だって、まあちゃんが褒めてくれたから「環、そろそろ髪切ったら?」
母さんからそう言われたのは、ある初夏の日のことだった。じわじわと迫りくる暑さの中、肩にかかるほどの長さになった僕の髪は、もしかしたら暑苦しく見えたのかもしれない。
それでも、髪を切りに行くのには少し抵抗があった。
「……ちょっと、伸ばしてみようかな、って思ってるんだ。だめかな?」
伺うように母さんに聞いてみれば、不思議そうな顔をして返される。
「別に、環がそうしたいならすればいいと思うけど……でも、暑くない? 伸ばすなら夏場は結った方がいいわよ」
そう言ってから、母さんは洗面所の方へ行ってしまった。もっと、反対されると思っていた。少し呆然としていると、その間に母さんがこちらに戻ってくる。その手にはヘアゴムと櫛があった。
「そこ座って」
「え?」
「髪、結ってあげる。暑いでしょう」
促されるまま椅子に座る。いつの間にか机の上には鏡が置いてあった。
「最初は母さんがやってあげるから、少しずつ覚えていきなね」
「う、うん……ありがとう」
言われるがまま、鏡に映る自分を見る。青い目に、色素の薄い髪。それが僕で――
「それにしても、やっぱりあんた達そっくりねえ」
それが、まあちゃんだった。
「兄さんの髪はきれいだよね」
言われた言葉に、ぱちりと瞬く。僕たちは双子で、見た目だってそっくりだ。それに、まあちゃんのふわふわの髪は、僕にとってはとっても素敵に見える。だから、まあちゃんの言いたいことが僕には分からなかった。
「まあちゃんの髪だって、とっても素敵だよ」
笑って言ったけど、まあちゃんは「そういうことじゃないんだってば」と少しむくれてしまった。
「兄さんの髪はさ、なんていうか……私よりもさらさらで、櫛がすぐ通るでしょ。それに、きらきらしてるじゃない」
「そう、かな?」
首を傾げる。そんな僕を見てか、まあちゃんはまた少し不満げに眉を寄せた。
「ご、ごめんね……?」
「兄さんが謝ることじゃないでしょ」
ふいと僕から視線を外しながら、まあちゃんが言う。謝ることじゃない、っていうけどそれならどうすればまあちゃんはこちらを見てくれるんだろう。
「まあちゃん、どうすればこっちを見てくれる?」
おろおろしながらも素直に聞けば、まあちゃんは横目でこちらを見た。その顔は、やっぱりまだ険しい。ゆっくりと、まあちゃんが口を開く。
「じゃあさ」
固唾を飲んで待った次の言葉は、予想外のそれだった。
「兄さん、髪伸ばしなよ」
「……え?」
思わずまた首を傾げてしまう。
「せっかくきれいなんだから、短くちゃもったいないじゃん」
そう言うまあちゃんは、まるで名案だとでも言いたげにしている。先ほどまでの不機嫌さはそこにはない。
それでも、それに素直に頷けるほど、僕は強くなかった。だって、僕は男で、今でさえ「女みたい」なんてからかわれることが多いから。
「……でも」
「もしそれでなんかいうやつが居たら、私がぶっ飛ばしてあげるから」
その言葉に、思わずまあちゃんをまっすぐ見つめた。まだ僕、何も言ってないのに。そんな僕を見てか、彼女が笑う。
「きょうだいだもん。たまきの考えてることぐらい、分かるよ」
「ただいまー」
玄関から声がする。出迎えに行けば、いつも通りのスポーツバックを抱えたまあちゃんがそこに居た。
「おかえり、まあちゃん」
「ただいま、兄さん」
言いながら、靴を脱い彼女がこちらを見て、少し驚いたように言った。
「兄さん、どうしたの? その髪型」
「暑いだろうから、って母さんがやってくれたんだ」
「いや、そうだけどそうじゃなくて」
そう言って、まじまじとまあちゃんが僕を見る。なんだか居心地が悪い。
「似合って、ないかな」
「まさか! 似合ってるよ。少し驚いただけ」
恐る恐る聞けば、間髪入れずに否定が帰ってきてなんだか安心する。まあちゃんは、笑って言った。
「やっぱり、長いとよく映えるね」
その言葉に、思わずこちらも笑顔になる。
まあちゃんが笑顔になってくれるなら、周りからの目なんて、もう怖くはなかった。