メッセージカード「今日は、君に渡したいものがあるんだ」
ある日の夜、片付けを終えた僕がソファに座っていると、不意にルチアーノがそう言った。僕のすぐ隣に歩み寄ると、洋服のポケットに手を突っ込む。淡い光がポケットを包み込んだかと思うと、中からは包装紙に包まれた箱が飛び出してきた。両手でその箱を抱えると、彼は見せつけるようにこちらへと差し出す。
「ほら、僕からのプレゼントだぜ」
「……ありがとう」
少し戸惑いを感じながらも、僕は差し出された包みを受け取った。箱そのものは僕の両手からはみ出すくらいに大きいが、重みはそこまで感じられなかった。中身は緩衝材が詰まっているか、そこまでの重みを持たないものなのだろう。それにしても、彼がプレゼントを渡してくるなんて、雪でも降りそうな気分になってしまったんだ。
「なんだよ。せっかくの贈り物なんだから、もっと喜べよ」
僕の戸惑いを察したのか、ルチアーノは不満そうに口を開く。誤魔化したところで仕方がないから、僕は素直に言葉を返した。
「そうだけど、ルチアーノがプレゼントを持ってくるなんて、なんか裏がありそうで……」
「僕だって、パートナーにプレゼントくらい贈るさ。それとも、君は僕が贈るプレゼントが、君宛の賄賂だとでも思ったのか?」
堂々と語るルチアーノの姿を見ながら、僕は黙って瞳を細める。彼が僕のためにと持ち込んだものの大半は、僕を動かすための賄賂だったのだ。賄賂の意図を持っていないものもあったが、そっちは誰かからの贈り物の横流しである。僕への純粋な贈り物は、ほんの一握りしかなかったのだ。
「なんだよ。そんな顔して」
黙ったままの僕の姿を見て、ルチアーノは不満そうに言葉を重ねる。僕を見下ろす表情には、不機嫌な色が混ざっていた。このまま機嫌を損ねてしまったら、後々面倒なことになるだろう。包みを隣の席に置くと、僕は慌てて言葉を返した。
「なんでもないよ。ありがとう」
しかし、僕の取って付けたようなお礼の言葉も、ルチアーノにはお見通しだったようだ。不満そうに眉を潜めたまま、じっとりした瞳で僕を見ている。またしても詰め寄られるのかと思った時、キッチンから軽快なメロディが聞こえてきた。
「ほら、お風呂が入ったよ」
話の流れを変えるために、僕は半ば強引に入浴を勧める。追及を拒んでいることが伝わったのか、彼は面倒臭そうにため息をついた。ソファの隣から離れると、淡々とした声で言い放つ。
「分かったよ。僕は風呂に行ってくるから、今のうちに中身を開けておきな」
言い終わるか終わらないかのうちに、彼は廊下の方へと歩を進めた。赤毛を揺らした小さな後ろ姿が、僕の前から遠ざかっていく。僕の部屋へ着替えを取りに向かうと、そのまま洗面所へと向かっていった。足音が聞こえなくなったことを確かめると、僕は避けていた包みに手を伸ばす。
ルチアーノから受け取った包みは、何の変哲もないプレゼントだった。僕の手から溢れるくらいの大きさの箱に、ショップのロゴが入った包装紙が巻かれている。丁寧に巻かれた赤いリボンも、よくある花の形のものだった。紐を外すようにリボンをほどくと、テープを外して包み紙を剥がしていく。
中から出てきたのは、真っ白な紙製の箱だった。雑貨屋で商品として販売されているような、ギフト専用のプレゼントボックスである。なかなかにいいお店のものらしく、手触りはしっかりとしていた。高級感溢れる作りを見せつけられて、僕は妙に緊張してしまう。
深呼吸をして心臓を落ち着かせると、僕は箱の蓋に手をかける。いかにもなプレゼントボックスだからといって、まだ横流しの品と決まった訳ではないのだ。日々身を粉にして働く僕のために、ルチアーノが買ってきてくれたものかもしれない。そんな淡い期待を抱きながら、僕は包みの蓋を開けた。
しかし、そんな僕の期待は、一瞬にして打ち砕かれることとなった。箱の中に納められていたのは、どう見てもルチアーノが選ぶような品ではなかったのだ。ピンクの緩衝材の上に横たわっているのは、お茶らしき銀色の缶と刺繍の入ったハンカチである。極めつけに、缶とハンカチを装飾しているデザインは、かわいらしい猫をあしらったものだった。
やっぱりそうかと思いながらも、僕は落胆してはいなかった。ルチアーノが賄賂の品を横流しするのは、今に始まったことではなかったのだ。神から機械の身体を与えられたルチアーノは、日用品を消費する機会がほとんど無い。自分には必要が無いと判断した品があれば、こうして僕の元に持ってくるのである。
蓋をソファの座面に置くと、僕は箱の中に手を伸ばす。中央に可愛らしいシールを貼られた缶を、手のひらで包み込むように持ち上げた。一面を銀色に塗られたそれは、視覚から想像するほどの重みは感じなかった。側面がざらざらしているから、恐らくは紙でできているのだろう。
片手で缶をひっくり返すと、底に貼られていたシールに視線を向ける。シールを埋めるように記された成分表示には、予想通り紅茶と書かれていた。僕には詳しいことは分からないが、どうやらアールグレイの茶葉を使っているらしい。ルチアーノは紅茶を好まないから、僕に横流しされたのだろう。
紅茶の筒を蓋の上に移動させると、今度はハンカチに手を伸ばした。四つに折り畳まれたその布地には、黒猫の刺繍が縫い付けられている。指で詰まんで広げてみると、四隅に飾られたレースが姿を現した。色だけを見れば男でも使えそうだが、ルチアーノは嫌がりそうなデザインである。心の隅で納得しながら、僕はそれを紅茶の隣に置いた。
中身を取り出したら、後は箱を片付けるだけである。抱えていた箱を引き寄せると、中から緩衝材を取り出した。紐状に切られた紙をひとつに纏めると、ごみ箱に捨てるためにソファから立ち上がる。部屋を横切るように歩こうとすると、膝の上から何かが滑り落ちた。
紙が揺れるような音が気になって、僕はその場で足を止める。床に視線を向けると、白い紙が張り付いているのが見えた。どうやらこの紙切れが、僕が聞いた音の正体だったようである。拾い上げて裏面に視線を向けた時、僕は動きを止めてしまった。
そこに書かれていたのは、受取人であるルチアーノの名前だったのである。おしゃれなフォントで書かれた名前の下には、数行のメッセージが記されていた。一番下にさりげなく書き込まれているのは、贈り主と思われる少女の名前である。つまり、箱の中に同封されていたのは、どこからどう見てもメッセージカードだった。
想いの籠ったメッセージを眺めながら、僕は大きくため息をつく。つまり、このプレゼントの正体は、ファンの女の子がルチアーノに贈ろうとしていたものなのだ。そんなものを横流しするなんて、とてもじゃないが受け取ることはできない。箱の中身を元に戻すと、僕はルチアーノの帰りを待った。
それからしばらく経った頃に、ルチアーノはリビングへと戻ってきた。いつもと変わらない態度で僕を呼ぶと、部屋を移動しようと僕に背を向ける。
「ルチアーノ、ちょっと待って」
今にも立ち去ってしまいそうな彼を、僕は慌てて呼び止めた。薄暗がりの中に消えかけていたルチアーノが、面倒くさそうにこちらを振り返る。小さくため息をつくと、渋々と僕の方に引き返してきた。
「なんだよ」
「これ、箱の中に入ってたよ」
そんな彼の前に突き付けるように、僕は手に持っていた紙を差し出した。僕の目の前まで近づいたルチアーノが、まじまじと印刷された文字を眺める。メッセージの意味を理解すると、彼は面倒臭そうに溜め息をついた。僕の手からカードを奪い去ると、ぐちゃぐちゃに丸めてゴミ箱に放り込んだ。長い髪を揺らした後ろ姿からは、吐き捨てるような声が聞こえてくる。
「あいつ、こんなところにまでカードを隠してたのかよ」
贈り物を受け取った側とは思えない、散々な物言いだった。どうやら、彼にとってこの箱の贈り主は、あまり好みではない人間のようだった。このような姿を目にしていると、自分が彼にとっていかに特別であるかを実感する。一瞬だけ感慨に浸りそうになったが、意識を現実に引き戻した。
「とにかく、僕にはこのプレゼントは受け取れないよ。せっかくもらったんだから、ルチアーノが使ってあげなくちゃ」
中身を戻した包みを持ち上げると、僕はソファから立ち上がる。リビングの外に出ていくついでに、机の上に贈り物の箱を置いた。後から付いてきたルチアーノが、面倒臭そうにその箱を手に取る。それが次元の裂け目へと消えていくのを見届けると、僕は廊下へと足を踏み出した。
「分かったよ。……全く、こんなものを男に贈るなんて、本当にセンスがないよな」
僕の後ろを歩いているルチアーノが、不満そうに言葉を吐く。相当気に入らない品のようで、取りつく島も無い言い種だった。さすがに聞いていられなくなって、僕は彼に言葉を返す。
「そんなこと言っちゃ駄目だよ。その贈り物を選んでくれた人は、ルチアーノのことを考えてくれてたんだから。ありがたく受け取らないと」
しかし、人ではない存在であるルチアーノに、僕の思いなど伝わるはずがない。わざとらしく足音を立てながら、僕の後ろを歩いてくるだけだった。部屋の中に足を踏み入れると、ベッドの縁に腰を下ろす。着替えを取り出す僕を眺めると、まだ拗ねたような声のまま言葉を続けた。
「そうは言っても、要らないもんは要らないだろ。僕に受け取ってもらいたければ、それなりのものを選ばないとな」
どうやら、彼の中での贈り物の認識は、そう簡単には変わらないようである。まあ、一先ずは持ち帰ってくれたのだから、それで良いということにしよう。この後どこかに横流しされるとしても、僕が受け取るよりはましだろう。贈り主の存在を知ってしまった以上、僕は純粋な気持ちで受け取ることはできないのだ。
いつかはルチアーノにも、プレゼントを贈る側の気持ちを知ってもらえたら良い。叶わぬ願いとは思いながらも、僕はそんなことを考えてしまった。