セナはその小柄な体でノアを支え、前線から遠ざけていた。
「ノアッ!ごめんなさい、私のせいで…っ!」
自分を庇ってくれたノアの体は傷だらけで、至る所から血が流れている。少しでも楽な体勢を撮らせようと、膝の上にノアの頭部を乗せる。
その蒼い瞳はいつもより濁っていて此方を見てはいない。謝罪の声も、聞こえているのかどうかわからない。
必死の思いで回復アーツを使用するが、今の自分のクラスはアタッカーで、大した回復力はない。
回復に特化したユーニかタイオンを呼びたいが、2人はディフェンダーであるミオとランツのサポートで精一杯で助けを求められる状態では無いようだった。
「クソ…ッ!キッツイな」
ひたすらに回復を続けるユーニが独りごちる。
アタッカー2人が実質戦闘不能になってしまっている今、モンスターを倒す事は不可能。かと言って、逃げる隙を見つけるのも難しい。正直、全滅は時間の問題だ。
それに、今はミオが冷静さを欠いている。
このメンバーの中で最も長い時間過ごした友人と、想い人が負傷しているのだ。
一刻も早く治療したいという思いがミオの動きを鈍らせていた。
そんな絶望的な状況の中、トドメとばかりに後ろからセナの悲鳴が聞こえた。
「ッ!!待って、ノア……ダメ、目開けて!!」
その声だけで、良い事では無いのはすぐにわかった。それが耳の良いミオに届かないはずもなく、焦りは更に増幅する。
「こ、の…ッ!早く斃れてよ!!」
怒りに任せて双月輪を振りかぶったミオの瞳と、モンスターの赤く輝く瞳がぶつかる。
「────っ!」
しまった、と後悔してももう遅い。モンスターの咆哮が至近距離でミオの耳へ、脳へダメージを与える。
メンバーをまとめて一掃する為に、モンスターはその背に生える美しい虹色の羽根を全方位へと放つ。ナイフのような切れ味のそれは雨となってミオ達へ降り注いだ。
「あぁあぁぁッ!!」
身体中を切り刻まれる痛みに、膝をつく。周りを見ると、ランツも片膝をついて荒い息を繰り返し、ユーニやタイオンは地に伏していた。
目の前には最高位の天使の名を冠する巨大なモンスター。ミオにトドメを刺すべく、歯をギチギチと鳴らして顎を開く。
訪れる死の気配にミオの思考は完全に停止してしまい、ただ呆然と目の前の闇を見ることしか出来なかった。
辺りの寒さも相まってノアの体がみるみる冷たくなっていく。濁った蒼は少しずつ閉じる瞼に隠され、セナは悲鳴をあげる。
「ッ!!待って、ノア……ダメ、目開けて!!」
か細く動くノアの心臓を、せめて寒さから守ろうとセナはノアへと覆いかぶさった。
直後、前方から轟音が聞こえてセナは視線だけで状況を確認する。
雪煙とモンスターの羽根が太陽光を反射してキラキラと輝く様はとても美しかったが、倒れ伏す仲間を見てセナの心臓は止まりそうになる。
(あぁ…どうしよう、どうしたら…っ!!)
皆を助けに行きたい。でも、ノアをこんな場所で1人にしたらこの微かな鼓動すら止めてしまうかもしれない。
1人ではどうしようも出来ず、目からぽろぽろと大粒の涙が溢れ出す。
やがて巨大なモンスターがミオの目の前へと立つ。それでも動かないミオは処刑を待つ罪人のようで、あの日食の日を思い出したセナはゆるゆると首を横に振る。
「ダメ…お願い、止めて…」
助けなど来ないのはわかっている。けれど、懇願することしか出来なかった。
「誰か…誰か助けて───」
その時、ノアの鼓動が強く跳ねた。
「え…?」
体温が少しずつ上がっている。回復アーツを使っても全く反応を示さなかったノアの体に力が宿る。
そして、その蒼い瞳と目が合った。
「ノア…よか───」
良かった、と言おうとした瞬間、今まで瀕死だったとは思えない速さでノアは立ち上がった。その目は真っ直ぐミオ達のいる方角を見ている。
「ひゃあっ!ノア、急に立ち上がっちゃダメだよ!」
「俺の武器は何処だ!!」
「え、あの─」
「寄越せ!早くッ!!」
「!!」
あまりにも荒々しい怒鳴り声に、今の状況を思い出したセナは慌てて後ろに転がっていたラッキーセブンを渡した。
ラッキーセブンを受け取るノアの右目を見たセナの顔が強ばる。
ミオと同じ形の火時計。だが色が真っ赤に染まっている。
これでは、まるで────
「あ、貴方…」
「話は後にしろ。……少し下がれ」
言われるがまま後ろへ下がると、彼は目にも止まらないスピードでラッキーセブンを振るった。
剣舞のようなそれは大量の透明な刃を生み出し、セラティニアへと放たれる。
思わぬ方角から攻撃を受けたセラティニアが悲鳴をあげる。
ぼんやりとセラティニアの口内を見ていたミオは衝撃で自我を取り戻し、傷だらけの体を無理やり動かして距離をとる。
後方まで下がると、ブレイドを杖のように持ち、タイオンに体を支えられているユーニが回復アーツを展開してくれていた。
暖かい緑の光が3人を包み込む。そこにランツが飛び込んできた。
「いっってぇ…誰だよ俺を投げたの…」
飛び込む、と言うより投げ込まれたようだった。
そこそこウェイトがあるランツを投げられる人物なんてセナくらいだろうか。
「皆!大丈夫!?」
「セナ!?え、後ろから!?」
てっきりランツを投げたのはセナだと思い込んでいたユーニが驚く。
「回復、私も手伝うよ!」
「いや、それより…さっきランツ投げたのお前じゃねぇの?」
「え、投げる?そんな事しないよ?」
身に覚えがないと首を振るセナに、じゃあいったい誰がと皆が一斉にランツが飛んできた方向を見る。
そこには、よく見慣れた赤いジャケットを着た男が立っていた。
「マジか…ノ─」
ランツの声は、男の舌打ちによって打ち消される。
「やはり前より力は出ないか。この程度で…」
いつもよりやや低いその声に聞き覚えがあり、ミオは息を飲む。
「だがまぁ…助けられただけでも良いとするか」
ランツを投げた反動で肩が外れたのか、左手をぶらりと垂れ下げたまま片手でラッキーセブンを構える。
たった1人で、しかも片手で挑もうとするその無謀さにタイオンが静止をかける。
「待て!ノ───」
名前を言いかけて、止める。
確信は無い。けれど可能性として自分の頭にある考えを巡らせて言葉を選ぶ。
「『君』は…その状態で勝てるつもりか?」
タイオンの言いたいことを全て察したらしい蒼い瞳が、薄らと細まる。どうやら笑っているようだった。
「……勝つさ。ここでお前達を死なせる訳にはいかん」
そこまで言うと、視線をミオへと移して口元を僅かに綻ばせた。
「『俺達』の、希望だからな」