暖かい、その手をお土産の有名店のカステラを手に、にこにこしなから勇作は兄のマンションの部屋の前にいた。
最近では人の姿のままでも兄は相手にしてくれる。ので、こうしてちょこちょこ訪問することも珍しくなかった。
兄の部屋の前まで来て、チャイムをならす。が、返事はない。
おかしい。来ることは連絡していたので、留守と言うことはないだろう。
勇作がドアノブに手を掛け扉を開けてみると、鍵は開いていた。
「兄様ー?失礼します!」
勇作は靴を脱ぎ、部屋へと上がる。
台所にも居ない。トイレにも風呂にも気配がない。尾形の部屋を見る。ベッドはさっきまで誰かが寝てた形跡がある。
「あ、兄様っ!!」
黒い毛玉がまるん、とベッドの下に居たのだ。
もしかして!?と近寄ると、そこにはふてくされたポメラニアン。
「あ、兄様ー!!なんと、なんとお可愛い!!」
ちっさくて、もふもふで黒々艶々した毛並み、
お腹と口の回りが白い二色入ったポメラニアンがちょこりと居た。黒々とした目、気だるそうな雰囲気。これはまさに兄のものだ。
「かわいい…可愛らしい…!!」
勇作はプルプルしながら兄に手を伸ばした。
『うるせぇ…』
尾形は勇作の手を、小さなポメラニアンの手で叩き落とした。
「…兄様っ、ポメ化してしまわれたのですね!その愛くるしいお姿では大変ですね!お助けします!今日は、勇作が存分に甘やかせて兄様を癒しますので!」
『いらん』
「兄様!」
尾形は前足で勇作の頬を押し返す。そしてマジックを咥えて器用に紙で字を書く。
『おれをひじかたこうむてんにつれていけ』
そう平仮名で書いた。
「…何故です?」
『ほごぬし!』
首をかしげる勇作に、そうマジックで続けて書いた。
わかりました、と勇作は兄をだっこすると外に出る。軽く、小さな兄。腕にすっぽりおさまる小ささに勇作は感動しながら、外に出た。
てくてく歩くこと10分、土方工務店の事務所に到着した。しかし、そこに貼られた紙は尾形にとって絶望への切符だった。
「…な、なんと」
『社員旅行のため休業します。土方工務店。』
「…マジかよ…」
閉まっているショックと、社員旅行なんて聞いてねぇ…という二重のショックに尾形は打ちひしがれた。
土方のジジイ…歴戦のジジイフィンガーで撫でることであらゆるポメ達を1日で治すすごいジジイなのだが、今日居ないとなると…1日で戻らないかもしれない。
「…ああ、残念でしたね…」
しかし勇作は全然残念そうでないキラキラした目でこちらを見ると、胸を張ってニコニコしながら尾形を抱き締める。
「でもご心配には及びません!勇作、責任もって兄様を人間に戻して見せます!!」
『…最悪だ…』
尾形の顔はみるみる死人の面になる。
ついでに抱かれる腕が締め付けられ苦しい。
この加減を知らない怪力弟の世話になるのは怖すぎる。精神負荷もデカそうだ。
最悪&最悪だ…虚ろな目をした兄ポメラニアンを抱き締めて勇作は尾形のマンションに戻る。
勇作は無駄に張り切り、散歩、行きましょう!
と言ってきた。勇作に首輪とリードをつけられて散歩なんざ屈辱過ぎる。
断固拒否のスフィンクス座りの姿勢で、ソファー下に籠城する尾形。
「楽しいですよお散歩、走り回ると気持ちいいですし。」
俺はお前と違ってインドア派なんだ。バカみたく走り回るのも、他の犬に絡まれるのも御免だ。
散歩は諦めたのか、今度は自分がポメった時に使うオモチャを出してきた。
「兄様、兄様!遊びましょうか!?楽しいですよ?俺のお勧めはこのピーピー鳴るぬいぐるみです!」
『知っとる。一番お気に入りでアホみたいに何が楽しいのかピープー鳴らして喜んでますよね…アホみたいに…』
「兄様、兄様、ボール、ボールですよ!!」
勇作は遊ばせようとしてくる。ウザい。激しくウザかった。遊べばストレスが解消されると思っているのだろう。次々オモチャをけしかけてくる。あまりに鬱陶しいので尾形は一吠えして、ベッドの下へと潜り込んだ。
しばらく、あにさまー、あにさまーと呼びながらベッドに手を突っ込んできたが、諦めたのか手も引っ込めた。
二時間後、勇作は思い付いたように、ベッドの下へ首を突っ込んできた。ビックリしたが勇作はにっこり笑いながら口を開く。
「…兄様、お腹空いてませんか?」
…流石に朝から何も食べてないので減っている。しゃくだが飯にはしよう。
『…お前用に買ったのが棚にある。』
ベッドの下から出て、台所にポチポチ進む。首をそちらに向けると、勇作は察したのか棚の扉を開ける。
「ありました!!」
『ポメガバース用フード、仙台牛タン味』
と書かれたそれを、勇作は棚から出した。
「兄様、待っててくださいね、今…」
いそいそと封を開ようと、フードの袋を引っ張った瞬間…
ぱーん!!!!!!
「あ…」
袋は破裂したように弾け、パラパラと床に満遍なくフードが飛び散った。
しまった。こいつのアホ力を忘れていた。
「す、すみません!あ、あわっ…あわわわ…!」
『ああ…』
虚ろな目で床を眺める尾形。飛び散るポメフード、仙台牛タン味。
「す、すみません!!すぐに掃除します!」
慌てて飛び散るフードを拾う勇作。
『もういいですよ…勿体ないし…』
尾形は力なく歩くと、床に落ちたポメガフードを食べ始める。
何なんだ、全く。床ばらまきフードを食う羽目になろうとは。
ブツブツ文句を脳内で言いながらポリポリと食べていたら、自分以外の咀嚼音。見ると勇作もポメフードを拾って食っていた。
「キャンキャンキャーン!?」
『何やってるんですかー!?』
思わず犬語で突っ込んだ。
「あ、いや、勿体ないので…」
『お前は今人間だろうがー!!』
まぁ、別に害はないし、食えないわけではないが、食うか!?(まぁ、ポメフード開発は人状態でも食べるらしいというのはテレビで見たが)
「結構、美味しいですね。次ポメった時食べさせてください。」とモグモグしていた。
もう、大人しくしててくれ…
そう思いながら尾形は寝ようとした。
すると勇作はニコニコしながら自分がポメ時に使っている犬用クッションを差し出す。
鬱になりながらも、勇作が期待に満ちた目でこちらを見るので、差し出すそれに頭をちょこりと乗せる。
勇作の匂いがする。
「兄様、本当に愛くるしいです。」
勇作が目を細めてこちらを見る。やめろ。
ゆっくり撫でられる。やめろ。
大きい手、美しい爪、白い肌。そして、暖かい。
ゆっくりと、ゆっくりと、その手が頭から背中を撫でる。認めたくはない、思いたくはない事実ではあったが、勇作の手は心地よかった。
「兄様。」
そう呼ぶ声も、心地よい。
悪くない。
土方のジジイとはまた違うが、ゆっくりと安らぐ手。まるで、子供の頃布団の中で微睡んでいるような。穏やかで、優しい。
他の面倒はクソだが、撫で方だけは悪くない。
尾形は落ちるように意識を手放した。
次に目覚めると、尾形は人形に戻っていた。
大した疲労ではなかったのか、ともかく、助かった。これ以上コイツに面倒見られていたらどうなるかわかったものではない。
勇作はと言うと、横でスースー眠っていた。
「…全く…」
もう二度と御免だ。最悪だ。
自分を撫でたあの広い暖かな手を恨めしげにじっと見つめながら、そう思った。