息苦しさに目覚めると、仁に唇を塞がれていた。口のなかをぬるぬると舌が這い回っている。押し退けようにも錘を付けられたかのようにやたらと重い手は持ち上げられずシーツに沈んだままぴくりともしない。その間も仁の舌はくたりとした丶蔵の舌を絡め取り、舌の根が抜けそうなほど吸い上げてくる。うえ、と声を漏らしながら、唯一自由に動く、とはいっても寝起きで鈍い頭をゆるりと背けると、ようやく仁が唇を離した。
「やっと起きた? おはよう」
起きた、じゃない。寝起きのおっさんの口なんてよく吸えるな。開放された唇からようやくたっぷりと流れ込んだ空気にぜはぜはと情けなく喘ぎながら、涙の浮かんでいるだろう目でじとりと仁を睨む。寝起きのせいかたっぷり唇を貪られたせいか、はたはたと瞬くと目尻が濡れる感触がした。それをするりと仁の指に拭われながら一度目を閉じ、ふうと大きく息を吐く。目許が少しひりつくのは、昨夜散々泣かされたせいだろう。
「、はよ」
案の定ひどく掠れた自分の声に顔をしかめると、すかさず目の前にストローを差された水のペットボトルが現れる。寝たままでも飲めるそれは、丶蔵が起き上がれなくなったときのために用意されているものだ。口惜しくないわけではないが、起きれないからと口移しで飲ませられるよりはよほどマシだ。ありがたく咥えて吸い上げる。ベッドに埋もれたまま無心に水を飲む丶蔵を、仁はにこにこと楽しそうに眺めていた。
「仁、起きたか?」
「ああ」
声とともに、仁の後ろに竜三が顔を覗かせた。こちらも仁同様どうもないらしく、朝から元気に歩き回っている。死んでいるのは丶蔵だけだ。若さが羨ましい。
「年寄りを労れよ」
「そんな年じゃねえだろ」
ストローを吐き出して呟くと、ふんと竜三に鼻で笑われた。仁も空になったペットボトルからストローを抜きながらくすくすと笑っている。
「そうだよ。昨日は先月より保ってたし」
セックスでひとの耐久テストをするな。げっそりとため息を漏らす丶蔵を労ってくれるのは、居心地の良い寝床だけだ。そっちは終わったか、などと何やら言ってるふたりを無視してもぞもぞと軋むからだをどうにか動かして毛布に包まり蓑虫になる。今日は晴れの予報だったしシーツを洗うつもりだったが、もうそれどころじゃない。二度寝すべく目を閉じたところで、包まった毛布ごといきなりからだが宙に浮いた。
「おわ!?」
「じっとしてて」
からだを竦めて固まっていると、顔を覆っていた毛布がばさりと捲られた。目の前には面白そうな竜三の顔。丶蔵は、仁に毛布ごと抱き上げられていた。ぽかんとしている間にふいと竜三が背を向け、今の今まで丶蔵が埋まっていたベッドからはさっさとシーツを剥ぎ取った。
「なんで」
思わずぼそりと呟くと、振り向いた竜三がにやりと笑う。
「何だ、覚えてないのか」
「何を」
「あんた昨日、泣きながらシーツ洗うんだってずっと言ってたぞ」
「へ」
「だから洗っといてやるよ」
「はあ」
それはありがたい、けれど。何故こうも恩着せがましく言われなければならないのか。釈然としないまま、どうせ今日は何もできないのだしと大人しく諦めて仁に身を預ける。気が抜けると、去ったはずの眠気が舞い戻ってきた。ふあ、と欠伸を漏らして目を閉じ、仁の胸に頬を擦り寄せる。
「丶蔵、寝る前にご飯食べなよ」
軽いんだけど、とほざく仁にうるさいと返すこともできず、小さく唸り声を上げる。
軽々と抱き上げられておじさん傷ついたぞ。起きたらふたりともこき使ってやる、という決意はむにゃむにゃとした寝言になって丶蔵の口から漏れただけだった。
シーツが視界を占め、ふわりと風に翻る。三人分干せばベランダはいっぱいだ。
リビングに戻ると、ソファの上で首から下を毛布に埋めたまま座っている丶蔵がぼんやりと目を開けていた。仁は掃除しているらしく、部屋の方から微かに掃除機の音が聞こえてくる。
「もう寝ないのか」
まだ眠そうな丶蔵の隣にどさりと腰を下ろす。
「眠れないんだよ」
ぼそりと不満そうに呟く丶蔵の目がゆっくりと瞬く。眠いには違いない。そういえばこの前も、昼まで寝てる体力もないとか言っていたか。
「ジジィ」
思わず溢すと、丶蔵がため息を吐いて頷く。
「ああ、ジジィだから若者には付き合いきれん」
そうきたか。くすくすと笑いながら丶蔵に手を伸ばし、くしゃりと髪をかき回して撫でてやる。不満そうではあるが抵抗する気力もないらしく、丶蔵は大人しくされるがままだ。
「あんたがもう少しまめに相手してくれりゃあな」
丶蔵がふたりに付き合ってくれるのは、せいぜい月一回あるかないかだ。飢えたふたりが丶蔵を限界まで貪り、その結果丶蔵は毎回動けなくなる。
「年寄りを労ってくれよ」
「年寄りって程年寄りじゃねえだろ」
普段は腹立つおっさんだが、弱ってるときはかわいい。ぼやく丶蔵に顔を寄せ、額にちゅっと口づけを落とす。
「昨夜のあんた、ぼろぼろ泣いて可愛かったし」
嫌そうに顔をしかめ、丶蔵がため息を吐く。
「覚えてねえ」
「残念」
微かに赤くなった目尻に、昨夜の丶蔵を思い出す。最後の方はふたりに抱かれながら譫言のようにシーツ、シーツあらうのに、と繰り返し泣きながらぶつぶつと呟いていた。
「しかしそんなにシーツ洗いたかったのか?」
そう尋ねると、丶蔵は小さく首を傾げた。
「あー、お前らに襲われるまで、ずっと考えてたからなあ」
おかげでこのざまだ、と胡乱な目を向けられ、苦笑しながら顔を離す。
「代わりに洗ってやっただろ」
「当然だ」
すい、とベランダに向けられた丶蔵の目が、眩しそうに細められる。今日は見事に晴れた洗濯日和だ。
「掃除は仁がしてるし、他に何かあるなら今のうちに言っとけよ」
んー、と生返事をした丶蔵が、ふと気づいたように竜三を見て首を傾げた。
「今のうち?」
「ああ、今日は焼き肉に行くんだろ」
「焼き肉」
うえ、と声を漏らした丶蔵の顔が歪む。どうやら言い出しっぺのくせに忘れていたらしい。
「あんたが言ってただろ、今度の休みは焼き肉行くぞって」
「肉を食う気分じゃない」
肩を竦める竜三をじとりと見て、丶蔵がもそもそと丸まって頭まで毛布に埋もれていく。
「おれは寝てるから、ふたりで行ってこい」
「何言ってんだ。あんたも行くぞ」
毛布ごと抱き寄せると、丶蔵は腕のなかで身動いで竜三の胸にぽすりと頭を乗せて体重を預けてくる。離れようとはしないのがほんとうにかわいい。宥めるように毛布の上からぽんぽんと叩く。
「立てなかったらおぶってやるよ」
「ごめんだね」
丶蔵はしばらく毛布のなかでぶつぶつと文句を言っていたが、だんだんと言葉が不明瞭になったかと思うとまた静かに寝息を立てていた。
「じーん」
ずしりと重くなった丶蔵を抱えたまま、部屋の奥に声をかけると掃除機の音が止まり、仁がリビングにやってくる。
「何?」
「丶蔵、また寝たぞ」
「また、って起きてたの?」
ソファの背から身を乗り出した仁が毛布を捲る。丶蔵は何故か眉間に皺を寄せたまま眠っていた。
「何だこの顔」
ふっと笑いながら指先で眉間をつつくと、んむ、と小さく唸った丶蔵が竜三の胸に顔を擦り付け、ふうと息を吐いてまた静かになった。
「おれたちも昼寝する?」
「そうだな」
シーツは洗濯中だしソファで三人は無理がある。どこで寝ようかなどと言いながら、竜三は腕のなかの丶蔵を抱え直した。