#02旋律 『ノクターン第2番』 イスマの夢 チリリン…
静かな店内に来店を知らせるドアベルの音が響く。客がやって来たようだ。平日の昼間に客が来ることは少ないのだが…。
読みかけの分厚い本から目を外し、カウンター越しに入り口の方を見やる。白いシャツに黒いパンツ姿の長身の男がこちらに向かって歩いてくる。それはよく知った人物だった。
「あぁ、君か。よく来たね。」
「こんにちは、オーナー。ひと月ぶりくらいかな。」
「そうだな、元気そうで良かった。」
「にゃー。」
「やぁ、レム。君も遊びに来たのかい、ゆっくりしていきなさい。」
「んにゃー!」
レムと呼ばれた黒猫は物珍しそうに店内を探索し始めた。
癖毛の黒髪に深紅の瞳、彼はこの店に良く来る常連客だ。常連と言っても、月に一度来るか来ないかだが…。
店内を見渡し、他に誰も客がいないことを確かめる。
「今日は何か探しに来たのか?それともメンテナンスか…?」
「いえ、今日は本の買い出しに…。でも一応、カイロスだけ見てもらおうかな。」
そう言って彼は胸ポケットから懐中時計を取り出すと、こちらへ手渡した。
「うむ、わかった。前に買った書はもう全部読んだのか、本当に本が好きだな、君は。」
「うん、単純に読むのが好きなのもあるけど。本は人間のことや、俺には行けない、知らない世界を知ることができるからね。」
「まぁ、君の仕事はどうしても人間と関わる仕事だからな、そう思うのは自然なことか。ここには古い本しかないが、また色々仕入れておいたから探してみるといい。面白いものもあるかもしれん。」
「うん、ありがとう。」
彼も店内を物色し始めたので、手渡された懐中時計を手に、店の奥にある作業部屋へと向かって行った…。
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店内は壁のほとんどが本棚になっている。そこに端から端まで隙間なく本が収められていて、壁の残りのスペースには宗教画や油絵の風景画、古めかしいアンティーク調の時計がいくつも掛けられている。時計の振り子や、秒針の音が耳に心地よく、落ち着いた雰囲気がある。あちらこちらに無造作に置かれているようにも見えるアンティーク雑貨に触れながら、店内をのんびり歩いているだけでも楽しめる。
ほとんどの商品がただの飾り物同然になっていて、目新しさはないが、たまにこの店に訪れると、少しだけ商品が入れ替わっていたり増えていたりする。その変化を探すのも楽しみの一つになっていた。
まずは今日の目的である本を探す為、本棚を一通り見ていく。
「ん…?」
角を曲がると、レムが何かを見付けたのか、頻りにそれに戯れている。
「どうしたの、レム。」
「なぁーお!」
レムは一冊の本から飛び出しているしおりの紐に戯れていたらしい。
「珍しいしおりだな…。」
紐の先には動物の毛のような飾りがついている。これはレムも気に入るはずだ。
その本を手にとって見てみると、題名は読めない程擦れてしまっていた。本の中身はまた見たこともない文字で直ぐには読めそうにない。しかし、これを解読するのも暇潰しになりそうではある。レムが噛みついてしまったし、そのままにするのも憚れたので買うことにした。
その他にもいくつか気になった本を選び、気付けば本だけで二十冊程になっていた。それに加え、レムのおやつ、レコードや紅茶の葉もいくつか買っていくことにした。
しばらくして店の奥からオーナーが戻ってくる。
「カイロスは見ておいたよ。特に問題はない、そうそう壊れるものでもないしな。こいつが止まるようなことがあったら、それこそ何が起こるかわからんよ、ははは…。」
「そっか、ありがとう。こっちも一通り見終わったよ、これ全部、よろしく。」
カウンターの上に置かれた山積みの品を見てオーナーは目を丸くした。
「君が毎日この店に来てくれたら助かるんだがなぁ…。」
「たまにでごめんね。」
カイロスを受け取りながら、悪戯に微笑んだ。
オーナーと一緒に商品を大きな紙袋2つ分に苦戦しながら入れていく。何とかギリギリ入りそうだ…。
「にゃーん…。」
そこへ、レムが控えめな声で鳴きながら何かを咥えて持ってきた。ドールサイズの黒い帽子とレースの刺繍が入った可愛らしいマントだ。
「わかった、これもだね。
…うーん、でも袋にはもう入らないから、このまま着せていこうか。」
「んにゃー!」
レムはフワフワな体を擦り寄せて嬉しそうにしている。こういうところはまるで、猫というより人間の女の子みたいだ。
着せてみると、帽子もマントもよく似合っている。
「いいね、まるで夢の番人みたいだ。」
「にゃー!」
彼女もそのつもりだったのか、ご機嫌な返事が返ってきた。
チリリン…
突然、ドアベルの音が鳴り響く。別の客が店にやって来たようだ。
「ごほん…!」
入り口の方を見たオーナーが大袈裟に咳払いした。レムは俺の足元で素早く黒猫の置物に変身した。どうやら、今来た客は現実世界の客らしい。
このアンティークショップ『ONEIROS』は現実の世界とユメノポリス、どちらの世界にも存在している。夢と現実が交わっている場所だ。このショップ内だけは、どちらもお互いの姿が見えている。だから、不用意な行動や会話はなるべく避けた方がいい。夢ならただの夢で済んでしまうところだが、ここでは多少気を遣わなければいけない。
どういう仕組みで、オーナーが何者なのか、俺も詳しくは知らない。だけど、夢の番人のことを良く知り、武器や道具などの仕入れやメンテナンスまで彼がしてくれている。当然、現実世界の人間達はそれを知らないし、ここはただのアンティークショップだと思っている。
「オーナー、この猫の置物ももらうよ。」
「あぁ、わかった。」
普通の人間が買い物をするように演じる。普段、支払いはお金ではなく、精神力を消費して作った結晶、カルディライトという宝石のようなものだが、今はそれだと不味いので、ズボンのポケットに手を突っ込み、宝石ではなく札とコインを作って、オーナーに手渡した。
「まいど。」
「じゃあ、俺はそろそろ…。」
「あぁ、気を付けてな。」
オーナーは少し寂しそうに笑って俺を送り出した。
次に来るのはまたきっと間が開いてしまうだろうから、もう少しゆっくり話せたら良かったな…。
両手に大きな紙袋を持って出口に向かう。レムが変身した置物が増えてしまったので結局袋は3つになってしまったが、それも少しの辛抱だ。店を出てしまえば、もうそこはユメノポリスなのだから。
チリリン…
店を出ると、レムは元の姿にもどって紙袋から跳び出し、解放感からか気持ち良さそうに伸びをした。
「さぁ、帰ってお茶にしようか。」
現実世界でこの店は街の通りに面しているらしいが、ユメノポリスでは森の中にひっそりと在る。石段を下り、木々のトンネルを抜けると、浜辺に出る。打ち寄せる波は穏やかで、水平線まで一面マリンブルーの海だ。白い砂浜にはどこからか流れ着いた流木があるだけで、人の姿はない。
紙袋を一旦置いてアステルを取り出すと、軽く振って鳴らした。
ベルの音と鐘の音が共鳴し合い、渚に門が現れる。
アステルで呼び出すこの大きな門は、シュラーという。
このシュラーは、ユメノポリスにある無数の夢世界を渡る為の唯一の道。その行き先はアステルを鳴らしシュラーを召喚した者の意思に委ねられる。このアステルも、夢の番人だけが持つことを許されているようだ。
行き先は、『俺の夢世界』───。
シュラーを潜れば目的地は目の前。
夢の番人にも自分の夢世界が存在する。眠っている間だけ存在する人間達の夢世界とは違い、常にそこにあり、夢魔もいない、俺はここを自分の『拠点』と呼び、普段はここで生活をしている。
断崖の孤島の上に家が一軒、その奥には小さな林と泉がある。島の周りは海がどこまでも広がっていて、空は極夜のように太陽が完全に昇ることはなく、夜が長い。そしてその空模様は俺の感情によって変化する。
時は地球と同じ時間が流れていて、今は、昼を回ったところ。温かな日差しが窓から差し込む程度には明るく、穏やかに晴れている。
玄関を入って一階の広間へ移動する。そこはキッチンとダイニングとリビングが一つになっている部屋で大きなアーチ型の窓や暖炉がある。
買ったレコードは一先ずリビングの蓄音機の側に置いておき、紅茶を淹れる為に、まず湯を沸かすことにした。新しく購入した葉を試してみたい。
「んにゃー。」
レムはおやつが欲しいみたいだ。
紅茶を淹れたら一緒にティータイムにしようと思っていたけど、先にテーブルの上の皿に置いてやる。食べるのに邪魔そうな帽子とマントは外してあげた方が良さそうだ。すっかり頭の中はおやつのことで一杯なのか、外しても特に文句は言われなかった。この気紛れさは猫そのものだ。レムには気付かれないように笑って、また必要になる時まで彼女のお気に入りの小物達と一緒に飾っておくことにした。
さっそく夢中になって食べ始めている。オーナーが新商品を仕入れてくれていたようで、レムもこれを食べるのは初めてだ。
「気に入った?」
「にゃむにゃむにゃむ…」
食べながら何か喋っている、気に入ってるみたいだ。
湯が沸いてポットに注いだ後、紅茶を蒸らすのに少し時間が掛かりそうだったので、大量に買った本を2階の書斎へ運ぶことにした。二階への階段は螺旋状になっていて、壁が全て本棚になっている。ここは既に本が収まり切らずに階段のあちこちにまで積み上げられている。螺旋階段を上ると書斎と寝室、研究室や、趣味の天体観測部屋などがある。重たい本を何とか書斎に運んだものの、そこも既に本で溢れ、収納するスペースはなさそうだった。
「少し整頓しないとな…。」
本だけはどうしても散らかしてしまう。
ただでさえ多いのに、何度も繰り返し読みたい本や、研究や調べものをしたりする内に、出しっぱなしになってしまうのだ。そこへこうしてまた増やすものだから、一向に片付かない。
「とりあえず、ここに…。」
せめて、今日手に入れた本だと判るように一ヶ所にまとめて置いておく。
そろそろ紅茶も美味しくなっている頃かと、書斎を後にしようと思ったその時、違和感に気付く。
書斎の机の上に置かれたキュクロスのレンズが青く光っていたのだ。このモノクルは俺が夢渡りをする時、常に左目に掛けているものだ。…そう、夢魔の本当の姿を透かして見ることが出来る、特殊レンズで出来ている。夢魔に反応すると青く光るのだが…
「まさか、俺の夢に夢魔が…?」
キュクロスを手に取り、左目に掛けると、辺りをぐるりと見渡した。
「…、これか…!」
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「レム、ちょっといい?」
おやつの時間を既に済ませ、ソファで寛いでいたレムを起こし、ダイニングテーブルの上に本を置いた。先程アンティークショップで買ってきた、珍しいしおりのついた本だ。
「アルニオン。」
そして手にしていたアステルを手の内で回転させ、フルートに変化させる。
「にゃ…。」
レムは何が始まるのかと本を凝視している。
フルートの唄口に唇を当て、いつものように奏でる。すると、本から黒い煙が立ち込めた。
「ギャああぁ! ヤメロ、ヤメテ! ナニしやがル…! キサマ…、番人か…! 耳障りナその音、ヤメロ! 頭がイタいっ! アガぎゃッ!」
良く聞き取れないがフルートの音色を嫌がっている。そのまま演奏し続けると、本は1尺に満たない小さな夢魔に姿を変えた。黒い体に悪魔の翼を持ち、尾はあのしおりと同じく、先端にフサフサと毛が生えていて、まるで猫じゃらしだ。
それを見た途端レムの目が光り、後ろ足で足踏みしながらお尻を振ると夢魔目掛けて跳び掛かった。夢魔の尾を前足で捉えると、容赦なく噛みついた。
「グギャア! イタイッ! …ア! お前さっき、オレの尾に噛みついたヤツだろ…っ! イタイ! いダダっ!」
「こいつ…夢魔なのに人語を話せるのか。こんな奴は初めて見た。…レム、離してやって。」
「なぁーお。」
レムはまだ遊びたそうだったが、背を撫でると落ち着いて素直に離した。夢魔はテーブルの上で鼻息を荒げてギョロリとした目玉をこちらに向け睨んでいる。形相は悪魔らしくそれなりだが、襲ってくる様子はない。
会話ができるだろうか…?
キュクロスを外し首に下げると、椅子に腰かけた。
「夢魔が何故本に化けてあの店にいた。…その言葉はどこで身に付けた?」
夢魔は翼を羽ばたかせこちらに向かって飛んでくる。
「オレ様に不可能はナイ! 憎き番人メ、いずれお前も呪い殺してヤル…! シャーッ」
目の前で唾を飛ばしながら喋る夢魔を手で鷲掴みすると、近くにあった包帯でぐるぐる巻きにしてやった。
「グガ…ッ、何しやがル…!クソっタレ! オレ様はケガ人でも、ミイラでもナイッ!」
そのまま夢魔をテーブルに転がして置くと、一瞬は大人しくなったものの、巻かれた包帯をほどこうと、芋虫のように体をくねらせた。その動きがレムの狩猟本能を刺激したのか、今にも跳び掛かろうと目を光らせる。
「ヒィッ!待テ!来るナヨ」
「質問に答えるんだ、消されたくなければ。」
追い討ちを掛けるようにフルートをチラつかせると、夢魔は観念したように喋りだした。
「…オレ様は気の遠くなる程の年月を本に化けて生きてきた…。こうしてお前のようにオレをただの本だと勘違いし、手元に置く人間から生気を少しずつ吸い取りながらナ…! 夢から夢へと渡っていくたびに、人間どもの話す言葉を聞き、覚えたのだ。スゴいだろう! グヘヘ…。」
「なるほど。他の夢魔達とは群れないのか。」
「連むのはオレ様の性に合わナイ…。それに馬鹿な夢魔達のヨウに人間の夢の中で暴れ、番人に見付かり消されルなんて、愚かなコトはしない。オレ様は静かな場所を好ム。生きて行くのに僅かな人間の生気があればいいのダ…!」
「へぇ…意外だな。番人に気付かれないよう人間への害を最小限に抑え、ひっそりと生きてきたから、その過程で言葉も覚えた。
体が小さいのは微量の人の生気で生きていく為。夢魔として長く生きていく為に賢くなったという訳か。…興味深いな。」
「スゴいだろう!本でいるコトは居心地がいいゾ…暖かく…静かで…安全ダ…オレ様にとって本棚は寝床でありパラダイスだァ…!」
どうも話を聞いていると、自分が知る夢魔とは随分と違う。言っていることが嘘である可能性もない訳ではないが、本当だとしたら、ほぼ無害なこの夢魔を一方的に浄化してしまうのは気が引ける。
「…君は本が好きなんだな。だったら、俺の書斎にいればいいよ。微量とはいえ、人の生気を吸う夢魔なんだ、誰かの夢に置いておくくらいならここにいてくれた方が安心だ。」
元々大きな夢魔の目が一層見開かれる。
「ハハァ…そんなことを言ってイイのか…いつかお前の生気も全部吸い付くしてヤるゾ…!」
「俺には肉体はないし、君が必要なだけの生気に代わる精神力なら吸われても問題ない。人間のほど美味くはないだろうけどね。」
「…味気ないヤツ…!」
ぐったりと脱力する夢魔。
ふと、自分の書斎と本棚が散らかっていることを思い出した。
「あぁ、そうだ。もう本に化ける必要もないし、ついでに書斎と、階段の本棚の整頓をしておいてくれると助かるんだけど…。」
「キサマ、オレ様を奴隷にするつもりか…!」
「奴隷じゃないよ、書斎を管理して欲しいんだ。賢くないと出来ないから、君にピッタリだと思うんだけどな。」
「管理者か…、オレ様は賢いからナ…! …ヨシ。良いだろう…本はオレ様の子分みたいなモノだ! 任せろ!」
賢いが、とても単純ではある。悪く言えば上手く利用しているんだろうけど、仕事を与えれば、悪い考えを起こすことも減るだろうと考えた。監視する為でもあるが、一緒にこの家に住むのなら、名前くらいあった方がいいだろうか…。
「そうだな…。じゃあ…、君のことは今後リベルと呼ぶよ。」
「リベル?何だソレは。」
「本という意味だよ、君は本に化けていたし、本棚が好きみたいだからね。」
「……悪くナイ。ただし、リベル様と呼ベ…!」
目配せすると、レムはすぐさま夢魔の尻尾に噛みついた。
「イダイッ! わかった! リベル! オレ様はタダのリベル…!」
「うん。悪ささえしなければ、ここにずっといていいから。」
そう言って、リベルに巻いていた包帯をほどき、解放してやった。
「ずっと…。…番人にも、オカシな奴がいル…。」
書斎と螺旋階段の本棚へ案内すると、リベルは嬉しそうに飛び回る。
「散らかってはイルが、思った以上にイイ住処になりそうダ。まずは整頓してオレ様の寝床を作らなけれバ…。」
「今日買った本だけは、別にしておいてもらいたいんだ。散らかっている本は種類ごとに分けてもらって、後は君の好きなように整頓してくれて構わない。」
「ヨシ、賢いオレ様がキッチリと管理してヤル。」
リベルはせっせと働き始めた。しばらくは彼に任せて様子を見てみよう。
口は悪いが、夢魔として生き抜く為に賢くなった分、力を失い、人を襲うという概念がなくなった…そんな夢魔がいるなんて。夢魔の研究材料としても、リベルは申し分なさそうだ。
「あぁ、すっかり紅茶のことを忘れていた…。
ティータイムにしよう。」
レムはまだリベルのことが…もしくはあの猫じゃらしのような尻尾が気になるのか、小さな夢魔をじっと観察していた…。
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日が傾き始め、外が薄暗くなってきた。
忘れない内に、二階の夢魔研究室でリベルについて記録しておく。まだまだ、夢魔に関して知らないことは多そうだ。彼のように人語を話し、会話が成立するような夢魔はかなり特殊だろう。人々の夢世界で害を及ぼすような夢魔達とは別物と考えるのが妥当だ。
人々を襲い、闇に引き込む夢魔達のことを知るには、やはり夢渡りを繰り返し、奴らと対峙するしかない…。
記録帳を閉じ、ふと窓の外を眺める。涼やかな風がカーテンを揺らし頬を撫でていく。空には一番星を筆頭に星達が瞬き始めた。
まもなく、世界に夜が訪れる…。
ランプの灯を消し、研究室を出て寝室へ向かった。
少しだけピアノを弾きたい気分になった。いつもその時の気分で弾きたい曲を選ぶようにしている。今の気分はどうだろうか…
ノクターン第2番。ショパンの曲だ。優しく、美しいメロディが好きで、良く演奏する。
穏やかに過ごした時間、馴染みの人の笑顔、新しい出会いと発見、今日これまでのことを思い返しながら、反芻するように弾いていく…。
演奏が終わり、ふと気付くと、レムが一人掛けのソファの上で丸くなっていた。ピアノの音色が好きで、いつも弾き始めるとこうして聴きに来てくれる。
「さっきの細長い楽器の音ヨリはましダったゾ。」
いつの間にかリベルも部屋を覗きに来ていた。精神力を乗せて演奏するフルートは浄化作用がある為か苦手みたいだが、このピアノの音は大丈夫らしい。
「気に入ってもらえて良かった。」
「気に入っタとは…言っテナイ…ッ!」
夢魔のくせに照れているのか、むきになっているのが面白い。夢魔でも、リベルのような特殊な者だと、人間の様な感情を持つことも出来るのか。夢魔に対しての印象が少しだけ変わったかもしれない…。
「────!」
その時、突然耳鳴りがした。──アラートだ。
シャツの胸ポケットに入れていたカイロスがユメノポリスの異変を知らせている。誰かが夢魔に囚われてしまったようだ。レムも起き上がり、ソファから跳び降りる。
「何ダ、どうシタ。」
「直ぐに行かないと。」
立ち上がり、チェストの上の水晶球に触れる。この水晶球は各部屋に設置してあり、触れることで囚われている夢主とその夢世界の情報を得ることが出来る。
「見えた…。レム、夢魔が現れた。」
「なぁーお。」
レムも、緊張感を高まらせ、体を普段より青白く発光させている。
「リベル、留守を頼んだ。」
「あァ、夢魔退治か、ご苦労なコトダ…! オレ様には関係ナイが、お前が戻らないと困ル、精々殺られるんじゃナイぞ…、ゲハハ!」
リベルの下品な笑い声を背で聞きながら、マントを羽織り、装備を整えると、レムと共に家を出て行った。
外は日が完全に沈み、暗くなっていた。所々立っている外灯が辺りをぼんやりと照らしている。
風は先程までより強く感じられ、マントを揺らし、夜空の雲を押し流していく。
「アステル。」
孤島の先端へと歩みながら、ベルを鳴らしシュラーを呼び出す。
鐘の音が響き渡る中、白い靄と光の中に門が現れた。
左胸のフィブラに右手を翳して祈り、ハットを深く被り直すと、足早に門を潜っていった…。
#02旋律 『ノクターン第2番』 イスマの夢(完)