欲しいもののためならば。せっかく、せっかくの休みだったのに。
...と第二皇子時代から使っている自室の寝台の上で掛布団をかぶって不満を漏らす皇帝陛下を間近に見られる栄誉を得られるなど少し前のヘクターは想像だにしなかっただろう。
いつもは元気に立っている赤毛の天辺も今日は元気なくぺしょりと頭頂部で萎れている。
「仕方が無いですよ、熱があるんですから身体も辛いでしょう?熱はさっさと出し切ってしまった方が良いんですってアリエスも言ってましたよ?」
「うう...でも、でも、今日は城下でお祭りだったのに...!」
寝台近くの換気のために開けた窓の外からはいつもより賑やかな歓声が聞こえてくる。
この日のためにジェラールは仕事を前倒して進めていたし、ヘクターもこの日は非番にするか私の護衛に...!といつもなら嫌悪するであろう職権乱用すら行っていた程だ。
その綿密な計画を崩したのがジェラール自身の体調となると悔しい事この上ないのだろう。
「なんならジェラール様が気に入りそうな物でも手に入れてきましょうか?」
寝台のすぐ横でヘクターがそうジェラールに提案すると一度ははっと気がついた様な表情を見せた後に結局落ち込んでしまう。
「いや、別に欲しい物がある訳じゃないんだ...欲しい物はあるけど君だけに行ってもらうと逆に手に入れられないというか…。」
最後の方はほぼ独り言でヘクターには聞き取ることは出来なかった。
このままだと知恵熱でも併発して更に体調を崩すのではないだろうか、と思っていた時に扉を叩く音がしたのでヘクターが対応する。
扉を開くと同僚のテレーズが手に食事を載せた盆を持って立っている。
「お疲れ様、ジェラール様の具合はどうかしら?」
「黄昏時でちょっと熱上がってるかもしんねえけど水分はとってるし話も普通に出来てるな。ていうかアンタかアリエスあたりが世話した方が適任じゃねえの?」
「元々今日はジェラール様の護衛でしょ?それに薬が近くにいた方が陛下の為になるの。」
「なんだよ薬って?」
「どこまで召し上がってもらえるか分からないけど喉を通りそうなものをいくつかね。あとこっちの袋は貴方への夕食の差し入れ。足りるか分からないけど。」
さっきの疑問についてはテレーズはさらりと躱したようだ。
「護衛が皇帝陛下の自室で寛いでて大丈夫なのか?」
「今日はお祭りなのもあるしこの部屋周辺はいつも以上に警備は厚くされてる、まあ貴方も万が一の時は気をつけて欲しいけど今日はどちらかと言うと看病役の方でって警備担当責任者も言ってるわよ。」
「はあ...?まあその辺伝達されてるなら良いけどよ。」
「貴方がいいと思った時に仕事上がってくれて良いとも言ってたわよ。」
「そんな緩くて給金貰っていいのか...?」
「大事な任務でしょ、皇帝陛下の護衛兼看病役。」
ヘクターにとって疑問だらけの状況だがこれ以上疑問をぶつけてもテレーズに押し込められるだけなので止めておくことにした。
ヘクターが部屋の中に戻るとジェラールは起き上がっていた。
一度預かった盆を机に置いて寝台へと近付く。
「起き上がって大丈夫ですか?」
「うん、大丈夫、それは食事?」
「ああ、今テレーズがジェラール様の食べられそうな物とオレの分ってこれを...。」
机に置いた2人分の食事を指すと何故かジェラールの表情が明るくなる。
「君も一緒にって事...!?」
遠征中なら普通に良く共に食事を摂っていると思うのだが何か違うのかとヘクターは脳内で首を捻るがジェラールは今は病人だ。寂しい時もあるのだろう。
「今日は警備は別枠で多めに人数入ってるそうで...お邪魔なようなら下がっても良いそうですが...。」
「一緒に食べよう!せっかくだから今食事置いてくれたところで!暗くなってきたから飾り付けも綺麗に見えるし見ながらというのはどう?」
ジェラール本人が問題無いのなら依存は無い。皇帝陛下の食事のご相伴にあずかる事にした。
「ヘクターのそれ、美味しそうだね...。」
目の前で瞳をキラキラさせる皇帝陛下が自分の物を所望している。正直何の変哲もない簡単に食べられるサンドイッチでしかない。ジェラールに届けられたものは果物やスープなどどちらかと言えば腹に溜まりにくい物だが寝込んでいた人間には自分の物は胃には重いような気もする。
ただ差し上げるにしても手を付けていないものがもう無いので手持ちの食べさししかない。
「えーと…?これしか残ってないんですけども…。」
「じゃあそれと私の果物を交換しよう、はい。」
...と言われて綺麗に切り分けられた果物を口元に運ばれる。御身近くに侍らせていただいてから気が付いたがこの人は意外と強引な所がある、顔に似合わず。
そんなにもサンドイッチが食べたいのかとヘクターは口元までジェラールが勧める果物を齧る。
「美味いですね。」
「良かった、じゃあ君のもちょうだい。」
先に頂いてしまったので手持ちのサンドイッチを皿に乗せて渡してみたがジェラールは何故か不満顔だ。
先程までは機嫌が良さそうだったのに良く分からない、熱がある時の行動異常みたいな物かもしれない。
当のジェラールは机に伏してまでいる。
「そういうことじゃない~...。」
「お疲れのようなら休まれては...?」
「もうちょっとだけ...少しだけテラスに出ても良いかな?」
「...少しだけですよ。」
そうヘクターが応えるとジェラールはやった、とばかりに表情を明るくし、先程渡したたべさしも一口で食べ切る。様子がいつもと違うようにも感じるので早目に休ませるに越したことはないだろう。
寝間着にいつもの白いケープを羽織りバルコニーへ続く扉に向かうジェラールにヘクターも続いた。
夜の長い夏の祭りの本番はこれからなのだろう。
城下町のそこここに光が灯されて非日常の光景がバルコニーからは伺いしれた。
体調が問題なければそこにいられただろう主君は手摺にもたれかかって恨めしそうに眺めている。
「また次の機会がありますよ。」
「でも今年の夏祭りは今年だけだもの...あ、じゃあ冬の祭りの時は?また誘っても良い?」
誘うも何も今日もヘクターにとっては護衛としての仕事でしか無い。ただジェラールのお忍びに付き従うのはなかなか楽しいものがある。
「構いませんよ、では次のデートの約束は冬の祭りの時で。」
「...え、え…?いいの?」
「いいですよ、その代わり今日はもう部屋に戻ってお休みください。」
先程手摺に縋っていた姿とは一転して少し機嫌は直ったようだ。
皇帝として黄金の鎧をまとって玉座に座る姿と今の姿を対比させても本当に同一人物なのかと悩む事もあるが、現実間違いないと思い知らされているのであの陛下なのだろう。
「じゃあ眠るまで手を握ってて、熱がある時は兄さんが良くそうしてくれてた。」
「ヴィクトール様の代わりなんて無理ですよ!」
「それなら近くに居るだけ、私が眠るまで。その後は任務を解くよ、ね?」
「...分かりました。」
その程度の願いでも叶えるとジェラールは喜んでいるように見えるから、いつもそれを叶えたいと思ってしまう。
ヘクターへの我儘はヘクターが叶えられる程度の事でしかない。
ジェラールもその辺の加減は分かって言っているのだろうが出来ることなら叶えてやりたいと思う心には素直に従おうとヘクターは思うのだ。