ドラゴンズドグマ[始まり]「危険ですよ、こんな嵐の日に浜辺へ行くなんて…」
「わしを誰だと思っておる。大丈夫だ、船が流されないように縄を足してくるだけだ。直ぐに戻る。キナはここにいなさい。」
「…はい…、分かりました。無理はしないでくださいね。」
「うむ…、行ってくる。」
村長の家を出てアダロはカサディスの浜辺へと向かった。酷い嵐で、流石に誰一人外に出ている者はいない。これ程の嵐は雨のあまり降らないこの地方では珍しかった。
「うん…?あれは…人が倒れておる、村の者か?」
アダロは嵐の中、浜辺へ駆けていく。
「……これは…、子供じゃないか!村の者ではないな、流されてきたのか。……まだ息がある!」
嵐と共に、カサディスに現れた少年。彼は砂浜に打ち上げられていた。奇跡的に息はあるが衰弱仕切っていた。アダロは自分の家へ少年を担ぎ込み、少年と同じ年ほどの孫娘であるキナに看病させた。少年は命をとりとめたものの、何日も魘され目覚めなかった。
「…うぅ………!」
時折苦しそうにうめき声を上げ身を捩る。少年の額に滲む汗を拭ってやりながら、心配そうにキナは見守っていた。
深い海の中で少年は溺れていた。天と地も分からぬ闇の中で、赤く光りうねる不気味な生き物が体中に纏わりつき、闇の中へ引きずり込まれていく。
藻掻くことに疲れ、諦めかけたその時…視界に一筋の光が見えた。天か地か……、水面から差す光を頼りに、もう一度力を奮い立たせ、水面を目指していく…
嵐が治まる頃、ようやく少年は目覚めた。しかし目覚めた時にはその恐ろしかった夢を全く覚えてはいなかった。それどころか、自分自身の記憶さえも思い出せない。
体を起こすと、額に乗せられていた濡れた布が手元に落ちた。自分と同じくらいの年の女の子が、ベッドに寄り添って眠っていた。夜通し、彼女が面倒を見てくれていたのがわかる。
ふと、眠っていたキナが目を覚ます。少年と目が合い、ハッとして、安堵の笑みをこぼした。
「目が覚めたのね!気分はどう?」
「…………大丈夫…。」
「そう、良かった!嵐の日に、浜辺に倒れていたのよ、何日も眠ったまま目覚めなくて…。何か食べられそう?今、お水持ってくるね…!」
「……………。」
少年が頷くと、キナは慌てて部屋を出ていった。土壁の小さな窓から暖かな日が差し込んでいた。
「ここは…、俺はいったい…。」
彼の名はイスマ・ジョルジュ(ジジ)という。覚えているのは名前だけである。
少女は嵐の日に浜辺に倒れていたと言っていたが、海を渡っていたのか、どこから来てどうやってこの地にたどり着いたのか、家族がいたのかさえ、何も思い出せなかった。
キナの看病の甲斐あって、イスマは自力で生活ができるようにまで回復した。まだ十五、六才ほどの少年であったイスマは、カサディス村の村長であるアダロの家で、成人を迎えるまで暮らすことになった。同じく親のいないキナとは兄妹のように一緒に育った。
漁や狩りの仕事を覚え、村の生活にも慣れ、カサディスにも馴染んでいった。狩りに出掛ければ、その度に武器の扱いや狩りでの実戦の感覚を覚え体を鍛えた。時折怪我をして帰ることがあればキナに治療してもらった。心配性な性格が功を奏したのか、彼女自身も、癒し手としての経験を独自に積み、何かあれば、皆が彼女を頼るまでになった。
大人になり、成人を迎える頃には、イスマはアダロから自分の家を与えられ、村の男として認められ、一人前になっていた。
「キナ、こっちだよ。木箱を踏み台にして、俺の手を掴んで。」
「む、無理よ…!屋根に登るなんて。イスマ、いつもこんなことしてるの?」
「…いつもでは、ないけど…。ほら、大丈夫。俺が引っ張り上げるから。」
差し出された手を掴み、キナは初めて屋根の上に登った。
「よし、ここまで来れたら、後はそこの塀を跳び越えたら到着だよ。」
「そんなに簡単に言うけど…ちょっと待って、手…、手を離さないで!」
「分かった。ゆっくり…。」
イスマはキナの手を取って先導し、ひょいと石造りの塀から隣の屋根に飛び移った。しかしキナは建物の間の少しの隙間から見える地面を見て足がすくんでしまう。
「大丈夫…落ちるような幅じゃないから。下を見ないで、俺を見て。」
そう言われて、キナは視線をイスマに向けた。イスマは手を広げて受け止めようとしてくれている。不思議と恐怖心が薄れ、イスマの腕の中へと跳び込んだ。
「跳べた…!」
「大丈夫だったでしょ?」
「うん!」
「こらぁ!またそんなとこに上りよって!悪ガキが!キナまで巻き込むんじゃないよ!…本当に…いつまでもガキはガキだね全く…!」
下の方からイオーラさんの怒鳴り声が聞こえる。
「はは…見つかっちゃった。また店の手伝いさせられるかな。」
「もう、だから言ったのに…。」
「でも、イオーラさんの家の上、ここからの景色が好きなんだ。だから、キナにも見せたくて…」
屋根の上は遮るものが無く、視界は高く遠くまで見渡せた。普段とは違った眺めにキナは感動した。
「ずっとこの村に住んでいたのに、ここからカサディスの海を眺めたことなかった…、教会の方から観る景色とはまた違って、素敵だね…。それに、ここまで登ってくるのも少し怖かったけど、楽しかった、冒険みたいで。」
「またここへ来たくなったら、連れて来てあげるよ。俺と一緒なら、もしイオーラさんに見つかっても、罰を受けるのは俺だけで済むしね。」
「そんな…悪いよ。私も一緒にお店手伝うよ…」
「キナは村の人や、アダロの世話で忙しいからいいんだよ、罰を受けるのは俺だけで十分。それに、そんなに悪いことしてるとも思ってないし。」
「ふふ…、そんなこと言うと、また怒られるよ。」
「だね…。」
そう言って、悪戯っぽく無邪気に微笑むイスマの横顔を、キナは優しい眼差しで見つめていた。その笑顔にはまだ幼さが残るものの、いつの間にか自分より背が伸びて大人っぽくなった彼のことを、キナは異性として意識し始めていた。
「キナ…?」
「え?うんん…」
目が合って咄嗟に、林檎色に染まる頰に気付かれないよう、イスマより一歩前に踏み出し、カサディスの美しい景色を見下ろした。
兄妹のように育てられたこともあり、まだ、それがはっきりと恋心なのかはよく分からなかった。恋心だとしても、この関係を崩したくはなかった。
(ずっと、彼の側にいられたら、それで良い…)
キナの想いは、運命が動き出すその日まで、ついに伝えられることはなかった…。
カサディスの浜辺でアダロに発見されたその日から、十年の月日が経とうとしていた。村では近年、ドラゴンが目覚めるという予言の噂が流れている。本当かどうか定かではないが、領都から兵が派遣され、ドラゴン討伐の為の兵を募っているらしい。
そんな噂話を余所に、カサディスの村では、皆相変わらず平穏で静かな暮らしを続けていた。
「やぁ、キナ、おはよう。」
「あ…イスマ!おはよう───」
…しかし、運命の歯車は動き出す…
神聖なる予言の通り、目覚めてしまったのだ。ある朝、穏やかなカサディスの村に、その厄災は突如訪れた。
燃えるような赤い鱗を纏う、
赤き竜の襲来────…
崩れる家屋、逃げ惑う人々。派遣されていた兵士達は役にも立たず、我先に逃げていく。村は大混乱に陥った。浜辺にいて逃げ遅れた者が、竜の吐く炎に呑み込まれるのをその目で見た。キナが小さな子供達を抱きかかえ、身を呈して崩れる瓦礫から守ろうとしている。
このままではカサディスも、村の皆も…
「イスマ…っ!」
キナが止めようと叫ぶ声を振り切って、イスマは駆け出した。兵士が落としていった剣を拾い上げると、巨体な赤竜に立ち向かった。勝機などない。無謀だと分かっていても、この大好きな美しいカサディスの村が…自分を死の淵から救い出し、育ててくれた大切な村の人々が、これ以上犠牲になるのを見たくはなかった。戦闘での得意は弓だが、今は武器を選んでいる暇はない、剣でも多少扱える。身のこなしだけは自身があった。竜の巨体の懐に素早く潜り込み隙を狙って斬りつける。しかし、剣の刃は、硬い鱗に跳ね返されてしまった。
「───くっ!」
もっと力を込めなければ…、斃そうなんて思わない、注意を引いて意識を自分に向けさえすれば、この村から奴を遠ざけることができるかもしれない。それくらいしか、今の自分にできることはない、それでも───…
「─────っ」
竜の振り上げた腕に向かって剣を突き立てた。叩き弾かれたイスマは、浜辺に体を打ち付けられたが、竜の右手に傷を付けることはできた。暴れ回っていた赤竜の意識が自分に向いたのがわかる。
(竜の動きは止まった…あとは自分が囮になって、ここから離れられれば…)
しかし、浜に打ち付けられた衝撃で脳震盪を起こし体が直ぐには動かない。朦朧とする意識の中、炎のように燃える熱を帯びた赤竜の瞳と目が合った。
意味の聴き取れない、竜の言葉でイスマに呼び掛ける。
『…مهترین…چیزادیسک…آک مهمترین چیز…』
竜の爪がイスマの身体の左胸に触れ、突き刺さるその瞬間、肋骨が砕け、肺が裂け、心臓が胸を突き破った。
「────がっ…」
まるで悪夢でも見ているかのようだ。抜き取られた心臓は、赤竜が奪い、口へ運ぶと呑み込んでしまった。
痛みや苦しみなどはとうに通り越し、ただ、目の前で起こっている現実を視界に捉え、脳裏に焼き付けることだけで精一杯だった。
ドラゴンがカサディスの浜を去ろうとする。
村は助かったのか…?
安堵と共に、意識が薄れていく…。
(心臓を抜き取られたなんて…もう俺は助からないのだろう…でも、良かった…
カサディスがこれで竜の脅威から逃れることができるのなら…………)
静けさを取り戻した浜に血塗れで倒れているイスマを発見したキナは、顔面蒼白になり、駆け寄った。
「そんな…、イスマ…!」
傷の具合を見ると、服に大量の血が滲んでいる。
「…………………っ…………」
イスマは何かを言いかけて、そのまま意識を失ってしまった。
(息がある、まだ生きている…!)
キナは助けを呼び、村人の手を借りると、イスマをアダロの家へと運んだ。
アダロの家に運ばれたイスマの服は血塗れだったが、傷は塞がっており、治療の必要はなかった。呼吸も穏やかで今はただ眠っているようだ。…しかし、今までの彼とは明らかに違う点がある。その胸に耳を寄せても、鼓動の音がしないだ。
キナは眠るイスマの横顔を見つめながら、彼がこの村にやってきた時のことを思い出していた。あの時も、こうして彼を看病していた。
優しく、勇敢で、けれどいつかふっとどこかへ消えてしまいそうな…儚さを秘めている。気になって、心配で、ずっと彼に惹かれていた。いつか、こんな日が来るのではないかと、どこかで分かっていたのかもしれない。
「イスマ…、私……」
今回のことで、何かが変わってしまった気がする。いえ、きっと…イスマがこのカサディスにやってきたあの日に、全ては始まっていたのかもしれない…。キナは確信にも似たその気持ちに不安と焦りを感じていた。
鼓動を失った、イスマの胸に手で触れる、生きた人間の温もりが、しっかりと感じられる。
一体、どうなってしまったというのか…あの赤竜が全ての原因であることは間違いない。竜と、この地に伝わる歴史や伝承をまず、学ばなければ。
「あなたの為に…、できることをしなくちゃ…。」
キナは立ち上がると、広間を後にした。
しばらくして目覚めたイスマは、ゆっくりと体を起こした。
(生きている…。心臓を抜き取られたのに、何故…)
痛ましく残る胸の傷痕が、悪夢ではなく、現実のものであったことを物語っている。
左胸に触れようとしたその時、傷痕が光り輝き、竜の意識と声が頭に流れ込んで来た。今度は、意味の分かる言葉で、はっきりと。
『…我のもとに来るか…武器を取れ…覚者よ…』
「────っ!」
武器を取り、我の元へ来い…そう確かに告げた。胸の奥が熱く、煮えたぎるようだ。心臓は失ってしまったのに、何故かその心臓を何者かに鷲掴みされ、強い力で握られている感覚。
(ここにはない、俺の心臓は…奴が持っている。取り返しに来い、そう言っているのか。)
イスマは息を整えて立ち上がると、血塗れの服を脱いだ。剣も魔法も多少の心得はあるが、この村を出て竜の元へ向かうとなれば長旅になる。旅の経験も知識もない、ここは一番得意とする弓、そして身のこなしを活かした短剣が良いだろう。着替えた後、武器を手にし広間を出ようとしたが、部屋の向こうで話し声がして立ち止まる。
「何?…光る傷?」
「はい、…傷は塞がっていて、生命に別状はないのですが…心臓の音がしないのです…!」
「心臓が?なんと…!何かの呪いなのか…?ドラゴンが現れたうえ、そのような不吉のきざしまで…杞憂ならばいいが。…ともかく、ここは頼むぞ、キナ。わしは村を見てくる。」
「分かりました…。」
自分のことを話しているらしい二人の会話を盗み聞きしたイスマは表情を曇らせた。
(竜の呪い…そうなのかもしれない。あの赤竜によって、俺は生かされている。…だとすれば、ずっとここにはいられない…)
アダロが家を出ていくと、イスマはそっとキナの前に姿を現す。あれ程の傷を負ったのに、既に起き上がり、動けるようになっているイスマの姿を見て、キナは驚いた。
「……あ…、体は大丈夫?。」
鼓動を失った人間が生きている、それだけでも怖がらせてしまっただろう。
「…うん、大丈夫。」
「無理はしないで、心配なんだから…。」
「…ごめん、キナ…。」
「え…?」
「いつも…心配ばかりかけて…。」
「そんな…、私こそ、村のために懸命に戦ってくれたあなたに、何も力になれなくて…。あなたの傷、私の力じゃ治すことができないみたいなの…。でも、きっと何か方法があるはずよ。」
「…うん。」
キナの優しく、切実な心が伝わってくる。自分のことのように、いつも心配してくれる。この村に来た時から、キナはずっとそうだった。
「村の人達に被害が少なかったのは、あなたが海辺でドラゴンを食い止めてくれたからよ。きっと皆感謝してるわ。…村の皆に声を掛けてあげて、あなたが姿を見せて、生きていると知ったら、村の皆も安心すると思うから。」
「…分かった。」
ずっと、変わらないと思っていた…。この平和で穏やかな暮らしが、赤竜の襲来によって一変してしまった。キナとの他愛も無い会話も、浜辺を駆けふざけ合って遊んだ日々も、今は遠くに感じる。
イスマはキナをその場に残し、出口へと向かう。
「イスマ…。」
ふいに、呼び止められる。
「…この村を、出ていくつもりなの?」
「………うん。…そうするつもり。」
「そうよね…、わかった。でも疲れた時は、いつでも、戻って来て、あなたの帰りを待っているから。皆、あなたのことが大好きだし、ここはあなたの故郷なんだから。」
「…故郷…うん、そうだね。ありがとう、…キナ。」
いずれ、カサディスを出ていくことになる。でも、まずは村の様子を見て回り、困っている人を助けよう。それが、自分にできる、この村への恩返しだから。
戸を開けて外へ出ると、心地の良い海風が頰を撫で、幾分か気持ちを落ち着かせた。崩れてしまったところもあるけれど、カサディスからあの恐ろしい脅威が消えて、この美しい景観が今も保たれていることに安堵した。
しかし、またいつ赤竜がこの村を襲うとも限らない。慎重に、でもできるだけ早く…強くなって、いつかあの赤竜を討つ。
村の皆やキナの表情に再び笑顔が戻るように…
心にそう誓い、イスマは赤竜の元へ向かう、その一歩を踏み出した…。