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    sbjk_d1sk

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    龍に対して公式には一切存在しない妄想と幻覚と捏造と理想と願望の闇鍋料理

    パイロキネシス・2「ドクターの希望でCT検査も行いましたが、問題ありません。全治二週間の打撲です」
     リーが戦闘終了後に勢いに任せて告白した結果、心の準備など全くしていなかったドクターに警棒で殴られ軽く脳震盪を起こした末に気絶したという話は、流石に比喩ではあるが音速を超えたのではないかと錯覚できるほどの速さでロドスを駆け巡った。ドクターは医療部からの内線を切ると、執務室で静かに手を組み、心の中で頻く頻く懺悔した。その噂を意図せずとはいえ流したのがドクターだったからだ。
     だって、仕方ないじゃないか。懺悔の後に言い訳をするのもどうかと思うが、そう思わずにはいられない。龍特有の性質と言えばそうなのだが、それにしたって、正気か狂気か彼が運命だとドクターに言い寄った。彼が好まないらしい本能に従ったなどと。リーのプライドのためにも、本能云々を伏せ「ただの告白」と報告するしかなかった。しかしこうしてどこから漏れ出たのか噂として広まってしまった今、実はそんなに大差ないんじゃないか?プライドはどちらにせよ傷つくんじゃないか?ということに気づいてしまい、ドクターは粛々と懺悔をしている。
    「神よ…もしいらっしゃるならこの窮地から私達を救ってください天啓をください、早く早く早く、可及的速やかに」
    「君は神に弓を引く側の人間だと思っていたが。いつから従順な信徒になったんだ」
    「ぎゃあ!」
     執務室には最高管理者に与えられるマスターキーさえあれば、ドクターでなくとも入室が可能である。故にケルシーが前触れもなく目の前に現れても何ら不思議なことは無かった。
    「ノックをしても内線やインターホンを鳴らしても応答がなければ、医療事業部リーダーである私には君の安否を確認する権利がある。そうだろう?」
     ケルシーが抱えていたカルテを持ち直す。これから読み上げられる内容によっては、ドクターのコンディションは最高にも最悪にもなれる。罪状を言い渡される罪人の気分はこんな感じだろうかと考えながら、ドクターはケルシーの言葉を待った。
    「精密検査の結果だが、特殊オペレーター・リーのフェニルエチルアミン濃度が上昇していることがわかった。これは君と彼が接触し、君が彼を気絶させた直後の検査結果であるため信憑性は限りなく高い。それによりドパミン、セロトニンなどのホルモンも活性化し交感神経が優位状態に」
    「ケルシー、申し訳ないが端折ってくれると助かる…」
     自分はあくまで戦闘指揮官だと、ケルシーの説明を遮った。一から説明されたとしても、結局ドクターは全容を半分も理解できない可能性の方が高い。効率が悪すぎる。ケルシーには申し訳なかったが、彼女が気分を害した様子はなく寧ろこうなるだろうと予測していたような素振りまで見れた。ドクターは彼女の中のドクター像が気になって仕方がなかった。
    「ドクター、龍が伴侶を得る過程が他種族と一閃を画することを知っているか」
     リーとは異なる瞳だが、ケルシーもまた人の心を読むような瞳をしている。読むというよりも、虚偽を許さない射られた矢のような視線。今や頭痛を覚えるような気までする言葉が聞こえたが、ドクターは嘘偽りなく頷く。
    「ならば君の望む通り、話はとても早い。彼は君を選んだ。君はあの時より彼の運命となり、未来永劫、龍の焔を絶やすことのない薪となる」
     淡々と述べられるケルシーの言葉に、リーに掴まれた腕が痛む。袖に隠れたドクターの細腕にはべったりと彼の手の痕が残っていた。既に処置を済ませたそれは全治四週間と、何故かリーより長かった。情けない。ひ弱な体はあんなことで簡単に内出血を起こす。
     あの時。あの戦場で、雨に濡れた彼に見惚れてしまったのを最後に、二人の関係は崩れ去ってしまった。
    「しかし不可解なことはある。龍は全てではないが多くが同種族へ相互的に彼らの運命を見出す。この現象は神秘の一種として扱われ研究はほとんどされていない。私でさえ憶測で語ることしかできないが、彼ら特有のフェロモンが関係している現象と考えるのが定石だろう。だが君の同族はわからないものの、少なくとも龍ではない。だというのに、君は彼に選ばれた」
    「……石棺か?」
    「可能性の域を出ないが、今現在それしか思い当たる原因がない」
     重いため息が執務室に響いた。あの石棺は、何か捧げでもしないと治療効果を得られないのかと無機物への苛立ちが隠せない。私しか治せないというわりには記憶といい、異常が起こりすぎているとドクターは舌打ちしたくてたまらない。
    「まだ確定したわけではないが、君が石棺での治療の副作用として龍の、あるいはそれに酷似したフェロモンを放出している仮説を立てられる」
     ドクターはいよいよ頭を抱え、額をデスクにつけた。ごつりとフェイスシールドの先から鈍い音がする。自分のせいではないが、それでもドクターはリーへ申し訳なさしか感じられなかった。だってあんまりだろう。本来彼にいたであろう運命の人を差し置いて、ドクターが石棺から得た異質極まりないフェロモンに彼は囚われて、もう本当の運命に出会うことはないのだ。永遠に偽物の恋に溺れることになってしまった。
     ドクターは彼との時間を心地よく、愛おしく、大切に想っていたが、彼を自分のものにしたいわけではなかった。腹を探り合うことも、真意を伺う必要もない。時々ふざけ合う対等な関係は貴重で、とても幸福に満ちていた。
     その幸福を恋というかもしれないことを知ったのは、つい最近のことだった。
     アンジェリーナやウタゲといった女性オペレーターが宿舎にて会話に花を咲かせていたところにドクターが通りかかった際、盗み聞くような形になってしまったが二人は何やら最近人気だという恋愛ドラマの感想会をその日も含め定期的に開いてきたらしい。感情や情緒を石棺の中に置き去りにしたまま生還したドクターは、以前から周囲の人間にそれとなくそれらを育んでみてはどうかと創作物を見たり、読んだりすることを勧められてきた。最初は絵本を、最近はジャンルを問わず小説をいくつも紹介され、ドクターの自室の枕元には読み終えた本が積みあがっている。そろそろ新しい本に手を出してみようかと思ったところで、二人の会話が耳に入った。どうやらその恋愛ドラマの原作は小説らしいので、試しにクロージャの購買部を漁ってみれば、それはすんなりと見つかった。ロドス内の女性に総じて大人気となっているらしく、上下巻と二冊で構成された物語は下巻のみ売り切れとなっている。ドラマは今週で上巻分が放送し終えたらしく、待ちきれないファンが原作の下巻を買っていったらしい。手に入れることができた上巻をドクターは風呂上がりに心躍らせながらベッドの中で読み始めた。結果、ドクターはその夜一睡もできやしなかった。
     龍の男とアヌーラの少女の恋の物語だった。同じ学び舎に通う二人。貴族の龍は常に優秀な人々に慕われていた。反対にアヌーラはどこにでもいる少女で、特別なものといえばその学び舎では悪目立ちしてしまうほど色鮮やかな髪と瞳だった。二人は生まれも育ちも、境遇は何から何まで異なり、学び舎だけが最初で最後の接点となるほど互いに異なる世界の人間だった。しかし二人には共通の趣味があり、開発が進む都市から離れた手つかずの林の景色を静かに楽しむことである。学び舎からも遠く離れたその林で、目を合わせることすらなかったはずの二人は出会い、言葉を交わし、交流を深めていく。龍は目覚めることはないだろうと思っていた己の炎がどれほど熱いかを知った。龍はアヌーラの眩しいほどの色彩とは真逆の慎ましさや優しさを知り、アヌーラは龍の背負う家のしがらみや期待と裏腹の孤独を知る。お互いの持たない知識や感性を知り合い、時に学び時に羨んだ。学び舎では決して交わらない二人は、静寂に閉ざされた林の中で、草花と虫や鳥たちだけが見守る逢瀬の瞬間を心から愛していた。
     物語の中で惹かれあう二人に、ドクターは親近感を覚える。二人で過ごす時間を心地よく、愛おしく、大切に想っている。自分と同じだ、と感じた。リーと過ごす、利益も損得も存在しない日々を、何物にも代え難いと想うドクターと何も変わらなかった。龍とアヌーラは世界が輝いて見え、見慣れた景色ですら真新しく映り、毎日が幸福に満ちていたらしい。自分もそうなのだろうか、ドクターは考える。リーと出会ってから、美しいものを共有したいと思い景色を見るようになった。模様替えをしたわけでもないのに、彼の立つ厨房はまるで今までと違って見えた。彼がロドスを訪れる日を待つ日々ですら愛しく思う日が増えた。
     チェックメイト。自分はリーに恋をしているのだと、ドクターは今までの溢れ出る幸福が腑に落ちた。そして同時に、この恋は自分の中でのみ完結させてしまおうと誓った。ドクターはロドスのドクターであり、誰のものにもならず、ロドス以外の誰をもドクターが抱く特等席に座らせることはない。ロドスが掲げる目的が、走り続ける意味が良い意味で尽きない限りそれは叶わず、目途はこれっぽっちもたたない。ならばこの恋と呼ばれるものは、大切に大切に、心の中に仕舞っておこう。この幸せな感情を抱いたという経験は、きっと自分を大きく成長させてくれるのだから。ドクターは当初の目的である感情や情緒の成長を確かに得た。これを失恋と呼ぶのかもしれないが、ドクターの胸はあたたかさで満ち足りていた。
     標本となった恋を育む必要はない。ドクターの知った龍とアヌーラの物語は、未完のまま幕を閉じた。
     恋には昇華させない。愛おしさの尽きない日々、リーとの絆をドクターは不変のものにしたい。それなのに、もう彼は変わってしまった。望まずとも自分が変えてしまった。もうこれまでと同じような日々は送れない。彼の幸福に自分という異物をねじ込むつもりは微塵もなかったのに。
    「君へ危害を加えたとしてリー探偵事務所との協力関係をこちらから断つということも視野に入れられる。事実、軽傷ではあるが君は傷を負わされた」
     ケルシーの言葉に静かに首を振って否定した。
    「そこまですることはない、私だって彼を殴った上にプライドをへし折っているようなものだ。それに彼らの力はこれからもロドスを支えてくれるほどのもので、手放すには惜しい」
     起きてしまったことを嘆くのはここまでだ。肺いっぱいに空気を取り入れ、背もたれに限界まで体を預けてからゆっくりと全てを吐き出す。そう、どうしようもないのだ。過去を変えることなど不可能なのだから。
    「さて、どうしたものか」
     天井を眺めたところで、結局最後まで天啓は降りてこなかった。神などいない。
     恋は、果たして枯れてくれるだろうか。龍の炎はどうすれば尽きるだろうか。



     二日後、ドクターはリーと対話してみることを選んだ。
     自分と同じくケルシーから事情は聞き及んではいるはずだが、ドクター自ら出向いて話すことも責任だ。そう思い、事前にケルシーから耳にタコができそうなほど言い聞かさせた注意事項を頭の中で献立の買い物のように繰り返しながら、リーに貸されているオペレーター達の個室があるフロアへのエレベーターに乗った。静かにエレベーターが止まる。引き続きケルシーの言葉を反復する。足を動かして前へ進む、部屋を目指す…彼の部屋の前で足を止めた。
    「え、なに?」
     扉の前にはウンが手持ち無沙汰に立ち尽くしていた。反射的に思ったことがころりと口から零れ、ウンの垂れた耳がドクターの声に小さく揺れた。ペッローの可愛らしい耳にドクターは隠された顔を微笑ませる。
    「旦那!怪我をしたって聞いたけど、もう動いて大丈夫なのかい?」
    「どんな風に聞いたかわからないけど、ただの内出血だ。大袈裟だな。でもありがとう、ウン。君は本当に優しいね」
     アもウンもワイフーも、探偵事務所の子どもたちはみんなふわふわとした体をしており、ドクターはもちろん彼らのことも気に入っていた。ふわふわな見た目通り、彼らはふわふわと優しい。例えば新薬をドクターで試そうとするアも、だ。絶対に失敗しない自信があってやっているのだから、大目にも見れる。本当に危ない治験は絶対にドクターには任せない。これもリーの教育の賜物か、はたまた子ども達の生まれ持ったものか。状況が状況でなければドクターはウンの頭を撫でさせてくれと頼んでいる。しかし今はそうでない。
    「ところでウン、ここで何を?私はリーに用があって来たんだが、君もかい?」
    「うーん、俺というか、俺『達』かな」
     ウンが答えあぐねるように頬を掻いたところで、扉が大きな音を立てた。頑丈な金属の扉が。内側から響いてきた音に何事か、とウンを見上げても、彼は困り眉で笑うばかりだ。
    「ウン、今すごい音が」
    「そうだね。大丈夫だよ旦那。そろそろひと段落つくからね」
    「何が!?」
     そこでようやくドクターは、ウンが戦闘時に構えている独特のデザインの盾を持っていることに気づいた。ロドス内で必要となることはほぼ無いであろう武装を、戦場と変わらず身につけている。ウンがドクターより前に歩み出て、扉の横につけられたインターホンを鳴らした。ブツリと機械独特の音を立ててインターホンが起動する。
    『取り込み中ぅ、』
    「ア、俺だよ。少しいいかい?旦那がリー先生に用があるって」
    『旦那がぁ?ちょっと待っててくれ…ワイフー姉!旦那が先生に話があるって!……ウンが先行するなら入っていいってさ』
    「わかった。旦那、俺の後ろを着いてきてね」
    「何をしているんだワイフー…」
     扉が開かれる。内側から扉の鍵を開けたアが薬品の入った試験管を片手に二人を出迎えた。
    「よぉ旦那、怪我も大したことなさそうで何よりだぜ」
    「ア、今日も元気だね。そして君まで何をしていたんだ…」
     にぃ、と歯を見せて笑うアに普段なら微笑ましさを感じたが、さすがにこの状態でそれを感じられるほどドクターも呑気ではなかった。さっきの音は何だ、どうして試験管の中身が黄緑なんて色をしているんだ、普段より一層中身の詰まった鞄はこの事態と関係があるのか。聞きたいことが山ほどあり、何も終わっていないというのに疲労感と頭痛がドクターを襲う。
     お邪魔します、と呟いて部屋に足を踏み入れる。大きなウンの背中で満足に前が見えないため、ドクターは何が待ち受けているのかちっとも予想がつかなかった。かくして部屋の有様を知った瞬間、ドクターは喉の奥から引き攣った声が出た。
     床のところどころにリーの鱗か散らばっている。
    「え、これリーの?大丈夫なのかこれ」
     もしやストレスか何かで鱗がいくらか剥げてしまっているのか。あんなにも綺麗な鱗が、とドクターはリーといえばで思いつく美しい尾を思い出した。急いで医療部に連絡を、いやこの場には龍門一の闇医者が。震えながらアに助けを求める視線を向けたが、アは親指を立てて清々しく笑っただけだった。それもそうだ、顔の見えない相手の視線の意味など汲めやしないだろうとドクターは己の姿を思い出す。いや待て、ここで笑うということは君たちの仕業か?恐る恐るアを指差してみた。何も言われなかった。
     無言のジェスチャーゲームの末に、部屋の奥、寝室として設計されている部屋の扉が音を立てて開かれる。可愛らしい顔をしたワイフーがひょこりと現れた。その奥に上半身だけをベッドの上に乗せて伸びているリーが見え、ドクターは冷や汗が止まらなかった。
    「こんにちは、ドクター。ごめんなさい、リーおじ…彼のことはもう少しお待ちください」
    「ワイフー?」
    「ご安心ください。悪を懲らしめるのが私の使命ですから」
    「ワイフー!?」
     確実にワイフーによってリーがシメられた後だった。ということはアとウンはグルだろう。最初ウンが複数形を口にしたのはそれか、というか君は止める側じゃないのか、とドクターはウンを見たが、やはり彼は笑うばかりだ。
    「けじめは必要だよ、旦那」
     そうだった、彼も正しく探偵事務所の一員だったのだ。アと共にロドスに加入したばかりの頃、行き過ぎた行動をアがするたびにシメあげていたのはウンであったと、今や懐かしい光景を現実逃避のようにドクターは思い出す。きっとリーも、ワイフーの達者な武芸を容赦なくその身に受けたのだろう。無意識にドクターは寒さを紛らわせる時のように上腕を擦った。リーの身支度を、あるいは心の準備を待っている間、まだ始まってすらいないのに溜まった心労をドクターは三人をもふもふなでなでさせてもらうことで癒すことにした。
     しばらくして、寝室の扉が開かれると同時に三人の耳がそちらへと反応した。可愛らしいな、と見上げるドクターの前に壁のように立ちはだかる子ども達に、普段より草臥れて見えるリーは両手を上げて降参の意志を提示した。
    「なんにもしないって言っただろ」
    「最初は誰でもそう言います」
     厳しい。戦局はあちらが圧倒的に不利だった。
    「むしろやらかした後だよな、リー先生」
    「勢いに任せて告白して殴られるのはしょうがないと思うよ」
    「相手が拒絶した場合、それ以上迫るのはもう犯罪なんですよ」
     不利どころではなかった。進軍もできず退路も断たれている。子ども達の作戦も陣形も完璧だ。将来有望だろう。
    「三人とも、その辺でそろそろ。リーと話をしたいんだ」
     ワイフーの肩に手を置いて語りかけると、彼女は不安そうな顔でドクターに振り返った。その表情にドクターはきょとりとしてしまう。
    「ワイフー?どうしたんだ」
    「ドクター、私も同席させてください。万が一の時は、私がリーおじさんを止めてみせます!」
     両手を包み込むように手を取って語りかけるワイフーに、やはり優しい子だなとドクターは先ほど脳に焼き付いた、伸びているリーをつくりあげたのはワイフーという事実を頭から追い払った。自らの保護者、育ての親に拳を振り上げてでもドクターを守ろうとする彼女に、見えやしないだろうがにこりと微笑んで見せた。
    「ありがとうワイフー。アとウンもありがとう。でも大丈夫だ、二人きりで話をさせてほしい」
    「ですが」
    「私達にはまだ対話が足りない。すまない、私が彼を気絶させてしまったんだ。あの日の話の続きを、リーとさせてくれ」
     たとえ見えなくとも、まっすぐワイフーと視線を絡める。そうして数秒見つめ合ってようやく、彼女は押し負けたようにため息をついて了承した。アとウンと共に部屋を後にしようとぞろぞろと歩きだし、最後の最後に「何かあったらすぐに大声を上げるか、物音を立ててください!扉は少し開けておきますから!」と逃げ道を残していく。そんな三人をドクターは手を振って見送った。気配が部屋から完全に消えたところでリーは深く息をつき、ドクターは屈んでそこらに落ちた鱗の一枚を摘み上げた。彼の尾は以前から美しいと思っていたが、宿主から離れてもその鱗が美しさを損なうことはない。
    「どうしたんだ、これ」
    「ワイフーに組み敷かれた時に少々。いてて、結構剥げてますねぇ」
     リーが尾を手元に引き寄せて、鱗が剥げてしまったであろう箇所を指でなぞる。床に散らばる鱗は照明によって照らされ、まるで導のようにきらきらと光を反射させている。美しさに見惚れながら、綺麗だ、と飾れない賞賛がドクターの口から溢れた。
    「そんなもん褒めないでください。爪なんかと一緒ですよ」
     頭上からカチッと聞き慣れた音が聞こえ、ドクターは顔を上げた。いつの間に箱から取り出されたのか、既に取り出された馴染み深い煙草にたった今ライターによって火が灯されたところだった。
    「ここで吸うのはやめてくれ。禁煙だぞ」
    「いや、今回は見逃してください。おれもキツいんですよ色々と」
     いつもより深く煙を吸い込むリーに、ケルシーの忠告を思い出す。彼が気を紛らわせようとしたらそれを極力止めるな、と言われていた。おそらく彼は必死に龍の本能に抗っているのだろう。素直に口を噤んで、短く息を吐いた。
    「ケルシーから話は聞いているね」
     視界に紫煙がくゆる。
    「あの時は本当にすみませんでした。あなたに怪我までさせた以上、おれ個人にもリー探偵事務所にも処罰が下されて当然です」
     煙草を一度灰皿に置いて頭を下げるつもりだとドクターは手に取るようにわかった。それを片手で制す。
    「私個人もロドスも、君を罰することはない。この怪我はただの事故だ」
     たった四週間で消える痣だと、服越しであるが内出血の残る腕を上げて見せる。
    「煙草は吸ったままでいい。それよりも今日は、君の意思を聞きに来た。君はどうしたい?ロドスとの関係を断ちたいかい?」
     バチン!と響いた鋭い音にドクターは肩を震わせたが、それがリーの尾が強かに床を叩いた音だと理解すると、慌てて外へと繋がる扉の方を伺った。よかった、三人がまだ駆け込んでこない音量で済んだらしい。
    「鱗がまた剥げるよ」
    「今のおれがどんな状態か、本当にわかってますか?ドクター」
     煙草の煙を手で払いながら、ドクターは淡々と事実を述べる。
    「わかっているとも。君は私が石棺で手に入れてしまった龍の分泌する、あるいはそれに酷似したフェロモンに狂わされている。君は運命を見誤ったんだ。故にロドスとの今後の協力関係を継続するか否かは君が」
    「違うだろ」
     ぞっとするほど低く冷たい声がリーの口から飛び出したことにドクターは心臓が跳ね上がるような心地がし、自分は今日はあと何回驚けばいいんだとうんざりした。リーはというと無意識だったらしく、あっという間に短くなっていた煙草をぐしゃりと灰皿に押し付けた。
    「距離を置いたところでおれがあなたを想うことは変わりません。論点はそこじゃあないでしょうよ」
     灰皿に燻る火が、細い煙を天井へ伸ばしていく。吸い殻にうっすら見える赤い火は、リーが感じるものにどれほど似ているのだろうかと己には感じない運命の焔をドクターは思い描いた。リーが大きな一歩を踏み出し、ドクターとの距離を詰める。流石にこの距離では首が痛いとドクターも一歩、しかしリーと比べてあまりにも小さな一歩分の距離を退がる。
    「ドクターはおれがこわいですか」
     見下ろすきんいろの瞳は、先日のような鋭さも熱も一生懸命に形を潜めていた。ただ少しだけかなしそうな色が今は滲んでいる。逃げないでほしいと願っている瞳の色をしている。
    「こわいでしょうね。あの時もあなたは痛いと叫んだのに、おれは全く手を離さなかった。話を聞いてほしいだけだったのに、結果を見ればあなたを傷つけただけでした」
     あんまりにも悲しい声をしていた。だからドクターは、リーが触れてもいいかと言いたげな視線に頷いた。ケルシーに安易に触らせるなと言われていたにもかかわらず、だ。彼の手袋に包まれた指先が、湿布薬と包帯と服で隠れた痣の上を滑っていく。慈しみに溢れた手つきに、ドクターは情で動く龍が哀れで仕方がなかった。情で動くくせに、本能を良しとせず理性を保っているなんて。いっそそれを捨てられたのなら、この龍はもっと楽になれただろうに。
    「こわくないよ。びっくりはしたけど」
     肩をすくめて少しお退けて見せた。そうしてフードを背に落とし、フェイスシールドを外して、目を合わせる。それがドクターなりの誠意の表し方だった。たとえリーが人の心を読むことに長けていたとしても、顔を隠して話すのは不誠実だと感じたから。
    「話をしよう。君はどうしたい?」
    「おれは」
     リーにしては本当に珍しく、食い気味に話しだし、口を閉じた。逡巡しているのか視線が一度外れ、口籠もり、ゆっくりとこちらの様子を伺うように再び目を合わせてくる。
    「おれは、あなたが欲しいです。おれが運命を見誤ったとか言いましたが、それは違います。おれが見つけたのはあなたです。あなたの他なんて、あなたを見つけた時から存在しません」
    「私が君を好きになるかもわからない。それでもか?」
    「それに関しては、自惚れでなければ問題無いと思いますがね」
     話が読めない。眉を少し顰めて、続きを促してみる。
    「龍の運命は、ようは一目惚れです。龍同士の話しか知りませんが、相手を想う気持ちっていうのは、相互性なんですよ」
    「そうごせい」
     オウム返しする私が面白いのか、リーはくつくつと口の中で噛み締めるように笑った。
    「相手を想う気持ちは独りよがりなもんではなく、ちゃあんと同じように想い合うんです。キャッチボールですよ。好きだと想えば、同じように好きが返ってくる。だから龍同士の運命は、出逢えば互いに一目惚れすることが暗黙の了解ですし、そのまま立ち止まることなく生涯の伴侶にまで関係性を持ち込めるんですよ」
     そこまで説明して、リーは一度身を引いた。内ポケットからやや草臥れた煙草の箱を引っ張り出し、一本だけ取り出す。もうニコチンが切れたのかと火を灯すのを待ってみたが、一向に火を灯すことも、咥える素振りすら見せない彼にドクターは首を傾げる。リーは煙草を手慰みというようにくるくると回してみるなどしている。落ち着きなさげに彼の背後で鰭が床を擦っていた。
    「それで、龍と他種族の場合はわかりませんが、ドクターは龍のフェロモンを分泌している…でしたっけ?そっちはからきしなんで、ここからは憶測なんですけど」
     彼の手の中で煙草がくしゃりと折れる。
    「初めて出会った時、あなたから既に分泌されていたはずのフェロモンにおれはあてられず、当時一目惚れをしなかった。今思えば、多少燻りはしていましたがね。それは父性みたいなもんだと思って過ごせていましたよ」
    「やっぱり君は私を子ども扱いしていたのか」
     あんなに子ども扱いはやめろと言ったのにと腕を組んで叱れば、そのお叱りは後でいくらでも聞きますからと言われた。遠回しに話を逸らさないでくれということらしい。大人しくドクターは従ってやることにしたが、それでもリーは言い難そうに一度ハットを取り、折れた煙草を灰皿へと投げ入れ、リー自身の頭をガシガシと乱暴に掻いた。癖の強い髪が乱れる。
    「それで、本当にこれは自惚れでないことを願うばかりなんですが。ドクター、最近になっておれを好きになってくれたり、とかは、あり得ますか?」
    「……え」
     あの戦場で雨に濡れた君に心を奪われていた。それ以前に、君へのこの想いが恋だったと知り、心の中でその恋を標本にしたばかりだった。あの戦場は美しく飾られた恋の標本の額縁をつくった後の出来事で、恋を自覚してから初めてリーと顔を合わせた日でもあった気がする。ドクターは龍とアヌーラの物語を思い出した。恋を育まないようにしたのは、ロドスのドクターとしての判断だ。でも物語の二人の行く末を見届けなかったのは何故?たかが創作物のそれごと『おしまい』にしてしまう必要はあったのか?簡単だ。二人の在り方に、ドクターである人は嫉妬したのだ。
     王道が売りの物語の二人は、きっと間違いなくハッピーエンドを迎えるだろう。わかりきった結末を、しかしドクターとなった人は見たくなかった。見てしまえば、自分もこうなりたいという欲が生まれないとは言えなかったからだ。この愛を恋に昇華したい、輝く世界と日々を、彼と共有したい。あの心地よくかけがえのない時間に、名前をつけたい。
    「わたし、私は。違う。そんなつもりじゃ、これはいらないんだから」
     つまりなんだ、私が彼に恋したのがきっかけで、彼も私に恋をしたと?この一連の騒動のきっかけは、なにもかも自分にあったということか!
     フェイスシールドが音を立てて床に転がる。カァッと燃え上がるように熱くなっていく顔を見られたくなくて、両手で隠そうと腕を上げれば、その手を優しく包み込まれてしまった。目を逸らしたくて仕方がないのに、嬉しそうに笑うリーの顔から逸らせない。笑う顔、細められた目が捕まえた、ようやく同じ盤面に立ってくれたと語っている。美しく己の中だけに飾ったはずの標本はすっかり晒しものとなり、渡してはいけなかった彼の手に渡ってしまった。彼をとっくに好きになっていた、恋をしていた事実が、きんいろの瞳に晒される。先ほどの彼の自惚れと称した言葉を肯定してしまった。
     ぬるま湯に浸ったような日々に甘えている。なのにその過去の関係性をぶち壊したのは、やはり他でもないドクターだったのだ。最初に一目惚れをしたのは、ドクターだったということで。リーはその想いに応えただけということになる。なぜなら運命は、相互に想い合うことなのだから。
    「いらないって言うなら、おれがもらっちまってもいいですよね?」
    「だ、だめだよ」
    「おれのこと、好きなんですね」
    「それ、は」
    「あなたはおれに、恋をしていますか?」
     違うと言えたらどんなによかっただろう。
     己の中だけで完結させたいほど大切で美しいそれを、自ら否定することは、酷く苦しい。捨てることも壊すことも出来なかったそれを、否定できないのというのは苦しくて痛かった。こんなにも酷い気持ちになるなんて、あの本には書かれていなかった。当然だろう、ドクターは下巻を読まなかったのだから。まさか物語への嫉妬の報いが訪れるなどとは、思いもしなかったのだ。
     あぁ、熱い。龍ではないはずの自分の体は、今や炎の中心にいるように熱くて仕方がない。茹ったように耳やうなじまで赤くなり、恥ずかしさに堪らずほろりと涙が溢れる。熱くて、苦しくて、愛しくて、どうしようもない!
    「わたしは、」
     震える唇が、拙く声を紡ぐ。
    「私は君を、想っている」
    包まれていた両手に僅かに力がこもるが、あの日の力強さとは比べものにならないほど優しい手をしていた。
    「でも、でも今は、君を私の一番にすることは、できないんだ」
     今の自分の一番はロドスだから、どちらかを選ばなければならない時は間違いなくロドスを選ぶ。申し訳なさと辛さが混じった声が喉から搾り出される。自分はまだ当分の間、ロドスのドクターだ。そしてその旅路の終わりは、果ては見えないまま。
    「君はそんな私でもいいのか」
     試すように問うくせに、勝手に不安になる。自分は彼を一番にできないくせに、彼に自分を選んでほしいと願っている。どうしようもなく身勝手な想いを、彼に向けている。そうして相互性な以上、その気持ちもすっかりリーには筒抜けであることもドクターはわかっている。
     にこりと笑って、リーはこたえた。
    「全部終わって、あなたがその役を降りた時は、その一番をおれにくださいな。ちゃあんと隣で待っていますから」
     じぃと瞳を覗き込み、言葉に嘘偽りのないことを認め、ドクターは深呼吸した。深く息をついた後、意を決して赤く火照ったままの顔で、とっくに彼の手の中に渡ってしまった美しい標本の名前を口にする。
    「私はリーに、恋をしているよ」


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    Replies from the creator

    sbjk_d1sk

    DOODLEAisおめでとうございます圧倒的敗者俺!!!!!!!!!どうなってンだよ勤務スケジュール!!!!!!!!


    と言う思いを込めて書いていたかつての駄文。こっちにも載せておきたい勿体無い精神。
    無題 空腹を訴える腹を無視して、胃薬と共に鎮痛剤を流し込んだ。少しすれば薬という神が頭から悪魔を追い払うだろう。神を遣わした偉大なる医療部に感謝を捧げるべく、ドクターはデスクに向き直った。詰み上がったファイルと、散らばった作戦記録と、思いついたことを片っ端から書き殴ったノートが広がっている基礎むき出しな無秩序の箱庭だった。デスクの引き出しから手探りでビスケットタイプの完全栄養食を取り出し、バリッと両手で封を開ける。流し込むように袋から直接口に入れ、噛むのもそこそこに常温に戻ったペットボトルの水で腹に流し込んだ。一息ついてパッケージを見てみれば、ココア味と書かれていた。味も確認せず、味わうこともせず噛み砕いて流し込んだクッキーを、今度は一枚一枚摘んで食べてみる。唾液を吸いみるみる膨らむクッキーは、味はたいしてココアといった感じはしない。カカオの強いビターチョコレートのように少しの苦みと酸味がする。これは若者の口には合わないかもしれないなと一息に水を呷り無理矢理クッキーを胃へと押し流した。
    1979