まだ、その手は伸ばせない「よっし! これで回収完了だな!」
「あぁ。これでこの付近の天候も戻ると思うのだが」
アキラの達成感溢れる声に、ブラッドが冷静に答える。
サウスセクター研修チームに入った依頼は、以前【クリスマス・リーグ】を企画したスキー場のトラブルだった。この地域には珍しく、一週間以上雪が降っていないという。自然の事であるからそういうことがあっても不思議ではない。だが、念の為と調査を入れたところ、【サブスタンス】の痕跡が認められたため、その捜索のためにアキラ達は再び雪山を訪れたのだった。捜索の最中、アキラとブラッドで山小屋を訪れたところ【サブスタンス】を発見し、今無事に回収することができたのだが。
異変に気付いたのは、ブラッドが先だった。風の音が先程までと違っているように思う。窓の外に目を向けて――息を呑んだ。
「……これは……」
珍しく絶句するブラッドを不思議に思い、アキラも窓の外に目を向けると。
「うわ! 何だこれ……すっげー吹雪いてる……」
アキラも思わず後退り、大声を上げた。
先程まで全く雪の気配がしなかったというのに、今は猛吹雪になっている。
「【サブスタンス】を回収した反動かもしれんな。イースターの騒動を覚えているか?」
「覚えてるけど……なかなか暖かくならなかったやつだろ」
「そうだ。あの時も原因である【サブスタンス】を回収した途端に急に暖かくなり、植物が成長していた。同様に、今まで降っていなかった雪がまとめて降り始めた可能性がある」
「いや、それにしても吹雪過ぎだろ……」
呆然と呟くアキラを余所に、ブラッドはスマートフォンを取り出した。
「もしこれが反動によるものだとすれば、時間が経てば落ち着くはずだが……念の為オスカーに連絡を入れておく。落ち着かないことには外に出られんからな」
「わ、わかった。暖炉に火、つけとく」
「頼む」
ブラッドが素早くスマートフォンを操作し、耳に当てる。アキラは宣言通り暖炉に火をつけながら、再度外を見た。外は少し先も見えないほど吹雪で真っ白だ。止む気配はない。
「オスカーとウィルは、ちょうど戻ったところだったようだ。向こうでも吹雪が酷くなっているらしい。もう少しで日が暮れることだし、朝まで待って動く方が得策かもしれんな」
ということは。
「ここで泊まるってことか?」
「そうなるな」
それを聞いて、アキラの鼓動が、大きく跳ねた。ブラッドと二人でここで一夜を明かすということだ。顔が熱くなるのを感じる。
「……どうした?」
「な、なんでもねぇ」
火の調子を見る、と言い訳をしながらブラッドに背を向けた。火を見ながら、混乱しかけた頭をなんとか落ち着かせようとする。
二人きりになるのは、初めてではない。日常のパトロールではブラッドが参加できるときはよく二人になるし、今日、【サブスタンス】を捜索していたここまでの道のりだってそうだ。
だがそれらは外で、他の人間も通る可能性のあるところであり、二人きりを意識するような状況ではなかった。今は、山小屋という閉じられた空間で、二人きり。急に、意識し出してしまった。
(落ち着け、オレ。ブラッドはそんなこと思ってないんだろうから)
自分一人で勝手に意識して焦ったって仕方がないのに。そう思ってなんとか平常心に戻ろうとするが、一度混乱しかけた頭はなかなか落ち着いてくれなかった。
いつからだろう。ブラッドのことをただのメンターとしてではなく、欲を含んだ『好き』の対象として見るようになってしまったのは。
初めは、一方的で融通が利かない固い奴だと思った。だが、共に過ごし戦ううちに、厳しさだけではないことがわかって。オスカーも含め自分達の事を常に気にかけ見守り、必要な時には手を差し伸べてくれる。それを知ってからは素直にメンターとして慕うようになって、それだけのはずだったのに。ブラッドは表情の変化が少ない。その表情が時折緩むのを見ると嬉しくて、心臓がぎゅっとなるような感覚を覚えるようになって、その表情を含めたブラッドの全てに触れたいと、欲しいと思うようになってしまっていた。
まさか、自分にこんな感情が――しかも相手は同性で上司だ――生まれるなんて、入所当時の自分は思ってもいなかった。初めはこの感情の意味が、わからなかった。だが、アキラも子供ではないから、次第にその意味がわかるようになってきて、今でははっきりと自覚している。
オレは、ブラッドが好きなんだ、と。
自覚した上でのこの二人きりは、困る。何か余計なことを口走ってしまいそうで。当たり障りのない、自然な会話をしなければと思うのに。
(オレ、いつもどんな話してたっけ)
「アキラ」
以前、山小屋で二人きりになった時は、自分の行動が空回ったことに対する気まずさが強かったが、今回はまた違った気まずさだ。自然に振る舞おうとすればする程、自然な振る舞いが何かわからなくなってくる。どうしたものか――。
「アキラ」
「うぉ、な、何だブラッド」
「先程から呼んでいた」
「わ、悪ぃ、考え事してた」
どうやらかなり考え込んでしまっていたらしい。ようやくアキラから返事があったことにブラッドは頷き、何かを差し出してきた。
「念の為、携帯食料を持ってきておいて正解だった。この分だとやはり朝までここにいなければならない可能性が高いからな。これを食べておけ」
「食料――って、プロテインバーじゃねぇか」
「あぁ。携帯するには最適だならな。オスカーに譲ってもらった。好きな物を食べろ」
「好きな物?」
ブラッドの言葉に疑問を感じ、差し出されたプロテインバーを見ると、味が全て異なっていた。
「え、今プロテインバーってこんなに味出てんのか」
「そうらしい。最近は味展開が豊富なようでな。オスカーも面白くて色々買っていると言っていた」
「へぇ……バナナ、ベリー系、この辺は定番だよな。あ、これこの間もあったコンソメ味か」
「そういえば、あの時もこれは持ってきていたな」
「ピザ味って……ディノじゃねぇか」
「あぁ。オスカーもこれを見つけたときに、すぐにディノに渡したらしい。かなり喜んでいたそうだ」
「だろうな……たこ焼き味?グリーンイーストでたまに見るやつか」
「細かく切った蛸を入れて丸い生地で焼いた日本の食べ物だな」
「……プロテインバーで再現できんのか?」
「気になるなら食べてみろ」
「……まぁ、確かに気になるけど……」
美味ければ良いのだが。たこ焼き味のプロテインバーを前にむむ、と考えていたアキラだったが、ふとあることに気が付いた。
(オレ、自然に喋れてる)
プロテインバーに思考が持っていかれたからだとは思うが、今は自然にブラッドと会話ができていた。そのことに少し安心する。
気負う必要はなかった。今のように、思ったことを素直に口にすれば良かったのだ。好きだ、とか、そんな会話にはそうそうなりはしないだろう。
肩の力が抜けた気がした。
* * * * *
それからは外の様子を伺いながら過ごしたが、やはり天候が回復する様子はない。時折オスカーから連絡が来てオスカーやウィルと話したが、向こうも相変わらずらしい。結局、ここで一夜を明かすこととなった。
横たわって、毛布をかける。アキラの気持ちに変化が出ていることを除けば、あの時と一緒だ。
「もっと毛布を使うか?」
「いや、これで十分だって。あの時は体力を消耗してたから余計寒かっただけで、今は元気だし」
「そうか」
自信満々なアキラの回答を聞いて、間近でブラッドが柔らかく笑う。その柔らかさにぐっと息が詰まった。言葉が出てこない。
好きだ、と改めて思って、言葉の代わりに無意識に手が動いた。
「アキラ?」
急に黙ったアキラを疑問に思ったのだろう、ブラッドがアキラの名前を呼ぶ。その声にはっとなったアキラは伸ばしかけた手を止めた。
「どうした?」
「な、何でもねぇ。寝かけただけだ」
「そうか。できれば朝早く移動したいからな。寝られるようなら、早く寝ておけ」
「わかってるって」
必死に取り繕ってから、ブラッドに気付かれないように小さく息を吐く。
危なかった。声をかけられなければ、触れてしまうところだった。まだ、それはできない。
例えブラッドにその気持ちがなくてこの想いが成就しないとしても、いつか、伝えたいとは思っている。だが、それはまだ今じゃない。少なくとももう少し自分が成長して、一人前だと胸を張って言えるようになってからだ。
早鐘を打つ鼓動を落ち着かせようと目を閉じる。眠れるかと半信半疑だったが、昼間の移動の疲れもあり、程なく眠りは訪れた。
* * * * *
アキラの表情から力が抜け、呼吸が深く一定になる。眠ったな、とブラッドは安堵の息を吐いた。
その目が自分を捉えないのをいいことに、ブラッドはアキラの顔をまじまじと見つめる。入所当初と比べて大きく成長し、顔つきも随分逞しくなったと思っていたが、大人しく眠るその表情はまだまだあどけない。
愛しさを覚えて、無意識に手を伸ばしそうになった。それはだめだと拳をぐっと握り、動きそうになる手を戒める。
アキラは自分のメンティーであり、大切に育てなければいけない存在だ。なのに、ブラッドの中にはいつの間にかそれ以上の感情が大きく形作られてしまっていた。
自分とは異なる、思ったことをすぐ口にし行動する素直さと、強くなりたいと純粋に思う様が好ましい。いつからか、自分を素直に慕ってくれるようになったその目が嬉しい。健康的で瑞々しいその姿に、触れたい等、様々な想いが渦巻くようになってしまった。自分にこんな感情が芽生えるなんて、少し前の自分には想像もつかなかった。
だが先述の通り、アキラはメンティーだ。大切に育てて、立派な『ヒーロー』にしなければいけない。個人的なこの感情は、その目的にはきっと邪魔なものだ。だから、隠し通す。
いつかアキラは『ヒーロー』として大成し、自分を追い抜いていくだろう。その成功する様を、そっと見守っていければ良い。今はまだ、想いを口に出せないことや、手を伸ばせないことが少し苦しいけれど。いつか立派になったアキラの姿を見ることができれば、きっとこの想いは良い思い出として、自分の中で落ち着くだろう。
(……お休み、アキラ。良い眠りを)
心の中でそう呟いて、ブラッドも目を閉じた。