【HAPPY】
二月十五日。
その日、神代類は幸せの絶頂にいた。
四時限目の終わりを告げるチャイムと同時に、司の教室のドアが勢い良く開け放たれる。必然的に一クラス分全員の視線を集めたそこに立っていたのは、紫髪にメッシュ、ピアス着用という風紀全力スルーの出で立ちの男──隣のクラスの神代類だった。手ぶらの両手を大きく広げて高らかに声をあげる。
「さあ司くん! お昼を食べようじゃないか!」
大なり小なり微笑を浮かべることの多い類だが、今その整った顔立ちはふにゃんと溶けたような満面の笑顔となって、司ただ一人へと向けられている。まだ教壇に居る男の教師すら目に入っていないのは誰の目にも明らかだった。
一方の名指しされた司は、筆記用具をしまいかけたまま動きを止めて青い顔で叫んだ。
「まだ授業が終わってないんだがーーー!?」
「いやだなぁ、もうチャイムは鳴ったじゃないか。れっきとしたランチタイムだよ」
「いやいや待て待て、まだ先生もそこに!」
口を半開きにして冷ややかな視線を送る教師を必死に指差すが、そんな訴えも虚しく、類はずかずか教室に入り込んだ。机の間を縫って進みながら、鼻歌でも歌い出しそうな御機嫌なトーンで淀みなく──否、むしろ早口気味に語りだす。
「ほらもう一分も過ぎてしまったよ。いいかい司くん、時間は有限。貴重なんだ。チャイム終了後も尚続く授業なんて、時間内に収めることが出来なかった指導者の穴埋めタイムにすぎない。サラリーマンのサービス残業にも等しい行為だ。僕たちの限りある時間はそんなものに費やすべきじゃない、そうだろう?」
「って言いながら勝手にオレの弁当を出して持っていこうとするなぁああーーー!!」
思わずガタンとイスをならして立ち上がる、司。その瞬間、類は弁当を持っていない方の手で、すかさず司の腕を掴んだ。
「さぁさぁ早く行くよ、司くん♡」
「ちょ、まっ……待て待て、引っ張るんじゃないっ!」
あわてふためく間にもズルズルと引きずられていってしまう。だが見た目よりも力と体力のある類に抵抗する術など、そうあるわけもない。ざわつく教室内で引き回しの刑にあっている心持ちの司だったが、いよいよ教室を引っ張り出されたところで、怒気を必死に押し殺した教師の声がとんできた。
「天馬。後で神代と職員室に来い……っ」
「たいっっっへん、申し訳ありませんーーー!!」
まるで得意先に頭を下げる新人社員のような一声が校舎に響き渡る。その声は一年の教室にまで聞こえてきた──と後に寧々が語っていた──が、もっとも間近にいるはずの類は我関せずと軽い足取りで進むばかり。全く速度を落とす素振りもなく掴む手も緩まない為、司は類の手をぺちぺち叩いた。
「おい類っ、自分で歩くからこの手を離せっ」
「え? ……どうしてもかい?」
「どうしても何も、歩きづらいだろう」
「……そうか。それもそうだね」
何か思案した後、ぱ、と手が離れる。しかし。
明らかに表情が曇っていた。ただし微笑は保たれているので、司や仲間ならわかる、といった程度ではあったが。
類が一体何を思って全開の笑顔で昼食を誘いに来たのか。何を思って笑顔を陰らせたのか。司にはわからなかったが──自由になった腕を軽く揉んで短く息を吐くと、類の手から自分の弁当を取り戻した。
「実はな、今やってみたいことがあるんだ」
「え?」
「手を借りるぞ」
首をかしげた類の左手を取ると、司はそこに自分の右手のひらをぴたりと重ね合わせ、指が交互に絡むように曲げる──いわゆる恋人つなぎをして照れ笑った。
「やっと恋人になれたんだ。初日はやはりこれだろう」
「つ……司くん……っ!」
再び相好を崩した類は、ぎゅっと手を握り返す。
そして二人はそのまま甘い笑顔を相手へ向けながら、屋上へと向かったのだった。
互いの想いが実った翌日の、二月十五日。
その日、神代類は幸せの絶頂にいた。
天馬司と共に──。