仮初めルームメイト(8)(9)■八 抱えていたもの
首に指が食い込み、強い力で締め上げられる。なんとか引き剥がそうと学生の手を掴むが、正気を失った学生の力の強さにそれは適わない。少し離れた場所にはサブスタンスが浮かんでいる。
情けないことに、急な動きに対処が遅れた。自分はヒーロー能力のためか、特に変化はない。だが、同時に飲み込まれた学生には例の現象が出たようで。異変に気付き振り返ったときには、既に彼の両手が目の前にあった。
手が引き剥がせないなら。ガストは利き足を勢い良く上げる。膝蹴りが学生の脇腹に入り、そのはずみで手が緩んだ。そこで突き飛ばし、距離を取る。呼吸を整えた後で学生の動きを止めようと再度距離を詰めようとするガストだったが、その前に学生は突然倒れた。
「おい、大丈夫か!?」
駆け寄って様子を確認すると、既に学生は気を失っていた。どうやらこれまでの学生と同様に、暴れる効果は切れたらしい。だが、まだサブスタンスの姿は見える。ガストは学生とサブスタンスの間に立ち、サブスタンスと対峙した。インカムは、まだ使えるだろうか。
「ウィル、ドクター、聞こえるか?」
*****
ヴィクターに指示された場所にたどり着いたウィルが見たものは、黒い球体のようなものだった。宙に、浮かんでいる。
「これは……」
「サブスタンスが作り出した穴のようなものですね」
「ヴィクターさん! 穴って……?」
同時にヴィクターも到着していた。ウィルの問いに、球体から目を離さずに答える。
「恐らく今までの学生達は、周囲が気付かないような一瞬だけ、この中に引き摺り込まれ、そこでサブスタンスの影響を受けていたのでしょう。今はガストが拘束する処置をしたため、これも留まっている」
ヴィクターがそこまで説明したところで、インカムから再びガストの声が聞こえた。
『ウィル、ドクター、聞こえるか?』
「アドラー! 無事だったか」
『ちょっとトラブったけど、この通り。俺と一緒に取り込まれた奴は気を失っちまった。目の前にはサブスタンスが浮かんでる。ドクター、これからどうすりゃいいんだ?』
ガストの声はしっかりしていて、とりあえず無事であることが窺えた。ウィルはほっと胸を撫で下ろす。ヴィクターはそうですね、と球体を見据えたままで答えた。
「学生から現象が抜けたならば、あとは消えるだけ……もうすぐ装置の効果も切れるでしょうから、そうなれば今までと同様に、取り込んでいるガスト達をこちらの空間に戻した後で、姿を消すと予測できます」
時が経てば、ガスト達は戻ってくることができる可能性が高い。それは良かった。だが、このままサブスタンスを取り逃すのは惜しい。
『なぁドクター、サブスタンス、なんとかできねぇのか?』
「私とウィルの装置がありますが、続けて使用して効果を発揮するかどうかですね。サブスタンスがターゲットを選ぶ基準がわかればそれを使って引き止められるかもしれませんが……」
「あ」
ヴィクターの言葉に、ウィルは思わず声を上げた。サブスタンスの狙いとは。
「……俺に、考えがあります」
『ウィル?』
「まだ二人には言ってないけれど、さっきサブスタンスのターゲットとなる人物について、わかったことがあるんです。アドラー達が戻った直後に、それを試してみます」
「……ウィルが試す、つまりウィルがターゲットとなり引き止める、と」
「はい」
それは、まだ推測の域を出ていない。もしかしたら、見当外れかもしれない。だが、やってみなければわからない。
『大丈夫なのか、ウィル?』
インカムから、ガストの心配そうな声色が聞こえる。
「大丈夫だ。根拠はないから、一か八かだけど。試してみたい」
力を込めてそう言うと、インカムのガストの声が柔らかくなった。
『了解。信じてるぜ、ウィル』
その声と、言葉に、大きな力をもらった気がした。ウィルは球体に意識を集中させる。
誰にも言えない悩みなら、自分にもある。そのことを、今強く思えば良い。
今、このサブスタンスの中にいるはずの、男。想いを伝えることはできないと思っていて、なのにそれはどんどん自分の中で大きく、抱えきれない程になってきていた。
俺は、お前が――。
ウィルがそう思い始めて数秒後、球体が一度消え、ガストと見知らぬ学生が姿を現した。そして、今度は目の前に、黒い何かが。
「ウィル!」
ガストがそう叫び、武器を構える。目の端では、ヴィクターも。
ウィルも迎え撃つべく、武器を構えた。
*****
「人に言えないものを抱えた人物、かぁ……」
戻ってきた寮の自室で、ガストは確認するように呟く。
あの後三人がかりで無事にサブスタンスを回収することができた。回収したサブスタンスと意識を失った学生についてはヴィクターに任せ、ウィルとガストは寮の自室に戻ってきている。任務は無事に達成できたため明日には退寮し戻ることになるらしいが、詳細はこの後ヴィクターから指示が出ることになっていた。
ウィルからサブスタンスが狙っていたと思われる人物について聞いたガストは、先程の学生の様子を思い出す。
「そういえばアイツも、前に会った時に比べてすげぇ機嫌が悪かったんだよな。今日のアイツにも、そういう何かがあったってことか」
ウィルと話した学生のように親とのトラブルなのか、このスクール内でのトラブルなのか、それは不明だが、そうであれば今日の学生の様子にも合点がいった。
ガストの呟きを聞いたウィルが、眉を寄せる。
「……あの学生とは、以前にも会っていたのか?」
「ん? あぁ。ほら、俺が現象の出た学生を止めた日、あの動きを見たらしくてあの後絡まれたんだよな。この年のヤツに多い、ケンカしたがるタイプらしくてさ」
「……聞いてない」
ガストが説明すると、何故がウィルは眉間の皺をより深くして、そう言った。確かに言ってなかったのだが。
「なんか情報引き出せるかなと思ったけど空振りだったし、特に報告する程でもないかなって」
有益な情報を得られれば何かしら話していたのだと思うが、ただ話しかけられただけとしか認識していなかったのだ。まさか今日再び絡まれるとは思っていなかった。
「……そう、か」
ウィルは些か不服そうに頷く。報告しなかったことがそんなに気に触ったのだろうかと、ガストは首を傾げた。
「えっと……不味かったか?」
「いや……何でもない」
そう言うウィルの表情を見る限り何でもないようには思えなかったのだが、ウィルはそれ以上は何も言わなかったため、ガストもそれ以上追求することはしなかった。
それに、ガストの方にもウィルに聞きたいことがあったのだ。
「あのさ、ウィル」
「……何だ?」
「ウィルの、人には話せない悩みって、何だ?」
思い切ってそう訪ねると、ウィルが息を呑んだのがわかった。
「いや、あのさ、人のプライベートにずかずか踏み込むつもりはねぇから、もし話せるのならでいいんだけどさ」
ウィルにそんな悩みがあったとは知らなかった。少し前まではシャムスの件で同じ秘密を共有していたが、それとは違う気がする。
ウィルの顔が曇ったままなのは、嫌だった。
「ほら、メンターに相談しにくいとか、アキラやレンとかに言い難いようなことだったら、あまり関わりのない俺に言ってすっきりできるかもしれねぇし」
ウィルは黙ったまま、こちらを見ている。自分がそこまで信頼を勝ち取れているとは到底思えなかったが、駄目元で告げた。
「……ウィルの悩みを、少しでも軽くしてやれれば、いいなってさ」
そこまで言って、ウィルの反応を窺う。ウィルは暫くこちらを見つめたままだったが、やがて腕を上げた。
そっと、ガストの首の一部分に触れる。
「……傷がある」
「ん? あぁ、さっきのか。締められたときに爪が引っかかったな。でも、これくらい俺達なら明日には治って――」
ガストはそこで、不自然に言葉を切ることになった。正確には状況に頭がついていかなくて、固まった。
ウィルに抱き締められていると認識したのは、ウィルが動いてからおよそ三十秒も経ってからのことだ。
「ウィ、ウィル……?」
認識して、ついで襲ってきたのは混乱。これはどういうことだと、とりあえずウィルの名を呼んだのだが。
「……言うつもりは、なかった」
ウィルが、声を絞り出す。
「こんなこと打ち明けてもお前は困るだけだろうしと思って。でも、言えないまま気持ちだけどんどん大きくなっていって、苦しくて」
それが悩みだったと、ウィルは言う。
「お前が一瞬いなくなったのと、今の傷と、お前の言葉で、我慢できなくなった」
「……俺の所為か?」
「……そうだ、お前の所為だ」
そっとガストが問うと、ウィルは頷いて腕の力を強めた。
「俺が、お前を好きになった所為だ」
ガストがその言葉の意味を理解するのに、また数秒を要した。
ウィルが、俺を好きって、どういうことだ。
戸惑っている間にも、ウィルは話を続けていく。
「嫌なら、この任務が終わったら避けてくれても良い。でも、万一の時に何も言えないまま会えなくなるのは、嫌だと思ったから、いっそ言ってすっきりして――」
「ちょ、ちょっと、ストップ、ウィル!」
うまく働かない頭で、だがウィルが一つ思い違いをしていることに気付き、慌てて制止をかける。ウィルは一度言葉を切り、ガストから離れて検めてガストの顔を見た。
「えぇっと、整理させてくれ。ウィルは、俺を好きなのか?」
「あぁ」
「友達……としてじゃなくて」
「じゃなくて」
嘘だろ、とガストは心の中で叫んだ。好きだったのは、自分の方だけだと思っていたのに。
「信じられないかもしれないけど。俺の気持ちは本当だから。嫌ならさっき言った通り避けてくれても」
「いや、確かに信じられねぇのは信じられねぇんだけど、嫌じゃ、なくて」
「え……?」
ウィルの目が、丸くなる。自分は混乱しているはずなのに、何故かその表情は可愛いな、なんて呑気な感想を持ってしまって。やっぱり、好きだと思った。
「あのな、ウィル、俺も、お前が――」
好きなんだ、そう告げる。ウィルはその言葉を想像していなかったようで、目を丸くしたままだ。そうだろう、自分だって驚いているのだとガストは思う。まさか、互いに好きだったなんて。
そのまま、どちらも言葉が出ない。暫くの間、二人は見つめ合って――。
『ガスト、ウィル、少しよろしいですか?』
インカムから聞こえたヴィクターの声に、同時に飛び退り距離を取った。
「お、おぅ、ドクター、どうした?」
『? 何かありましたか、ガスト?』
「い、いや、何でも」
「何でしょう、ヴィクターさん」
動揺しながらも何とか応じる。ウィルの援護もあり、ヴィクターはそれ以上はガストの様子に言及はせず、要件を伝えてきた。
『予定通り、明日退寮となります。スケジュールが確定したので、お伝えします』
それから明日の段取りを確認し、ヴィクターからの通信は終わった。残された二人は、同時に大きく息をつき。
落ち着いたら、今度は今の自分達の慌てぶりがおかしく感じられて、二人で顔を見合わせて、声を上げて笑った。
■九 明日の予定
「ここの食事とも今日でお別れってやつだな」
テーブルの上に朝食を並べて、ガストはそう呟いた。この数日は、寮内のこの食堂に何度となくお世話になってきた。やっとメニューの種類を覚えてきたところだったが。
「そうだな……寮の食事にしては、メニューも豊富で美味しかったよな。特にこのフレンチトースト」
「はは、ウィル、それ必ず食べてたな」
甘党のウィルはここで出るフレンチトーストがかなり気に入ったようで、食堂を訪れる度に注文していた。
「お前だって、それ」
ウィルが指差すガストのテーブルの上にはサンドイッチが並んでいる。確かに、ガストはこのサンドイッチが気に入っていた。
「これ、定番のハムやレタスだけじゃなくてさ、スモークサーモン入れてくれるところがいいんだよな」
「……成程」
「ベーグルだったら、更に言うことないんだけどな」
そう言いながら、サンドイッチに齧り付く。ウィルは自らのフレンチトーストを切りわけ、シロップに浸しながら口を開いた。
「……ベーグルサンド、好きだったよな」
「ん? おお、サーモンの入ったベーグルサンドなんか最高だな」
「マリオンさん御用達のパンケーキ店、知ってるだろ?」
「知ってるぜ」
「そこが今度、新しい形態として、フードメニューも豊富な店を出したらしいんだ」
「へぇ。メインはパンケーキなのか?」
「あぁ。でも、今までの店よりも、パンやパスタの種類が豊富らしくて、ベーグルサンドもあるらしいから」
ウィルはフレンチトーストを持ち上げながら、続ける。
「その……明日俺達、休みもらっただろ」
「おぉ」
「一緒に、行かないか?」
「え」
思わずガストが聞き返すが、ウィルはそれ以上は言わず、フレンチトーストを口に運んだ。
これは、もしかして、デートのお誘いというやつだろうか。
「……都合が悪いとか、行きたくないとかなら、無理にとは言わないけど」
「いやいや、行く、行くって」
即答できなかったのは、まだ互いに好きだとわかった実感がわいてないということと、突然の誘いに驚いただけだ。行きたい。二人で、一日過ごしてみたい。
「戻ったら、明日の予定決めようぜ。楽しみだな」
「……そうだな」
ガストが満面の笑みでそう言うと、ウィルも笑顔を見せた。
同期から、仮初めのルームメイトに、そして恋人に。目まぐるしく関係の変わった数日間だった。願わくば、これからはずっと恋人として歩み続けていけますように。ガストはそう思いながら、サンドイッチを平らげた。
(了)