迫荼 原稿進捗② 気がつくと、星空の下に倒れていた。月はない。その代わり、今にも降ってきそうな星々が、世界を薄明かりに照らしている。
腹に力を入れて起き上がり、自分の姿を見下ろすと、裾の焦げたボロボロのパーカーでも、耐熱素材のズボンでもない、見慣れぬ服を纏っていた。
「なんだこれ」
毛皮のマントに、宝石の散りばめられたベスト、ヒラヒラしたシャツ、それから腰に差したやけに派手な剣と、意味があるのかないのかよく分からない籠手は、まるで死柄木やスピナーがよくやっているRPGの登場人物のようだ。特に、重課金者だ、とスピナーが顔を顰めるタイプのそれである。
荼毘の右手は、コンプレスの右手を握っていた。そちらを見ると、深紅のコートを着たコンプレスが、横向きに寝転んでブルブルと震えている。その青白い顔と紫がかった唇を見て、初めて荼毘は、二人を受け止めているのが、分厚く降り積もった雪だと知った。
「ミスター、おいミスター、起きろ。死ぬぞ」
荼毘の吐いた息は真っ白に凍って、薄明かりに溶ける。荼毘の体はともかく、普通の人間にとっては、おそらく命を危険にさらす気温だ。
繰り返し呼び掛けていると、顔中の筋肉を強張らせたコンプレスが、ぱちりぱちりとゆっくり瞬いて、ぶるりと身を震わす。
「さっっっっっむ!!」
飛び起きた彼の前に、炎を灯した手を向ければ、この上なくありがたがって寄ってきた。
「何? ここどこ? まだ十月になったばっかりだよ!?」
「知らねえよ」
「ねえ荼毘、これじゃ足りない。もっと燃えて」
「わがまま言うな」
ある程度の火力を超えると、蒼炎は荼毘の身を焼く。我が身を薪にしてまで、他人の暖炉になってやる義理はないだろう。
「じゃあこうする」
ガタガタと震えるコンプレスが、荼毘に抱きついてくる。
「やーめろ、鬱陶しい!」
「くっついた方が暖かいだろ! お前は寒くないの!?」
「……寒くねえな」
体質上、多少の寒さはどうということもないし、それでも寒いときには、意図して体温を上げるだけだ。体の熱の上げ方は、幸いにも、昔からよく知っている。
「というか荼毘のコート? マント? これ何? 俺のと交換してよ」
「何でだよ」
「俺のよりモコモコして暖かそうじゃない」
言われて、コンプレスの姿をまじまじと見る。赤いコートは、普段コンプレスが着ている黄色いのと、厚みはさほど変わらない様子だ。むしろ、いくらか薄いかもしれない。コートの下は襟首も開いていて、確かに寒そうではある。とはいえ、それは荼毘の知ったことではなかった。
「赤いのは好きじゃねえ」
「色の問題!? お前ファッションなんか興味あるのかよ!」
「失礼だな。こだわりはある」
「焦げてボロボロの服しか着てねえのに!?」
「うるせえ。燃やすぞ」
「ひえっ」
脅すと身構えるが、離れる気はないらしい。荼毘の炎と温もりが、どうしようもなく恋しいと見える。コンプレスは、ふう、とため息をついて、辺りをキョロキョロ見回した。
「で、ここはどこなのさ」
「だから知らねえって──」
言いかけて、しかし荼毘には思い当たるものがあった。
『ぼくのぼうけん
冬のあいだ降りつづくはずの雪は、なぜかその日をさかいにピタリとやんで、だから見上げた空の星に、どうか魔王をたおせますようにと、ぼくはつよくねがいをかけた────。』
「何それ?」
「あのノートに書いてあった」
「日記かな? 魔王……って、そんな名前のヴィランいたっけ?」
訊かれて、さあ? と答える。
「ガキが書いたみてえな字だったぜ?」
あのヒーローが書いたものとは限らない。それに、あれは日記というより、
「小説じゃねえの?」
するとコンプレスは、しばし考え込んで、不意に顔を険しくする。
「じゃあここは、その小説の中の世界だとでも?」
まさか信じられない、と言いたげだ。けれどもこの超常社会、想像もつかないような個性を持った人間は山ほどいる。
「ミスターも見ただろ。あのノートが急に光って、俺たちはそこに吸い込まれた」
「そりゃあ、そうなんだけど……。じゃあどうやって現実に戻るのさ?」
情けない顔が言う。
「俺が知るかよ」
考えるのは、荼毘よりコンプレスの方が適役だろう。
コンプレスは荼毘に抱きついたまま、うーんうーんと唸る。手持ち無沙汰な荼毘が見上げた空は、先ほどよりわずかに白んでいた。
「人んち、ありそうだぜ?」
グラデーションになった空の、明るいほう、すなわちしばらく後には太陽の姿が見えそうな方角を、荼毘は顎で指し示した。二人が今いる場所より、少し低い土地で、モクモクと煙──湯気かもしれない──が上がっている。そこには、おそらく人間の生活がある。
情けないコンプレスの顔が、グッと引き締まった。
「じゃあ、まずは情報収集だな」