「坊ちゃま」
その声に振り返ると、メイドの立香が笑顔で立っていた。
メイド服の長いスカートに合わせた長さのエプロンの前で手を重ね、黒く長い髪に隠れているけれど背筋もピンと伸ばしている。
文句をつけるところはないと思う。
けれど、一つ。
一つだけどうしても腹が立って仕方ない。
ぷうっと頬を膨らませて、返事もせずにふいっと顔をそらせた。
「坊ちゃま」
もう一度呼ばれる。
さっきよりも強く低い声には非難の色を感じるけれど、こちらにも言い分がある。
だって悪いのは立香だ。
何度も言っているのに、今日もまたやっているんだから。
はあぁと長く大きなため息を吐き出すのが聞こえて横目でちらっと見ると、困ったように額を押さえていてぐっと良心が痛でまた目をそらした。
でもここで反応するとこのままになってしまうと、ぎゅっと拳を握って我慢する。
「シャルル」
やっと呼んでくれた。
嬉しくて自然と笑顔になるのを我慢できずに勢いよく立香の方へ体ごと振り返って地面を蹴る。
「マーニュ様」
そしてその後すぐに聞こえて来た続きに、がくりと膝から力が抜けて体が傾く。
転ぶと思ったけど、すぐにやってきた立香に抱えられて地面に倒れる事はなかった。
「大丈夫ですか!?」
体を支えて立たせてくれながら立香は言う。
体調が悪いんですか?足を捻ったりしてませんか?と心配しているようだけれど、原因は明らかじゃないか!
不満を隠さず睨んだまま「だいじょうぶ」と答える。
立香はほっと胸を押さえながらも、すぐにさっきまでの笑顔を作って言った。
「私はあなたのメイドですよ、忘れないでくださいね。坊ちゃま」
「だーかーらー」
文句を言おうとするのを遮るように立香は手を引いて歩き出す。
この手を引っ張り返して地団駄を踏むのはあまりにも子供っぽすぎて出来なかった。
「シャルルって呼んでって何回も言ってるのに!」