
最初こそ少し戸惑い気味ではあったが、
『食っていいですよ。』と言うと
ポメ作は嬉しそうに尻尾をフリフリしながら
床にばら蒔かれたフードを食べ始めた。
同じ犬目線で飯を食うとこんな感じなんだな…などと昨日の事を思い出しながら、口を動かすポメ作を見つめる。
嬉しそうに目を細めながら旨そうに食べるその表情は人間の時と変わらない。
ポメ尾は過った感情に蓋をして、もぐもぐと再び飯に向き直る。
さて、あとは奴が来るのを待つか。
ポメ作も腹が満ちたのか、まったりしながら側に寄り添ってくる。移動してもとてとてと再び隣に来てコロンと座る。
そして頭や顔をペロペロしてくる。クソ、プルコギ臭ぇ…と顔を虚無らせながらも、されるがまま鼻をくっつけたり、スリスリと身を寄せられると、先程同様また思考がぐんにゃりと歪んでいく。腹が満たされている分、余計に抵抗する気は起こらなかった。
ポメ作の毛皮からは甘い匂いがする。焼きたてのバタートーストにたっぷり蜂蜜を掛けたような。甘くて香ばしくて、旨そうな香り。人間の時も吸っていたが、ポメ化したら鼻が利くせいがより強く感じる。むぎゅうと抱き締められる
小さな前足も同サイズだと少し逞しく感じる。その前足にぎゅうぎゅうと抱き締められながら、埋もれ行く白い毛皮のもふもふに本格的にどうでも良くなり、尾ポメはゆっくりと意識を放棄した。
「マジか…」
尾形のSOSを受けて駆け付け、マンションに駆け付けた菊田はビックリした。
ポメ化した尾形が白いポメラニアンと仲良く寄り添ってすうすう寝息を立てていたのだ。
黒ベースに白い腹のミックス柄の方は見たことある尾形だ。ということは白い方が弟の勇作か。本人には会ったことがあるが、ポメ化した姿は初めて見る。
一緒に住むほど仲が良いらしいのは聞いていたが、あのクソ生意気な割に何処か全てに対して冷めているというか、妙に達観してしまってる尾形が…。
「やっぱり、兄弟ってのは特別だよなあ。判るぜ…」
後で二人に見せてやろう。きっと照れながらも喜ぶだろう。そんなことを思われながら仲良く抱き締めあっている寝姿をスマフォに納められたことを、尾形はつゆ知らず弟の毛皮に顔を埋めてすやすや眠っていた。