アニキに手練手管な手つきでおクスリ飲まされてキメセクしちゃう響也の話時計の針が深夜零時を過ぎた頃、私はとある街の片隅にある小さなレストランに足を踏み入れた。
ここは表向きはロシア料理を提供する店であるが、その一方で全く別の側面を持っている。
暗黒街───つまり不道徳な行為や犯罪などが度々起こるこの場所では、警察の目を掻い潜って違法な取り引きが数多く行われているのだ。
そしてこのロシア料理店ボルハチでは、地下2階に"ナラズモの間"と呼ばれる闇取引に使われている隠し部屋が存在する。
音を立てて軋む年期の入った扉を開け、暗い地下へと潜っていくとテーブルの向こうに一人の青年が腰を掛けていた。
わざわざその筋のツテを頼ってまで尋ねた場所は想像よりも随分と小規模で小汚い物だったが、それも薬物売買というアンダーグラウンドな響きには合っているのかもしれない。
「……ここで取り扱っている物は上物だと聞きましたが、本当なんでしょうね?」
埃っぽい床を踏みながらテーブルの方へ近づき、声を掛ければ売人である若い男はニヤリと口許を歪めた。
「うちは他と違って混ぜ物なんかしてないよ、その代わり少々値は張るけど……」
低俗な笑みを浮かべる売人に、私は鞄の中から厚さのある封筒を取り出して手渡す。
「これだけあれば足りるでしょう?」
男は封筒を受け取り紙幣の枚数を目視で確認すると、足元に置いてあった黒いアタックケースから小袋を取り出した。
その小袋を受け取れば、白い結晶状の粉末が光って見えた。
部屋の灯りに照らされたその粉は、これ以上ない程に妖しく光り輝いていた。
そのあまりの目映さに思わず感嘆の息を小さく吐いた後、私は恭しい手付きで鞄の中に小袋を仕舞った。
そしてこの白い粉を弟に飲ませたらどうなるかという事を想像し、一人ほくそ笑みを浮かべる。
嗚呼。何もかもが分からなくなって半狂乱になり亜麻色の髪を振り乱し、涙を浮かべて必死に私に助けを求める彼の姿はきっと他の何よりも愛らしいだろう。
その姿を想像するだけで胸が高鳴り、じわじわと興奮の影が頭をもたげていった。
売人との簡単なやり取りを終えた後、私は狭い階段を昇り店を後にした。
私が何故弟にこのような違法な薬物を飲ませようとしているか。
その理由を語るには、まず私達兄弟の関係について話さなければならない。
───私にとって弟の響也は、愛しい存在でありながら同時に脅威に価する存在でもある。
8歳下の響也は、幼い頃から私の後を付いて回り離れない子供だった。
純粋に自分の事を慕っている弟はとても可愛らしく、私もそんな無邪気な響也の事を深く愛していた。
しかしつい先日17歳になり早くも検事として華々しくデビューをした彼は、徐々にその類いまれなる才能の頭角を現していった。
若手でありながらも実直な検閲と追及で次々と弁護士を打ち負かしていくその様は、次第に私にとって明らかな脅威となっていった。
自身の受け持つ事件の勝訴の為ならば、私はどんな汚い手段も使った。
証人を言葉巧みに操り懐柔する事も、証拠品の捏造すらも容易い事だった。
そうして名声や地位を得てきた私にとって、弁護士も検事の隔たりも無く勝ち負けに拘らずただ愚直に真実を突き止めようとする響也の正義感は畏怖すべき物だった。
自らに絶対的な信頼を寄せ、一心に尊敬の眼差しを注げてくる彼の瞳は眩し過ぎて直視する事すら躊躇われた。
きっと、今の自分には彼と正々堂々戦って勝てるだけの実力はないだろう。
しかしそんな心情を響也自身に話す事など出来る筈もない。
そんな事は私の自尊心が許さなかったし、私は弟から向けられる尊崇にも似た盲目的な愛情を欲していたからだ。
兄に絶対的に信頼を寄せ偶像崇拝にも似た想いを抱く弟と、そんな弟からの熱狂的な愛情を求める兄。
そんな歪んだ形でありながらも、私達兄弟は互いを強く愛し合っていた。
だから私は、響也の前では常に優秀な兄でなければならなった。
それは最早、強迫観念のような病的なまでの強い思想となって私自身に取り憑いた。
そうして弁護士牙琉霧人は、常に無敗であり完璧である為に証拠品の捏造や証人の発言の偽造などを重ねるようになった。
そんな中、私は或真敷ザックという被告人の弁護を受け持つ事となった。
彼は国内を誇る有名なスターであり、この事件の弁護を手掛け勝訴すれば自身の名声が更に上がる事になると分かっていた。
だから今までの案件よりも念入りに準備を進めていた筈なのに、私は呆気もなく担当弁護士を変えられる事となった。
打ち合わせの際に、被告人とポーカーで勝負をして負けた事が弁護士変更の理由だったらしい。
私はそれまでに感じた事がないほど自尊心を傷つけられ、深い混乱状態に陥った。
そして私の後を引き継ぐ事となった、成歩堂龍一と言う弁護士にも強い憎しみを覚えた。
被告人が私よりもあの無名の弁護士を選んだという事は、すぐに法廷に携わる者達へ伝わるだろう。
たった一つの綻びがここまで築いた地位や名誉をどれだけ傷付ける事になるかと思うと、恐ろしくて堪らなかった。
それに何よりこのままでは、私が完璧な兄ではないと知った響也が失望してしまうかもしれない。
そう思い至ると気が気じゃなく正気を保てそうに無かった。
あの子は───響也は永遠に私の下に居なければならないと言うのに。
次第に私はあの被告人や代理に選ばれた弁護士に強い殺意を抱くようになった。
そんな時、偶然にもとある街で違法薬物の闇取引が行われていると耳にした。
知り合いによればそこの売人は、裏で流通している薬のように混ぜ物を使っておらず上物を仕入れているとの事だった。
化合物が入っていない物であれば、純粋な薬だけの効能が期待できて身体への悪影響も少ないだろう。
そう思った瞬間、耳元で悪魔の声が囁いた。
──────もし、これを使えば響也は依存性に陥り私から離れられなくなるだろう。
そう、離れていく事が恐ろしいのならば最初から逃げられないように繋ぎ止めておけばいい。
ただそれだけの事だった。
私は響也に見えない鎖で作られた首輪を付ける為、夜道の中帰路を急いだ。