「申し訳ありません、お尋ねしたいことが!」
勢いよく訪ねてきたのは、まだ頬にあばたの跡が残る三番隊の若い隊士だった。印旛の出身だと三番隊隊長ーーー斎藤一の替え玉、スズランから聞いた気がする。「印旛沼といえばうなぎよねぇ〜うーちゃんって呼ぼうかな」と言っていたのでそれは止めた覚えがある。
「構いませんよ。どこか具合の悪いところでも?」
研究室は医務室を兼ねている。体調が優れぬと訪れる者もいることから尋ねたが、むっくりした健康そうな体躯の隊士は首を横に振った。
「いえ、自分のことではないのです、斎藤先生のことをお聞きしたくって」
「斎藤殿の?」
ソウゲンは少々面食らう。自分の隊長以外をわざわざ訪ねてくるとはよほどであろう、緊張して落ち着かない様子で大きな体に見合わず縮こまっている。
よもや斎藤隊長の酒癖が悪いので何とかしてほしい、クソ寒い駄洒落を放つので止めてほしいなどと訴えられるのではあるまいなと身構えたソウゲンだが、意を決したように言われた言葉は意外なものだった。
「斎藤先生は、どこかお悪いんでしょうか!?」
力んで大きな声になってしまったようでむくむくした手で慌てて自分の口を覆う。その様子に、ソウゲンはすこし考えて返した。
「何故そう思われたのです?」
「ええと、斎藤先生はよくこちらにいらして--山南先生とお話されていることが多いでしょう。お姿が見えないことも多くって、いえ!もちろん仕事中のことではないのですが!そうしたら……山南先生の診察室から出て来られるのを度々見るって聞いたものですから」
ははあ、とソウゲンは顔には出さず考える。
この部屋で行われるのはスズランとの逢瀬だ。替え玉たちの中ではソウゲンとスズランが恋仲なのはほぼ周知の事実で放っておいてくれるが、勿論表向きは隊長同士の会議だとかそういうことになっている。
平隊士はむやみにこの部屋へ近付かないとはいえ、出入りを見られても不思議ではない。
「そうですね。私と斎藤殿は組んで仕事をする事が多いゆえ」
「しかし日中ぼうっとされている時もあり、心配なのです……。平隊士が出しゃばってと叱られるかもしれませんが、田舎から出てきて斎藤先生には良くしていただいておるのです」
「親しみやすいお人ですからね」
「ぼうっとしている」とはふわふわしているところがあるからではないのかと思ったが、自分の恋人が部下に慕われているのは誇らしい。ソウゲンが相槌をやると、隊士も嬉しそうに顔を輝かせた。
「そうなのです!斎藤先生は剣術こそお強くないけれど、よく自分たちを褒めてくださるんです。細かいところを見てくださって。ああもお若いのに」
「そうですか」
「自分などは親にも道場の師範にも、ごつごつした拳で殴られて叱られてばかりだったので。やわらかく話を聞いてくださる斎藤先生の、あのお優しさに感動してしまうんです」
「ほうほう」
「その斎藤先生に、よもや…ご病気などがあればと居ても立っても居られず」
「それでこちらへ。お話はわかりましたが…」
スズランの見目は若いけれど実のところ幾つかは、はて……と思いながらも話を聞いてやっていたソウゲンだが、目の前で熱く語る隊士にさてどうしたものかと思案した。
スズランが他人に親しみやすいのはそうであろう。藤堂などには「威厳を保て!」と叱られているが、柔らかい雰囲気で部下に分け隔てなく接するところは男所帯にあって優しく映る。
「斎藤殿とて少し調子の悪いときはありましょう。そういう折には医務室を使われます」
「しかし……ぼうっとしている日には斎藤先生、少しよろめいたりなさるんです。それに…自分は見たのです」
「……見た、とは」
だんだんと彼のスズランに向けている視線の熱量が別の意味を持ってくる。ソウゲンとてそうなればいい気はせず、少しピリリとしながら慎重に話を引き出す。
「隠されていましたが首、背中と痣が。幾つもあって、その日は熱があるようだと見廻りから帰りすぐ引っ込んでしまわれて…。肌に現れるとは血の病ではありませんか!?」
「隠されていたものをどうやって見たのです」
「斎藤先生は自分たちより小柄でいらっしゃる。襟を抜いているので上から見えます」
ソウゲンはいよいよ心の中で頭を抱えた。
己との閨での跡が他の男に見られるのも不快であるし、本人に自覚がないようだがこの平隊士のスズランに恋慕しているような物言い。
襟足など細くてソウゲンの気に入りで閨で何度も唇を落とす、そうして残した跡をこの男は中を覗いて眺めたという。
(……なるほど、これは悋気か)
スズランを所有している気にはなってはいけない。そう弁えているつもりだがまっすぐな若者の欲を感じて、ソウゲンはふつりと心がざわめく。
極め付けに平隊士はきらきらとした目で、なんなら頬を染めて言った。
「斎藤先生を、お支えしたいのです」
平隊士の言葉を聞いたソウゲンは、眉間を押さえそうになりながら医者の顔で静かに返した。
「……ふむ。上役を気遣う心掛けはよいと思います。では…特段秘密にすることでもないのでお伝えしましょう。斎藤殿はすこし血虚の気があります」
「けっきょ?聞いた事はありますが」
「斎藤殿の場合体質で、身体が虚弱気味ということです。血の巡りが足りぬ、疲れやすいなどで定期的に私が診察しています。身体を温める灸などしつつ、ここで一晩休まれることもありますよ」
「なんと……!治らないのですか!?」
「いえ、普段の生活には支障ありません。ただ、あなたの言うように少しぼうっとする日があるやも。その際は無理せず休むよう勧めて下さい」
「はい!必ず!他に自分にできることはありますか!?」
「重い病気ではありませんから、よく食べよく休み普通にしておればよいのです」
「むむ……心得ました」
でまかせを吹き込むことには良心が痛んだが、よりスズランを丁寧に扱うようになるならよいだろう。
実際この平隊士のような体躯の男共の中に放り込まれては、今まで刀など振るったことのない僧侶は骨でも折り兼ねぬ。劣情の意味でなくとも、囲まれて暴力を向けられたらひとたまりもないだろう。
そう言った意味でも、この平隊士のようにスズランを信奉して守ってくれる者を置いておくに越したことはない。
「お優しく、か弱きお方なのですね…」
「……立派に三番隊を任されている隊長です。それだけのお人柄ということ。気遣うのはよろしいですが、おなごのように見ては失礼にあたりましょう」
「!!そ、そんなことは!失礼を申しました!」
恐縮して何度も頭を下げながら出ていく平隊士を見送る。スズランがああなので気安く隊長を慕う者の多い三番隊の中で、「斎藤先生は虚弱を押しても隊長を任される能力のある立派なお方」とでも噂が立てば、隊士たちの尊敬と庇護を同時に集めるだろう。牽制し合えば、同じ隊の中で抜け駆けて恋慕するような者もそうはおるまい。
「とりあえず皆と…本人にも説明しておきますか」
ソウゲンは我ながら大芝居を打ってしまったなと、秋晴れの空を仰いで渋い顔をした。
「……というわけなのです。たまに血の足りない顔でもなさっていてください」
話を聞いたスズランは、手の中の包みを遊ばせながら「それどんな顔よ」と苦笑いした。
「だから今日なんか食べ物よく貰うのかぁ〜…これうーちゃんに貰った佃煮、他の子からは干菓子」
「噂が着実に広がっていますね。というか結局その名で呼んでいるのですか」
「うーん、隊の皆に心配かけちゃうのは申し訳ないけど、ソーゲンちゃんの所まで突撃してきたとあってはあしらえないよねえ。うちの隊のものがすみません」
殊勝に頭を下げるので、その形の良い丸みを見てソウゲンは返す。
「話の発端ですが。ぼうっとなさっている日があると聞きました」
「……あ、それ言う?だってさあ…」
視線を泳がせるスズランの手を取り、膝が突き合う位置まで近くに招く。下から見上げてくるスズランは、傾いた橙色の陽に照らされてぽそりと言った。
「抱かれた次の日って、ぽーっとしちゃうのよ」
しょうがないじゃないとぽそぽそ続ける頬を包んで、ソウゲンはやわく撫でる。
「身体がお辛いなどは」
「あ、違うよ。それは無いけど気分がね…ふわふわするの」
「……今されているような顔を、部下に見せては嫌ですよ」
「ええ?今どんな顔してるの僕」
眉を下げて笑うスズランの、閨を思い出してか蕩けかけた眼、少し開いた唇を長い指でなぞる。
「…ん……」
「…こうして部屋に出入りするのを、見られていたという訳ですね」
「「会議」で通らないほどの頻度来てたかしら…と思ったけど現に今来てるねぇ」
口の中で転がすように笑うスズランの足に、ソウゲンの手が触れる。なに?と寄越す視線はそのままに足首をぐっと押した。
「?、なに?」
「血虚のツボです。知っていればそれらしいでしょう?」
「ほほう覚えとく……にしても灸をしにきてそのまま一晩、はなかなか苦しいんじゃない?朝まで艾(もぐさ)を燃やしてるのかしら」
「うまい理由が他に無く。かといって夜の前にお帰しすることも出来ないゆえ」
「……そっか、帰せないって言ってくれるのね。えへへうれしい…」
「……あんまりかわいらしい事を仰ると一晩中離せなくなりますよ」
「望むところよ。しばらく部屋に招きません、なんて言われなくてよかったぁ」
心底安心したように言う様がたまらず、ソウゲンは背に腕を回しスズランを抱き込んだ。口を吸うと、貰った干菓子の所為なのか甘い舌がちろちろと差し出される。それをゆるく噛んで離すのを繰り返すと脳天まで痺れるようだ。スズランの呼吸の浅くなる様を愉しむように、最後に深く口付けて離れた。
「んー…ふふ。あのね、夜また来てもいい?」
「おや、こちらからお誘いしようと思っておりましたのに」
「どっちからだっていいじゃない。……お灸、据えてね」
「朝まで?」
「朝まで」
あははと笑って姿勢を直すスズランに、平隊士に悋気を起こした事を伝えたらどのような顔をするだろうか。照れるのならば、抱いている最中に言えばとてもかわいらしい反応をくれるのではないか。
すっかり色狂いのような事を考えて、いやはや色事に縁のなかった自分がこのような考えを……とソウゲンは少し己に呆れる。
ただ、人と人で交わす情愛をスズランに初めて教えられたのだ。その人にこうまで溺れるのも仕方あるまい。ソウゲンは自分を甘やかして、「夕食を摂りましょう」と促し部屋を出る。
すっかり陽は落ち、訪れる秋の夜は少し肌寒い。風邪を引いてはならぬとスズランの襟足を見ると、なるほど上からわざと覗けばうなじや背中の跡も見えよう。見せぬと隠すように掌を添えると、見上げてきた紫の瞳とかち合う。
「なーに?」
「寒いといけないと思いまして」
「あら。……寒くないけど、そのままでいいよ」
触れている互いの温度と今宵のことを思って、ふたりふわりと浮き足立って廊下を進んだ。