痛み 襲われた。まあ、よくあることだ。アカデミーへの入学を断り、けれどヴァルヴァラに入っているわけでもない存在の己は、こうして襲わることは珍しいことじゃあない。
「こんなところを堂々と歩いているなんて、随分余裕じゃないか」
今日の相手はアナスタシアらしい。そいつの身にまとう紺色の制服から、所属を伺うことができた。
「もうずっと逃げ回っているらしいじゃないか。今日こそお縄についてもらうぞ」
どうにも厄介なことに、向こうはどうにも、こちらを危険因子として見ているらしかった。
はあ、と思わずため息を吐く。上着の中、ずっと持ち歩いている短刀を布の上からなぞる。どうしたものかな、と考えながら、正面に立つそいつを見据えた。
見たところ、年齢は高くない。まだ学生の可能性もある。生真面目そうな表情。ついでに言うと、報告も飛ばさずこちらを確認してすぐに戦闘を仕掛けようとしているあたり、まだ経験値も薄いんだろう。
これなら、まあ。問題ないか、と結論付けて。
仕舞いこんでいた短刀を取り出した。
「……なんだ、やっとやる気になったのか」
向かいに立つそいつが、こちらの動きを見て呟く。けれど、その声はどこか震えていた。やはり経験は浅いらしい。けれど、それを指摘してやる義理もなかった。
鞘からそれを抜く。現れるのは、きれいなきれいな刀身だ。そこに己の顔が移っていた。鞘は再び仕舞いこんで、短刀を癖で構えて。
それから――くるりと、その刃先を己に向けた。そうして、勢いよく腹に突き刺す。痛みは強い。当たり前だ。皮膚を破る痛みが、内臓を突き刺す痛みが、全身を貫くように走る。けれど、己にとって痛みはただの痛みではない。
勝利への呼び水だ。
「な、なにを、して」
短刀を腹から抜く。ぼたりぼたりと血が地面に落ちた。歯を食いしばる。短刀を握る手に力が入る。脳が、痛みを訴えて、動くなと指令を出す。
けれど、それを全部振り切って足に力を入れた。向こうは動揺している。なら、やはりすぐに終わる。
ぐ、っと膝を曲げて、それから反動をつけて大きく跳んだ。空中に跳んだことによって、腹から溢れる血が空に舞う。アナスタシアは、それを呆然と見ていた。それに、思わず笑みが零れる。戦いにおいて、隙がどれだけの死につながるのか、こいつはきっと知らない。
アナスタシアの背後の壁を蹴って、空中で体を捻らせる。くるり、体の向きを変えて、短刀をぎゅうと握りしめて。そうしてやっと、振り返ったそいつがこちらを見る。その目は大きく見開かれてた。
ぐさり、短刀がそいつに刺さる。避けようとしたせいで、急所は外れていた。ぐう、と痛みによってだろう呻きを上げたそいつがこちらを見て、それで。
けれど、かくりとその体から力が抜けた。ああ、仕留めたか。思いながら、覆いかぶさったそいつの体がら降りる。刀を振って血を飛ばして、それから鞘に仕舞った。適当な布で傷口を押さえて、最低限の止血をする。
とりあえず、馴染みの医者の所に行こう。また叱られはするだろうが、いつも通りしっかり治療はしてくれるはずだ。
血が派手に舞ったからだろう。少し霞がかかった思考と視界で、けれど歩みを進めた。