これから先も永遠に遠くで誰かが呼ぶ声が聞こえる。もう起きないと。
「にぃ、およそう。」
ベッドの隣に椅子を置いて座り、タケミチをのぞき込む男ーイザナ。ニッコリと笑顔を向けて、嬉しそうにタケミチを見つめる。
「おはよう、イザナくん。」
寝転んでるタケミチにイザナは顔も近づけ、軽く口同士をくっつける。
「にぃ、もう11時過ぎてる。おそようだ。」
いたずらっ子がするような笑顔をうかべるイザナに対して、タケミチは顔を真っ赤にさせて飛び起きる。タケミチが寝た時間は昨日、いや正確に言えば今日の深夜3時を過ぎた頃。12時になって、灰谷兄弟やら獅音やら鶴蝶やら、色んな人からメッセージが送られてきたり、電話がかかってきたり。やり取りをするうちにすっかりと寝るタイミングを逃していた。
「えっ、嘘!もう11時?いや、それよりいきなりキスしないでください!恥ずかしいじゃないですか!」
「いきなりじゃないならいいのかよ。じゃあ今度からちゃんと宣言しないとな。」
「そういうわけで言ったんじゃないです!ちょっとイザナくん聞いてます?」
ピューと口笛を吹きながら部屋を出る。今日はタケミチの誕生日。イザナのテンションが上がるのも無理はなかった。タケミチは自分だけのたった1人のにぃなのだから。
「それで、イザナくんは今日俺に何をしてくれる予定なんですか?」
ご飯に味噌汁、定番の焼き鮭に卵焼き、ひじきの煮物まで。イザナが丁寧に作ってくれた朝ごはんを綺麗に完食し、休憩に入ったタケミチが尋ねる。
「去年は色々連れていってくれたよね。水族館に行ったり、映画見に行ったり。ショッピングもできて楽しかったな。」
1年前の今日を思い出して笑顔をうかべる。タケミチはイザナが今年も何かしてくれるんだろうと誕生日当日までドキドキワクワクしていた。
「今年は家で1日ゆっくり過ごす。誰にも邪魔されない、俺とにぃ以外誰も存在しないこの部屋でダラダラと過ごす。いつも誰かと会って、2人で過ごす機会も減ってるからな。たまにはそんな日もあっていいだろ?」
向かい側に座るタケミチの表情を見ると、それもいいかもと考えてそうな表情を浮かべていた。正直、タケミチがこの意見を気に入ってくれるのかイザナにとっては不安だった。誕生日であるのにもかかわらず、特別なことをしない、むしろ家に引こもるなんて平凡かつ退屈なことでないかと。
「うん、もちろん良いですよ。確かに最近は2人でゆっくり過ごすこと少なかったですもんね。ちょうどイザナくんと見たい映画もあったし、食べたい物もあって。なかなか出来なくて諦めかけてたから嬉しいです!」
満面の笑顔を見せるタケミチにイザナの心はポカポカと満たされていった。
「うっ、ぐすっ。う、う。」
「なんでホラー映画見ようなんて言い出したんだよ。」
瞳から涙をボロボロと零し、イザナの左腕に抱き顔をグリグリと押し付けて離れないタケミチとそんなタケミチに呆れつつも内心喜んでいるイザナ。タケミチが見たいと言って取り出したのは今話題となっていたホラー映画であった。耐性がなければ怖さのあまり泣き出すと噂で、1人では見れないが、イザナと一緒に見れば大丈夫だろうとタケミチは楽観的に考えていた。しかし、想像よりも遥かに恐ろしく時間が経つにつれて、ポロポロと流れていた涙が、とめどなく流れるまでになってしまった。意地で最後まで見たものの、涙のあまりはっきりと見ることは出来なかっただろうとイザナは考えた。右手でタケミチの頬に触れ、涙を拭う。
「にぃ、泣きやめよ。もう終わったんだし、俺もいるから大丈夫だろ?」
「うっ、今日1人じゃトイレにも行けないし寝れないよ....。グズッ。トイレ行きたいのに....。」
「じゃあ、トイレにも一緒に行ってやるし、夜は一緒に寝てやる。それなら安心できるだろ?」
その言葉に顔を上げる。ピタッと涙は止まり、目をパチパチと動かす。
「いいんですか?」
「にぃの誕生日だからな。特別だ。」
「イザナくん大好きです!早速だけど着いてきてください!」
パアッと笑顔になったタケミチはイザナの手を引いて廊下へと向かう。
「そんなに強く握らなくても離れたりしねぇよ。ほら、行ってこいよ。」
「ドアの前から動いたりしないでくださいよ。離れたらすぐ分かりますからね。」
ぎゅっと握った手をなかなか離そうとしない。その手を優しく握り返すと安心したのか手を離し、扉を閉める。少し時間が経つと中から水が流れる音が聞こえ始めた。ガラッと扉が開き、泣きそうな顔を浮かべるタケミチ。
「うっ、怖かった。」
「まだ言ってんのかよ。俺がいるから怖くないだろ?」
「それはそうですけど。」
「離れたりしねぇから。だから泣くな、にぃ。」
ゆっくりとそれでも力強く訴えるイザナにタケミチは酷く安心感を得る。
「ありがとうございます、イザナくん。」
ピンポーン。ゆったりとしたチャイムの音が響く。タケミチが扉を開けるとそこにはピザの箱を持った配達員がいた。お金を支払い、ピザを受け取ると嬉しそうに廊下を歩く。テーブルにはコーラが注がれたコップとお皿が2人分置かれており、中央にピザをドンッと置く。
「食べたいのってこれだったのかよ。」
「最近はイザナくんの手料理か高級店の料理しか食べてなかったですから。あっ、嫌ってわけじゃないですよ。とっても美味しいですから。でも、たまにはこういうのも食べたくなるんですよね。」
箱を開けると、食欲掻き立てる匂いが広がり、トマトソースにトロトロチーズ、たっぷりコーンが目に入る。
「これこれ!これが食べたかったんすよ!」
目を輝かせて語るタケミチに早く座るように促す。
「いただきます!」
「いただきます。」
手を合わせて挨拶をし終えると、いつの間にかイザナによって切り分けられていたピザを皿に移す。前歯で噛み、ピザを引っ張るとチーズが伸びる。モグモグと口全体で味わいコーラで流し込むとやっぱりこれがいいんだよな、とタケミチは内心思う。健康に気を使ったイザナの料理も天竺のメンバーで行く料理店もタケミチは大好きであったが、久々のジャンクフードには中毒性があった。
「にぃはいつも美味しそうに食べるな。目がキラキラしてる。」
「えっ、そうなんですか?」
「あぁ、目は口ほどに物を言うって言うけど本当だな。そんなにぃも好きだ。」
うっとりとした表情で見つめる。今日のイザナはいつも以上にストレートに感情を伝える。
「イザナくん、今日はいつも以上に俺に好きって言ったり、甘やかしたりしますね。これ以上肯定され続けたらダメ人間になっちゃいます。」
「今日くらいいいだろ?だって、」
「「にぃの誕生日だから。」」
重なった声にイザナはビクッと肩を揺らす。タケミチはしてやったりと言わんばかりにニヤニヤとする。
「イザナくんが言うことなんてお見通しなんですから。だってお兄ちゃんですから。」
「あぁ、俺のたった1人のにぃだもんな。」
ゆったりと暖かな空気がその場を漂う。いつの間にか箱にあったピザも無くなり、後はお風呂に入って寝るだけとなった。誕生日も残り3時間で終了してしまう。
「じゃあ、ご馳走様しよっか。」
「いや、にぃ。まだ誕生日には欠かせないある物をまだ食べてないだろ?」
「えっ?もしかしてケーキのこと?でも買いに行く暇なんて......」
「買いに行けないなら買わせに行けばいいだろ?」
「えっ?」
「にぃが寝てるうちに鶴蝶に届けさせたんだよ。俺が予約してたケーキをな。」
箱に入れられたケーキを取り出し、テーブルへと運ぶ。取り皿とフォークも忘れずに。ロウソクを刺し、ライターで火をつける。電気を消すと、オレンジ色の炎が2人の顔を映し出す。
「ハッピバースデー、タケミチ。今年もいい歳にしような。」
「ありがとうございます。今年も2人仲良く過ごしましょうね。」
ふっーっと息を吐き出して炎を消す。暗闇で辺りが見えなくなったが、幸せそうな表情は互いに伝わりあっていた。
「ほら、早く寝るんだろ。いつまでも目開けてたら寝れねぇだろ。」
2人が寝るには狭いふかふかのシングルベッド。互いの顔が見れるように横向きに寝ると、少しでも動いたら鼻先が触れ合う程の距離であった。
「うっ、やっぱりあの映画観るんじゃなかった....。さっきまでは大丈夫だったのに。」
イザナはその言葉を聞き、タケミチの左手を両手で包み込むようにして握る。
「こうしてれば、温かさで独りじゃないって分かるだろ。」
そう言って1人先に目を瞑る。タケミチはその言葉に一瞬ビクッとするが、笑顔を浮かべ始める。
「ありがとう、イザナくん。」
そう言って、目を閉じて寝始めた。
スースーとイザナの隣から寝息が聞こえ始める。パチッと目を開けると幸せそうに寝ているタケミチの表情が。
「にぃがにぃになった時、こうやって手を握って独りじゃないって教えてくれたよな。」
タケミチがイザナの兄になった日。それはイザナが自身の出生の事実を知った、天涯孤独だと知った日。その日の夜は、傷ついたイザナの心を埋めるような温もりをタケミチは与えた。
「にぃ、誕生日おめでとう。これからもずっと一緒だからな。」
部屋に掛けられた時計は、深夜12時ちょうどを示していた。1年で最も祝福されるべき一日に終わりを告げた。