ケトルがお湯が湧いたことをかちりと告げた。ドリップバッグを揃いのマグカップへ設置して熱湯を注ぐ。10秒蒸してもう1回。とぽ…とぽ…と垂れ落ちて行く黒い液体を下げた目線で追いながら、昨日の醜態を頭に浮かべた。
記憶をなぞるのは簡単だった。少しぐらい欠落しててくれよ…。言動も行動もヤになるぐらいハッキリ記憶に残っていて、なんてバカな事をしたんだ言ったんだとワックスが残った髪をぐしゃぐしゃに混ぜる。鼻先をふわりと掠めた輝ニの残り香が更に胸を締め付けた。
ーーー……
「……やってくれたな昨日の俺…」
ぼやいたあと、フィルターについた挽かれたコーヒー豆を流すようにお湯を回し入れる。ちなみにこれは2杯目で、二日酔いなんかなった事ないまだまだ現役な肝臓に感謝しながら苦味を一口飲み込んだ。端末のロックをあけるが新しい通知は何も来ていない。付けては消し、付けては消しを繰り返しため息を吐き出した。
焦ったってしょうがない、そう言い聞かせながらマグカップ片手にソファへと身体を沈める。ちらりと画面を見てしまうが当たり前に真っ暗なままで、気持ちまで画面の暗さが移ったかのようにずーんと沈んでしまう。
鍵はない、ついでに財布も。おそらく輝二が持ってったんだろうな。現金入ってたかなあ…午前中から開いてる店なんて限られてるから、どれだけ豪遊しようが足りるだろう。それはいい、けど鍵よ。今すぐに飛び出してアイツ(ら)の元へと行きたいのに、施錠せずに家を開ける真似なんてできるわけもなく無駄に2杯もコーヒーを飲んでるんだ。
「……とりあえず、風呂でもはいるか…」
輝ニもだが、輝一も体毛が薄いのかつるんとした頬をしていた。楽そうでいいなぁと言ったらむっとした表情を浮かべ「男としては拓也が羨ましいよ」と返されたんだっけ。撫でつけた顎先がジョリッとした手触りを告げる。休みの日ぐらいいいだろと、そのままキスしたら嫌がられたのを思い出した。面倒くささを感じつつも輝ニのためだ、ついでにサッパリしてくるかと腰をあげた。
タイミングを見計らったかのようにインターホンが鳴り響く。首をかしげながらモニターを確認しにいけば、困った顔つきの輝一が立っていた。もつれる足で慌てて玄関へとすっ飛んでいき、内側から鍵を開けて扉を押した。
「お届け物でーす」
「……え?」
「…まったく…ほら輝ニ?背中引っ張らないで、伸びるから」
覗き込んだ向こう側に、これでもかってほど身を縮こまらせた輝ニがいた。いつもは纏められている黒髪をさらりと流し、隙間から覗く耳を真っ赤に染めた輝ニが。
「はい、どーぞ」
「わッ!おいっ輝一!まだ心の準備がだな…ッ!」
「そんなの待ってたら日が暮れそうだ」
「そんなこと無い!あと10分!いやせめて5分待ってくれ!!」
輝一の背中から引き剥がされた細身がわたわたしながら突き出された。瞬間、ぶわぁっ!となんかの衝動にかられてしまい、勢いよく腕の中へと引っ張り込む。
「ッ、おっおい拓也ッ?!」
「よかった帰ってきた!!」
そうだよ不安だったんだよ悪いか笑うなら笑えよバーカ!!
ぎゅうぎゅうに抱きしめながら輝ニの匂いを肺いっぱいに吸い込んだ。ちょっと泣きそー…。
「はいはいはい、そういうのは家の中でやってくれよ。じゃあ俺は帰るから」
「えっなんで!」
「…馬に蹴られたくはないからね」
俺のほうをちらりと見やり、肩を竦めた輝一が輝ニの背中をとんと押した。
「……ごめーわくおかけしました…」
「俺も楽しかったよ?昨日も、今朝も」
含みを持たせた言い方に苛立ちを覚えたが、そんなことより今は腕の中のほうが大事だ。にこやかに笑えたかはわかんないけど精一杯の笑顔で「またな」と告げ、妙に大人しい輝ニとともに家の中へと戻っていった。
「……」
「……」
「…あのさ」「…お前さ」
同時に口を開き被った声の後沈黙が流れる。顎をしゃくりあげ、先に言えと促された。
「……昨日は、すんませんでした…」
「…それは何に対する謝罪なんだ」
「、っとぉ……こ、ういちに、無謀な勝負を挑んで無惨に敗退したあと、輝ニさんに多大なるご迷惑をおかけしたことと…」
「…と?」
「ゔっ………そのっ……めちゃくちゃはずかしーこと、聞かせちまったことについて…デス…」
冷静に思い返してみれば頭が痛くなるようなことを口にしていたなと。「見せ付けようぜ」「気を失っても抱き続けたい」「めちゃくちゃにしたい」って…うわぁああホント誰か俺を埋めてくれ……。
懺悔に近い告白を聞いた輝ニの耳がみるみる赤く染まり、下唇を噛みながら何かを耐える面持ちで見上げてきた。
「わす、れてた……」
「ええぇ〜…嘘だろ…?」
「いや、違う!忘れてたんじゃなくて、思い出さないようにしてたんだよ!」
「…まあ、そうだよな……イヤ…だったよな…」
抱擁を完全に解き、手を両手で握りながら項垂れる。しゅんとした俺を見て輝ニがなにやら慌てだした。
「ちがっ違う!イヤだったわけじゃない!」
「えっ…イヤじゃなかったの?」
「…イヤってより…驚いて……あと…」
「あと?」
「…あと、は…そのっあれだ……こう…な?……さみしく…なった…」
スウェット生地のグレーのワンピースの上から腹を撫でて見せる。輝二にしては珍しい、まとまりのない物言いを拾い上げれたのはいいけれど、理解が追いつかない。だってそれは俺にとって都合が良すぎるっていうか…。ソウイウコトって受けとってもいいのかなって思ってしまう。
鳩が豆鉄砲を食ったよう、まさにそんな表情の後瞬きをこれでもかってほど繰り返す。興奮でぶれてしまいそうな目元を両手で覆いながら天井を見上げた。輝二のそわつく雰囲気を感じながら鋭くした息を吐き切った。
「っ、ーーー」
「なっなんだよっ」
「待ってなぁ…今、噛みしめてるとこだから…」
見下げた輝二が眉間に皺を刻みながら「なるほど…?」と答えた。絶対わかってないじゃん。くすりと笑いをもらす俺にさらに首をひねりながら目線を合わせてきた。
「まあいいや、とにかく俺は輝二が嫌な気持ちになってなかったか不安だったの。それが言いたかっただけ。で?輝二はなに?」
お次はお前と催促してみれば合っていた目線がずれうろうろしだした。
「……ライン」
「あ」
独り言のような小さい呟きだが、二人きりの静かな玄関だとよく聞こえてしまった。その一言は返事がないことに焦った俺が、輝二に送った謝罪でも、輝一に連投しまくったやつを指してるわけじゃないことは想像がついた。
人のこと言えないな、俺も忘れてた…。
ここで誤魔化すのはかっこ悪すぎる、そんな男がコイツにふさわしいわけがない。そう思った俺は細い肩を両手で掴んだ。
「輝二!俺、お前のことあい、」
「わーッ!!」
「はぶっ」
冷たい手の平が口を力いっぱい塞いできた。声にできなかった二酸化炭素が小さな手の隙間から空気となって消えていく。しばらく沈黙が続いた後「…悪い」と真っ赤な顔面をしながら口が解放された。
「こーおーじぃ~?」
「いやっホント悪い…けど、待ってくれ…それは……恥ずかしいんだって…」
好きも、可愛いも、付き合った当初はなかなか言わせてもらえなかったっけ。降参のポーズのあと、片手で口を覆い隠しながらそっぽを向いてしまった。懐かしさすら感じる行動に頬が緩む。
「そっか…うん、そうだな」
また今度、これは言わせてもらおう。せっかく喧嘩にならずに済んだのに、わざわざ自分で火種を撒く必要はないよな。にやけ面が気に食わないのか若干の不貞腐れ顔で「なんだよ」とじとり睨まれる。
「んにゃ?…っふ、かわいーなって思って」
「はあ?…くそっ帰ってくるんじゃなかった!」
「んなこと言うなって~っ!」
「ぅわっ?!」
腕を回した腰から抱き上げその場でくるりと回る。狭い廊下じゃそれが精一杯。そういえば、最近太ったって言ってたな。聞いてみれば体重が0.5㎏増えたらしい。てっきり3kgぐらいの話だと思ったんだけど…。そんなの誤差じゃんって言ったらはたかれたんだ。軽すぎる重みを両腕に感じながら、見下ろしてくる輝二に微笑みかけた。
「…もうちょい太ってよ」
「え…なんで、嫌だぞ」
「たまに心配になんだよなぁ~いつか腹突き破るんじゃないかって」
「つきやぶる…って……ッえぇ?!」
心地よいアルトが裏返り廊下へと反響した。怒るぞ~!何言ってるんだこのバカが!って、ぷんぷんするぞ~!
色白の肌を羞恥で染め上げるときは俺に軍配が上がることがほとんどだから、そういうときに煽りがち。だってめちゃんこ可愛いんだもん、しかたないじゃん。たまには俺もオイシイ思いをしたいんだって。
「…試してみるか?」
「へ…?」
想像道り顔面を真っ赤に染め上げ、想像の域を超えた瞳が俺を射止めにかかる。空気をたっぷり含めた疑問符に優しく、そして試すように瞳を細められ息を飲んだ。
「本当に…お前のが、私の腹突き破れるか……今から、試してみようぜ」
そう言葉にした口が妖艶に歪められ、そのまま俺のそれへと合わさった。