甘い牢獄 目を覚ますと、見慣れない部屋の中にいた。身体を起こしてすぐに、床が信じられないほどにふかふかであることに気がつく。僕の身体が横たえられていた布団は、空気が含まれていて柔らかかったのだ。気になって捲り上げてみると、下のマットレスもマシュマロのような柔らかさだ。それも、ただ柔らかいのではなくて、程よい弾力を持っている。家具に詳しくない僕にも、それが値の張るものだと分かった。
「どこだよ、ここ……」
寝台の検分をしていると、隣からルチアーノの声が聞こえた。少し距離が離れているのは、室内にベッドが二つ並べられているからだ。二台の間にはスペースが取られていて、濃い赤色の優雅な絨毯が敷いてある。見渡した室内も、広々としていて設備が整っていた。
「いつものあれ、みたいだね」
身体を起こすルチアーノを見つめながら、僕はいつもの調子で答える。このような密室に閉じ込められるのは、今に始まったことではないのだ。これまでにも、僕たちは何度も『出られない部屋』という密室に運ばれている。見慣れない場所で目覚めたからと言って、対して驚いたりはしなかった。
「それにしても、この部屋は妙に良い造りだな。いつもだったら、もっとちゃちで簡素な部屋だろ」
ぐるりと周囲を見渡してから、ルチアーノは感心したように呟く。彼の言う通り、今回の部屋は妙に高級感があった。部屋はゆったりと広くて、僕が大会のために予約するビジネスホテルの倍くらいのスペースがある。床は赤い絨毯が敷き詰められていて、周囲の壁を彩るのは、タイル調のおしゃれな壁紙だった。壁際に置かれたテレビ台は豪華で、高級感溢れる引き出しが取り付けられている。中は確認していないが、一通りの道具が整えられているのだろう。
「確かに、いつもの部屋とは違うね。白くないし、狭くもない」
通路の奥を覗こうと立ち上がったとき、テレビの画面が点滅した。しばらくすると、真っ白な背景に黒い文字が浮かび上がる。部屋は豪華になっているが、この辺りは変わらないみたいだった。
──✕✕✕しないと出られない部屋
画面の中の文字は、そんな文章を映し出す。なんの捻りもない、直球な名前の部屋だった。真っ直ぐに画面を見てから、僕はルチアーノに視線を向ける。ルチアーノも同じことを考えていたみたいで、ばっちりと目が合った。
「なんだ? それだけか?」
拍子抜けしたとでも言いたげに、彼は言葉を発する。そういう振りをしているのではなく、本当に拍子抜けしているのだ。確かにお題は直球だが、そこにはなんの捻りもない。これまでに閉じ込められてきた部屋の中には、もっと羞恥を煽るようなものもあった。今さらそんなことを要求されても、そこまで恥ずかしいとは思わない。
みたいだね。そう答えようとした時、不意に画面が切り替わった。真っ白な背景の中で、さっきよりも長い文字列が踊る。そこに書かれていたのは、このような内容だった。
──この部屋は、✕✕✕しないと出られない部屋です。ただし、普通の出られない部屋ではありません。どう脱出するかではなく、脱出するかどうかを話し合ってもらうための部屋なのです。
よく分からない内容だった。ルチアーノも同じようで、再びばっちりと目が合ってしまう。小さく首を傾げてから、彼の横顔に問いかける。
「どういうことだろう」
「どういうことだろうな」
どう脱出するかではなく、脱出するかどうかを話し合う部屋。そんなものは、これまでには存在しなかった。今度も手強い課題になりそうだと、詳細も知らないのに考えてしまう。
画面が切り替わると、すぐにそちらへと視線を向けた。この部屋のお題が何なのか、気になって仕方なかったのだ。画面に映し出された文字は、このようなことを語り始める。
──この部屋の中は、絶対的な安全が確保されています。必要なものがあればテレビから注文していただければ、すぐに提供されるでしょう。この部屋の中にいる限り、貴方たちは飢えることもなければ、危険に晒されることもありません。条件さえ満たさなければ、いつまでも滞在できるのです。
──貴方たちは、脱出を望みますか? それとも、この部屋で安全に過ごすことを望みますか? 是非、パートナーと話し合ってみてください。
一方的に言葉を並べると、画面は唐突に電源を落とした。静かになった部屋の中に、僕とルチアーノだけが取り残される。黙って隣に視線を向けると、彼は呆れた顔をしていた。
「なんだ、そんなことかよ。とっとと脱出するぞ」
僕の座る寝台へと乗り上げると、手を伸ばして服を脱がそうとする。急すぎる展開に、すぐには反応ができなかった。半分まで下ろされたズボンを押さえると、慌てて上へと引き上げる。
「ちょっと、待ってよ」
話し合いのための部屋なのに、彼は話す気が一切ないのだ。外されたベルトを留め直すと、両手を壁にしてルチアーノと向き合う。
「なんだよ。君は脱出したくないのか?」
「そうじゃないけど、もっと考えようよ。本当にすぐに出ちゃっていいの?」
僕が尋ねたのには、一応の理由があった。この部屋の提示した条件は、僕たちにとって悪くないものなのだ。秘密結社のメンバーとそのパートナーとして暗躍している僕たちは、外敵から命を狙われている。この部屋に留まっていれば、僕たちは危害を加えられずに済むのだ。
「どこに悩む要素があるんだよ。こんな部屋に閉じ込められてても、退屈なだけだろうが」
ルチアーノは、僕の意図には気づいていないようだった。彼は死とは無縁のアンドロイドだから、刺客というものが怖くはないのだろう。
「だって、ここにいれば、僕は絶対に安全なんだよ。敵に狙われて怪我をすることもなければ、銃や刃物によって死ぬこともないんだ。だったら、ここにいた方がいいって思わない」
僕が言うと、彼はハッとしたように口を閉じた。気まずそうに黙りこむと、恐る恐る僕を見る。
「君は、この部屋にいたいのか。ずっとここで、僕と二人きりで……」
「そういうわけじゃないけど、ここにいれば、僕は病気か老衰以外では死なないんだよ。ルチアーノをひとりぼっちにしなくて済むんだ」
僕は知っているのだ。ルチアーノは、僕を失うことを恐れているのだと。前世で両親を失っている彼は、身内を失うことが何よりも怖いのだから。
「だからって、ずっとここにいるつもりかよ。ずっとずっと、永遠にこの牢獄に閉じ込められるつもりか?」
反論するような語調で、ルチアーノは言葉を発する。怒っているような、震えているような声だった。
「ルチアーノが望むなら、僕はそうするよ。ルチアーノと一緒にいられるなら、僕は幸せだから」
思いの丈を詰め込みながら、僕はルチアーノに言う。彼が望むなら、僕はどんな条件だって受け入れるつもりなのだ。二人で一緒にいられるなら、どんな状況だって怖くはない。
僕の言葉を聞くと、ルチアーノは唇を噛んだ。少し下を向いてから、震える声で語る。
「僕は、嫌だよ。ずっと二人で閉じ込められるなんて、牢獄にいるようなもんだろ。それに、喧嘩したらどうするんだよ。僕が君を嫌いになったり、君が僕に愛想を尽かしたら、お互いを嫌いあったまま閉じ込められるんだぜ」
彼の言葉に、今度は僕が黙り込む番だった。彼の言うことは、やはり一理あるのだ。返事に迷っている僕に、彼は言葉を続ける。
「それに、君は、性行為ができなくなってもいいのかよ。あんなに僕を求めてたのに、簡単に手放せるものだったのか?」
「嫌だよ」
聞き終わるよりも先に、言葉が口から零れていた。自慢するようなことではないけど、僕はルチアーノとの行為が好きなのだ。未練無く手放せるほど、軽いものではなかった。
「嫌だけど、我慢する。ルチアーノと一緒にいられるなら、辛くても我慢できる」
答えると、ルチアーノは真っ直ぐに僕を見つめた。視線をばっちりと噛み合わせたまま、少しの間停止する。恐る恐る僕の服に手をかけると、今度は上半身から脱がしていった。
「なら、脱出するぞ。そんなに僕がほしいなら、我慢する必要なんてないからな。君が命を狙われることに怯えるなら、僕が守ってやる。それでいいだろ」
それは、諭すような言葉だった。ルチアーノは、本気でこの部屋からの脱出を考えているようである。彼にとっては、長い時を退屈のままに過ごす方が、孤独よりも怖いものなのだろう。
「分かったよ。ルチアーノが望むなら、僕はここから出る」
答えながら、僕はルチアーノに身を委ねた。彼の手は僕の服を脱がし、その下の素肌に触れる。さっきまでの語調が嘘のような、優しい手つきだった。
身体を走る熱を感じていると、不意に手が止まった。顔を上げた僕の瞳を、ルチアーノが真っ直ぐに見つめてくる。迷ったように口を動かすと、思いきった様子で声を発した。
「……僕だって、君とできなくなるのは嫌なんだ」
その言葉に、全身の血液が沸騰する感覚がした。下半身が血液を集めて、ドクンドクンと脈打ち始める。彼は、僕との行為を求めてくれているのだ。それを彼の言葉で聞けたことが、何よりも嬉しかった。