可愛いままで生きるには 私がまだ幼すぎて何もわかってなかった頃、近所の年上の男の子たちが何故私にキモい虫を見せてきたり髪を引っ張ったりしてイジワルしてくるのか、理由がわからなかった。
私はそのたびに泣いたり怒ったり逃げたりし、何度もはっきりと「やめて」と言った。
それなのに、その子達はニタニタと嬉しそうに笑って、私を見かけるたびに嫌がらせをした。
モブくんは、そんな男の子たちとは違った。いつも優しくて笑顔で、私を楽しませようと超能力で物を浮かせて見せてくれたり、何をして遊びたいかもちゃんと訊いてくれた。
ある日、幼稚園の帰りにモブくんと遊ぶ約束をしていた神社に向かうと、境内のそばで知らない大人がウロウロしていた。「知らないおじさんだ。ちょっとヤだな…」と思って、階段を戻ってモブくんを待とうと思った矢先、その男は私を見て
「ああ!そこのおじょうちゃん!向こうでケガをして泣いてる子がいるんだ!今、他の大人の人を呼んでるとこなんだけどまだ来なくてね、その子もその場所から動かせないから不安そうに泣いてるんだ!もしかしたら君の友達じゃないかな!?」
私は咄嗟に「え!?」と振り返った。モブくんかも知れない。ここで会う約束してたし、モブくんは鈍臭くてよく転んで泣くから、きっとモブくんだ!…と、私はその男につい駆け寄ってしまった。
「どこですか!?私の友達のモブくんかも!」
私が切羽詰まった声でそう問いかけると、その男は「ああ、モブくんというのか!うん、男の子だったよ!さあ、こっちへ!君の顔を見たらきっと安心する」と言って、いきなり私の腕を掴んで引っ張り出した。
振りほどけないほどの力で腕を握られ、神社の裏へと早足で連れて行かれ、小さな私の足がもつれた。
なんだかおかしい気がする。でもモブくんが泣いてるかも。私のことを待ってるかも。そう思うとその男に抵抗して道を戻ることはできなかった。
「ツーボミちゃ〜ん!」
モブくんが私を探す声が聴こえた。今来た道の、後ろからだ。
振り返ると、モブくんは境内の階段を昇りきったところでキョロキョロしながら私を探している。
「モブくん!?」
私が思わず声をあげると、モブくんはこちらに気づいて目が合った。
頭の上からチッと男の舌打ちが聴こえて、「あ、この人はウソをついてたんだ」とようやく悟り、私はモブくんに大声で助けを求めた。
あとは一瞬のことで、男の手がバチンと弾けて私の腕から離れると、男は真後ろにあった太い杉の幹に身体ごとぶつかった。まるでゾウにでも蹴られたみたいに。
モブくんの髪はゆらゆらと逆立っていた。
でも、モブくんのところに走って戻り、私がショックと恐怖と安心でわんわん泣いてる間に、男は逃げてしまっていた。
変質者による幼女連れ去り未遂のニュースは、次の日には調味警察からの市内全体へ連絡が回った。
もちろん、私たちの通う幼稚園にも。
先生たちは私が被害当事者であることを他の児童や保護者にはバレないようにしてくれていたが、私だけに対するいつもよりも気を遣った態度や、ずっと一人で帰れてたのに母が迎えに来るようになったことで、なんとなく知れ渡ってしまった。
そんな中、また事件が起きた。あの変質者がまた別の女の子をかどわかそうとしたのだ。
幸い、その子は小学校からのお知らせを受けて親からしっかりと注意されたばかりだったので、怪しい、と思ってすぐに防犯ブザーを鳴らし、パトロールを強化していたお巡りさんが来て逮捕となった。右手の手のひら全体が腫れたような怪我をしていたのも、犯人の目印として通達されていた。
これでもう怖い目に遭わないと思った。私があの男に連れ去られそうになったのは、偶然あの神社に行ってしまったからだ。運が悪かっただけ。そう思うようにしていた。
でも、聞いてしまった。
犯人が逮捕されて、母も過保護な送り迎えをやめてくれた頃、幼稚園の近くの公園で同じ組の子のお母さんたちが話してるのを。
「変質者、捕まって良かったわ〜!うちの子、ぼんやりしてるから気が気じゃなくて…」
「この街は治安が良いって言うから引っ越してきたのに、どこにでもおかしな人っているのね…」
「でも、最初の被害者になった高嶺さんとこのツボミちゃん、あの子くらい特別に可愛いと、トチ狂っちゃうってのもあるのかもね」
「ああ〜そうね。あの子、本当に可愛いもの。変質者じゃなくても悪い気持ちが起きちゃうってのも、あるわよね」
「あの子、あんなに可愛いとこの先も苦労するでしょうね」
「それもそうだけど、正直、ああいう子がそばにいると危ない人を寄せ付けるみたいで怖いわ。変質者って狙ってた子に逃げられて、近くに居た別の子を代わりにするとか聞くし」
「そうね、可愛すぎるってのも、問題よね」
は?なにそれ。
私はその公園からそっと離れ、足をがむしゃらに動かしてデタラメに歩いた。家に帰りたくもない。誰にも会いたくない。そうは言っても子供の足、うつむきながらひたすら歩いた先は近所のスーパーで、このあとどうしようかと逡巡していると、ゲームコーナーに居たモブくんに見つかってしまった。
「あ!ツボミちゃん!どうしたの?おつかい?」
天真爛漫な笑顔で私に駆け寄るモブくんを見て、ホッとすると同時に、ものすごく苛立ってしまった。
「…モブくん、こないだの変な人、捕まったの聞いた?」
「あ!うん、聞いたよ!良かったね!これでもうツボミちゃんも怖くないし、また神社で遊べるね!」
…あんな神社、私はもう怖くて行けるわけないのに!
私はカッとなって、モブくんに怒鳴りつけた。
「モブくんのバカ!私が連れて行かれそうになったのはモブくんのせいなのに!モブくんが泣き虫だからあんな人の言うこと信じちゃったんだよ!?モブくんのせいなんだから!私は悪くないんだから!」
モブくんは驚きで目を見開きながらオロオロして私に言う。
「…え!ツボミちゃんが悪いわけないよ!?なんで?僕がいつもツボミちゃんに心配かけちゃってるから、あのおじさんに騙されちゃったの?そうだったの?だったらゴメン…」
騙されたって言うな。私が愚かなせいで怖い目に遭ったみたいに言うな。
その時は、そう伝えることができず、ただモブくんが悪いと責め立てるしかできなかった。
超能力で助けられたのも腹が立った。私が抵抗できなかった大人の腕力をいとも簡単に退いたことが憎たらしかった。水を宙に浮かべたり鉄棒を揺らしたり、そんなのしか見たことなかったのに、大人を弾き飛ばしたりできるなんて…ズルい。
そんな強い力があるなら、私みたいに怖がらないのは当たり前じゃん。そうだよ、私があの男を怖くて泣いてしまったのは、私が弱いからじゃない。モブくんは超能力があって強いから怖くないだけだ。
私に理不尽な八つ当たりをされて呆然としているモブくんをそのままにし、私は家に帰った。ドアの音を聞いて、在宅で仕事をしている母が玄関まで出てきた。
「おかえりなさいツボミ!すこし遅かったけど、帰り大丈夫だった?変なことや怖いことなかった?」
「…別に…なんもないよ…」
恥ずかしいからお迎えはもう止めてと頼んでからも、母はこうやって毎日心配してアレコレ聞いてくる。それもすごくイヤだった。また同じような目に遭うほど愚かだと思われてるみたいで屈辱だった。
「…怖いことあっても、それ私のせいじゃないもん!私のこと可愛く産んだママのせいじゃん!私が可愛いから変な人が寄ってくるんだって言われた!私のせいで怖い人が街に来るんだって!だったら私、可愛くなんてなくて良かったのに…!」
私は叫ぶように泣きながら母を責めた。
わかってる。
モブくんが泣き虫だから怖いことが起きたんじゃない。
ママが私を可愛く産んでくれたから怖いことが起きたわけでもない。
でも私のせいでもない。きっとそのはずだ。
母は泣きじゃくる私をギュッと抱きしめて、可愛いことは悪いことじゃない、自分の個性を否定してはダメだと教えてくれた。
「それがどんなにあなたを苦しめたとしても、それもあなたの大事な一部分なんだから…」
母は私に、そう言ってくれたのだった。