群像残夏-とあるバーチャル甲子園出場高校の夏-(2)*このお話は、にじさんじ甲子園2022に影響を受けて栄冠ナインを始めた俄か野球好き&パワプロ初心者が、自分で育成したチーム(転生2名+3年目に春夏甲子園出場)で、レオス・ヴィンセント監督が8/21にアップした通称『裏栄冠チーム』に挑むまでの記録を書いただけのものです。にじ甲に絡めた話題もちょっとだけ出てきますが、そんなに多くないです。その舞台や設定を借りたオリジナル小話崩れ、みたいなものと思っていただけると幸いです。本家にじさんじ甲子園2022の(あくまでゲーム中)数年後、という設定。
要は栄冠ナインでチームを育成していくうちに、自分のチームが好きになりすぎて色々妄想がたぎった成れの果て。ここまで熱くさせてくれたにじ甲2022(特にまめねこ高校とチョモランマ高校)に大感謝です。
*そんなわけで、このお話は全てフィクションであり、実在するライバーさん、人物、場所、出来事などとは一切関係ありません。
**ただ、作中に出てきた試合の対戦スコアや戦績、自チームのステータスなどは、実際に私がパワプロで作成し経験してきたチームのデータや戦績をそのまま使用しています。(パワプロ歴1ヶ月なので、しょぼくても許してね。)
上記にご納得いただけた方のみ、以下どうぞ。
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(2)
5. アベレージの先へ 【背番号5 サード 生田秀和(3年)】
4回裏、1アウト。中盤に差し掛かろうとする試合は、1-2で鷹坂がちょうど逆転に成功したところだ。
ここで本日2度目の打順を迎えたのは、比較的安定して打率が高いことから『幡野真島ライン』と共にクリーンナップの一端を担うことが多い、サードの生田秀和。
「(何とか、今の勢いを止めたくない。)」
現チーム編成になってすぐの頃こそエースの後というプレッシャーで変な力が入り、空回りしてしまうことも多々あった。しかし、今は自分もまたこのチームの力になっている、と自信を持って試合に臨める。
無論、幡野や真島に比べると突出したものなんてない。経験だって少ない。そんな平凡な選手だった生田が輝くきっかけを掴めたのも、この鷹坂の野球部だったからこそだろう。
**
生田は幼少の頃から内向的な子供だった。ゆえに友達も少なく、集団に溶け込むことも不得手で、いわゆる陰が薄いと言われるような存在だった。そのため、体育の授業や運動会で半ば強制的に参加させられるようなチームの競技に対しても、いい思い出なんてなかった。
それでも、野球だけは嫌いになれなかった。プロ野球好きな両親の影響で、子供の頃から家族で野球観戦をすることも多かった。プロのスター選手の練習や試合を間近で観る機会があったり、サインをもらったことだってあるし、地元の強豪高校が揃う都大会にも観戦に行ったこともある。VR甲子園大会やにじさんじ甲子園の中継も、父と一緒に毎年テレビで見ていた。そうしていくうちに、野球自体への憧れが漠然と湧いていたのも、いつしか無視できないものとなるのはごく自然なことだっただろう。
中学校に進学してから、念願だった野球部に入部した。練習は想像通り厳しかったが、生田は部員たちと微妙な距離感を保ちつつも、黙々と練習に励んだ。
しかし、中学3年間では一度もレギュラーになれなかった。他の部員たちと比べて武器になるものがなく、練習試合でも地味な働きしかできずコーチの目に留まることがほとんどなかったのだ。公式戦で二度代打として登板させてもらえたことだけが、中学時代のささやかな思い出だった。
高校に進学してからも野球を続けるかどうかは、正直入学直前まで迷っていた。
野球を続けることを見据え、都立でも強豪と言われる学校を受けたが合格できず、いわゆる保険として受けた鷹坂に入ることになった。鷹坂は進学校としてはそこそこのレベルではあるが、野球部の評判はほぼ聞いたことがない弱小校だったのだ。
それでも一応は覗いてみて考えようと思い直し、入学式直後の新入生勧誘の期間中、生田は野球部が練習しているグラウンドに足を運んだ。
「ね、生田くんも野球部、入るの?」
「え・・・?」
誰に声をかけたらいいのか考えあぐねていた生田に声をかけたのは、同じクラスになった松澤だった。クラスでもひときわ明るく、皆の注目を集めていた女子生徒だったので、生田もすぐに顔と名前が一致した。そういえばクラスでの自己紹介で、前年のにじさんじ甲子園で話題になった投手・壱百満天原サロメのモノマネをしていた。彼女も野球が好きなのだろうか。
「も、ってことは・・・その、松澤さん、もですか?」
「うん!」
聞けば松澤は、ここの監督である香月直々にスカウトされて、鷹坂に入ったのだという。教室では気がつかなかったが、近くで見える松澤の手は豆だらけで、それまで彼女が積み重ねてきた練習の量を物語っているようだった。
「松澤さん、そろそろ始めるよ。・・・っと、あなたも入部希望?」
「えっと・・・」
松澤を呼びにきた女性教師が生田に声を掛ける。どう答えていいかわからずにいると、この人が監督だよ、と松澤が小声で教えてくれた。
「・・・1年B組の生田秀和くんね。野球の経験は・・・中学の時の3年間で、ポジションは外野・・・レフトね。基礎測定は、オールF・・・肩鍛えたらいい感じになりそう、か。うんうん。」
松澤に引っ張られるように部室に連れて行かれ、その場の流れで一緒に入部届けを書き、体育用のジャージに着替えて基礎体力測定に連行される羽目になった。そしてその結果を眺めている香月監督が、今生田と向かい合うように座っている。
「生田くんは野球部に入ったら、何を目標にしたい?」
「え・・・?」
予想していなかった質問を監督にされ、生田は言葉に詰まった。
「目標、ですか・・・?」
「そう、今は届かないと思うようなことでもいいよ。生田くんの夢、聞かせてくれないかな。」
監督は屈託無い笑みを浮かべ、真っ直ぐに生田を見つめる。そこから視線を逸らせないまま、生田の表情は迷いと焦りに滲み、答えるべき言葉はぐるぐると喉の奥を流れた。
その様子を見ていた監督は、特に生田の返答を急がせることなく、考えがまとまるのを待っていてくれている。監督の隣にいる松澤は、期待に満ちた眼差しでこちらを見ていた。
そんな視線に突き動かされるように、その言葉は口をついて自然と飛び出した。
「甲子園に、行きたいです。そこで、レギュラーで出れる選手に、なりたい、です。」
その言葉はごく自然に溢れ、後からハッとする。
なんて大それたことを言っているのだ、自分は。
中学で一度もレギュラーどころか、試合にすらほぼ出れなかったレベルの人間が。
さっきの基礎測定だってオールFだ。SからGの8段階評価で、下から2番目。いわゆる全て平均以下。そんな自分が易々と口にしていいような話ではないはずだ。
それでも、監督も松澤もただ大きく頷くだけで、生田を嘲笑うことも否定することも、しなかった。それどころか、
「じゃあ、タイミングバッチリだね。」
と、監督は満面の笑みを浮かべた。
「生田くん、うちは3年以内に甲子園出場を本気で目指す。そして、生田くんはこの2年とちょっとで、君にしかできないことを見つけてもっともっと強くなる。ここならどっちも、叶えられるよ。」
驚いた。生田が大それたことだと思っていたことを、目の前にいる監督はあまりにも強く言い切るものだから、すぐに言葉が出なかった。
「当然、練習は厳しいよ。でも、君のことを見てたら、3年間本当に真面目に練習してきたんだって、ちゃんとわかる。だから、大丈夫。」
ね?と隣にいる松澤に話を振ると、松澤も快活に頷いた。
「どうかな?ここで一緒に野球続ける気、ある?」
監督はそう言って生田に向き直る。ただの夢だと思っていたことをこんなにもあっさりと、真っ向から肯定してくれたその人のもとで野球をやれるなら、今までの自分から何か変われるかもしれない。そんな漠然とした期待と、衝動が胸に宿った。
「よろしく、お願いします・・・!」
気がつけば今までよりも大きな声で、そう返事をしていた。
そんなやりとりを経て鷹坂の野球部に入部し、仲間たちと上を目指して切磋琢磨し、気がつけば3年生の夏を迎えていた。
**
『ボール!!』
1ストライク2ボール。慎重に投球を見極めながらも、生田は反撃の機会を窺っていた。
ベンチやスタンドから大きな声援が聞こえる。これほどまで多くの人が、今まで自らの名を呼んでくれたことがあっただろうか。中学の頃は、否、高校に上がった当初は想像すらしていなかったことだ。
「生田ー!!都大会決勝を思い出して思いっきり行けー!!」
そんな声がベンチから飛んでくる。八代だ。
自然と笑みが浮かんだ。
そうだった。もう自分は1人じゃないし、もう陰の薄い人間だなんて言わせない。
なぜなら今年の都大会決勝で、鷹坂学院初の甲子園出場の決定打となった逆転サヨナラ2ランホームランを打ったのは、他ならぬ生田自身なのだから。
あの時は、入部の時に『甲子園に行きたい』と勇気を出して言ったように、とにかくがむしゃらだった。その時のように、バットを握る手に力がこもる。
そしてその力が4球目を捕えた。
『打ったー!!生田、本日初安打です!!』
何とかヒットで出塁した生田だったが、それに呼応するかのようにパワ高の守備も更に警戒が強まっていったのを感じた。
その予感通り、次のバッターとなった大塚の打球はショートゴロに終わり、二塁を目指していた生田ともどもダブルプレーに討ち取られる結果となった。
4回裏が終わって1-2。鷹坂が1点リードしているものの、まだまだ均衡が大きく崩れないロースコアゲームが続いていた。
5回表:パワ高の攻撃
ゲームが大きく動くとしたら、ここから。それは生田をはじめとした鷹坂の選手のみならず、相手のパワ高の選手たちも同様に考えているだろう。
「(松澤、少し疲れてきてるか?)」
それまで元気に快投を続けていた松澤の表情に少しばかり翳りが見えていると感じたのは、この回最初のバッターである8番柏崎が打席に立ち2ストライクを取った時だった。
恐らくそれは、内野側にいる小野寺や幡野、そして松澤の球を受けているキャッチャーの大塚も既に気がついているだろう。そして、それに気がついた時こそ隙が生まれやすい。
4球目の松澤の投球が正確な軌道を描く。しかし、そこを柏崎のバットが正確に捉えた。
三遊間を抜けようとするゴロにショートの幡野が追いつくが、一塁への送球は間に合わずセーフとなる。
いきなりノーアウトで同点のランナーを出してしまった。更に、続く9番の稲尾は送りバントで柏崎を二塁に進め、鷹坂は一気に同点のピンチに追い込まれつつあった。
「(みんな、ここから崩れないといいが・・・)」
三塁の守備位置に立つ生田は、努めて冷静に状況を伺っていた。明らかに比率の増えてきたレフト側への打球を抑えなければ、本当に同点を許してしまうこととなる。それだけは避けたかった。
「(守ってみせる。ここで失点させてなるものか。)』
中学生の頃はサードではなく、外野手として練習に励んでいた。
外野が向いていたかどうかは今となってはわからないが、ずっと憧れはあったのは否めない。
生田が中学生だった頃、にじさんじ甲子園で注目されていた外野手は多く、それぞれに光るものがあった。特に目を惹いたのは、名門加賀美大附属高校の要と称されてきた葉加瀬冬雪の『全知』と称される脅威の活躍や、楽園村立まめねこ高校の主砲、オリバー・エバンスの大柄な体躯から繰り出される豪快な打球。彼らのスーパープレーを画面越しに見るたび自分との違いを痛感しては落ち込み、それでも何か、自分もできるようになれれば、という思いで練習を重ねていた。
しかし、2年生になった直後にこれまでの外野から内野への転向を提案され、ちょうど1年前の夏には監督からサードを任された。正直驚いた。
三塁手に求められることも多い。正確な送球力と捕球力、一塁への距離のある送球を可能にする肩の力・・・荷が重いポジションであると同時に、近年何人ものスター選手を輩出しているポジションなだけに、花形のイメージも強かった。
そのイメージを根強いものとしたのは紛れもなく、かつてのにじさんじ甲子園出場校である名門・にじさんじ高校でサードを務めた『ミスター詩子』こと鈴鹿詩子の存在であろう。ニックネームの通り、ミスタープロ野球ことレジェンド・長嶋茂雄選手の系譜を継いだ超大物選手として、大会前から一際注目を浴びていた。そして、その年のにじさんじ甲子園ではその前評判に恥じぬ活躍を見せ、チームを総合3位に導いたのだ。
走攻守揃った選手が次々を名を連ねるそのポジションに、自分がなれるものだろうか。ある時、なぜ自分をサードに指名したのか、監督に聞いてみたことがあった。
『だって、生田くんがいちばん送球が正確だし、走攻守のバランスがバッチリだもの。今の鷹坂で君が一番適任だよ。』
当たり前、とでも言うかのようにサラッとそんな答えが返ってきて、生田はただ目を見開くしかなかった。
そんなことを言われたのは初めてだったのだ。
1年経った今までずっと、胸を張り続けられたわけではない。しかし、今自分に出来ることは、全力で守ること。鷹坂で信頼を置く仲間、そして監督からこの位置を任された、責任と誇り、そしてわずかばかりの意地が、生田のグローブを持つ手に力を与えているのだ。
1アウト二塁で、打順は1番の千葉に戻る。先ほどは盗塁を軽々と奪われてしまったこともあり、彼を出塁させてしまえばいよいよ失点が現実的となるのが容易に想像できた。
しかし、千葉の打球は高く鋭い弧を描いて松澤の頭上に落下する。ピッチャーフライで2アウト目を獲った。
続いて2番の酒井が打席に立つ。ランナーは変わらず二塁。三塁側から見える松澤の目は真っ直ぐにバッターボックスを見つめていた。まだいける、そう言いたげに凛とした姿勢で投球フォームを構えている。
2ボール1ストライクののち、酒井のバットが球を捕らえ三塁方面に転がってきた。
「(抜かせるものか!!)」
迷わず走り出して最短距離で球を捕らえると同時に、全力で一塁の小野寺に送球する。
「アウトー!!」
今度は間に合った。生田もほっと胸を撫で下ろす。
勝負は1-2で鷹坂がリードしたまま、5回の裏に向かった。
=====
6. 僕だけに見えるリアル 【背番号2 キャッチャー 大塚啓(3年)】
5回裏:鷹坂の攻撃
「大塚くん。状況、どう思う?」
ベンチに戻るなり、香月監督に声をかけられた。
「こちらに関しては想定通り、ですかね。次の守備で抑え切れれば、うちが逃げ切れる可能性も見えてくるかと。」
「松澤さんは、まだいけそう?」
「本人はまだまだいける、という気持ちが強そうですから、6回まではいけるかと。できる限り僕が支えます。」
「頼もしいな。よろしくね。それに、その後のことも。」
「勿論です。」
大塚は力強く頷く。打順の関係で、松澤は既にネクストバッターズサークルにて控えていた。
ここで代打を出すことも一つの選択肢だし、現に監督は、2年の控え選手で最も打率が高い九条に代打を任せる可能性も示唆していた。
しかし、松澤の様子と今の大塚の反応で、監督は九条に声をかけずもう1イニング松澤に任せることにしたようだった。
とはいえ、松澤は予定通り次の回まで投げ切って交代となるだろう。そして、その後を引き継ぐ同輩のことも、大塚はしっかりと把握している。その人物は既にウォームアップのために、ファウルゾーンに設置されたブルペンにいるのだろう。新しく入った1年のキャッチャー共々、ベンチに姿がなかった。
「しかし・・・稲尾投手の球は未だ衰えませんね。」
「そうね、稲尾くん以外の選手もかなり強力と聞いているけど・・・あちらの監督は多分、稲尾くんの調子が悪くないなら完投させることも視野に入れていると思う。何とか怯まず、隙を見つけるしかないわね。大丈夫。チャンスは絶対にある。」
大塚の呟きに監督が答えた。その声はいつにも増して、熱がこもっている。
「気合入ってますね、監督。」
「そうね・・・。私にとっても、念願の試合だからね。」
噛み締めるように言いながら、監督は笑みを浮かべた。
監督の言う通り、バッターボックスに立つ鷹坂の仲間たちも同様の指示を受けて積極的に攻めていく姿勢を見せていた。
しかし、その勢いも稲尾投手の球に敢えなく阻まれることとなる。
この回鷹坂の攻撃は、7番八代がショートフライに討ち取られた後は、8番松澤、9番本橋と2人連続で三振。上位打線に回せずに攻守交代となった。
6回表:パワ高の攻撃
「大塚くん、まだまだいくよ!よろしくね。」
「勿論。全力で受け止めますよ。」
多少の疲れは滲み出ているものの、松澤は変わらず明るい。彼女の声に大塚は頷き、キャッチャーボックスにて構えを取った。
キャッチャーにはキャッチャーにしか見えない世界があると言うが、3年前の大塚にとってはそもそも自らが野球をやる、ということ自体がまるで想定外の世界だった。
**
中学卒業間際まで、野球は観る専門だった。
小さい頃から親しみがあったといえばあったし、ルールも知ってはいた。しかし、それはあくまで、テレビゲームで覚え親しんだ世界に過ぎなかった。
小学3年生の頃、クリスマスのプレゼントに両親が買ってくれたゲーム機と野球ゲームのソフトが、大塚の野球との出会いだった。
すぐにゲームを攻略することに夢中になった。選手の育て方やチームの作り方、試合の攻略法など、試行錯誤を重ねながら勝利を積み重ねていくことが楽しくて仕方がなかった。定期的に発売される新作も自らの小遣いを貯めて買っては攻略し、自分なりの選手データを作る、ということを繰り返した。
ゲームで野球に親しんでいくうちに実際のVR野球を観ることにも興味を持ち始め、ネット配信でVRプロ野球や高校野球も見始めた。ゲームとは違ったリアルの世界にしだいに魅せられ、気がつけば大塚の中学時代の思い出は、ゲームとVR野球観戦が大半を占めていた。
そんな学生生活に転機が訪れたのは、鷹坂学院高校に入学してすぐのこと。
たまたまグラウンドの前を通った時、ふと『野球部体験会兼入部テスト会場はこちら』という手書きの張り紙が目に入った。
高校の野球部というのは、どんな練習をしているのだろうか。
ふいに興味が湧いて、大塚はグラウンドの外から見える場所で、野球部の練習を眺めていた。
ゲームや画面越しの試合とは違う生の練習の空気が新鮮で、しばらく見入ってると、目の前にボールが転がってきた。
「悪い!こっち投げてくれるか?」
おそらく2年生か3年生の先輩であろう、ユニフォームを着た部員が声をかけてくる。大塚は映像で見たことのあるプロ選手の投球を思い出しながら、ボールを思い切り投げた。ボールはスポン、と吸い込まれるように先輩部員のグローブに収まった。
これまで近所の公園で壁投げの真似事しかしたことがなかった大塚にとって、初めて持った野球のボールはリアルな重みがあった。練習の邪魔になってはいけない、とカバンを取りに戻ろうとした時、
「君!」
先ほどボールを投げた相手である先輩部員がこちらに駆け寄ってきた。何かしてしまっただろうか、と微かに首を傾げる。
「君、1年?野球経験者?」
「1年です・・・野球は、観るのは好きですけど、やったことは・・・。」
「ってことは、未経験であれだけ正確に投げられてるのか。」
いいな、と力強く頷いたその先輩部員は、遠藤と名乗った。3年生で、キャッチャーをしているらしい。
「もし部活決まってないんだったら、体験入部してみないか?未経験でもやる気があれば歓迎してるし、合わないと思ったら体験期間で辞めてもOKだから。」
「・・・だったら、まあ・・・」
「お、やった。じゃあ監督に紹介するよ。こっち来て。」
まさか向こうから声をかけられるとは思わなかったし、そんな緩い感じで良いのだろうか。野球部はもっと厳しいイメージがあったのだが。
疑問符が点灯しながらも、流れで遠藤についていくことになった大塚は、とりあえず体験期間だけという条件付きで野球部に入ることになった。
文字通り練習を体験するだけ、かと思いきや、課されたメニューはかなり本格的だった。
体力づくり、バッティングの基礎、投球と守備のいろは、客観的に見て何となく知っていた野球の知識とは全く違う世界で驚くことばかりだった。
運動に明るいとは言い難い大塚だったが、ギリギリついていけるレベルに練習量を調整して貰えたことも相まって、何とか脱落せずに体験期間最終日を迎えられた。
「(今日で終わり・・・実際に野球をやってみるのも、悪くはなかったですね。)」
泥まみれになったユニフォームから制服に着替える。最初は野球を体験するだけ、だったはずだったが、実際にやってみるとまた違った魅力が存在していた。
このまま野球から離れてまた観るだけに戻るのも悪くない。悪くないとは思うが、果たして自分は後悔しないだろうか。
監督や先輩たちに一言挨拶をするために部室に立ち寄ろうと、夕方の廊下を歩きながら大塚は思考を巡らせていた。
「お、いいところに来た。大塚くん、ちょうど君を探しに行こうとしてたんだ。」
部室には遠藤と、監督の香月がいた。PCの画面を前に、何かを打合せしていたようだ。
促されるままに向かいの席に腰を下ろすと、香月監督から体験入部の感想を問われる。素直に大変だったが充実していたことを伝えると、監督は遠藤と嬉しそうに顔を見合わせる。そして、向き直った後に言われたのは意外な言葉だった。
「大塚くんがもっと野球を続けたいと思ってくれるなら、このまま一緒に甲子園を目指してみない?キャッチャーとして。」
「キャッチャー、ですか?僕が・・・?」
「そうよ。この体験練習期間で色々なポジションへの適性を見させてもらったけど、大塚くんは正しい鍛え方さえすれば、キャッチャーにとんでもなく向いてる。仮に適性をAからGでランク付けするならB相当、ってところかな。」
ゲームが好き、という話を初日にしたからか、香月監督はわかりやすいようにゲーム内のランクで例えてくれているようだった。
キャッチャーでBランク相当といえば、大塚が好んで見ていたじさんじ甲子園でも数えるほどのスター選手しか持っていない好適性だ。たとえば、VRスウェーデンから加賀美大付属に招聘されたアイク・イーヴランドや、神速高校の伝説の投手・黛灰とバッテリーを組んだことで知られる星川サラ・・・思い出すだけでも輝かしいまでの選手ばかりだ。
そんな選手たちに近い適性を自分も持っているだなんて、いくらなんでも眉唾ものだ。
「もちろん、Aにだって君の練習への向き合い方次第ですぐになれる。それくらい、大塚君には才能があると思うの。」
「はぁ・・・。」
にわかには信じられず、曖昧な反応をするしかできない大塚に、監督は言った。
「ゲームや観るだけだと見えない世界もある。大塚くんがもし、その世界を見てみたい、と思ってくれるなら、私たちが全力でサポートする。チームプレーも、悪くないよ。」
これまでの環境では見れない世界。
外から観ているだけで仄かな憧れがあったその言葉に惹かれるように、大塚は野球部に残ることを決めたのだった。
**
6回表、パワ高は3番山下からの打順である。あちらはこの回で、何としても点を取るために策を弄してくるだろう。ひとりが塁に出てその後長打に繋がってしまえば、今のこの均衡は簡単に崩れてしまう。逆に、この回を最小限の球数で抑えることができれば、リードを保ったまま中終盤の攻撃に持ち込むことができる。
大塚は、マウンドに立つ松澤に視線とサインを送った。松澤も頷いた。
山下の攻撃をセカンドゴロで討ち取った直後。
次に打席に立ったのは4番櫻井。大塚を含め鷹坂側が最も警戒している打者であり、パワ高監督も配信番組にて、稲尾と並ぶ注目選手として彼の名を挙げていた。
その前評判通り、櫻井は攻守ともに隙のない選手だ。ここで彼にヒットを放たれたら、いよいよ鷹坂は窮地に追い込まれる。
松澤もその状況は痛いほど理解しているだろう。彼女の構えから先ほどよりも緊張が伝わってきた。
だが、そのような時こそ隙が生まれる。松澤の投球が想定より内側に入ったと気がついた瞬間、
カーン!!
と、櫻井のバットが芯を持った音を立てた。
レフト方向に飛んでいくその球に中村が追いつくも一歩間に合わない。
「(二塁まで進まれましたか・・・)」
ここで得点圏にまで進まれたのは危うい。松澤が建て直しを図るも、続く5番バッター加藤の容赦ない強振が再びの長打を狙っていく。
右中間へ飛んでいった球に、チームいちの俊足である八代が素早く追いついた。しかし、先ほど二塁打を放った櫻井が三塁を回ってホームベースに戻ってこようとしているのを、大塚は同時に視界に捉えた。
「八代!!!」
八代が大塚のサインに気づき、素早くホームへ送球した。
顔を覆うマスクを放り、八代の渾身の返球を受ける。しかし、櫻井の足音も気配も、すぐそこまで迫ってきていた。
大塚のブロックが先か、櫻井のホームインが先か。
コンマ数秒の差でこの後の試合の展開全てが変わる。
チームのために、この世界を共に広げてくれた仲間のために、ここで振り出しに戻してなるものか。
櫻井はスライディングでその足を全力でホームベースへと届かせ、大塚は全力でキャッチャーミットをつけたその手をのばした。
一瞬、周りの音が全て消えたかのようにしん、と静まり返る。
「セーフ!!!!!」
一呼吸ほどの間ののち球審が声を張り上げ、相手側のベンチとスタンドから大歓声が湧き上がった。
「ナイス!!!櫻井!!!!!」
中でもよく通る声がこちらまで届いてくる。ひときわ大きく声を張り上げ、櫻井の勇姿を讃えるのはパワ高の監督その人だった。
「(タッチの差、とはこのことか・・・。)」
ひとつ大きく息をつく。肩を落としそうになるも、ここで落ち込んではいられないのはわかっている。悔しさを甲子園の土に押し込めるように、大塚は立ち上がった。
「ナイスファイトー!大塚!!」
その時、パワ高側の歓声を突き抜けるように、聞き慣れた澄んだ声が大塚の耳に届いた。
顔をあげてピッチャーマウンドの方を向くと、松澤が笑顔でこちらに手を振っている。
「どうも。・・・まだ、終われませんよね。」
強張っていた大塚の表情も心なしか緩んでいく。放り投げたマスクを拾い上げ、気持ちを切り替えるように自らの定位置へと戻った。
スコアは2-2の同点。ただ、振り出しに戻っただけだ。
そう、振り出しに。
勢いづいて更なる加点を目指すパワ高の次打者、6番小倉に対し、松澤の投げる球も更に力が篭っていた。
これ以上好きにさせてなるものか。そんな思いが、小倉を三球三振に抑える。大塚は、投球と共に松澤のその思いもしっかり受け止めて投げ返した。
続く7番の小高の攻撃もファーストゴロに抑え、3アウト。追加点を与えることなく攻守交代へと持ち込めた。
「大塚」
ベンチに戻ってきた大塚に、控えめに声をかける者があった。
「齋藤、調子はどうですか?」
「大丈夫。予定通りいけるよ。」
「良かった。まだ6回裏ですから、まだチャンスは作れます。」
「ああ・・・ここで終わるわけにはいかないな。頼りにしてる。」
「こちらこそ。いつも通り、いきましょう。」
大塚の言葉に、鷹坂のリリーフエース・齋藤柊(さいとうしゅう)は穏やかに、かつしっかりと頷き返した。
キャッチャーにはキャッチャーにしか見えない世界があるという。それを教えてくれたのは、2年半の間共に切磋琢磨してきた、大事な仲間たち。
そしてこの、投球スタイル癖も全く異なる同学年2人の投手とバッテリーを組んでここまで来られた、という実績と誇りこそが、大塚にとって唯一無二の、揺るぎないものだ。
もちろん、優れたキャッチャーという点であれば枚挙にいとまがないほどいる。
たとえば、いつかのにじさんじ甲子園で一斉を風靡した『ですわバッテリー』の片割れ、樋口楓のように『素晴らしい先輩』になれるほどのリーダーシップは大塚にはない。にじさんじ高校で当時最強のキャッチャーとの呼び声高かった、ヴォックス・アクマのような悪魔的なカリスマ性だって持ち合わせていない。
それでも、松澤と齋藤、ふたりの球を正確に捕りそれぞれの力を最大限に発揮するサポートができるのは、自分だけだ。
2年半で培ったのはキャッチャーの能力だけではなく、チームプレーによる仲間への信頼と誇り。ゲームや画面越しに客観的に見ているだけでは見えてこない、まさしく大塚だけに見えるリアルな世界がそこにあった。
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7. 白球に乗せる想い 【背番号4 セカンド 本橋芽美(2年)】
6回裏:鷹坂の攻撃
スコアは2-2。
同点となるも、均衡は大きく崩れることなくゲームは後半へ向かう。
本橋は、自陣のベンチから同輩たちの打席を見守っていた。
この回は1番の中村から、という好打順だ。ここで再び加点のチャンスを掴めれば、終盤の試合を有利に持っていくことができるだろう。
そう思ってはいたものの、
「うあー、なかなか厳しいな・・・」
隣に座っていた八代が呟く。散々実感しているものの、6回に差し掛かったこの段階でも、稲尾のもたらす壁は厚い。
中村が三振に倒れたのち、2番の小野寺がライト前ヒットで出塁するも、その後に続いた幡野、真島の打球は両者ともサードゴロ。試合はあっけなく7回表へと移っていった。
7回表:パワ高の攻撃
『鷹坂学院高校、ピッチャーの交代をお知らせします。背番号1、松澤さんに代わりまして、背番号10、齋藤柊くん。』
本橋を含め、鷹坂の選手たちがそれぞれの守備位置につく中、球場にアナウンスが響き渡る。
同時に、松澤からそのポジションを引き継いだリリーフ投手、斎藤がマウンドに姿を現した。
斜め後ろから見える齋藤の立ち姿は、松澤の明るく凛とした華のようなそれとは対照的に、闇に光る月のような落ち着いた雰囲気を醸し出している。
「(先輩、今日も後ろは、絶対守りますからね。)」
声に出さないその言葉を胸に、本橋はグローブをつけていない方の手をグッと握りしめた。
自分ほど不純な動機で野球を始めた者は、少なくとも今の鷹坂野球部のレギュラーにはいないと思う。それでも本橋は今、この場に立っていることを少しも後悔などしていない。
本橋が野球に興味を持ち出したのは、中学2年生の頃。
きっかけは、『一目惚れ』だった。
**
中2の夏休み、クラスメイトが所属しているという野球チームが試合に出る、というので友人たちと応援に行った。中学生を対象としたリトルシニアリーグの大会で、ここで勝利すれば全国ベスト8に進出する、という大事な試合なのだとか。
そもそも本橋の通う中学には野球部はなく、観る機会もほとんどなかった。だからその時も、ただ友達付き合いで足を運んだだけで、彼女にとって野球はまるきり未知の世界だった。
しかし、試合が進むにつれて、本橋の視線はある1人の選手に吸い込まれるかのように釘付けになった。
「(あの人・・・、凄い!!)」
その人は、クラスメイトの所属するチームの投手として、ピッチャーマウンドに立っていた。彼が投げる球は滑るように滑らかで、時に緩やかなカーブを描くようにキャッチャーミットに収まる。仮にバッターがその人の投球を打ったとしても、必ず守備の選手が捕れる位置へと飛んでいっている。野球のルールをほとんど知らない本橋でさえも、その人の投球がいかに正確で、いかに相手にとって脅威であるかが、試合の様相と周りの歓声でよく理解できた。
加えて、帽子の下からのぞく涼しげで端正な顔立ちが、その人の持つ雰囲気を何倍も洗練させるようだ。誰の目にも留まるような華やかなオーラ、というわけではないかもしれないが、自然と人を惹きつけるような、清廉な雰囲気がある。
「ね、ね、あのピッチャーの人、うちの学校?」
「ああ、3-Cの齋藤先輩だろ。1年の時からチームのエースで、地元じゃちょっとした有名人らしいぜ。」
「へぇ・・・!」
齋藤、先輩。本橋はその人の名前を忘れないように心で反芻しながら、いつしかチームへの応援に、完全に心を向けていたのだった。
それから、そのチームが試合をすると聞くたび、本橋は友人たちと一緒に応援に行った。もちろんクラスメイトのことも応援しているが、齋藤先輩がマウンドに立つのをもっと見ていたくて。
同じ学校だけれど学年も違うし、放課後に見かけることもほとんどないから言葉を交わしたこともなければ、廊下ですれ違うことすらない。
だから、試合で姿が見えた数えるほどの機会が、本橋の楽しみになった。
『推し』がいる、ってこういうことなのかも。
齋藤先輩の活躍を応援席で観られるだけで、幸せな気持ちになった。
先輩がどう凄いのかもっと知りたい、という動機から野球のルールも勉強したし、VR高校野球の試合やにじさんじ甲子園の配信も見て、野球を更に楽しむ方法も覚えてきた。
もともと運動部で体を動かすのも好きだったから、ボールの投げ方や打ち方も見よう見まねで覚えてみた。
一目惚れから始まった野球への興味が、いつしか本橋にとってなくてはならないものになった、中学2年生の夏だった。
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「ストライク!バッターアウト!!」
この回最初の打者となったパワ高の8番柏崎は、齋藤を前に三球三振で打席を降りた。
齋藤の投球は、高校に進学してから正確さと緩急により一層磨きがかかっている。
勢いをつけたストレートが第一の持ち味である松澤とは対照的に、齋藤はスライダーやフォークなど、比較的低めを狙った変化球を得意としている。それでいて制球力が高く球速も安定しているし、一部のピッチャーが苦手としているような左打者への対応も卒なくこなせる。雑誌で取り上げられた際には『東東京の精密機械』という二つ名までついていた。
そして、この回から投球を重ねているそのピッチングも、本橋がずっと前から知っている、安定したものだった。
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去年の春、いくつか合格できた学校のうちから鷹坂を選んだのは、憧れの先輩・齋藤柊がそこに進学し、野球部で活躍しているのを知っていたから、というのがいちばん大きい。少なくともまた2年間は同じ学校だし、今度は野球部のある学校だから、もっと近くで試合が見られるかもしれない。
そんな不純な動機も織り混ざった高校生活の初週のことだった。
『君も入部希望?女子のロッカーはこっち。』
それまで遠くから見ているだけで話したこともなかった齋藤を、そして野球部の練習をもっと近くで見られないか、と思ってグラウンドに来ていた本橋は、あろうことか齋藤本人に入部希望の選手と勘違いされ、そのまま当然のように監督のもとへと案内された。
『推し』に急に話しかけられて、冷静に対応できる人の方が少ない。本橋は、訂正する機会を逸したまま、自身も野球部に入ることとなってしまったのだった。
『こちらこそ早とちりしてごめんね。齋藤くんってクールそうに見えて、意外と抜けてるというか、なんか、天然で面白いよね。』
やっと誤解が解けた数日後、香月監督はそう言って笑った。
『きっかけはどうであれ、本橋さんもみんなと同じで、ずっと野球が好きだったんだなってわかる。だから、本橋さんが嫌じゃなければ、このまま一緒に野球部で頑張ってみない?』
話をちゃんと聞いてくれたのち、監督は改めて本橋を野球部に誘った。ここまで入り込んでしまったら、もう断る理由なんてなかった。
『本橋さんは大きく投げるとか、大きく打つよりも、走る力や守備を鍛えて内野に回るといいかも。』
その後監督や先輩たちの助言を受けて、本橋はこの1年半の間、セカンドとして守備の練習を中心に励んできた。セカンドの候補は何人かいたが、今夏のスタメンが告げられた際、晴れて本橋が選ばれた時は泣いて喜んだものだ。
今年の公式戦は学年的にも、齋藤と共に試合に出られる最初で最後のチャンスなのだから。
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「アウトー!!」
次の9番稲尾、1番千葉も勢いの少ないセカンドゴロに抑えた。一二塁間に転がってきた球はどちらも、しっかりと本橋が止めた。
あっさりとパワ高を三者凡退に沈め、球場の空気も鷹坂に傾く流れを感じつつあるように思う。
マウンドを降りる際、齋藤と目が合うと彼は小さく頷き、微笑んだ。
その表情に、本橋の緊張が少しだけ解ける。こうした一瞬で見せてくれる隔てのない優しさが、本橋は好きだった。
「柊!いい感じじゃん、いけるいけるー!」
ベンチに戻るなり、少し前を歩く齋藤を迎えたのは、太陽のように明るい声。
ここからだと顔は見えないけれど、本橋にはわかる。遠慮なくバシバシと背を叩くその人に、さっきよりも優しく、そして困ったように齋藤が笑いかけていると。
入部して数週間もしないうちに、既に気がついていた。
『ずっと好きな人がいる』と同級生女子の好意を退けたのを風の噂で聞いた時、彼が思い描いていただろう人が誰なのかを。
「(言えないや。だってあのふたりなら、絶対お似合いだもん。)」
だから本橋は、今はこの気持ちを表に出すことはない。同じチームで苦楽を共にして、ひとときだけでも甲子園で共に戦えている。それだけで、今は十分なのだ。
自分に言い聞かせるように、誰にも気づかれないように、本橋はそっと目を伏せて笑った。
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8. 共に駆ける今 【背番号9 ライト 八代海都(3年)】
7回裏:鷹坂の攻撃
2-2のまま、鷹坂が再び突き放すチャンスを迎えた。
しかし、この流れに乗って易々と追加点を許してくれるほど、パワ高も甘くない。それはもう、これまでの戦いで嫌ほど理解している。
その証拠に、この回の先頭打者となった5番生田の三振を皮切りに、大塚、そして八代自身、と続け様に試みた攻撃も次々と凡退に終わった。
相手校のピッチャー・稲尾の投球も、いよいよ勢いに翳りが見えるか、と思われた場面も何度かあったが、それでも鉄腕の系譜を受け継いだ男の底力は圧倒的だった。
8回表:パワ高の攻撃
最短で残り2回。互いに一歩も譲らない攻防戦は、どちらが先に相手を崩せるか、というギリギリの戦いに拍車をかける。
一進一退の戦況は、否応なしにこの試合に注意を向ける全体に緊張をもたらすが、その中心にいる鷹坂の選手たちはまさに、その渦の中心にいるかのようだ。
ライトというポジションは走攻守全体がよく見渡せる。だからこそ、想定外のことが起こったとしても気が付きやすいし、駆けつけられる。
奇しくもこの回は、パワ高2番バッター酒井からの好打順だ。こちらが一瞬でも隙を見せたら、必ずそこを狙って切り込んでくるだろう。
その証拠に酒井は、そして次のバッターである山下は、2ストライク3ボールのフルカウントギリギリまで粘ってくる。ファウルと判定された打球が目に見えて増えていく。
酒井には結局出塁されてしまったものの、山下がライト側に飛ばした打球には八代がその俊足で追いつき、1アウトをもぎ取った。
「(相手も粘ってんな・・・齋藤のやつ、調子崩さねぇといいけど。)」
ピッチャーマウンドに立つ齋藤は、いつものように落ち着いて見える。
八代は戦況を見渡しながら、齋藤の投球に注意を向けた。
現野球部員の中で齋藤だけが唯一、高校入学前からの知り合いだった。その頃は数少ない友人がVR少年野球界で有名な選手のひとりだなんて知る由もなかったし、どれだけ凄いことなのかも知らなかった。
でも、同じフィールドに立った今では、彼がどれだけ頑張ってきたのかが、よくわかる。そして、鷹坂に入るまでチーム競技とは無縁だった八代が、こうして野球部に入るきっかけを作ってくれた。そんな大切な友人だからこそ、余計に気にかかった。
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八代は小、中と陸上部に所属していた。
最も得意としていたのは短距離。そして110メートルハードル。
幼稚園の運動会で1等賞が取れたことがただ嬉しくて、周りの大人たちに勧められるままに始めた陸上だったが、次第に自分の力で記録を塗り替えていくことが快感になった。
中学の頃は都大会で記録更新にも手が届くほどにまで力をつけ、当然高校に進学しても、陸上部でインターハイに出るのだと、信じて疑わなかった。
あの日までは。
『推薦取り消しって、どういうことだよ?!』
中学3年生の夏。陸上の実績で進学するはずだった高校から、推薦を取り消すという連絡が来た。八代に問題があったわけではなく、進学予定だった学校の陸上部で不祥事が起こり、新入生の受け入れが取りやめになったのだ。
『八代くんの実績なら、他の学校でだってやっていけるよ。』
当時の担任は無責任にそう言ったが、都合の良いセカンドチャンスなどやってくるわけもない。
あんなに頑張ってたのに、なんて言われる声に反比例するかのように、卒業に近づくにつれて、陸上競技から足が遠のいていった。
所詮自分にとって陸上って、その程度だったんだろうか。
振り払えないモヤモヤを肯定してしまうような自分が嫌だったが、一度失ってしまった自分の中の熱は、戻ることはなかった。
進学した鷹坂学院高校にはそもそも陸上部がなく、特に他に興味が湧くものも見つからないまま、宙ぶらりんの高校生活が始まった。
中学からの知り合いだった齋藤を見かけたのは、入学してから1週間ほど経った放課後だった。
『(あいつ、野球なんてやってたんだな。)』
齋藤柊とは中学で3年間ずっと、同じクラスだった。特別親しいわけではなかったが、行事などで班が一緒になることが多く、話す機会も自然と途切れなかった。そのお陰か、それまで陸上一筋で友達の少なかった八代にとって、ある程度気楽に話ができる貴重な存在だった。
最終下校時刻までは時間があるが、運動部の標準活動時間は過ぎている。
フェンスがオレンジ色の光を鈍く反射しているグラウンドの隅で、齋藤はひとり、黙々と投球練習をしていた。その横顔は、八代が知っている普段の穏やかな彼とはどこか、別人に見えた。教室で見慣れた柔らかな雰囲気を覆い隠すかのように、静電気のようなピリッとした空気を纏い、真剣な表情で練習用の的に向き合っている。
1球、2球、と白いボールが順番に的を貫く。そのコントロールの正確さは、野球に関しては素人の八代にもなんとなくわかった。
『八代・・・?』
しばらく目を奪われるように練習風景を見つめていると、自らへの視線に気がついた齋藤がこちらを向いていた。
『お前、野球やってたなんて知らなかったぜ。バンバン的に当ててすげぇな!』
いつもの明るい調子で言葉をかけてみると、齋藤の表情もつられて少しばかり、緩んだ。
『ちょっとでも、役に立てたらな、って。』
そう言って微笑む齋藤に、その時は『そっか、頑張れよ!』なんて声をかけ、グラウンドを後にした。
その翌日、再び運動部の部室が並ぶ廊下を歩いていた八代は、野球部の部室の前に貼られた紙に気がついてその足を止めた。
『野球部新入部員募集中! 未経験者歓迎、体験入部OK』
『(野球って、面白ぇのかな?)』
チーム競技はそれまで、学校の体育以外で経験したことのなかった。そんな八代にとって野球は、毎年夏になるとやっているにじさんじ甲子園とかで何となく知ってる、という程度の遠い存在だった。
だが、あの時グラウンドで見かけた齋藤の真剣な表情に、そこまで打ち込めるような何かが野球にはあるのかもしれない、と思うと、漠然と興味が湧いた。
陸上よりも、熱くなれるモンに出会えるかもしれない。そんな直感に導かれるように、八代は野球部部室の扉を叩いた。
**
パワ高の打順は、再び4番櫻井に回ってくる。1つ前の打席で戦況を振り出しに戻すヒットを放ったパワ高の主力打者に、八代を含め鷹坂の選手たちの周りにも一層警戒と緊張が漂っているように見える。
ピッチャーマウンドに立つ齋藤もまた、それは同じだろう。ひとつ深呼吸をして、投球フォームを構える。グローブとボールを持つ手に、一層力がこめられたように見えた。
「ボール!!」
櫻井もまた、この均衡を打破する機会を掴むために果敢に攻めてくる。ボールが重なり、ファウルが重なり、齋藤の投球数も増えていく。櫻井も食らいつくようにバットを振る。
どちらも一歩も譲らない。
そしてフルカウントで迎えた8球目、八代の視界がとらえたのは一瞬の違和感だった。
「(齋藤!!?)」
齋藤の手からボールが離れようとしたその瞬間、ほんの少し投球の体勢が揺らいだ。それに引き摺られるように、得意としていた低めの球が僅かながら、上向きの軌道を描く。
ガツーン!!!
一瞬の僅かな隙ののち、それは大きく重い音を響かせた。
櫻井のバットに当たった球は、八代のいるライト方向目掛けて飛んでくる。
「(くそっ!!高い!!)」
土を蹴り、全速力でライト前スタンドに駆けていく。目の前のハードルを越えるかのように跳躍し、スタンド前に落ちるところを捕らえたくてその手をのばした。
届け!!入るな!!!
八代は手足に全身全霊の力を込めてボールを目指したが、その力の及ばないところへと、高く遠く、ボールは吸い込まれていった。
ボールの届いた先から、今まででいちばんの歓声があがった。
『決めましたー!!パワ高櫻井、勝ち越しを決める大きな2ランホームランです!!』
歓声が八代の足を止め、球場に響くアナウンスが戻る気力まで奪おうとする。
「畜生っ・・・!!!」
相手校のベンチから湧く歓声と、パワ高監督の櫻井を称賛する声。それに紛れるように、叫びそうになる声を押し殺しながら、八代は守備位置に戻る。その途中、ピッチャーマウンドに立ち尽くす齋藤の姿が視界に入った。
「齋藤ーっ!!大丈夫か?!」
たまらず声をかけると、齋藤は声を発することなく小さく頷き、少し困ったように微笑んだ。
無理して笑うんじゃねぇよ、と声をかけ、教室で他愛ない話をするかのように、笑い飛ばしてやれたらよかったのかもしれない。
だが、今の八代にもそんな余裕なんてなかった。
8回表、1アウト。4-2でパワ高に再びリードを奪われた。
「まだだ!まだこっからだぞ!!!鷹坂!!」
右側から大きな声がした。鷹坂の全ての守備位置に届くような、芯の通る声。
「真島・・・」
センターを守る、キャプテンの真島だった。
その一声は誰を咎めることも、慰めることもなく、ただ仲間の消えかけた闘志を再び照らすための種火にすぎない。しかし、その火が見えているからこそ、消えないからこそ、光と熱が伝わり合い、フィールド全体へと広がっていく。
そして、中央に立つピッチャーにも。
齋藤は真島と目を合わせ、ひとつ頷いた。続いてキャッチャーの大塚からのサインに応えると、再び投球の体勢に入った。
打席に立つのは、5番バッター加藤。パワ高は今の勢いに乗って、更なる追加点を狙ってくるだろう。
なんとか上昇気流に乗ろうとするパワ高の勢いを最小の労力で食い止め、形成逆転のチャンスを狙いたい。
そのためには誰ひとり、下を向いている暇なんてないのだ。
「ストライーッ!!」
「(いいぞ、建て直してきてる!)」
八代は戦況を見守りながら頷いた。
齋藤の投球がコントロールを取り戻し、ストライクゾーンに迷わず入る球が続く。加藤の打撃は三振に抑え、続く6番小倉からもミスなく2ストライクを奪った。
「(粘ってくるかもしれねぇが、今度こそ!)」
小倉も諦めずに反撃の機会を狙っている。4球目がバットに当たり、ライト方向へと飛んできた。
「俺の脚をっ!なめんなっ!!」
八代は走り出す。陸上を辞めたときは自分の心の折れ方に自己嫌悪に陥ったことだってあった。だけど今は、1ミリも後悔はしていない。
「アウトー!!」
フライボールに追いつき、その球を捕った瞬間、スタンドとベンチから歓声があがる。
「ナイスキャッチ!八代!」
近づいてきていた真島の声が耳に届く。ベンチに戻れば、そこで待つ後輩たちや監督、共にフィールドに立つ同輩たちに労いの声をかけられる。
野球部に入らなければ、できなかった経験がたくさんあった。
中でもいちばん嬉しかったのは、本当に仲間と呼べる人ができたことだ。
「こっからだ。巻き返すぞ!」
気合を入れるキャプテンに応える鷹坂の選手たちの声が、勇ましく響いた。
(続く)