緑 時折、一人になりたくなる時がある。城から出て、誰にも会わずに、ただ一人でぼうっと自然を眺める時間。勿論長時間そんなことをするわけにはいかないので、ごく短い間だけれど。そんな衝動に駆られた時は、ミランはこっそりビッキーを訪ねてどこかに飛ばしてもらい、一人の時間を過ごした後で鏡を使って戻っていた。
今日も、そのつもりだったのだ。飛んだ先で、思わぬ人物に会うまでは。
「やっばり、今の時期は緑が綺麗だと思ったんだよな。うん、ここにして良かった」
そう呟いて、ミランは両の手を天に伸ばし一つ深呼吸をした。澄んだ空気と青々とした空の下で、鮮やかな緑が生い茂っている。乾いた風に揺られて緑が揺れる、その合間からきらきらと漏れる光が綺麗だ。人気のない山の中腹。少し歩けば、故郷が見えてくる。幼い頃冒険と称して、ナナミやジョウイと何度か訪れた場所だった。今日はどこで過ごそうか、そう考えていた時にふと頭の中に浮かんだのが、この場所だった。昔、ちょうどこの時期にも訪れたことがあり、その時に木々の緑がとても美しく感じたのを思い出したのだ。本来ならば今は訪れることは叶わない地であるが、こんな山奥に兵を置く程の余裕はハイランドにもないはずであり、ビッキーの転移魔法と鏡の力で、ほんの僅かな時間ならば滞在は可能だろうと判断して今に至る。勿論これが仲間に知られれば大目玉を食らうことは確実なため、こっそりと。
いつものように適当な場所に腰を下ろして、持参した弁当を食べようと周囲を見渡したミランは、とある一点で目を止めた。
人の気配だ。近付いてくる。
何故今、こんな場所にとミランは不思議に思った。この場は昔から人も、獣すらあまり訪れない場所であり、幼い頃来ていた頃も、自分達以外の存在と遭遇することはなかったのだ。なのに。
相手ももしかしたらそう思っているのかもしれない。気配を隠す様子はなかったが、近付いたところでこちらの気配を察したのだろう。僅かに空気が張り詰めたのが感じ取れた。万一都合の悪い相手だったらと、僅かに身構えて相手を受け入れたミランだったが。
「……ジョウイ……?」
「……ミラン……?」
緑の合間を縫って現れたのは、今や正反対の立場にある、幼馴染だった。兵ではないが、親友とはいえ敵軍の頂点に位置する男。まずいかな、とミランは一瞬思った。ジョウイなら、問答無用で攻撃を仕掛けてくることはないと思いたいのだが。
ジョウイもまさかここでミランと会うとは思わなかったのだろう。互いに見つめ合ったまま、暫し硬直する。ざわざわと、木の葉が風に揺られ他の葉や枝と擦れる音だけが、その場を支配していた。
やがて、ジョウイの方からゆっくりと口を開く。
「……一人かい?」
ミランは素直に頷いた。
「そう」
「こんなところまで、一人で、どうやって……」
「うん、詳しくは端折るんだけど、一瞬でここに来て一瞬で帰れる仕組みがあって。それでちょっとだけってことで」
「偵察――」
「違う、休憩」
「……休憩?」
「そう。この景色が見たかったから」
ジョウイはミランの返答にどう反応して良いか迷っているようだった。ミランは改めて周囲の気配を探る。
「ジョウイも、一人なんだ?」
ミランの問いに、次はジョウイが素直に頷く番だった。
「近くまで視察に来ていて、ここは誰も通らない場所だとわかっているから、少しだけ一人で歩き回ることを許可してもらったんだ。この景色が、また見たくて」
「そっか。じゃあ、同じだ」
「……そうだね」
それからまた、沈黙。この場をどうすべきか、ミランもジョウイも互いに迷っていた。きっと、ミランはすぐに帰り、ジョウイはミランを捕らえようとする、それが正しいということは、どちらもわかっている。だが。
「……ジョウイ、お腹空いてる?」
「……え?」
「一つじゃ足りないかなと思って、ちょうど二つ持ってきたんだよね、サンドイッチ」
ミランは、手にした小さい荷物を掲げて笑ってみせた。
「この緑を眺めながら、サンドイッチを食べる間だけ、一緒に過ごさない? お互いの立場は一旦忘れて、昔に戻ってさ。ほんの少しの間だけだから」
ミランの言葉を耳にしたジョウイの目が、揺れる。ミランは、ジョウイの敵だ。その申し出は、本当は断らなけばならない。けれど、昔と変わらない景色と、昔と変わらないミランの笑顔が、今のジョウイにはとても魅力的に映ってしまって。
気が付いたら、頷いていた。
「よし、決まり! ここに座ろうよ」
ミランが場所を示し、隣り合って座った。サンドイッチを、互いの手に持つ。
「これは、誰かに作ってもらったのかい?」
「うん、ナナミ」
「……!」
ミランの説明を聞いた瞬間に、ジョウイが弾かれたように手の中のサンドイッチを見る。懐かしい反応に笑いを堪えながら、ミランは冗談だよ、と伝えた。
「作ったのは僕。最近料理することが増えてさ」
「そ、そうか……」
「あ、でもニンジン入れちゃったかも」
「……!」
先程と全く同じ反応に、とうとう堪えきれず、ミランは声を上げて笑う。
「ごめんごめん、これも冗談。ジョウイ、まだニンジン食べられないんだ?」
「ミラン……」
「あはは、ごめん」
ひとしきり笑ったあとで、ミランはサンドイッチに齧り付く。それを見たジョウイも、恐る恐る口に入れた。
「……おいしい」
「よかった。うちの軍には凄腕の料理人がいて、その人直伝だよ」
素直に賞賛を口にするジョウイに、ミランは嬉しそうに笑う。それにつられてジョウイも笑った。以前よりは控えめであるが、それでも久しぶりに親友の笑顔を見た気がして、ミランは嬉しくなる。
「やっぱりここは、綺麗だね」
「あぁ。青い空に、緑の葉。昔のままだ」
それからは、昔の話をした。今の話は、出してはいけないと互いにわかっていた。何気ない話題でも、機密情報に繋がる可能性もあるからだ。話すのは、まだ、キャロに住んでいた頃の幼い頃の話ばかり。それでも、ナナミと三人でよく小さな冒険に出かけていたことや、迷子になったこと、二人であちこちにいたずらをしてはゲンカクやナナミに叱られたことなど、サンドイッチを食べ終わるまでの短い間に話は尽きなかった。話しながらゆっくりと、ゆっくりと食べ進める。ずっとこの時間が続けばいいのにと、思いながら。
「……残念、食べ終わっちゃった」
「……そうだね」
約束は、サンドイッチを食べ終わるまで。名残惜しさは感じつつも、ミランは立ち上がった。
「付き合ってくれて、ありがとう。すごく、楽しかった」
「僕も、君ともう一度、この緑を見ることができて、よかった」
ミランは、もう一度ジョウイに笑いかける。ジョウイもそれに応じて笑顔を返した。
友人として接するのは、ここまで。
「じゃあ、またね、ジョウイ」
そう告げたミランの手元が光る。次の瞬間、ミランの姿は消え失せていた。どうやらミランの言っていたことは本当らしい。
「またね、か……」
次に会うのは、いつ、どのような状況なのだろう。きっと、今のような明るく美しい場所ではない。それでも自分は、そしておそらくミランも進まなければいけないから。
ジョウイは再び表情を消すと、その場を後にした。