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    nrs_kh

    @nrs_kh

    燐ひめが好きです

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    nrs_kh

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    めちゃくちゃにグダってしまった燐ひめのうさぎバースです。
    一区切りとしてまとめました。
    供養と書いてありますが多分供養です。
    気が向いたら続きますが一旦……

    うさぎバースの詳細はこちら↓
    https://www.pixiv.net/artworks/74711300

    前半はほぼ要と兄、後半から燐ひめになります。

    #燐ひめ
    rinhime

    うさぎバース この世の中には男女の性以外にもロトゥンとフラッフィといういわゆる種類がいる。簡単に言うと人間が生まれてくる時に付いている本物の耳とは違い、ふわふわのうさぎの耳が付いているか付いていないか、ということ。うさぎの耳が付いているのがフラッフィ。付いていない者をロトゥンという。



     そうして俺は、運悪く生まれ持って受けたバースが、この見た目とは大きくそぐわないフラッフィで、それも垂れ耳のドロップ型だった。



    ***

     やっぱり不便なのだ。そもそもシーズンという決まった周期があることだったり、見た目とそぐわないことから人目を気にして普段は帽子を被ってたりとか。こんなにも不便なら現代の医学では手術で除去することができる。高額な出費になるが手術自体は難しいことではないのだ。それでもやらないのは自分でも笑ってしまうような理由だった。


    ***

     自分には身寄りはないに等しく、母を亡くしたのにも関わらず再婚するという父に心底呆れ早くに親元を離れて生活していた。もう父と会おうと思わない、力を借りようだなんて思わなかった。だから、自分一人で生きていくためにかつて母から教わった生きていく中で必要なスキルは完璧に身につけたしそこから枝分かれするような細かな技術もたくさん身につけた。誰の力もいらない。例えフラッフィでもどうにか人の目を欺き隠し、副作用の強い薬にも耐えて必死に生きてきた。生きるために稼ぎ、生きるために何でもしてきた。俺一人でも十分に生きていける、そうやって一人で生きてきたのに。

    「お兄ちゃんは、どうしてそんなに強いのですか?」

     某日、俺とどう見ても似すぎている容姿の"弟"が突然現れた。そもそも俺は兄弟なんていないし母は俺しか産んでいない、はずだった。でも目の前にいる彼は自分より僅かに身長が低く鏡写しのようなそっくりな人間だった。
     しかし自分よりもはるかに知能指数が低そうな話し方で、どうして?と問うその顔はぽかんとしていて、ハッキリ言うとその表情はあほ面なのだ。本当に兄弟なのか。でも確信を持てる材料が顔や身長以外の他にもあったのだ。

    (黒いうさぎの耳がある、その上ドロップ型の垂れ耳。長さも程々にあるということは間違いなく"弟"、なのか)

     決定打なんていくつもあるのに些かこのお馬鹿さんのような口調の人間を弟と認識するのは難しかった故に曖昧なことしか脳内に流れない。わかりきった結果なのに受け止めきれていない。

    「あの、聞いてますか?ぼくのお兄ちゃんはかなりの優秀な人間だって聞いているのに返事もできないのですか」
    「いや、考え事してた。俺は強くもないし要と同じ人間で同じフラッフィというバースを持つ兄弟だよ。」

     そうです!ぼくとお兄ちゃんの耳はお揃いですね!とすぐに擦り寄ってきて本当にドロップ型なのか疑うほどに甘えたである。…なんで強いのか?と聞いているのに結論違う答えを出していることに気づかないのはよっぽどアホなんだなと再確認する。

     聞くところによると、このバカっぽい弟…要は再婚した父の子どもということになる。やはり血は繋がっていて兄弟という換算になるのだ。なんの巡り合わせか突然要は目の前に現れ俺と接触を図ってきた。父の計らいだろう。大方、兄がいるから頼れと要に言ったのだ。こうしてまさか存在するとは思わなかった兄弟と日々暮らすことになったのだ。しかし。

    ***

    「あっ、またやってしまいました…どうしよう…お兄ちゃん怒りますかね…いや大丈夫です!ぼくが片付ければお兄ちゃんもきっとありがとうと言ってくれる。」

     たまたま、だった。家のことは要に任せようと大まかに説明して家事をするよう頼むとなんら変わりなくやってたと勘違いしてたのだ。隠そうとか、そんなつもりも彼には無かったんだろう。兄である俺に褒めて欲しい、そんな一心であらゆるミスを無かったことにしているのだ。でも日に日に減っている皿の枚数だったりカトラリーの歪み、キッチンの下にあった破片など目を凝らして見ると明らかに変わらないはずの何かが変わっていて特に報告もされないのだ。帰る度にありがとうと声をかけて頭を撫でると嬉しそうに顔を綻ばせる、それがきっと幸せでそのために今の今までしていたのだ、と感じた。
     そう、たまたまその現場を見つけてしまったのだ。仕事の為に家を出たが忘れ物があったので昼に一度帰宅すると帰ったことに気づかないで家事を進めていた彼の足元には破片が散りばめられていた。ソーサーを誤って滑らしてしまったのだろう。
     黙っておくべきなのか、でも怪我をしたら危ないから言うべきなのか、兄になってから数ヶ月しか経ってない。弟にどう接するべきなのかは未だに掴めきれてなかった。見つからないように遠くで見つめたがその時は声を掛けずに帰ってきてから話そうと決めて静かに家を去った。

    ***

    「おかえりなさい!お兄ちゃん!」

     扉を開ければパタパタと音を立てて玄関まで走ってお迎えに来る。待ちに待った兄の帰宅、ということがよくわかるキラキラした瞳にぴょこぴょこと動く耳。
     …あぁ、愛おしいなと、深く、感じるのだった。

    「ただいま。家事は終わったか?」
    「もちろんです!と、とど?とどろうきなく!」
    「滞りなく、な。」
     あれ。とぽかんとこちらを見上げるのだからおかしくて頭に手を乗せくしゃりと撫でれば嬉しそうに頭を寄せるのだった。


     夕飯は少し焦げてしまった鶏肉のパリパリ焼きだった。真っ黒になっているわけでもなく一部焦げてしまった程度なので食べられる。だが耳をいつもよりしゅんと下げてこちらをちらちらと見てくる。食べられないわけではないのだから気にしなくていいのに。ナイフを入れるとパリッと音が響き、柔らかな肉を切り分けていく。口に運び入れると丁度いい塩っけでちゃんと美味しい。
     一連の流れをナイフを持つものの手首をテーブルに置いたまま不安そうにこちらを眺めていた要の目を見つめ返し口元を緩める。

    「ちゃんと美味しいよ。いつも作ってくれてありがとうな。」

     それを伝えればぱあっと笑顔になり耳も僅かに浮いて嬉しそうに笑う。

    「良かったです!ぼくもお兄ちゃんにそう言ってもらえて嬉しいです。いっぱい食べましょう!」

     皿には1枚しかないよと笑えばそうでしたとまた首を傾げて笑うのだからそんなところも愛おしいのだが。

     食事も終わり片付けをすればいよいよ本題だ。皿を洗いながらどう切り込んでいこうかと考えていれば気の利く弟はコーヒーを用意していてくれてテーブルに添えてくれる。
     …そのソーサーは昼に割ったものと同じものだった。

    「要、何か隠していることがあるんじゃないか?」

     ギクリと震え目を泳がせるもののすぐに口を開く。

    「あの!ごめんなさい、ぼく、洗濯機を1回で回してました…」

     思っていた返答ではなく唖然としてしまうと"大人の顔色"を伺う子どものような顔で続ける。

    「えっと、あの、それとも洗い物が雑でした…?掃除が行き届いて無かったですか…?それともお皿を割っちゃった事ですか…?」

     聞けば聞くほどたくさんの告白が出てくる。皿以外は知らなくて驚いてしまうがそんなことは良いのだ。洗濯だって結果出来てる、皿は食洗機に入れたら問題ない、掃除もまぁ休日に細かいところだけやれば済む。
     そうではないのだ。そうやって怯える必要はないのに。もちろん家にいるからにはやることはきちんと行ってほしい。でもそんなのは二の次だ。

    「…少なくない家事をこなしてくれてとても助かってる、ありがとう。でも皿を割るのは危ないからきちんと手元から目は離さないこと、掃除もできる限りでの綺麗に、洗濯も詰め込みすぎると壊れるから無理に入れないくらいで。」

     いつもいない間にこなしてくれてありがとうなとまた頭を撫でれば涙を浮かべながら手のひらに擦り寄せてくる。

    「お兄ちゃんありがとう、ぼくやりますからね!」

     頼んだよと頷けばまた照れくさそうにえへへと笑っていた。



    ***



     もうすぐ要がシーズンだと把握している。昨日からどことなく落ち着かず声も思うように出せてなさそうでしょんぼりといった表情で垂れてる耳が更にぺたりと落ちていた。俺自身は効力の強い薬を飲んでいるからコントロールをしているので問題ないが副作用が強いため吐き気や感傷的になる等常人じゃ耐えうるようなもだった。だから要には使用して欲しくなかった。1週間辛いだろうが自室から出ないようにと伝えるのみで特に何かをすることは無かった。
     なら、俺の持ち金なら難なくできるフラッフィである耳を取れば良いのだがどうしてもそれはやりたがらなかったので無理強いは出来なかった。

    「もう、今はどこにもいないんですけど、ぼくがもっと小さかった時にお母さんが、要の耳は可愛いわねって毎日可愛がってくれて手入れをして撫でてくれたんです。お母さんが大切にしていた僕の耳を失くすということは僕はお母さんの好きを殺すことになってしまうので。耳を付けて生きていくのは大変ですけどそれ以上に失くす方が嫌なんです。」

     語るように教えてくれた要の瞳には敬愛する母への想いが込められていて否定する意味もないと俺も感じた、し、俺自身も同じだった。まだ幼くて自分の身の回りの事はまだ母にやってもらってた時にたくさん可愛がってくれて、耳も、全て、愛してくれた。母は違えど二人とも愛されて育ってこうして兄弟とも再会している。まだまだ後ろ指に指されやすいこの世の中でもこの事を忘れずに大事にしていこうと考えたのだ。

     朝起きるとメモ紙が置いてあり決して綺麗では無い文字で綴られていた。

    『お兄ちゃんへ おはようございます。どうやらシーズンが来たみたいなので声がでなくなっちゃいました。ごはんは作っておきますのでたべてください。かなめ』

     多分、部屋にずっといてもじっとできないからこうやっていつもご飯だけは作ってくれる。有難いが少し心配にもなる。シーズンに入ると過敏になる関係で音や少しのミスも過剰に反応してしまいそうだ。あの子のことだからあまり無理して動いて欲しくないのだが。
     作っておいてくれた朝ごはんのサンドウィッチを口に運び仕事を確認し、皿も洗って片付けてから外へ出る。シーズンと言えど普段通りだった。

    ***


     帰宅しても家はしんと静まり返ってた。いつも駆け寄ってきておかえりの挨拶があるだけでこんなに心が穏やかになるのかと再認識するとどうも寂しかった。要が来ないということは本格的にシーズンが始まったということだ。
     買ってきた食材を冷蔵庫にしまい、簡単に作れるもので良いから作ろうとキッチンに立って久しぶりに自炊をする。出来上がった野菜炒めと白米を盛り、ワンプレートにして要の部屋の前に持っていく。扉をノックし置いておくよとだけ声を掛けるも、反応が、ない。いつもならありがとうのノックひとつはするのに。申し訳ないとは思うも扉に耳を立ててもう一度ノックをする。

     …いないの、か?

     最悪な事態を想定してもう一度強くノックし大声で名前を呼ぶも変化がない。血の気がサッと引き怖くなりドアノブを引くと鍵はかかっておらず容易に部屋へ入れた。

    「か、なめ…?」

     部屋のどこにも姿はなく、ベッドの上も中も、本棚にも机の下にもどこにもいない。クローゼットを勢いよく開けて中を確認してもいない。
     フラッフィーのうさぎの耳、まして尻尾が付いてるタイプだと闇市で高額で売買される。誘拐なんて今時いつでもされるのだ。シーズンが始まり声が出なくなったり過敏になったりすることでいつもよりか弱くなっている時に攫われるなんてよくある。でもまさか、もうシーズンが始まるから家事をしなくていいから部屋にいろと言ったはずだ、外に出るわけが、

    「冷蔵庫、空、」

     食事だけでも用意しようと外に出て食材を買いに行ったのかと想定すれば足はすぐに動いていた。
     玄関の扉を勢いよく開けてエレベーターのボタンを連打する。早く。早く来い。あぁもう。でも階段を使うような階でもないから待つしかない。ポーンと鳴り響く前に滑り込み閉と1階を押し扉が閉まるのを待つ。どうやって探そう、スーパーの店員にまず聞いて可能なら防犯カメラを…いや、警察が介入しないと防犯カメラは見せてくれない。しかしフラッフィの誘拐で警察に頼るのも正直当たりとは思えない。人脈を辿ってそっちの方面に詳しい奴に頼るしか、そうこう考えていればあっという間に1階に到着しエントランスを駆け抜ける。

     既に薄暗くなっている外は上着も帽子も被らなければかなり冷える。そんなことを気にしている場合では無い。スーパーまでの近道で住宅街の細道を勢いよく駆ける。早く弟を、要を、見つけなきゃ、無我夢中で走っていくと、何かに躓いた瞬間口元から鼻にかけて布を当てられ息が出来なくなる。薄れていく意識の中でいつの間にか後ろにいた男がニイと笑う。

    「1日で2人も黒いフラッフィを捕まえるなんてラッキー過ぎだろ」


    ***

     目を覚ました時には手足を縛られ、口元にも猿轡の様に布を咥えられて鉄格子にぶち込まれていた。意識が明るんでいく中で向こう側にも同じ鉄格子があり、よく見れば勿忘草色の丸い頭と黒いうさぎの耳が見える。要だ。要が目の前にいる。微動だにせず手足を縛られて横になっている。睡眠導入剤を溶かしてあの布に含ませたのだろう。シーズンの抑制剤の副作用のうちにある眠気が厄介で普段から眠気覚ましの薬を服用していたことからすぐに目が覚めたが何も薬を服用していない要は深い眠りについたままだった。
     暗い部屋に一筋の光が広がると奥からコツコツと音を立てて三人の男がやってくる。

    「こちらが今回捕らえた二人のフラッフィです。」
    「黒いじゃないか…!しかもマリィまで付いている!ほほう、でかしたな!」
    「恐らくこのまだ眠っているフラッフィを追って来たのでしょう。まさかもう一人手に入れることが出来るとは思いませんでしたがね。」

     知ったような口でベラベラと俺らの耳や尻尾について話している。家を出る時に急いでたから普段被っている帽子も置いてきてしまったしロングコートで隠せたはずの尻尾も丸見えだったのだろう。それがいけなかった。聞こえないように舌打ちをしてどう打開するか必死に考える。開けた瞬間に蹴り飛ばして脱走するか。要は?正直暴力沙汰だと男三人も相手になると戦いきれるか分からない。必死に考えて考えて策を練っていると、ずっと口を開かなかった黒い帽子をかぶった赤髪に蒼色の瞳の男が特攻服のような丈の長い上着をバサりと音を立て目の前に膝を外に向けてしゃがみ込む。ジロジロとこちらを精査するように見ると他二人の男の談笑を遮るようにしてようやく口を開く。

    「二億」
    「天城氏?」
    「一億ずつで二人買う。」
    「ほ、本当ですか?」
    「ンだよ一括で払うぜ、他になんの心配が?」

     ありがとうございます!!と嬉々揚々に声を上げれば、ん。と座ったまま手のひらを男の方へ向けると鍵を受け取る。
     重い鉄格子を開ければ、ニッと笑って横たわるこちらへ話しかけてくる。



    「ハローハロー、オニイサン。着いてきてもらうぜ、おっと、危ねぇから暴れんなよ」



     縛ったまま肩に担がれ、もう片方の鉄格子からも要を引きずり出し小脇に抱えて出ていく。振り返ることもせずに。


    ***


     車に投げ入れられ、天城本人が運転するらしくそのまま揺られている。幸いお喋り相手になってくれやと咥えていた布だけは取られたが何をするか分からないことから手足は縛られたままだった。

    「これからまた競売に出す気ですか」
    「まァ、倍額以上にはなるだろうな」

     まだコイツなら話が通じると思ったのにまた売りに出されるというなら話が違う。体が動かせない分どうするかまた頭で考える。

    「ンな真剣な顔してもどうにもなんねぇよ。二億も出しておめェら買ってんだからその倍以上に価値があるってことっしょ。」
    「二億以上に価値があるのに売りに出す、って事でいいんですか?」

     あ?と感じ悪くちらりと後部座席に寝かされてる俺を見る。正直、自分はどうだっていい。そうなる可能性だってあるとわかってた。でもやっと世界を知って、人に愛されることを知って、まだまだ未来が明るい可愛い弟だけは、また鳥籠の中に囚われるのは御免だった。

    「俺…HiMERU、と言えばわかるでしょう?」

     HiMERU、と反芻すればバックミラー越しに眉間に皺を寄せたのを確認する。闇市に出入りしているのならどうせそっちの方面も分かっているのだろう。何でも屋、何でもする。報酬次第だが。生きるために身につけてきた術はこの為に使っていたのだ。それなりに評価されていたお陰で中々に高い報酬であちこちに駆り出されては依頼をこなしていたし長期契約になっていたことも少なくない。だからHiMERUと言えば数ヶ月先までは仕事が確定していた。絶えず依頼が来て、報酬次第で完璧にこなすで名が知れてそれこそ闇市系の人から連絡が来ることもあった。どうにか耳を見えないようにすることで苦労したが。

    「キャハハ!!あの"HiMERU"かァ、ほぼ同業じゃねェかよ!ウサギサンなのに!」
    「天城…と言いましたね。貴方が二億で買った分貴方のために動きましょう。いえ、二億よりもずっと価値のある動き方を。どうです?」
    「ヘェ。半年は捕まえられないHiMERUを今この瞬間捕まえたのは運の尽きっしょ。俺っちのためにやるべき事やれよな。」

     一先ず、売り飛ばされることは免れた。闇市に出入りしてたのもそうだが顔がある程度知られてて良かったとさえ思う。だがここからが本題なのだ。

    「ただし条件があります。俺が二億の分貴方のために動きましょう。その代わりこっちにいる子は家へ返してください。」
    「そのコはあんたのツレ?」
    「そういったところです。俺のように顔が通ってるわけでもないですし売ってもそこまで高値にはなりません。」

     血液検査をしたらわかります。と伝えれば途端に天城はつまんなそうな顔になる。…父がフラッフィの耳を切除する手術を受けている。すると体内に千切ったという痕跡が残り以後生きているうちは血液に反映される。健康上は問題ないが血液に残るということは今俺達に付いているうさぎの耳にもその血が通ってる。つまり遺伝的に千切ったという事実だけが流れ込む。いくら俺ら自身が手術を受けてなくともその血があるだけでかなり値が下がることを知っていたからこそ市場に出入りできてきた。正直一億なんて値はつかない。半額以下にはなるだろう。希少価値で騒がれているだけで実の所大したことないのだ。純血のフラッフィの方が売れる。ということを天城もこれを聞いただけでわかったのならば終いだ。

    「……目当てが金なら余計彼がいる意味はないでしょう。」
    「ちっさいのを相手すんのも流石に無理があるなァ。わかった。コイツは家に返す。ただし前述の通りお前は二億分以上働いて貰うからな。」

     助かりますと伝えれば住所を伝え家まで折り返して貰う。

    ***

     マンションの駐車場に着いてから口酸っぱく逃げるなよと伝えられ俺と要、2人とも拘束を解く。要をそっと起きないように抱え、既に日が沈み街頭が夜道を照らす進むべき道を辿り、慣れ親しんだマンションに帰る。エントランスを通りエレベーターに乗って、いつも押しているボタンを押して開いた扉から足を踏み出す。帰るべき場所のドアノブを回せば鍵もせずに飛び出したせいですんなりと開く。
     未だに寝たままの要をそっと部屋のベッドへ戻す。今更だが特にまずい薬を吸わされたとは思ってはいないけれど念の為に手首と首の脈を確認するも異常は無く一安心する。隣にある机の上にあるメモ帳からペラリと1枚拝借し、しばらく戻れないから好きに使えとカードと暗証番号を書き残す。すうすうと寝息を立てている可愛い弟の頭を撫でて小さな声でごめんとだけ零す。
     後ろで扉にもたれて立っていた天城がそろそろ行くぞと声を掛けたのを合図に部屋を後にしたのだった。


     一式必要な服や薬などだけ準備してすぐに家を出る。鍵も次は閉め忘れないように。

     車へ戻り、助手席へ座れと促されるまま座ると何も言わずに車が出される。暗い道は車が唸る音だけで静寂だった。
     頼りにされていたのに結局要の兄にはなれたか分からなかった。こうやって一人、置いてきてしまった。でもできるだけ早く二億以上の仕事をして家に帰ろう。どんなことでもする覚悟だ。今までの経歴上こなせなかったことは一度もない。やってみせる。そのつもりだったのに。

    ***

     着いたぞと言い渡され、車を降りれば地下の駐車場だった。突き当たりにあるエレベーターに乗り込み、ボタンを押せば扉が閉まり上昇する。ガラス張りになってるエレベーターは地上へ出ればみるみるうちに地面が遠くなり、ポーンと音が響き渡る。先に進む天城の背中を追うように続けて降りると一番奥の部屋の前に止まりガチャリと解錠すれば玄関の扉が開く。どーぞと中へ招かれ恐る恐る足を踏み入れる。
     部屋はそれなりに広く60インチはありそうなテレビと黒革のソファに透明なローテーブル。モノクロの小洒落た部屋だった。推測するに天城の家、なのか。

    「荷物その辺に置いといて」
    「…HiMERUはこれからどうするのですか」

     まさかこいつと同居するわけでも無いだろうが生活感のある部屋を見る限り自分は別の所へ住まうという事なのか。ハンガーラックに上着を掛け、帽子を取る。その間、天城は問いに答ることもせずにじっとこちらを見ていた。

    「気持ち悪いのでジロジロ見ないでくれます?」
    「雇い主に言うねェ。」

     うーんと唸り、思いついたようにあっと零す。

    「家事しといて」

     部屋の片付けとか洗濯全然してないし飯も食わねーんだよなと言う。言われてみれば掃除機こそ掛けてはいるが物が積み重なっていたり、洗濯物?らしきものは投げられている。ということは立派な冷蔵庫にも何も入ってないのかと開けると、本来調味料が入るようなドアポケットにはビールやカクテルの缶がずっしり入っていて呆れた。

    「この部屋やHiMERU自身の行動のルールについてお話して下さいますか」
    「じゃ、よく聞けよ」

     握りしめた拳を肩まで上げると1つずつ指が増やされ説明される。

     一つ 俺の指示には基本的に従うこと。
     二つ 今後連絡は俺から支給するスマホですること。(GPSが入っているから)
     三つ 生活費はカードを使うこと。
     四つ 2つ目の右側の部屋には入らない。
     五つ お前はこの家に住むこと。

    「てワケでまず最初に指示するとォ、シーズン関係の薬は使うの辞めろ」
    「なぜ薬を知ってるんですか、ってちょっと!」

     文頭はふざけながらの口調だったのにも関わらず辞めろという声はあまりにも低音で寒気がするほどだった。話しながら荷物に入れていた数種類の薬が入っているケースを抜き取られる。正直かなり前にシーズンが来てから周期を把握するのを辞めるほど常時服用している。それも副作用との兼ね合いのために何種類も。いつ周期が来るのかもわからないし下手したら今シーズン真っ只中の可能性もあるからそれだけは勘弁して欲しかった。

    「ンなのおめェの顔みたら一発だろ。辞めろ。指示には従え。言ったはずだ。」
    「基本的に、でしょう!それは無理です返して下さい」
    「オーバードーズだよ。現代用語じゃなくて。テメェ何種類を一気に摂ってるンだよ。」
    「医者に診て貰ってるから問題っ、」
    「闇医者を医者に換算すんな、馬鹿」

     ばっ!誰が…!と口を開けばヘイヘイと鞄に薬を仕舞われる。全く人の話を聞いていないので辟易する。

    「わーったよ、おめェが帰る時には渡すから」
    「二億を簡単に片付ける気があるんですか」
    「ねぇけど」

     もう一度返せと鞄に手を突っ込もうとするも阻かれ、先程の真剣な声で、俺の言うこと聞けと言われ仕方なく手を戻す。

    「ほらメルメルにファーストミッション」

     メルメルって誰ですかと聞くのも野暮でとにかく二億で買った人間に大人しく言うことに耳を傾けることにする。その後にシーズンについて考え直そう。

    「部屋、片付けといて。あとゴミ出しと洗濯と飯、作っといて」
    「は?」
    「は?じゃあない、はいかイェスか喜んでだろォ?」

     はいはい着いてきてと言い渡され家の中に何があるかだけ軽く説明されて背を向けて歩き出し、あっという間に玄関の扉がパタリと音を立てる。雑なのだ、もう少し説明しても良いのに、何事も無かったかのように去っていった。

    ***

     既に外は闇夜に包まれているのにも関わらず床に散らかっていた洗濯物を洗濯機に入れて回し、その間に24時間営業してる近所のスーパーに行き、帰ってきたら簡単に食べられるものと朝食分をカゴに入れて受け取ったカードで支払いを済ませる。こんな夜中にビニール袋をぶら下げて帰るのは何年ぶりだろう。
     ものの数十分で帰宅し買ってきた冷凍食品や翌朝の食事を透明な板が丸見えの冷蔵庫に詰めていく。脱衣所から洗濯が終わったと知らされ、言われた通りのピンチにぶら下げて干しておく。念の為風呂の掃除も軽くしてからシャワーだけ浴びて洗面所のドライヤーを拝借し、軽く乾かす。一緒に垂れ耳も。一通り乾かしたら馬鹿みたいにデカいベッドに転がる。
     …まぁやれと言われたら要が来るまでは一人暮らしだったわけだし難なくできる。一人だったから決して丁寧とは言えないが。このくらい容易い。明日からどんな闇市に駆り出されどんなことを指示されるのか、シーズンが来たらどうするのか、いつになったら家に帰れるか、考えてればあっという間に瞼は閉じていた。





    「ちっげぇ~よ!」
    「なんですか朝から。耳元で叫ばないでください。」

     翌朝、いつの間にか帰宅してた天城が朝から駄々をこねていて困っている。言われた通りにやった。洗濯も掃除も食事も用意した。なにが。

    「自炊したことないのかよ」
    「ありますけど」
    「冷食ってオマエ…」
    「食べなかったんですか」

     いや食べたけど…と口を噤む。何が不満なのか。ちゃんと食べられているのならそれで良いじゃないか。

    「何が気に入らなかったんですか。」
    「不健康」
    「まともな生活もしてないあなたが言うんですか」

     だから頼んでんだよとくわっと欠伸をして洗面所へ向かっていく。背中越しに手をヒラヒラと向けて「今日は作っとけよー」と残す。
     今日はって、今日も家事やっとけって事か?
     二億で買ってるわりにそんなのでいいのかよと頭を抱える。

    ***

     結局朝は昨日買ったおにぎりとインスタントの味噌汁を食べてまた天城は家を後にした。洗面所に向かえばさっきまで着ていた部屋着が投げ捨ててあり、せめて洗濯機に入れろよとため息をつく。自分も部屋着を脱いで適当な服を引っ張り出してみるも外に出る、まして汚れ役をやる前提だったので家にいるにはどうも落ち着かない服ばかりだった。部屋着は…まぁ、数時間しか着てないし夜も着よう。持ってきた服の中でも比較的ラフなものにして、天城の部屋着とまだ終わってなかった寝室に落ちてた服を拾って洗濯機に入れる。洗剤と柔軟剤を入れてボタンを押せばあと一時間は時間がある。
     とりあえず今日明日分の献立を…と考えれば考えるほどなぜこんなことをしているのかバカバカしくてまた頭を抱える。そもそも自分だってそこまで自炊はしない。要の飯は美味しかったなと不器用ながら一生懸命に作ってた彼のことを思い出してしまう。早く帰るんだ。そう意気込んでスマホで簡単に作れるメニューを検索する。しかし簡単というと本当に手抜きのような見た目になるのが癪でこうなったらそれなりに美味いもの作ってやるかとなにか意地になって、打ち込んでいた 簡単 を削除する。


     スーパーに来て、カゴを手に取り進む。まず青果コーナー。スマホに打ち込んだ二人分の野菜を手に取って吟味する。と言っても天城と自分なので傷がついてようが食べられるなら何でもいいが。どうせ一日暇なら手に取ってじっくりみて見るのも良いだろう。手に取ってはよく見てカゴに入れる。そんな単純な作業もどことなく楽しんでいた。
     鮮魚コーナーや精肉コーナーでも必要なものを手に取り、支払いはあいつなら何でもいいかとちょっと高い魚や肉を手にしてカゴに入れていく。そういえば調味料もあの家主ことロクデナシが住んでいるおかげであまり無かったことを思い出して必要なものを入れる。道中で見つけた小分けされているチョコレートのお菓子もついでに。あとインスタントのコーヒーも。そうこうしていれば。

    「4503円になります。」

     高 と口に出す訳にはいかずカードを受け皿に置く。…天城のカードだしどうでもいいかと。会計を終わらせカゴを受け取り、袋に詰めていく。それなりに買ってしまったので重いがまぁ良いだろう。そろそろ洗濯も終わっているかと今日の予定を練り直す。

    ***

     重い袋を抱えながら部屋に戻り、食材は冷蔵庫に詰め、調味料も本来使うべき引き出しや棚に入れる。やっと、家らしくなってきた。恐らく天城は前から住んでいるだろうにそんな形跡が全く見当たらない。想像よりも不健康な生活をしていそうだがどうしてあんなに普通なのかが気になるくらいだった。どうでもいいけど。

     洗濯物もピンチに吊るして、ハンガーに掛けて、陽が当たる今のうちにベランダへ持っていって、夜中だったから掛けられなかった掃除機も掛けて。そしてこれが本日の醍醐味。

    「……えぇっと、オーブン…?トースター?」

     余熱?いやいやお菓子でもないんだから。考えても分からないんだからレシピ見ろと。腕をまくりいざ、調理を始めるとスラスラと出来てしまうのだからやっぱり器用なんだなと我ながらに感じる。





    「で、どうしたんだよこれ、お誕生日会かァ?」

     帰宅するなり机上に並ぶ数々の料理にぎょっと驚く家の主。それもそのはず。カプレーゼやタコのマリネ、バーニャカウダにグラタンを並べているのだから。

    「おめでとうございます」
    「ちげぇけど」

     いただきますと手を合わせて箸を進める。カプレーゼもマリネもちゃんと程よい味で出来ている。バーニャカウダのソースもいい感じ。グラタンは熱いから後で。と言ってもグラタン以外は並べて上から掛けてで簡単に出来る。見栄えも良いしオシャレだ。美味しいし。グラタンだけはひと手間掛かるが難なくできた。スプーンで掬って湯気が出ている上からふぅっと息をふきかけて髪を上げながら口へ運ぶ。やっぱり少し熱かったけれどホワイトソースも程よい濃さで具材と良いように絡められている。
     目の前の男も呟くように「ウマ」と言いながら進めている。どうせまともに食生活を送っていなかったのなら野菜も摂ることで少しはマシになるだろう。

    「メルメルすげえじゃん、良い家政婦になれるぜ」
    「こんな安い仕事させるくらいならもっと価値あることさせた方が良いのでは?」

     目も合わせずにマリネを摘み、口に入れる。タコの食感とタマネギにオリーブオイル。こんなに合うんだなとしみじみ感じる。

    「うーん、じゃ、明日もそんな感じでよろしくな♪」

     うめー!これ!と楽しそうな声に反して落胆しているのは言わずともだった。


    ***


     来る日も来る日も家政婦かのように家事を任されるばかりだった。その反面、暇を持て余した結果毎日のように料理をほんの少しだけ凝ったものにすれば「美味しい」と口に出しながら満足そうに食べるものだからちょっとだけ良い気になってたのかもしれない。

     キッチンの調味料や調理器具がどこに何があるかおおよそ把握できた頃だった。今日はしょっぱいものを食べたい気分だったのでアクアパッツァを作ってみた。勝手に天城の白ワインを拝借して作ったのだが中々に上手くできたと思う。テーブルに並べて先に食べようかと時計を見ると想像以上に時間が経っていた。そろそろ天城も帰ってくるだろうか。また温めればすぐに食べられるし少しだけ待とう。
     …そう思って30分は過ぎた。もう先に食べようとフォークを取った矢先だった。スマホが机を鳴らす。ロックを解除せずに通知を確認すると"今日帰れなさそうわりぃな"と送られていた。早く言えと思いつつも"はい"とだけ返す。


     温め直したアクアパッツァは味見した時よりもしょっぱくなっていた。



     ***

    「なーんか初日に冷凍食品出してきたのが嘘みてぇだな」

     スキレットのアヒージョを摘んで口の中へ入れていく。酒とよく合うのだろう。右手、左手と交互に動いていることに彼は気づいてないのか。

    「いい加減仕事を下さい、これでは料理人になってしまいます。」

     天城は八割ぐらいは帰宅してくるが残り二割は帰宅が日付を越える、もしくはその日は帰ってこないのどちらかで気付けば二人で夕食を摂るのが当たり前になってきてしまった。こうやって帰ってくるとわかっているなら天城の都合に合わせるくらいには。

    「いや実際まだ出番では無いンだよ、HiMERUに手伝って貰いたいのはもうちょい先で今はその準備段階っつーか。」
    「準備段階でも良いでしょうHiMERUが手伝えばすぐに終わせ……ま……」
    「いつも色々家ん中やってくれて、美味ぇ飯作ってくれてサンキュー。」

     そう、言いながら彼は耳の後ろ辺り、後頭部と頭のてっぺんの間を行き来するように、その大きな手のひらで撫でてくる。……何年ぶりだろうか、あまりにも心地よくて一瞬時が止まったかのように硬直する。

    「馬鹿にしないでください。このくらいなんともないです。そんな安請けするくらいならもっとHiMERUができる仕事を寄越してください。」

     撫でていた手をパチリと払い落とし、こんなところでまだその快楽は求めてはいけないと気を確かにする。薬が無いことも忘れたわけじゃない。ただただその欲求をまだ知りたくないだけだった。普段から触ってくるような間柄でもないことから完全に気が緩んでいた。

    「メルメルが出来る仕事は今ンとこは掃除して洗濯して飯作ってかわい子ちゃんで待ってる事だな。頑張れ。」

     うめーこのパスタ!ともぐもぐ口を動かしながら感想を零す。もう少し具体的な感想はないものかと呆れるがその顔を見て絆されているのは間違いなかった。
     


     飯作ってくれるからといつも皿洗いは天城がやってくれるもののそれでは自分の仕事を取られているようで腹が立つので洗った皿をラックに並べるという淡々とした作業だけ隣でやっていた。本当に気休め程度だが。

    「それでさぁ、昨日昼飯探そうって店探してたらさァ、うめぇラーメン屋あって」

     聞いてもいない日々のことをペラペラと話している横で聞き流しながら皿を受け取り並べていく。

    「そっ……っ」
    「ア?」

     確かに、口は、動いていた。"それで?"と、聞き返したのだ。"そ"の後が出てこなくてもう一度声を出した"つもり"だった。

    「んでも…で…」

     自分でも聞こえるか聞こえないか微妙なくらいの小さな声量で答える。
     __まずい、声が思うように出ない。声が出なくなってきたということはシーズンが始まりかけている、ということ。様々な欲求がとめどなく流れ込んできてしまう。普段の会話も出来なくなる他に情緒も不安定になる。…まして今は薬を使っていない、さらに過剰摂取していた反動が出てきてもおかしくはない。のんびり過ごしている間に解決策は浮かばなかった。与えられた部屋で閉じこもる他がない。だけどその間の仕事は?最低限やるべき事は与えられている。それは何がなんでも遂行しなくてはならない。しかし、

    「体調は」

     変わりない声色で素っ気なく。皿をスポンジで洗い、ラックに並べていく。

    「……」
    「まだ何ともない?」

     使ったフォークもスポンジに挟みゴシゴシと音を立てて拭いて水で流す。

    「はっ…」

     はい、という2文字も出てこなくて、頷くことしか出来ない。

    「おう」

     さっと水を切って横にあるラックの上にそっと置く。最後に自分の手を洗ってタオルで拭いたままその手のひらは、また、頭上へ来る。

    「後は俺がやるから。なんかあったら呼んで」

     その手のひらを頭の上で往復させた後トントン、と肩を叩かれて廊下へ背中を押し出される。

    「ちょっ、っ!」

     出そうとした言葉は宙を舞い消えていく。文句を言おうとしたのに言葉が出てこない。顔を顰めることしかできない。

    「ンな怖い顔すんなよ。せっかくの美形が台無しだぜ?」
    「っ!」

     _____どこが!、そう言おうと口をパクパク動かしたところで欲しい音は出てこなかった。あっという間にリビングから廊下へ追い出されパタリと扉を閉められる。
     よろよろ廊下を歩き、いつも寝ている部屋の扉を開け、後ろ手で閉めながら扉を背にズルズルと座り込む。久しぶりの感覚だったのが引き金だったのだろうか。自分のこのそぐわない身長と柔らかな耳。人に撫でられたことなんて、母以外に無かった。思えばそうやって欲求を満たしたことも無ければ愛されてきた証拠だってない。遠い昔に母が子どもの俺へ向けた愛情、要が敬愛する兄への愛情、家族愛、だった。別にパートナーが欲しい訳でもない。母がいなくなった後のこの気持ちは父親にも向けなかったし、一人で生きてきたことで独りはいつしか当たり前になっていた。
     こんな誘拐なんてされなければ、そもそも自分は闇市に出入りする立場で何が起きるかわからない立場だったのだから不祥事には備えていたつもりだった。でも要が、シーズン直前にこうなるとは思いもしなくて。
     後悔ばかりだった。要に怖い目に遭わせてしまった。人への愛の向け方が正しかったのかもわからない。向けられてこなかったなとシーズンになりかけている今、思い返してみればみるほど情けない気持ちになっていく。

    「……っ…」

     もう、声も出ない。久しぶりのシーズンで頭がおかしくなってくる。誰に伝えることもないが意思疎通もロクにできないまま仕事ができない無能になる。ネガティブなことばかりが頭の中をぐるぐると駆け回る。
     …さっきの天城に撫でられたの、嬉しかったなとか、本当は手のひらをそのままずっと置いて欲しかったとか、天城相手に何を考えているんだろう。まして自分だって男だ。こんなフラッフィの男を家に置いておく意味もわからない。シーズンが収まるまでこの部屋にいるしかないのか、薬があればこんなことにもならないのに。2億で買った男に楯突くなんて何されるかわからないからどうすることも出来ないのだけど。

    「くぅ……」

     自分の見た目が分かっているから、シーズン中に出る声にならないこの声が忌々しくて漏れ出る動物のような声が嫌になる。愛されたいなんて思わないとか口で言ったり思うのは勝手だけれどこのドロップ型の耳を見れば一目瞭然だろう。奥底ではやっぱり寂しい、なんて考えてしまうのか。頭を振りそんなことないと拒み続ける。
     違う、何も苦しくない、仕事だけを全うすればいい、言われたことを、すればいい、それだけなのに、天城の手のひらが温かくて心地よかったなんて、

     苦しかった。


    「メルメルー」

     扉の向こう側からノックしてくるのは渦中の人間しかこの家にはいない。ハッとして扉の向こうを見つめる。

    「水、ペットボトルだけど廊下置いとくから飲めよ。後なんか必要だったら連絡して」

     待って、という言葉は、もし声が出てたら言えただろうか。"ま"という口の形には咄嗟になっていたが、全部は言えただろうか。ひゅ、という空気が喉を通る音と共に床についた手の音が小さく鳴ること以外、何も伝えることは出来なかったはずなのに。

    「メルメル?」

     さっきの呼び掛けと打って変わって声色が変わる。さっと、血の気が引いたような、そんな声だった。

    「そこにいる?」

     いる、いるけれど、どうして欲しいとか、伝えることも出来ない。だからって今すぐ扉を開けて助けてと求めるように体を動かすことも出来ない。あのHiMERUがこんな情けない姿をしているのは見て欲しくない。

    「嫌だったらすぐに追い出して良いから、開けていい?ってか開けるな」

     どんな顔で天城に会えばいいのか、必死に頭を使うが鈍った頭は使い物にならない。焦れば焦るほど頭はまとまらないままで、考えているうちに扉は開いてしまう。

    「やっぱ、ひでぇ顔してんじゃん」
    「うっ…うぅ…くぅ…」
     
     天城の顔を見た途端目の奥が痛くなるほど涙が溢れかえり、手を伸ばすとしゃがみこんだ天城に撫でられ、腕の中に受け止められていた。久しぶりのシーズンで不安でいっぱいになってしまった、撫でられたことが契約の関係でも、その実嬉しかった、そう考えたら助けを求められるのは自然と天城しかいなくて。

    「くぅ……」

     そっと撫でるその手は大きくて優しくて。もっととねだるように頭を押し返す。大丈夫と宥めるように後頭部を包み込み、腕にそっと力を込められる。

    「何も怖いことはしねェよ」

     怖くない、何も、大丈夫なのに、溢れた涙は止まらなくて。不安じゃない別に大丈夫と何度も何度も声にならない代わりに思えば思うほど天城の胸元を濡らしてしまう。見境の無い不安に敏感になって孤独を感じてしまうなんて誰にも言えない見せたくないのに、認めざるを得なかった。

     何分、何秒経ったかも分からない、もしかしたらほんの数秒かもしれないし何十分も同じ姿勢で天城のシャツにしがみついて抱きついていたのかもしれない。それだけずっと泣いて縋っていたと思う。でもどれだけ泣こうが触れようが漠然とした気持ちは拭われなくて。

    「水飲む?」
    「っ……」

     そっと撫でていた手のひらを外され、持ってきたペットボトルに手を伸ばすのを拒むように、いやだ、と、顔を上げて口だけは動かしたが音にはならずに空気の抜けた言葉だけが出てきたのと同時に立ち上がろうとした天城の裾を持つ。これだけ宥めてくれていたのにも関わらずそのまま置いてどこかへ行ってしまうと瞬時によぎってしまい、ツンと目の奥が痛くなる。今この状況での孤独だけが一番怖かった。

    「ここにいる、大丈夫」

     立ち上がろうとしたもののすぐに体制を元に戻しそっと手のひらを頭の上に乗せる。何度も何度も往復させ後頭部を撫で続ける。うぅ、と情けない嗚咽を聞いてもなお、変わらずに撫でる手のひらはやっぱり気持ちよくて。
     するりと輪郭を沿うように手のひらを当てて親指で涙を拭われる。

    「今日は一緒にいるから、いいよ」

     今はただ、1人にしないでほしくて、その手のひらに擦り寄ることしか出来なかったのだった。

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