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    てんてんです

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    てんてんです

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    ファウストがネロの飯屋を成り行きで手伝うことになる話。全年齢です。
    後編は12月目処でまとめて上げるか本にできたら……できたらいいなぁ

    【!注意!】
    ・キャラの死(ネロ、ファウスト意外)に関する表現があります

    【いていな展示】五線譜の上、旅は続く (前編) 長い人生の中でひとつひとつの別れにいちいち心を傾けて擦り減っていては生きていけないことくらい、分かっているつもりだった。
     どのみち、あと十年も経たないうちに離れるつもりの場所だった。流れた時間に対して変わらない見た目に不信感を抱かれる前にその土地を一度離れる必要があるのだから。世界の変化には良い風が吹いていたけれど、こんな東の辺境の地で凝り固まった価値観はたったの十数年で変わるものでもない。あと数十年経って、古い考えの人間達がこの世から去ってしまうまでは、悲しいことに。
     十数年で離れるつもりの土地だったとはいえ、分かっていた別れと、突然突きつけられる別れではダメージが違う。あれは昨日の出来事で、店を畳むことになった原因は自分の不注意としか言いようがない。夜明け頃、だれもいないだろうと慢心して店の裏口に箒で降り立った時、がしゃんと皿が割れる音がした。裏口に呆然と立っていたのは常連客の、よく一人で店にくる純朴で明るい青年だった。しばらく病気で臥せっている妹のために、ネロの店のミネストローネが好きだからと店に来る度に持ち帰りで頼み、律儀にお礼のメモを付けた皿を夜のうちに返しに来ている子だった。
     魔法使い、と彼が発した声はひどく震えていた。
     怯えて、数歩後ずさった青年は、ネロが一歩踏み出すと途端に逃げ出してしまった。
     薄情だとは思わない。自分と同じ存在だと思っていたものが、自分を簡単に噛み砕ける猛獣だと分かったら逃げ出してしまうのは何も不思議ではない。ネロはその夜、店の扉に閉店の看板を貼った。その勢いで店を片付けてしまいたかったけれどそんな気分にもなれなくて、ただぼうっとしているうちに一日が終わっていた。
     
     今日こそは片付けに手をつけよう、と翌朝ネロは思ったが、いざ店に降り立つと妙に感傷的な気分になってなかなか動き出せなかった。あの青年が来ていたのは三日に一回ほどで、ミネストローネを注文する客はそう多くなかったので、青年が来る日には材料を仕込んで待っていた。そばかすだらけの顔が嬉しそうに笑って、白い陶器に注がれたスープを受け取る。それを零さないよう慎重に、駆け出さないようにしながら少し弾むように去っていく足音が、割れた皿の音や、魔法使い、と呟く怯えた声に上書きされていく。
     頭を振って、思い出さないようにしたかった。こんな些細な別れに心を揺らしていたら、この先何百年も何千年も生きてはいけないのだ。ネロは、目の前に残された、昨日まであった風景の残骸から逃げるように箒に乗って空高く飛び上がった。衝動的に空へ飛んだ瞬間には行き先が決まっていなかったが、しばらくあてもなく彷徨っているうちに、久しぶりに友人の顔が見たくなって、一緒に飲んでいればその間は嫌なことを忘れていられるような気がして、嵐の谷の方へと進行方向を変えた。
     
     こういう時は不運が重なってしまうものなのだろうか。酒瓶を鞄に入れ、少し心を弾ませて街を出たネロは嵐の谷の友人宅に着いた瞬間愕然とした。家の敷地に足を踏み入れた瞬間、足元から魔力が放たれ、空中に文字を描き始めたのだ。
    『しばらく留守にしています』
    呪い屋に依頼を持ってやってくる客人に向けた書き置きのようなものなのだろう、魔法使いが足を踏み入れた時にだけ反応する仕組みになっていた。確かに家の方から漂う魔力の気配は薄く、少なくとも、数日と表現するには長いくらいには家主が不在にしていることが伺えた。器用な魔法だとは思いつつ、行きたかった店が休みだった時のように肩を落として踵を返すと、また魔力が足元から湧き出した。
    『ネロ すまない、しばらく留守にしている。また今度店に行くよ』
    また器用なことを、これわざわざ何人にやっているんだ、と魔法の技術にもファウストの律儀さにも関心して、ネロもその透明な書き置きの上に指先でメッセージを残す。いい酒があるんだ、今度店に来いよ。書き終えて、溜息をついて、とぼとぼと帰路を歩き始めると、今度は頭上から魔力の気配が漂い始めた。今度はなんだと思って見上げると、だんだんと魔力の気配が近づいてくる。見上げると、ふわりふわりと緩やかに高度を下げて、箒に横向きに座っている魔法使いが地上へ近づいてきていて、その姿を捉えたネロはぱっと笑顔になると頭上へと手を振った。空中に浮かんでいるのは、まさにネロが今会いたかった友人だった。
    「ファウスト! ちょうどよかった」
    呼ばれたファウストはネロを見下ろすと、切長の目を精一杯丸くしてネロの名前を叫んだ。その拍子にバランスを崩して危うく箒から落ちかけたファウストはネロの魔法でそっと地面に下ろされた。よく見るとふわふわと空中に浮かぶ箒の両端には大きな袋がいくつもぶら下がっていて、前側の先端に引っ掛かっている黒い鞄は大きく膨らんでいる。ファウストはいつもの黒装束ではなく、街中に紛れていても違和感の無い、無難な格好をしていた。まるで旅行客のようで、あんたどこ行ってたの、と聞こうとしてネロが隣を見ると、ファウストは頬を赤くしてネロを睨んでいた。
    「僕が旅行をしていたら何か悪いのか」
    「まだ何も言ってねぇよ」

     西の国の酒、南の国でしか取れない薬草、東の国の辺境で見つけた、呪術に使える珍しい鉱石。机の上に袋から出された土産が次々と並べられる。
    「これが南の国のワイン。雲の街に立ち寄った時にルチルが勧めてくれたものだ」
    「へえ、あいつのおすすめなら間違いないな。それにする?」
    「うん」
    ファウストが魔法を使ってコルクを開け、ネロのグラスに注ぐ。手酌で注ごうとしたファウストからボトルを受け取って、ネロもファウストのグラスにワインを注いだ。
    「あんたも長旅お疲れ様ってことで。結構長く行ってたのか?」
    「ああ。一月とまではいかないけれど、それなりに。……あぁ、そうだ」
    ファウストは徐に紙袋を足元から取り出して、ネロの目の前にどん、と置いた。
    「ネロ、大変だ」
    まだ酒を飲み始めたばかりだと言うのにファウストは上機嫌だった。これは二人が魔法舎に居た十数年前に始めた遊びで、それをいつもする時と同じように、ネロは大袈裟に驚いてみせた。
    「これはもしかして……」
    「君への土産だよ。開けて」
    言われた通り紙袋を開けると、東の国では見慣れないスパイスの瓶がいくつも入っていた。つい感嘆の声が漏れると、目の前のファウストは得意げになって、嬉しそうに笑っていた。
    「これも彼らのお墨付きだよ。東では手に入らないものもあるから、気にいるかと思って」
    「さっすが」
    ネロは紙袋からスパイスを一つずつ取り出して眺めながら、これはこんな料理に使えるかもしれない、これは今晩のつまみに早速使ってみようか、と考える。その姿を見て満足そうに酒を飲んでいるファウストの足元には、まだたくさんの土産袋たちが鎮座していた。その大半は、やはり魔法に使用できる薬草や鉱石、媒介のようだった。
    「にしてもすごく買い込んだみたいだけど、仕事用の買い出しみたいな感じか?」
    ネロはスパイスを紙袋に戻す片手間にそう聞いた。なかなか返事が戻ってこないので顔をあげると、ファウストはどういう訳か、気まずそうに視線を逸らして黙りこんんでいた。
    「笑わないで聞いてくれるか」
    「笑わねえよ、なんで」
    「……どう説明したらいいのか分からないが」
    ファウストは一度グラスを置いた。空いた両手の指先が、所在無さげに重ねられた。
    「魔法舎を出て、以前と同じように呪い屋の仕事に戻った。今までと違って、最後の大きな戦いの時にはメダルを作って宣伝したりしていただろう。あれで名前が知れてしまって、呪い屋の依頼は減っていたんだけれど、まあ、生活に支障は無かった。要するに、何も問題なく元鞘に戻ったはず、だったんだが」
    ファウストは続ける言葉を探しているようだった。ネロは遮らず、一口ワインをあおって続く言葉を待った。
    「……最近、違和感があるんだ」
    「違和感?」
    「うん。魔法は心で使うものだから、そのせいで今までみたいに呪いがうまくいかない。だったら一度思い切って離れてみようと思ってしばらく出ていたんだけれど」
    それで、一ヶ月くらいは旅をして、あの土産の量になったらしい。いつもの黒い服を着ていなかったのも、街中に紛れ込めるようにするためだった。本人が何度も何度も自称しているように、引きこもりで出不精の彼が一人で旅行なんてしていた理由に合点がいって、なるほどな、とネロは呟いた。
    「つまり先生の自分探しの旅ってわけか」
    「やめてくれそういう言い方は。……なんか、恥ずかしい」
    「恥ずかしい?」
    「だっておかしいだろう、僕はもう四百年は生きているのにそんな若者みたいなこと」
    そう言う語尾がもにょもにょと消えていく。ファウストがこんな風に煮え切らない態度を取るのは、珍しいとネロは感じていた。いつもだったら優柔不断な態度を取るのはネロの方で、それを、時には明確に線を分けすぎだろうと思うくらい、ばっさりと断言できてしまうのがファウストであることが多いからだ。
    「なあ、それってさ。何かきっかけとかあったの」
    「…………」
    ファウストは、申し訳なさそうにネロを見て、少し考えた後、何も口に出さずに視線を逸らした。
    「いいよ、無理に話さなくて」
    「すまない、僕が話し出したことなのに」
    「いや、聞いたのは俺だしさ」
    理由はなんであれ、ファウストがこれはこうだと口に出来ないということは、それだけ何か迷っているということで、それが若者のような青臭い悩みだとしても、取るに足らないことだと無碍にはできなかった。
     ふと、ネロは思いついたことがあった。その提案は、困っている年下に手を差し伸べてやろう、といった類の高尚なものではない。ただ、突然失くしてしまったせいで寒くなるのを、もし居心地の良い温もりを与え、必要以上に踏み込まない聡明な友人が側にいれば、感じずにいられるかも知れないと思った。ものすごく利己的な提案だった。
    「……あのさ、ちょっとだけ、俺も話したいことがあるんだけど、聞いてくれる」
    「ああ、すまない。僕ばっかり話しすぎた。何?」
    「いや、悪い。大したことじゃないんだけど」
    ネロは苦笑いして、頭を掻いた。
    「実は俺、昨日今の店、閉じてさ」
    「……全然僕の話より一大事じゃないか。どうして?」
    「まあ、俺が箒で飛んでる所を見られちまったんだけど……」
    ファウストは一瞬驚いたように口を開けて、、どうしてそう不注意なんだ、とでも言いたげな顔をしたが、何も言わずにいてくれた。
    「そうか、それは残念だったな」
    「まあ原因は俺のヘマなんだけど、そういうのもさ、もう飲まなきゃやってらんねー、みたいな気持ちになるじゃん」
    「それで僕の家に来たって訳か」
    「……はい、そうです」
    しょぼんと肩を落としたネロの頭をファウストが優しく撫でた。
    「可哀想に、慰めてやろう。よしよし」
    「せんせー……」
    その呼び方をするのは久しぶりだったが、ファウストがこうやって得意気にに自分を揶揄う時にはついそう呼びたくなる。酒に酔っているのもあり、ふにゃふにゃと身を任せてファウストが撫でるのに任せていると、ファウストはそんなネロの姿が可愛いとでもいいたげに、ふふ、と笑うのだ。
    「じゃなくて! そんで、次の店をどうしようか考えなきゃいけねえんだけど、もし……あんたが良かったら」
    その話を切り出すのには少しだけ勇気が要った。ネロが言い淀むと、ファウストはきょとんと首を傾げた。
    「っつっても、あんたが呪い屋の仕事をしばらく休むことになるし、この家を開けることにもなるから、それでも良ければなんだけどさ」
    「……前置きが長いな、なんだ」
    「もしよければ、店を開くの、しばらく手伝ってくれねえかなって」
    魔法使いが長い人生の中で、別れのひとつひとつに心を傾けてはいられないことは理解しているつもりだった。それでも、自分が割り切って忘れてしまえるような性質じゃないことだって分かっているから、隙間風の寒さを紛らわせて忘れていられるような何かがあればいいと思った、それだけだった。友人がその提案をどう取るか、何故だか少し緊張しながらファウストの顔を窺うと、ファウストは顎に手を当てて少し考えているようだった。
    「魔法使いの一生は長いからな、少しくらい今までと違うことをしてみたって良いだろうし、僕は今そうするべきなんだと思う。……けど、僕でいいのか」
    「どうして?」
    「君は今まで一人でやってきたんだろう。不慣れな僕がいたって邪魔じゃないか」
    「んなこたねえよ。あんたなんだかんだ器用だし、なんでも出来んじゃん」
    「……そんなことはないが」
    でも、まあ。とファウストは一息ついて、柔らかくはにかむように微笑むとネロに手を差し出した。
    「君がいいのならよろしく頼む」


     次の店の場所を、ネロはブランシェット領内に決めた。店の場所を決めるまでファウストの自宅に居候している間にヒースクリフとシノが嵐の谷に遊びにやってきて、その時に相談したら、いいまちがある、とヒースクリフが紹介してくれたのだった。ブランシェット領内は、領主が魔法使いであるためか、比較的魔法使いに対して友好的な態度を取りやすくなっていた。ファウストがその話を口に出さなかったので、二人にはまだファウストが店を手伝うことは言わないでおいた。
     それから二週間も経たないうちに新しい街での生活が始まった。一階にある店の上の階を居住スペースにして、二人で住むことにした。ファウストは自給自足の生活をしていただけあって大工仕事は得意なようで、ネロが新しい店のメニューを考えている間に、嵐の谷で調達した材料を使い魔法を駆使しながら、居住スペースや店の家具類を作ってくれていた。ネロが一通り店のメニューを完成させる頃にはウォールナットの暖かい木目の色味をした店の内装が出来上がっていた。
    「どう? 店長」
    内装が出来上がった時、ファウストはネロにそう聞いた。ネロとファウストには、二人で話す時だけのじゃれあいのようなものがいくつかあって、その一つが小芝居のような遊びで、もう一つがお互いを先生だの、シェフだのと役割の名前でわざとらしく呼び合うことだった。だが、「店長」だなんて少し大袈裟にうやうやしく呼ばれたのは初めてで、ネロは少し擽ったい気持ちになったのだった。
     二人は一通り店の準備を終えると特に宣伝をするでもなく、静かにレストランを開店した。こぢんまりとしたあまり広くない店内には、バーカウンターの席がいくつかと、テーブル席を数個ほど用意した。バーカウンターの上に取り付けられたメニュー表には、ファウストがしれっと足した猫のシルエットが隅っこにちんまりと描かれている。ネロはいつものようにシャツとスラックスにエプロン姿になり、ファウストも似たような服を着て、シャツのボタンをきっちりと閉めていた。
     最初にやってきたのは、昼頃に来た女性客だった。ネロは正直、接客についてはほんの少しファウストのことを心配していて、玄関の鈴が鳴り客が入ってくるなりカウンターの外側に
    いたファウストが客の方へ向かっていくのを、ワイングラスを磨き何でもない風を装いながら落ち着かない様子で眺めていた。
    「いらっしゃいませ」
    「こんにちは。ここのお店、今日からやってるの? あぁ、私この近くの雑貨屋で働いていてね、しばらく用意していたから気になってたのよ」
    東の国ではあまり見ない、明るくお喋りな若い女性だった。
    「……ええ、今日から彼と二人で。誰もいないので、好きな席にどうぞ」
    ファウストは彼女を席に通すと、水とメニューを持っていった。いつからこの街に、おすすめの料理はどれか、とおしゃべりな客の質問に、時々誤魔化しながら答えつつ注文を取り終わったファウストは、カウンターに戻ってくるなりにやにやと自分を見つめているネロを見てむっと顔を顰めた。
    「……何がおかしい」
    「いやあ、先生ちゃんと敬語使えたんだなって」
    「馬鹿にしているのか」
    ファウストは注文票をネロの胸元に押し付けて、むすっとして顔を背けたので、ネロはごめんごめん、と背中越しに謝った。

     接客についても何事もなく三日間程が過ぎた頃、事件とまでもいかないが、少しだけ不愉快なことが起こった。その日は休日前だったこともあって客入りが多く、日が落ちて夕飯の時間になる頃には店内はほぼ満席になっていた。今週の仕事が終わって開放的な気分になっていた客も多かったのだろう、四人がけのテーブルに座っていた三人の男性客は、酔い始めると周りが見えていないのか、騒ぐ声が大きくなっていく少し迷惑な客だった。周りのお客様もいるので、とネロはさりげなく何度か注意をして、その時は気をつけてくれるのだがすぐに元のボリュームに戻っていく。ファウストは何も言わないでいたが、腕を組んで眉間に皺を寄せ、カウンター前に立っている姿からはイライラしているのが丸分かりだった。本当は何かあれば自分が対応したいとネロは思っていたのだが、タイミングが悪いことにネロは今注文された料理を作る必要があった。またタイミングが悪いことに、その頃その客たちが魔法使いの事を悪く言い始めたのだ。やれ魔法使いは信用ならないだの、いい加減な奴ら、詐欺師だの、どこでだって聞いたことがあるような言葉ばかりだった。ちょうど料理が出来上がったネロが、ファウストに料理を渡そうとして気がついた。ああ、今日は何もかも最悪だ、この料理はあの客が頼んだものじゃないか。
     俺が行く、と引き留める前に、不機嫌そうなファウストが料理を手にして持って行ってしまった。ハラハラしながら見守っていると、その客のうちの一人、でっぷりと肥えた壮年の男性が、酒に酔って顔を真っ赤にしながら大声で言ったのだった。
    「うちの領主様も信用ならん。表ではいい顔をしているがあいつも魔法使いだろう、裏でどんな手を使っているんだか」
    「老いもしなけりゃずっとブランシェットを支配していられるし、魔法がありゃなんでもできる。お気楽なもんだよ」
    ネロはさすがに頭を抱え、開店一週間足らずでこの店を畳むことになるかもしれない事態を覚悟した。ファウストは料理の皿を持って客の前に立つと、どん、と少し乱暴に皿を置いて、不機嫌そうな声色で告げた。
    「……他の客もいるので、少しお静かに」
    そして踵を返すとカウンターの方へ戻ってきた。ファウストの勢いに驚いたのか客は少し静かになって、戻ってきたファウストは苦虫を噛み潰したような顔をしていた。


     「よく我慢したよな、今日の」
    その日の閉店後、誰もいなくなった店内で晩酌をしている時、ネロはファウストにそう言ってグラスにワインを注いだ。ファウストはぐいっとワインを呷ると、ふん、と鼻を鳴らした。
    「別に僕たちが言われるのはどうってことない。魔法舎で任務をしていた時も何度も言われたことだろう」
    「けど、ヒースのことが言われた時は流石にイラッとしたなぁ」
    「同感」
    ファウストは足を組んで、さっきは押し殺していた苛つきを顕にしていた。
    「俺はさ、あんたがあいつらに殴り込みにでもいくんじゃないかってハラハラしてたよ」
    ネロは少し冗談めかしてそう言ったが、実の所はかなり戦々恐々としていたので少しほっとしていた。ファウストはずっと彼らに対して憤慨しているようだったが、ネロがそう言うと、申し訳なさそうにごめんと呟いた。
    「なんで、あんた悪いことしてないじゃん」
    「でも、心配させただろう。……確かに僕だって、例えばこれが別の場所だったら殴りにいっていたかもしれないけれど……ここは、君の店だから」
    ファウストはらしくもなくしおらしく呟いていた。ああそうか、とネロはふと思い至った。この店を始めてから、ファウストはネロのことを店長と冗談めかして呼ぶが、今までは指導者で、先生で、東の魔法使いのリーダーだった、自分達を導いていたファウストは、今は自分の店の従業員で、自分が指示する側になるのは初めてだったのだ。そう思うと、自分のわがままを聞いてここにやってきて、ぎこちなく不慣れなことをやってくれている友人のことが急に愛おしくなった。
    「な、ファウスト。今日みたいなことがあった時、今日は手が離せなかったけど、できるだけフォローするからさ。嫌なことがあったら俺には言ってよ」
    「……わかった」
    「従業員を守るのも、店長の仕事だからさ」
    でも、俺の店のことを大事に思ってくれてありがとう。撫でながらそう告げると、ファウストはまた少しはにかむように微笑んだので、胸の奥がぎゅっとするような気持ちになった。この店に誘った時から時折見せるようになった、柔らかく、少し幼い彼のそんな表情がネロは好きだった。


     それから数日後の定休日前のことだ。いつも閉店後には余った材料で簡単なまかないを作り、翌日に響かない程度の晩酌をしていたのだが、休みの前となるとお互いに開放的な気分になって、居住スペースのリビングルームに料理や酒を用意して飲むことにした。次の日に仕事が無いと思うと気楽になって、面白かった客の話だの、些細なことでファウストがツボに入り始め、そんなくだらない話もひと段落すると今度はお互いに眠気が襲ってだんだんと静かになってくる。ちょうどその頃、とろんと眠そうな目をしたファウストが行儀悪くピスタチオの殻をつんつんといじりながら、ふと呟いたのだ。
    「……ねえ、ネロ。嵐の谷で、どうして悩んでいるのかって君は僕に聞いただろう」
    「……うん」
    「あの話の続き、してもいい」
    踏み込むのも踏み込まれるのも、相手を変えるような熾烈な言葉をぶつけ合うのももうしたくはない性質だと、お互いのことを理解していた。ファウストからの問いかけは、二人が友人でいるために引いている境界線からほんの少し踏み込んでもいいか、という同意を求めるものだった。
    「いいよ」
    ネロはそれを承諾した。きっと、酒の勢いに任せて仕舞えばどうにかなると思っていた。
     ファウストはピスタチオの殻を転がしながら、ぼんやりどこか遠くを見つめているようだった。遠くから虫の声だけが聞こえる夜のしじまに、落ち着いた声が響く。
    「祝福なんて、呪いみたいなものじゃないか」
    ファウストの話は唐突だった。祝福、とネロは聞き返すように呟いた。ファウストは、ネロに呼応しているのかしていないのか、話を続けた。
    「僕は弔うことには慣れているつもりでいた。戦いでは仲間達を大勢失ったし、家族は死に目に会えないうちにいつのまにか。いつか呪い殺してやろうと思っていた奴だって、その前に死んだ。だから、心を揺らさないでいられると思った。……違ったんだ、知らなかったから、そう思っていただけだった」
    ファウストは嘲るように、小さく鼻で笑った。
    「狡いと思わないか、呪いのような言葉で引き留めたくせに、祝福を残して去っていった」
    そうやって、突き返すようにしながら態度と裏腹に寂しそうな顔をするので、ネロはファウストが誰のことを話しているのか察しがついてしまった。あれは、魔法舎を出てから十年くらい、今から二、三年ほど前のことだろうか。ネロは報せを聞いただけで、誰が側にいて、どんな最期だったのかすら知らなかった。ファウストも、ネロが察したのを分かっていて、お互いに言葉にはせずに、丁寧に言葉を選んで話を続けていく。
    「それが、あんたが悩んでた理由?」
    「ああ、多分」
    「それって、どんな祝福だったか聞いてもいい」
    「……あんなの、ほとんど呪いだよ。魔法使いの生命は途方もなく長くて、そのくせ、永遠だと思っていると終わりはすぐにやってくる。……そう言って、僕に祝福の魔法をかけた。幸せを願うと言っていた」
    ファウストは眉を下げて、困った様子で柔和に微笑んだ。その仕草は彼のものではなく、彼が弔ったその人によく似ていた。
    「ネロ、僕はこの呪いを解く方法なんてとっくに分かっているんだ。僕が気に留めず、忘れて、毎日を過ごしていればきっとこの呪いは解ける。そうした方がずっと心が楽でいられるということくらいは理解している。それなのにそうしないのは、僕が忘れたくないからだ。呪いが解ければきっと、僕はだんだんと、こんなに長い人生の中では、顔も声も全部忘れてしまうだろうから」
    そうしたら、と続けたところで言い淀んだ。うとうとと微睡みながら話し続けていたファウストは、ぽつりと最後の言葉を呟いた。
    「そうしたら、僕はきっと寂しくなると思う」
    酔いが回って潤んだ目がなんだか泣きそうに見えて、ネロはファウストの冷えた手を包むように握った。
     愛おしかった。彼の中にある、自分がいつか上手に生きるために捨ててきたものが。自分は生きていくためにお別れに心を割かないようにと思って生きてきたけれど、彼はまだ、真正面から傷ついて、身勝手に残された祝福の中に答えを見つけようとしている。それが悲しい旅にならないように、こんな自分にも出来ることがあるのなら、精一杯のことはしたいと思った。
    「こんなこと、俺が言うのも変だし……気を悪くしたら申し訳ないんだけど」
    「しないよ、君の言葉なら」
    「きっとさ、悪いもんじゃねえよ、あんたがそうやって迷ってるのも。だって、人生がもっと短かったらそんなこと考えずに終わっていくんだろうけど、俺たちには時間があるから悩める訳だから」
    「うん」
    「俺に出来ることがあるなら協力するし、この店も家も、その間好きに使っていいからさ」
    「……うん」
    泣きそうな顔をして素直に頷いているのを見ると、そういえば彼は自分よりずっと年下だったのだと思い出した。ここに来てからのファウストは、魔法舎にいた頃よりもずっと柔らかくて素直だった。あの頃は手負いの獣のようなもので、傷つけられないよう警戒していた結果ああなっていたというのもあるが、先生や指揮者のような役割のために気を張る必要がいまはないせいかもしれなかった。いつもファウストがネロに揶揄い混じりにやるように、優しく、よしよし、と頭を撫でると、ファウストは唇をぎゅっと引き結んで、抵抗せず、ファウストの手を握ったままのネロの左手を握り返した。





    後編は東の子供達が店に遊びに来たり、ミチルと会ったり、東の国で事件を解決しにいったりします。多分。





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    てんてんです

    DONEネロファウ未満くらいの短編。休日に二人で遊ぶ予定だったのにファウストが体調を崩しちゃった話です。
    【いていな展示】秋の風邪とホットワイン その日の嵐の谷は名前に似合わず快晴で、柔らかい秋の日差しが窓から差し込む、心地の良い昼下がりだった。
     こんなに気持ちが良く涼しい休日に、静かな場所で居心地の良い友人と二人。のんびりとつまみでも作りながら昼から酒を開けてしまいたい絶好の日だが、いや、元々そのつもりだったのだが、今日はそれどころでは無かった。
    「先生、熱測れた」
    「うん」
    家主は寝巻きになりベッドの中で上半身を起こし、緩慢に体温系を脇から取り出すとネロに渡した。既に結構熱が出ているが、毛布をぎゅっと引き寄せて寒そうにしているのでまだもう少し上がるかもしれない。
    「その……何か欲しいものとかある」
    つい数刻前まで何事もなく元気そうにしていたのに、突然体調を崩してしまったファウストに、ネロはどうしていいのか分かりかねていた。何か食べたいと言われれば作ってやることはできるけれど、他に何をしたら良いのか分からない。辛そうにしている友人にしてやれることがあればいいのだが、こんな時に何かしてもらった覚えが記憶の中に無いネロは、何をするのが正解なのか分かりかねていた。
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    てんてんです

    DONEファウストがネロの飯屋を成り行きで手伝うことになる話。全年齢です。
    後編は12月目処でまとめて上げるか本にできたら……できたらいいなぁ

    【!注意!】
    ・キャラの死(ネロ、ファウスト意外)に関する表現があります
    【いていな展示】五線譜の上、旅は続く (前編) 長い人生の中でひとつひとつの別れにいちいち心を傾けて擦り減っていては生きていけないことくらい、分かっているつもりだった。
     どのみち、あと十年も経たないうちに離れるつもりの場所だった。流れた時間に対して変わらない見た目に不信感を抱かれる前にその土地を一度離れる必要があるのだから。世界の変化には良い風が吹いていたけれど、こんな東の辺境の地で凝り固まった価値観はたったの十数年で変わるものでもない。あと数十年経って、古い考えの人間達がこの世から去ってしまうまでは、悲しいことに。
     十数年で離れるつもりの土地だったとはいえ、分かっていた別れと、突然突きつけられる別れではダメージが違う。あれは昨日の出来事で、店を畳むことになった原因は自分の不注意としか言いようがない。夜明け頃、だれもいないだろうと慢心して店の裏口に箒で降り立った時、がしゃんと皿が割れる音がした。裏口に呆然と立っていたのは常連客の、よく一人で店にくる純朴で明るい青年だった。しばらく病気で臥せっている妹のために、ネロの店のミネストローネが好きだからと店に来る度に持ち帰りで頼み、律儀にお礼のメモを付けた皿を夜のうちに返しに来ている子だった。
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