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    gekkeij_u

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    gekkeij_u

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    前に出した会場頒布分のみのてで時代の一郎と大人たちの話

    heaven 『ヘヴン』
     
     ぼすん、と気の抜けた音とは反対に重たい感覚が左馬刻の腹に乗った。油断しきっていた体には割とダメージが大きく、呑気にソファの肘置きへ乗せていた足が浮いた。
    「ッぐ」
     ぼやけていた意識が急速に持ち上がり、顔に乗せていた腕をどけて視線を動かすと誰かがソファの側に座っている。三人がけを優雅に一人で占領していた左馬刻は口先まで出掛かった文句を押し込めた。二人の呼吸と外から届く軽い囁きが部屋に満ちていく。
    「……起きたか」
     そっぽを向いたまま、左馬刻の腹に頭を乗せている一郎に声をかけると肩がぴくりと動いた。部屋は暗く、僅かに寒さすら感じる。いつまでも乱数の事務所に厄介になるわけにはいかないからと新しく見繕った部屋にはまだソファが二つとローテーブルしかないが、代わりに仮眠室があった。備え付けのわりにいいマットレスのベッドで寝ていた一郎の体温は温かい。
    「寒ぃからクーラー下げて」
     左馬刻が喋るたびにかたこと揺れる黒い頭に話しかけると、のっそりと動いてテーブルの上のリモコンをいじる。そしてまた、左馬刻の腹に帰ってきた。
     湿気に負けたのかいつもより大人しく跳ねる一郎の髪の毛が布ごしに腹をくすぐる。一房すくいあげると痛んだ毛先が僅かに金色じみた光を乗せた。
     急患で寂雷が来れなくなりミーティングが延期になったおかげで、空けていた時間を丸々全部睡眠に使っていた。昼間は明るかった部屋は今や暗い灰色だ。
    「……予報、外れた」
     髪を混ぜる左馬刻の手にむずがるように肩をすくめた一郎が、観念したのか顔をこちらに向けた。幼い顔、ぶすくれた頬は丸い。
     予報。左馬刻はうっすらとクマの乗った目元へ親指を這わせながら、ああ、と相槌を打った。
    「忘れてたでしょ、ひでぇ」
     目の際まで触れても一郎は身じろぎすらせず受け入れる。まつ毛の柔らかさが優しさと同じだった。
    「……忘れてねぇよ」
    「うそ」
    「ほんと」
     左馬刻の手に合わせて作られた頭を撫でる。一郎は我儘を聞く大人みたいな顔をして鼻を鳴らした。半袖から覗く腕は薄暗い中でもわかるくらいに焼けている。小麦色、自身と遠い色だった。
     左馬刻はそっと窓の外に目線を動かし、また次だな、と囁いた。
     
     八月の半ば、世間は夏休みというやつだった。社会人にはー全うかどうかはさておいて学生の身分ではない人間にはー関係のない暦も学生の一郎には大きなもので制服以外の姿を見かけるようになった。街に人が溢れ、レジャー施設が混み合う。だのに一郎ときたら遊びも休みもせず、カレンダーのほとんどをアルバイトやら最近入るようになった依頼やらで埋め尽くしてしまった。勤勉と言えば聞こえはいいが、目の下に薄黒を貼り付けてチームの集まりにきても疲れからかぼんやりしているのはいただけない。
     叱ったところで大人しく聞くわけもない子供をどうするか、考えを巡らせていた左馬刻の前で明け方からのバイトを終えた一郎がぽそりと言った。
    「……いいな」
     窓辺に立ち、目をしょぼつかせる一郎の声は、誰に聞かせるでもないほど小さなものだった。近づいて見れば左馬刻の乗り付けてきた新しいバイクが部屋の窓から見えた。寝ぼけたような声色を捕まえて左馬刻はゆらゆら揺れる肩へ腕を回した。く、と後ろに引くと素直に体を預けてくる。
    「後ろ、乗せてやろうか」
     一郎がぱちんと目を瞬かせて、それから嬉しそうに頷いた。本当ですか? 俺ずっと乗りたくて。微睡を打ち消して興奮気味に言い連ねた子供にふらついてるやつは乗せらんねえと嘯けば、みんなが来たら起こしてくださいと言っていそいそと仮眠室へ入っていった。その背中を横目に、飛び込んだ延期の連絡に是を返してソファへ横たわった。
     
     ふわりと欠伸をこぼし、携帯をいじる一郎を見る。今日は一日晴天のはずで、だから左馬刻もバイクできたのだが残念ながら外れたようだ。外は細かな雨が降り、窓に小さな雨粒をつけている。
     一郎は携帯の画面を睨みつけ、三時間後に止むって! と左馬刻を見上げた。いじらしい子供のわがままを聞いてやりたくなる、一郎と知り合ってから左馬刻を悩ませる小さな変化だった。
    「今日はだめ」
    「えー……」
    「道路濡れてっから」
     一郎は一瞬左馬刻の腹から頭を上げ、乾きます、と駄々をこねる。皺のよった鼻先を指先で弾き、左馬刻はことさら言い聞かせる口調でまた今度、と繰り返した。
    「ついでにお前の行きたいとこ連れてってやっから」
    「……どこでも?」
    「どこでも」
     そうすると、現金なやつで曇らせていた顔がきらきらと笑顔に変わる。
    「海がいいっす」
    「あ? 濡れたら乗せねえぞ」
    「え、じゃあ花火しましょ。ライターあるし」
    「直火かよ」
     一郎がうん、と小生意気に頷いて、頬を左馬刻に押し付けた。携帯を床に置いて、左馬刻の方へ手を伸ばして来る。
    「スイカも持って行きましょうね」
    「シートに入んねえわ。お前が持てよ」
    「はぁい」
     放っておいたら、左馬刻の垂れた腕を取って人差し指を摘んだ。かさついた手を擦り合わせるとさらさらと、雨粒に似た音がした。
    「左馬刻さん、またささくれちぎったでしょ」
     乾いた血をするりと撫でて咎めるから、一郎の手を掴み返した。
    「お前はまた、喧嘩したな」
     中指の付け根、うっすら皮のめくれた場所を撫でる。左馬刻の手も、同じ場所に浅黒い跡があった。人を殴り慣れた手だった。
    「うん……ごめんなさい」
    「仕方ねえよ」
     仕方のないことなのだ。生きるには、どうやったって力がいる。殴るのもマイクを通して罵り合うのも等しく暴力だった。咎める権利は、既に左馬刻の元にない。だが、うっかり口に出してしまうのは、一郎がきっと左馬刻の知る中で誰よりも善良な、青い子供だからだった。
    「……スイカ、お前が食えよ」
     黙り込んだ一郎の目が、暗闇に紛れて見えない。自分の後を歩く子供が欲しいのは慰めじゃないと知っているから、態とらしく話を逸らした。
    「左馬刻さんも食べてくださいね」
     どこまでも似ている。傷の場所も、悲しみの深さも、なにもかも。鏡を見たらきっとお互いの顔が映るくらい、似ていた。だからこそ側に置いた。側にいて欲しいから。手前勝手な理由も、伸ばされる手が免罪符だ。
     繋いだ手を離して、小指を絡めた。子供騙しに、騙されてやるのも大人の仕事だった。
    「約束ですよ」
     頷いて、手を揺らした。ハイスピードのバイク、後ろで歓声を上げる子供を夢想する。その一瞬だけでも過去の痛みが消えればいい。誰かを傷つけたいつかがこの子供の背を冷やすなら、追いつけないスピードで連れ去ってやらねばならない。
    「おう、約束な」
     指切った。目尻に浮かんだ安堵は、どちらのものなのか。ほの青い暗闇の中ではわからなかった。
     
     
     
     
     『可惜夜』
     
     がさごそと誰かが動く気配がして乱数はアルコールで霞む目を擦りながら体を起こした。床に直接横たわっていたからか、肩やら腰やらが痛む。打ちっぱなしコンクリートは外で酔い潰れるよりマシなくらいで、ちっとも眠りに向いていない。
    「うわ最悪……」
     首を動かせば見渡す限り、酒瓶の山だ。酎ハイも焼酎もウィスキーも全部空っぽになって転がっている。乱数はソファとテーブルの間にいたが、きっと遠くの床に打ち捨てられているのは左馬刻だし、大瓶を抱えて壁にもたれているのは寂雷だろう。部屋は真っ暗で、煙草とアルコールの匂いが充満していた。自分の吐く息すら酒精に浸されて気持ち悪い。
     乱数は少しでもマシな空気が吸いたくてずりずりとベランダのほうへ這って行く。
    「ぐえッ」
    「エッわごめん」
     後一歩で窓に手が届く瞬間、窓が一人でに開き乱数の背中に重い衝撃が走った。悲鳴と共に口元を抑えた乱数の背中に乗っていた重みが消え、代わりに手のひらが降りてくる。
    「ゔぇ……いちろう……?」
     背をさすられつつ顔を上げると眉を下げた一郎が側にしゃがみ込んでいた。ふわりと外の匂いがする。
    「ワリ……ここにいると思わなくて……」
     乱数は目尻に浮いた涙を払い、なんとか立ち上がった。そしてたった今一郎が開けたらしい窓から顔を出す。真夜中といえど夏の気温は下がりきらず、ほんのりと暑い風が乱数の首元を撫でていった。
    「ぜんぜーん……はぁ、新鮮な空気……」
     裸足のまま靴下でベランダに進み出て手すりにもたれた乱数に付き添って一郎も手すりに背を預けた。
    「水持ってくるか?」
    「だいじょぶ……うわ記憶ない……」
     流れていく風が心地いい。排気ガスに汚れていても部屋の中よりもよっぽどマシだった。途中まで平和な飲み会だったはずなのに、寂雷が左馬刻のコップを間違って手に取った時からおかしくなった。見境のない寂雷から一郎を逃がそうとした左馬刻から死に、一郎を仮眠室に押し込んだ乱数が死んだあたりで記憶がぱったり途絶えている。
     心配げな面持ちで乱数を見る一郎が無事で何よりだ。
    「あんなとこじゃ寝れないよねえ」
     蚊が入るなんてお構いなしに全開の窓から室内を見る。もう暗闇に紛れてしまったが明日の朝日に照らされたらきっともっと最悪のはず。乱数は哀れアルコールに逃げることもできなかった一郎に笑いかける。
    「あー……いや、平気」
     歯切れ悪く言葉を返した一郎が軽い調子で、最近寝れねえから、と言った。
    「ふうん……」
     その横顔があまりに悲しそうで、乱数は相槌にも満たない応えを持て余した。沈黙が地面に落ちて音を立てる。
    「暇なら僕に付き合ってくれる?」
     乱数は一郎の腕を引いた。十センチがゼロになり、一郎の肩が乱数にぶつかる。夏の夜には熱すぎる温度を感じながら空を指差した。薄い雲に覆われて月以外が全て朧げな夜空、目を凝らしてようやく小さな光が見つかった。
    「あれ何か知ってる?」
     一郎は眉根を寄せて、ごめんと呟く。だから乱数は弾んだ声を出した。
    「じゃああれ僕の星にしよ」
     そしてまた、今度は別の空を指す。
    「あれは? 知ってる?」
    「いや……」
    「じゃああれ左馬刻ね、なんか光り方ぽいし」
    「どこが……?」
    「一郎どれがいい? 今なら選べるよ!」
     ええ、と困惑しながら一郎が空を睨む。元が真面目な子供は真剣に星を探し始めた。
    「見つかりそ?」
    「いや……あんま見えねえ」
    「だよねえ〜」
     けたけた笑う乱数に一郎の眉間に皺が寄る。乱数はポケットを漁って、でも結局何も取り出さずにやめた。あと三年は不要なものだろうし。
    「適当でいーの。何したっていいしね」
     背伸びして、一郎の頭に手を乗せた。左馬刻のように上手くできない、だって乱数の頭を撫でてくれた大人はいないのだから。でも精一杯に真似をした。ぐしゃりと前髪を乱して、ぐいぐいと後頭部まで手を動かす。
    「時間がいっぱいあるっていいことだよ、一郎」
     時間は有限だ。みんなわかっているのに自覚していないから夜更かしを悪いことみたいに言うのだと乱数は知っている。
    「なんでもできるし何してもいいんだよ。青少年育成条例なんてクソくらえ〜」
     足が疲れて撫でるのをやめた後も、一郎はびっくりした顔で乱数を見ていた。数拍、黙り込んでから一郎はこくんと頷く。
    「……あんがと」
    「えぇ! どうしたの? 素直じゃん」
     茶化して笑えばそっぽを向いて、遠くの空を指差した。
    「俺あれ」
     目を向ければ星っぽい瞬きがぽつんと浮いている。
    「いいね、センスある」
     振り返って笑う顔があんまりにも子供っぽくて、乱数は自分の胸を抑えた。今まで読んだ本にも教えられたものにもなかった何かがそこに生まれたみたいで。
     空が白み始め星が消えて月が夜に帰って、ようやく二人は部屋に戻る。まるで瞬きと同じくらいの夜だった。





     『唯一解』
     
     三枚の紙を手に、一郎はかつてないほど弱りきった顔で寂雷の前にいた。
     紙にはいくつかの数式とグラフが描かれている。寂雷はじいっと一郎の顔を見て、しかと頷いてテーブルへと手を向けた。『特別課題』と仰々しい書体で銘打たれた紙が冷房に揺られてぱたぱた音を立てる。八月の終盤のことだった。
     
     さりさりとシャーペンは紙を滑り、順調に見えた。が、名前を書き終わり小手調べの一問目を解いたあたりでぱったり鳴り止み、動かない。寂雷はソファの上から紙を覗き込んで懐かしい数式に誰にでもなく頬を緩めた。二次関数の基礎とも言える問題だった。
    「ぅう……」
     苦悶とも取れる顔で紙を睨みつける一郎の思考の邪魔にならない程度に口を出すとじわりじわりと黒が白に描き出される。一郎の地頭は決して悪くなく、勉強についていけないというより単純に授業を受けるだけの余力がなくなってしまうだけのようだ。
     アドバイスに満たないヒントを出せば寂雷の仕事は終わり。最初の一枚を解き終わる時には、寂雷は読んでいた本に集中できるほどだった。だが二枚目の半ば、グラフ問題から図形に移行したあたりで集中が途切れたのか一郎がべしゃ、とテーブルに伏せた。
    「随分進んだね」
    「先が長いっす……」
     立ち向かっていたらしい問題の解答欄は何度も消しゴムをかけたせいか毛羽立っている。単純な計算問題より、図形が難所のようで手が止まることが増えていた。
    「一郎くんは、図形が苦手かな」
     伏せたまま、一郎は頷きで返事をした。そしてテーブルをぱたぱたと叩いていた指先で毛羽だった紙面をなぞる。
    「計算も、あんまり好きじゃないんですけど」
     指先は次に円形の図を辿る。中に入った四角の面積を考える問いは、見たままで解くのは難しいものだ。
    「図形とか、証明とか……少し違うだけで考えたこと全部間違えてるぞって言われてる気がして、苦手、です」
     答えが決まってるの、嫌だ。ぶっきらぼうに言い捨てる。
    「……確かに、決まっていると窮屈に見えますね」
     寂雷が言うと、一郎は少し驚いたように目を開いた。素直な反応に笑みが溢れる。
    「結局は計算ですから、答えが決まってしまうのは仕方ないですが」
     寂雷は一郎が下敷きにしたせいで皺の寄った紙を指して長い指をするりと図形に這わせた。
    「図形のいいところは、どんな道を辿っても最後に合っていればなんだっていいところですよ」
    「あ」
    「ふふ、これが解けたら後の問題も大丈夫」
     ぼんやりと指を見ていた一郎がシャーペンでその後を追う。図形を半分に切り落とした線が正解を導いた。


    「お疲れ様」
     一郎は呻きながら。真っ白だった紙のほとんどが埋まり、あとは数問を残すのみだ。途中やってきた乱数は紙を見るなりギャ! と叫んでどこかへ行ってしまった。
    「課題はまだ他にも?」
    「はい……あ、いえ……」
     いつもきっぱりと話す一郎にしては珍しく曖昧に言い、雑な手つきで自身の頭を掻いた。
    「他は出さなくてもよくて……これだけがやばい」
    「おや」
     随分と白の少なくなった紙を眺める。問題の中身は基礎ばかりだが、偏りのない出題範囲はもしかしたら入学してからの全範囲を網羅しているのではないか。
    「不良ばっかなんで、他の教科の奴らは最初から俺らのこと無関心で課題とかもあんまなくて。ただ数学の鬼ババが……欠席数見逃す代わりにって貰いました。筆跡わかってるぞってめちゃくちゃ脅されましたけど」
     寂雷は一郎のおどけた声色を聞きながら口端に優しい大人の影が滲んでいるのを見つけた。図形問題が多いのはもしかしたら、なんて大人の余計な邪推だ。
    「それは頑張らないと」
     賢いこの子が気づいているかはわからない、だが鬼ババと笑う顔がどこか安心したようなものなのが何よりも嬉しい。
     最後だと、また紙に向かい合う一郎を眺めてから寂雷は残り少なになった本に視線を落とした。筆先は流れるように動いている。
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