年末ドッキリンピック「俺、人、殺したかも……」
十二月某日、木曜日の二十三時三十六分。呼出音が途切れ、もしもし、どうしたの、なんてのんびりした調子で尋ねてくる男の声を遮って、燈矢は告白した。一瞬、電話口が静かになる。けれど、
「だっ……、て、お父さんが……っ」
燈矢がそう言って堰を切ったように泣き出せば、男は即座に、静かなまま問うた。
『おまえ、今どこ?』
「……っ、ど、どこ? わかんないよぉ」
『分かった、位置情報送って。大丈夫。すぐ行くから』
泣き声を上げながらたどたどしくも、言われた通りに位置情報を送信すると、彼は『十五分で着く』と言った。
「はやくきて……っ」
『すぐ行くから、電話はこのまま――』
繋いだまま、と言いたかったのだろうけれど、燈矢はそこでブチッと切った。スマートフォンの画面には、〝通話終了〟の文字とともに、迫圧紘の名前が表示されている。
ロケバスの中で燈矢を囲んでいたスタッフたちが、興奮した様子で口々に言う。
「これ、コンプレスさん信じましたよね?」
「普通は絶対騙されないだろ、こんな嘘!」
「でも映像見たでしょ、これはガチな反応ですよ」
「トゥワイスさんの方も、めちゃくちゃいい絵撮れたって聞きましたよ? 今年はバイバイプレスが大賞取っちゃうかな」
スタッフの手にあるタブレットは今や真っ暗闇を映すだけだが、ついさっきまでは迫の自宅マンションの映像が流れていた。レギュラー番組の収録を終えてようやく彼が帰宅したのを、リビングに設置した隠しカメラで確認して、電話をかけたのだ。
「ってか荼毘さん、芝居上手すぎません?」
「まあ、ダテにヴィラン演ってないんで」
死柄木弔をボーカルに据えたバンド、〝VillainS〟は、おどろおどろしいヴィジュアルと、独特の世界観を表現した極めてメッセージ性の強い楽曲でファンを魅了してきた。
コンセプトはその名の通り〝ヴィラン〟なのであって、殺人犯の苦悩を歌った楽曲もある。あの曲を作る過程で、初めて人を焼き殺した男の困惑と興奮と絶望を想像し、まるで我が身に起きたことのように腹に落として、生まれてきたその感情を一音一音に込めていった。その体験が生きている。
「俳優業やらないんです? 引き合いあるでしょ、イケメンだし」
VillainSとしても何度か世話になっているディレクターの気安い質問に、燈矢は顔を顰める。長い間、〝荼毘〟として、全身ツギハギの特殊メイクを施したヴィランの姿でドラムを叩いてきたが、ひょんなことから素顔を見せたら、こんなふうに何だかんだと素顔でテレビに呼ばれることが増えた。ディレクターの言う通り、ドラマに出ないかというオファーも、ちょうど最近あったのは事実だ。
顔だけでキャーキャー言われるのは不本意なんだよねえ、俺の芸に目を向けて欲しいのにさ、と迫が度々口にするが、その意見には首肯する。燈矢もまた迫と同じく、素顔に注目して欲しいのではなくて、世間の人々には、VillainSの楽曲とその醸し出す退廃的な世界観に酔ってもらいたい。
そういうわけで、素顔で呼ばれる番組はかなり選り好みをして、結果として八割は断っているのだけれど、今日の仕事は受けた。なぜかといえば、バイバイプレスのツッコミ、Mr.コンプレスへのドッキリの仕掛け人に、という、年末特番からのオファーだったからである。
「コンプレスさんのマネージャーさんから連絡来ました。マンションの駐車場を出たみたいです。マジで十五分で到着しますね」
準備しましょう、とアシスタント・ディレクターが言う。燈矢は羽織っていたダウンコートを脱ぎ、タートルネックの白いニットとスキニーパンツだけになった。迫のよく知る燈矢の普段着に似せて、番組スタッフが用意した衣装だ。
「言われた通り、良い血糊準備しときましたんで」
良い血糊、という言葉の響きはいくらか笑えるが、これは重要なことだった。トガがコンサートでよく使う血のりは独特の匂いがする。安いものだと、だいたい似たようなものだ。
V系バンドのVillainSと芸人コンビのバイバイプレスは、プライベートでも、仕事の上でも親しくしていて、バイプレはVillainSのコンサートにゲスト出演したこともある。だから迫は、そのときにトガの血糊の匂いを、リハーサルから本番までの間さんざん嗅いでいたはずだ。こんなことでドッキリがバレるのはつまらない。
十二月の深夜、都内、とある神社の駐車場。よく手入れされた木々の隙間から、冷たい風が吹いてくる。
「寒くないです?」
「今はまだ平気」
ロケバスから降りて、ADの手で血糊を掛けられ服を汚した燈矢は、狭い駐車場を照らす薄ぼんやりとした電灯のそばに立った。人を殺して気が動転し薄着のまま飛び出してきた、という設定だから、寒いのはやむを得ない。
「コンプレスさん近づいてきてるから、車動かすよ。カメラとマイク、大丈夫そう?」
「荼毘さんのピンマイクで周りの声も拾えてるんで、行けます」
ニットの下に、マイクを隠している。カメラマンたちも木々の陰に隠れ、こちらを狙っている。燈矢の顔は暗くなっても構わないが、迫のリアクションはしっかりカメラに収めなくてはならないので、迫の顔が電灯に照らされるよう、燈矢の立ち位置をいくらか調整する。
そうするうちに十五分が過ぎて、カメラマンと一緒に待機しているADから、迫が到着したことを伝える合図をもらった。
俯いて、地面に落ちた小枝をじっと眺める。
迫と初めて寝た翌朝、迫が素顔の燈矢を〝VillainSの荼毘〟だと認識できなかったのが可笑しくて、思わず揶揄ってやったのを思い出す。あのときは、ネタばらしで驚く迫の顔を見損ねてしまったから、今度こそ、面白い顔を見られるといい。
車の音が近づいてくる。少し前に迫が買った新車だ。ヘッドライトがこちらを照らし、燈矢の姿を認めたらしい彼はブレーキを踏んで、まもなく停車した。扉が開く。バタンッと閉まる。
「燈矢!」
駆け寄ってくる男は、その道程でグレーのコートを脱いで、こちらへ辿り着くなり、それを燈矢に羽織らせた。さすが、気遣いが行き届いている。
「おまえは怪我してない」
血糊を見て驚いたのだろう。燈矢の両肩を掴んで、迫は尋ねる。
「……してない」
弱々しく答えれば、見るからにホッとしたふうに胸を撫で下ろし、迫は柔らかい声で訊いた。
「何があったの」
「っ……」
燈矢が口ごもると、両肩にあった迫の両手が、するりと背中に回る。ぎゅっと抱きしめられて、迫が、僅かに震えているのがわかった。
「……血で、あんたまで汚れる」
「構わない。――――俺は絶対におまえの味方だから、教えて。何があったの」
声に、心配が滲む。スタッフたちと談笑していたときにはあんなにも和んでいた空気が、今はひどく張り詰めていた。迫の手が、しきりに燈矢の背を撫でる。落ち着かせようとしているのか、あるいは、落ち着こうとしているのか。
途端に、申し訳ない気持ちになった。
「…………お父さん、と」
「うん」
「喧嘩、した」
「うん」
父との喧嘩は日常茶飯事だ。少し前まではあえて距離を置いていたけれど、関係改善のために近づこうとしてみた結果、何かと反発し合ってしまう。
「カッとして、……蕎麦湯浴びせた」
「うん、……――――うん?」
抱きしめていた腕が緩む。
「あの人、多少熱いのはまあ平気なんだけど、蕎麦湯が多すぎたせいで溺れたみたいで。ブクブクブクって沈んでいくから俺はそれを見送って――――」
「ちょっっっ、と待ってちょっと待って」
体を離した迫の、困惑した顔が目に入る。騙したことによる申し訳なさと、その顔の可笑しさとで、思わず俺の口の両端が持ち上がってしまった。ハッ、と何かに気づいたらしい迫が、周囲をキョロキョロ見渡してから叫ぶ。
「溺死で返り血は浴びねえだろ! 設定もっとちゃんと詰めろよ!」
ツッコミどころ、そこかよ。
「コントでももうちょいこだわるよ~~~」と言いながらへなへなへなと座り込んだ迫の目が、木の影から出てきた『ドッキリ大成功』の札を捉えたようだ。彼はガックリと項垂れて、あるいは心底ホッとしたふうに、燈矢のブーツをポカポカ殴った。
「コンプレスさん、荼毘さんからの電話聞いて、信じました?」
ADが問いかけ、カメラマンの一人が迫の顔を大写しにする。
「だっ、て泣いてんだもん、お父さん絡みって言われたらそりゃ信じちゃうだろ!」
燈矢と父との確執は、家族の次に、迫が最もよく知っている。
「駆けつけて、どうするつもりでした?」
「死体があったら埋める覚悟で。けど、もし相手がお父さんだったら埋めても無駄かもな、証拠隠滅しても真っ先に燈矢が疑われるだろうしとか考えながら……、……――だあァァァア この番組ほんっっとドッキリの趣味悪すぎ! これ地上波で年末ゴールデン? 倫理観大丈夫? っつーか燈矢おまえもわざわざこんな仕事受けるなよ、もう!」
***
十二月三十日の夜、仕事を納めた迫が、馴染みの店のテイクアウトメニューを抱えて燈矢のマンションへやってきた。芸人という職業柄、仕事始めが元日の午前零時なものだから、明日のこの時間にはリハーサルのためテレビ局にいなくてはならないらしい。仕事納まってないじゃん、とは言わないでおく。
例の番組『年末ドッキリンピック』では、ピンの仕事が増えて昨今リアクション芸人化しているトゥワイスが大賞を獲得し、ハワイ旅行のペアチケットをもらっていた。
「トガちゃんと二人で行くとか言い出したらどうする?」
「むしろ『仁くんハワイ連れてってください~!』ってトガが言いそう」
「わっ、今のもっかいやって? 今の、ねえ、トガちゃんのモノマネ可愛かった、ねえ、もっかい」
「うざ」
ほろほろになるまで煮込まれた豚の角煮を口に運ぶ。つけたままのテレビでは年末スペシャルの二時間ドラマが始まっている。
「あのあとさ~、俺の服に付いた血糊、全っっ然落ちなかったんだから。ほんと最悪だよ。あっ、ていうかほらやっぱりちょっと炎上してんじゃん。人殺しドッキリなんて不謹慎すぎたんだ」
スマートフォンでエゴサーチをしながら、迫が文句を言う。見せられた画面には、確かに否定的な意見も多かった。燈矢はその中から、目に付いたものを読み上げる。
「『埋める覚悟って完全に犯罪者の発想で笑った』だってよ」
すると迫は、至極真面目な顔をして言った。
「おまえのためなら、俺は犯罪者にでもなるよ」
真剣な台詞にいささか面食らい、じわりと心に喜びが満ちる。しかしそういう覚悟は要らないのだ。ヴィランになるのは、曲の中だけでいい。だから燈矢は話題を逸らした。
「『自然にコート掛けてあげたり迷いなく抱きしめてあげたり、声かけも優しいし、パニックになってる相手への態度が完璧で、抱いて!って思った』『ミスコン、振る舞いがいちいちイケメン』ってのもあるぜ。来年こそは、抱かれたい芸人の一位取れるんじゃねえ?」
雑誌のランキングで、彼はいつも二位とか三位とか、惜しくもトップを逃し続けている。
「……おまえはどうなの。おまえの中での抱かれたい芸人ランキングは?」
「とっくにあんたが一位だけど?」
「ちなみに二位とか三位もいるの?」
「うーん、どうだろう、いるかもな」
「えー、妬いちゃうな」
戯れの言葉を交わしながら、唇を重ねる。
「俺たちもハワイ行こっか」
「あいつらと一緒に?」
「まさか。ふたりでだよ。二位も三位もいない島で、俺だけに夢中にさせたげる」
とっくにオンリーワンだ、とかいうようなクサい台詞を口にするのは迫の役目だから、思っていても、燈矢は決して言わないのだった。