研究所をでて数歩先、青空の下屋根と灰皿を設置しただけの簡易的な喫煙スペースには先客がいた。
「意外だな」
僕が呟くと、トキオは杏色の瞳を忙しくしばたたかせた。咥えていた煙草を細い指先でつまんで、自由になった口元に柔和な笑顔を浮かべてみせる。
「そう?」
変声期を経てもなお透明感の残る清々しい声で答えて、地面へと息を吐きだした。白い煙は彼の意図を汲まず、空へと昇っていく。
「むしろ、煙草なんて嫌がるものかと思ってたよ」
僕の言葉に、トキオが笑う。
「そうでもないよ。息詰まるときには、外に出る口実にもなるしね。…っと、禁句だった?」
「いや、うん、まあ」
論文の作成が思わしくない。現状を言い当てられた気がして、一瞬顔が強ばってしまった。めざとく気づいたトキオの言葉に、上手く応えられない。
さっさと煙草をくわえて間を持たそうとするものの、今度はライターが見つからない。あちこちとポケットをまさぐっていると、トキオから声をかけられた。
「火、貸そうか」
答える間もなく、杏色の瞳が近付く。息がかかるほどの距離。身にまとう体温とトキオの髪が風に流れる音を確かに感じて、心臓が痛いほどに早鐘を打つ。
驚いて動けない僕の口元、数センチ先のタバコに火がついて、トキオの体が離れた。
「おっけ。点いた」
トキオが満足げに笑う。彼の紫煙がユラユラと空へ昇る様子を見ながら、心臓の動悸と恋心に気づかれないよう、僕は小さく息を吐き出した。