【未完】そして恋になるゼットという存在は、良くも悪くもこのアイオニオンという世界の支柱を担っていた存在だった。
世界の常識や価値観は全てゼットにより作り出され、かの存在が是とした断りの上に人々は生きていた。
だが、そんな絶対的存在と言えたゼットが斃された今、アイオニオンは新しいあり方を手に入れようとしている。
ケヴェスとアグヌス。ふたつの世界が入り交ざったこの混沌とした世界を正しい在り方へと導くには、旗振り役が必要だった。
人としての正しさとは何か、世界の正しい在り方とは何か。そのすべてを知っている人間でなくてはならない。
そんな旗振り役を担ったのは、ふたつの世界の女王、メリアとニアだった。
ふたりは、ゼットを斃した6人のウロボロスたちを“正しさの象徴”と位置付け、永遠に続くかと思われた戦乱を収めようと努力している。
旅の道中、6人のウロボロスたちによって命の火時計から解放されたコロニーは、新しい世界への重農も比較的早かった。
けれど、すべてのコロニーが易々と現状を受け入れられるわけもない。
戦うことを選択する必要のない世界が来た。その事実すら受け入れがたいというのに、人として正しい命の営みなど、ゆりかごから産まれ出た兵士たちが瞬時に理解できるわけもない。
人は簡単には変われない。身体のどこかしらに刻まれていたはずの刻印が消えるだけでは、色づいた価値観を真っ白に戻すことはできなかった。
そこで行われたのは、シティーの有志達による“教導”である。
戦うこと、命を奪うことしか知らなかったケヴェスとアグヌスの兵士たちに、生きること、そして命を紡ぐことの素晴らしさと方法を説いて回るのだ。
当然、反発や混乱がなかったわけではない。
突然やってきた顔中しわだらけの人間に、命を宿すための方法など教えられたところで警戒するのは当然のこと。
戸惑うケヴェスとアグヌスの兵士たちをなだめたのは、他の誰でもない6人のウロボロスたちだった。
自分たちと同じように人工的なゆりかごから産まれ、かつては同じようにブレイドを奮っていた者たちの言は、シティーの得体のしれない人間たちの言葉よりも説得力がある。
こうして、シティーの長老モニカと、医者ホレイス、そして6人のウロボロス先導のもと、ケヴェスとアグヌスに新しい価値観が広まった。
ゼットが消え失せてから、約半年後のことである。
***
ある日の昼下がり。
コロニー9の野外食堂にて、一人の青年が仏頂面で遠くを見つめていた。
彼の名はカイツ。このコロニーの副官である。
かつてコロニータウと協力して作り上げた畑は、今やもちもちイモだけでなくその他多くの品種の野菜を実らせている。
タウに並ぶほど農業スキルが発展しつつあるこのコロニーには、他のコロニーから技術を学ぶため多くの人員が派遣されてくる。
おかげさまでコロニーは異様なほど活気づいているが、明るい空気感の中でカイツだけが陰鬱な空気を放っている。
もちもちイモのコロッケをフォークをつつきながら、頬杖をついた彼は不満げな様子で遠くを見つめている。
その視線の先にいるのは二人の男女。コロニー9軍務長のゼオンと、コロニータウ軍務長のユズリハである。
すっかり規模が大きくなった畑の中央に立ち、あたりを見回しながら近い距離感で会話している二人の様子をじっと見つめ、何度目かのため息を零す。
普段は笑顔などめったに見せないゼオンが笑んでいる光景も、そんなゼオンを見上げながら穏やかに頷いているユズリハの様子も、何もかもが気に食わなかった。
「なぁに仏頂面で飯食ってんだよ」
「痛っ」
そんな彼の陰鬱な空気感を察し、背後から背中を叩く者がいた。
突然背中に走った痛みに顔をしかめながら振り返ると、そこには白く美しい羽根を頭から生やしたかつての仲間が立っていた。
「なんだユーニか。いつの間にコロニー9に帰ってきたんだ?」
「ついさっきだよ。てか久しぶりに帰ってきたのにつれないな」
同じもちもちイモのコロッケが乗ったトレイを、カイツの隣の席に置くユーニ。
どうやら彼女も昼食を食べに来たらしい。
何の断りもなく隣に座る彼女を、1期の頃からの付き合いであるカイツは咎めなかった。
「最近ノアもランツも留守にしてるよな。そんなに忙しいのか?」
「いろんなコロニーからお呼びがかかって大変なんだよ。なんたって、ケヴェスアグヌスの垣根なしに交流がある人間なんて、シティーの奴ら以外だったらアタシらしかいないわけだし」
「……そりゃそっか」
ふたつの勢力は、ゼットが消えたと同時に休戦し、ふたりの女王の命により一切の軍事行動を禁止されている。
中には新しい世界の価値観に重農出来ず、レジスタンス活動をしている不届き者もいるようだが、ほぼすべての兵は戦うことをやめている。
とはいえ、かつての仇敵とそう簡単に握手できるわけもない。
未だわだかまりは消えず、ケヴェスアグヌス間での交流は限られている。
そのため、どの勢力とも関係を持っている6人のウロボロスは、ケヴェスにとってもアグヌスにとっても、そしてシティーにとっても都合がいい。
休む暇もなく各コロニーからヘルプの声がかかっているため、6人は分担してアイオニオン中を飛び回っているのだ。
当のユーニも、昨日までコロニー11へ足を運んでいたが昨日の夜ようやくこのコロニー9に帰ってこれたのだ。
頼られることはうれしいが、体力的には厳しいものがある。
ある意味、ゼットを斃すために旅をしていたあの頃よりも過酷な状況と言えるだろう。
「ま、ランツやアタシはともかく、ノアは別のことで忙しいんだろうけど」
「あぁ、子供出来たんだっけ?そういうのなんて言ったっけ?えっと、ニンジン……?」
「ニンシン、な」
「あぁそれそれ。ニンシンってそんなに大変なのか?」
「大変なのはノアよりミオの方じゃね?結構しんどいらしいぜ。腹は膨れるわ吐き気はすごいわイライラするわで」
「へー……」
あまり興味がないのか。それともさほど理解していないのか、カイツは我関せずといった様子でコロッケを口に運んでいた。
かの朗報がもたらされたのは約1か月前のこと。
ミオの身体に命が宿ったらしいという報告を受け、ユーニはノアやランツと共にコロニーガンマへと急行した。
そこには当然かつての仲間であるタイオンやセナもいて、シティーから駆け付けたホレイス医師の姿もあった。
診断の末、やはりミオの身体には新しい生命が宿っているとホレイスは断言した。
誰との子なのかは、誰も質問などしなかった。
聞かずともわかり切っていたし、何よりノアの感極まった様子を見ていれば誰だって父親の正体は分かってしまう。
ホレイスは言った。ゼットが斃されて以降、シティーの人間以外で子を成した事例は君たちが初めてだ、と。
コロニーガンマには、当然ながら出産に必要な設備などあるわけもない。
そこで、ミオは一人シティーの医療施設にて入院する運びとなった。
子を産むのを、おそらくはシティーで経験することになるだろう。
そんな経緯もあって、ノアがコロニー9を留守にする頻度は高くなった、どうやら毎日のようにシティーにいるミオを見舞っているらしい。
レウニスやアーモリーの定期便が絶えずアイオニオン中を巡るようになったとはいえ、シティーからコロニー9は相当離れている。
甲斐甲斐しいノアの奉仕力に、よくやるなとユーニは関心していた。
「ミオに命が宿ったてことはさ、やっぱり、そういうことしたってことだよな」
「そういうこと?」
「ほら、前にシティーの奴らがわらわらうちのコロニーに来て教導していっただろ?命の宿し方……」
「あぁ、まぁ、そうだな。そういうことになるな」
隣に座るカイツは、眉間にしわを寄せながら遠くを見つめている。
視線の先にいるのはやはりゼオンとユズリハ。
複雑な色をした表情を浮かべつつ、彼はもごもごと言葉を続けた。
「いつか俺たちも、世界のために誰かとそういうことしなくちゃいけないんだよな?」
「絶対じゃないけど、した方がいいのは確かだろ。ゆりかごはもう使えねぇわけだし、人間を増やすにはそうするしかない」
ゼットという存在が消滅し、メビウスがいなくなったことで、各キャッスルに配備されていたゆりかごの機能は一斉に停止した。
メカニズムを解明すれば再起動も可能らしいが、モニカ曰く、それは“リンリテキに考えて選択できない”そうだ。
今まで命を人工的に作り出していたのが間違いであり、命ある者はすべからく平等に母体から産まれるべきで、それが人として正しい在り方なのだと彼女は力説していた。
つまり、これからこの世界で人口を増やすには、ケヴェスやアグヌスの元兵士たちがシティーの人間たちと同じように命を紡がなくてはならない。
ノアとミオが成し遂げたように。
これは暗黙の了解であり、人々に課せられた新しい使命でもあった。
だがこの使命には大きな問題がある。
“誰が誰と子を成すべきか”という問題だ。
先ほどから陰鬱な空気を放っていたカイツも、この問題に頭をもたげていた一人である。
「ユズリハさんはやっぱり、ゼオンを選ぶのかな」
「は?ユズリハ?なんで?」
「だって仲良さそうだし」
そういう意味で問いかけたわけではない。
なぜ今急にユズリハの名前が出てきたのかという意味で問いかけたのだが、カイツには伝わっていなかったらしい。
相変わらず不服そうな顔で畑の方にいる二人の男女を睨むカイツ。
そんな彼の様子に首を傾げつつ、ユーニは感じたことを率直に口に出した。
「なに?カイツはユズリハとがいいの?」
「べ、別にそういうわけじゃないけどさ……。どうせならちゃんとお互い知り合いの方がやりやすいのかなって思っただけで」
「知り合いなら他にもいるじゃん。カミラとかアイリスとか」
「カミラはだめだ。フォクスが声かけたがってるし……。アイリスだって、他の奴に声かけられたらしいし……」
「別に誰に誘われてても関係なくね?時間かければ命は何度でも宿せるみたいだし。ゼオンが終わった後にユズリハに頼んでみれば?」
「はぁ?ふざけんな。なんでユズリハさんをそんな、ゼオンと共有みたいなことしなくちゃいけないんだよっ」
折り畳み式のテーブルを拳で叩き、カイツは顔を真っ赤に染め上げながら憤慨した。
何をそんなに怒っているのか理解できなかったユーニは、怒りの表情を浮かべるカイツに首をかしげるしかなかったが、不意に冷静になったカイツが一つ咳払いをしたことで、ヒートアップしたその場の空気が冷却される。
「ミオはさ、ノア以外の奴とそういうことすると思うか?」
「ミオ?うーんどうだろうな。あんま考えらんねぇな。あの二人って、お互いがお互い以外ありえないって思ってそうだし」
「だろ?あぁいうのがいいんだよ、俺は」
カイツの視線を追う様に畑へと目を向けてみると、穏やかに微笑み合い、近い距離感で談笑しているゼオンとユズリハの姿が見えた。
彼らの周りに人はいない。
2人がいるあの空間だけ、まるで別世界のようだった。
そんな光景を恨めし気に見つめている隣のカイツに再び視線を戻したユーニは、脳裏に浮かんだひとつの仮説をぶつけてみることにする。
「カイツお前……。もしかして、ユズリハを独占したいとか思ってる?」
口にした瞬間、カイツの顔から不満の色が消え、代わりに羞恥や怒りの色がにじみ出た。
顔をそむけた彼は、今まで一度も見たことがない幼い顔をしていた。
「そうだよ!独占したいよ!だってズルいじゃんかよ!俺はユズリハさんのことしか考えられてないのにさ、向こうは俺のことなんて眼中にないし!うちのコロニーに来るたびゼオンと親密そうに話すし!俺以外の奴と……、ゼオンとこれ以上仲良くなってほしくないんだよ!悪いか!」
「い、いや……、悪かねぇけどさ……」
カイツはゼオンに比べて、どちらかというと感情的なタイプだった。
だが、ここまで紀雄に任せて自分の複雑な感情を羅列しているさまを見るのは初めてだ。
それほどまでに、カイツという男はユズリハに心乱されているということか。
こうして新しい価値観に振り回され、混乱し、順応できずにいる者を何人も見てきた。
カイツもまた、“世界のために命を紡ぐべし”という使命にストレスを感じているのかもしれない。
友人の一人として同情を覚えたユーニはオーバーヒートしているカイツの背中をたどたどしく擦り始めた。
「んー、まぁ混乱する気持ちは分かるって。けどさ、なにもみんながみんな命を作る義務はないんだし、向いてないって思うなら無理にやろうとしなくていいんじゃね?」
「……そうやって身を引いたら、ゼオンがユズリハさんと命を作る羽目になるだろ」
「べつによくね?」
「よくない!よくないんだよ……」
今度は泣きそうになりながら頭を抱え始めたカイツに、ユーニまで頭を抱えたくなった。
カイツは自分が誰かと命を紡ぐことにストレスを感じていたのだろうと仮定していた。
どうせ相手を定める必要があるのなら、その相手を誰かと共有したくない。
だから悩んでいたのだろうと思っていたが、どうやら違うらしい、
カイツは、ユズリハとゼオンが親密そうにしている事実に心乱されていたのだ。
ノアとミオのように、互いが互いに見つめ合う関係になりたいのに、そこにゼオンという第三者が存在することで理想的な関係の構築を阻んでいる。
ユズリハの視線を独占出来ないことが、根本の問題というわけか。
人の感情とは複雑怪奇なもので、他者が抱える微妙な違和感を言語化することは難しい。
カイツのユズリハに向けている目は、かつての仇敵を見る目ではない。
かといって、仲間を見る目ともまた違う。
熱っぽくて、期待が入り混じっていて、それでいてわずかに愁いを帯びている、そんな複雑な目だ。
思い返せば、旅の終わり際、ノアもよくこんな目でミオを見つめていた。
あの時の彼がミオに向けていた複雑な感情と、今カイツがユズリハに向けている複雑な感情は同じ色をしているのかもしれない。
その色の名前をなんと呼称すべきか、今のユーニには判断できなかった。
「お前たち女はいいよな、“選ぶ側”で」
「どういう意味?」
「俺たち男はどう頑張っても命を宿せない。お前たち女に受け入れてもらえないと、どうにもならないだろ」
「アタシら女だって一人じゃ命を宿せない。その辺は同じだろ?」
「でも、結局のところ選択権はそっちにある。お前らに“嫌だ”って言われたら、俺らは引き下がるしかなくなるんだよ……」
なんとなくカイツの言いたいことが見えてきた。
恐らく彼は、ユズリハに拒絶されることが怖いのだろう。
彼女を独占したい。ゼオンには渡したくない。自分だけの相手でいてほしい。
でも、胸に抱いたその欲求も、ユズリハ本人に拒絶されれば行き場を失ってしまう。
自分から一歩踏み出して行動すればいいのに一向に出来ないのは、空振りに終わるのが恐ろしくて仕方ないからなのかもしれない。
「それにお前らは羨ましいよ。相手が決まってるようなもんなんだから」
「決まってるって?」
「どうせタイオンだろ?お前の相手」
「はぁ?」
カイツの口から急に飛び出した名前に、思わず素っ頓狂な声を挙げてしまうユーニ。
だがそんな彼女とは対照的に、カイツは少し驚いた様子を見せていた。
ユーニが見せた反応が、予想していたものとは違っていたのだろう。
「なんだよその反応。ウロボロスのパートナーだったわけだしそうなるのが自然じゃね?」
「なんでそうなるんだよ。お前、ノアとミオがそうなったからってフィーリングで考えてるだろ?アタシらをあの二人と一緒にすんな」
「一緒だろ?そういう関係性だろ?」
「ちげーよ。アタシとタイオンはノアたちみたいに、なんていうかこう……、“トクベツ”じゃないんだ」
半ばやけくそ気味にコロッケにフォークを突き刺すユーニの手つきは少々乱暴だった。
カイツは分かっていない。自分たちとノアたちの違いを。
理解しろという方が難しいだろう。なにせあの二人は、幾度もの“ノアとミオ”を経て今を生きている。
そんな二人の強固過ぎる絆と、たった一度きりしか邂逅していない自分たちとを同列に語るべきではない。
あの二人には心通わせるほどの背景があった。命を紡ぐだけの理由がった。
けれど自分とタイオンは、良くも悪くもただの戦友でしかない。
ノアがミオに向けるような熱視線をタイオンは自分に向けてくることはないし、ミオがノアを呼ぶときのような甘い声色を自分がタイオンに向けることもない。
同じ“パートナー”であって、絆の質量は比べ物にならないのだ。
「けど、インタリンクしたんだろ?あれって誰でもできることじゃないって聞いたぜ?お互いにこれ以上ふさわしい相手なんていないんじゃないのか?」
「お前、インタリンクって行為自体に夢見すぎ。ノアやミオはともかく、アタシたちはたまたまあそこに居合わせただけだし」
ノアとミオに関して言えば、あの峡谷での戦いでウロボロスの力を得たのは運命といえるだろう。
けれど、自分やランツ、タイオンやセナに関しては、おそらくノアとミオのおまけに過ぎない。
たまたまあの二人が邂逅した場所に居合わせていたのがあの4人だっただけ。
もし一緒にいたのが自分じゃない他の誰かだったとしたら、タイオンは間違いなくその“誰か”とインタリンクしていたはずだ。
相手が自分だからとか、タイオンだからとか、そんな素敵な理由や背景など、自分たちには存在していないのだ。
「お前はそう思ってるかもしれないけど、向こうはそうは思ってないかもしれないぞ」
「絶対向こうもアタシと同じ考えだって」
「いいや、そんなことない。みんな言ってるぞ。ユーニはタイオンと、ランツはセナとそういうことになるんだろうって。客観的に見てお前らが結びつくのは当然みたいな風潮なんだ」
「なんだよその迷惑な風潮。ランツたちは知らねぇけど、少なくともアタシたちは違うの!第一、タイオンはアタシよりも合いそうな相手他にもいるし……」
「インタリンクのパートナーより相応しい相手なんているのかよ?」
「いるんだよ、あいつには」
タイオンとは良好な関係を築けたと自覚はしている。
だが、築き上げた関係値が特別だとは思っていない。
付き合いの長さで言えば、ナミをはじめとする元コロニーラムダの人間たちには敵わない
性格に関しても、直情的な自分より同じくらい頭が切れて理路整然としているコロニーイオタのニイナの方が合っているはずだ。
それに、タイオンが命を宿すという行為に価値を見出すとも思えない。
未知で未経験な事柄ゆえに興味くらいはあるだろうが、彼の場合、他者との交わりよりも自分自身の知見を広めることの方を優先しそうな気がする。
世界が新しい形で動き出した今、タイオンはその頭脳を使い世界の秩序安寧に奔走している。
新しい命がどうだとか、誰と結びつきたいだとか、そんなことを考えている余裕はきっとない。
たとえ人生の時間が何倍になろうとも、誰かと生きるより一人で高みを目指すことを好む男。それが、あのタイオンなのだ。
「そもそもアイツ、誰かとそういう風になるつもりあるのかな……?」
「ユーニは?」
「え?」
「ユーニはあるのか?誰かと結びついて、新しい命を宿すつもり」
「アタシ?アタシは……」
正直に言えば、これからのことなどほとんど考えていなかった。
命の火時計の束縛下にあったときは、その日を生きることに必死だったし、ウロボロスとなって旅を始めてからは、自分の命を伸ばすためにがむしゃらだった。
思えば、その場の環境や時勢に沿って行動してきたにすぎない。
自分が生きる上で何をしたいか、どう生きていきたいか、深く考えたことはない。
ノアならそういう哲学的な考えに答えを示してくれるかもしれないが、いつまでもノアの後ろをついて回ることはできない。
なにせ、彼はもう、一人の人間として正しいレールに乗ってしまった。
迷い続けている自分とは違うのだ。
自分もいつかノアのように、ミオのように、生き方や目指すべき場所を決めてレールに乗る日が来るのだろうか。
その時、隣には誰かついていてくれるのだろうか。
目を伏せ考える。寄り添うように隣を歩いてくれる人物がもしいるとしたら……。
脳裏に浮かんだのは、やはりタイオンの姿だった。
もうインタリンクする必要なんてない。
ウロボロスとしてのパートナーシップは解消されたも同然だ。
なのに彼の顔ばかり思い浮かぶのは、旅をしている間、それだけ彼のことを相方として頼りにしていたからなのかもしれない。
「いい加減独りで歩けるようにならないとな……」
未だゼオンとユズリハに湿っぽい視線を向けているカイツの隣で、ユーニは最後のコロッケを口に入れた。
***
コロニー11よりユーニに依頼が入ったのは3日前のこと。
軍務長であるアシェラから瞳に通信が入り、物資輸送の立会人になってほしいと告げられた。
輸送先はアグヌスのコロニーであるコロニーイオタ。
ケヴェスからアグヌスへ、しかも同じ元白銀ランクから白銀ランクへの物資輸送は何かと気を遣う。
特にコロニー11の兵士たちは元々戦闘が好きな狂人ばかり。
そんな連中に、元とは敵方のコロニーへの物資輸送がまともに務まると思うかい?
アシェラにそう諭され、ユーニは渋々了承した。
運び込むのは医療物資。なんでもコロニーイオタ付近に、巨大なモンスターの群れが巣をつくったらしく、頻繁に戦闘がおこっているとのこと。
元白銀ランクと言えど、対人戦が暫くご無沙汰になっている今、モンスターとの戦闘でもそれなりに消耗してしまう。
他のコロニーと連携し、こうして物資のやり取りをするのは、新しいアイオニオンでは当然の風潮だった。
浮遊岩礁地帯を超え、モルクナ大森林を抜け大瀑布を横断する。
途中通過したコロニータウやラムダで補給しつつ、イオタに到着したのはコロニー11を出て約1週間後のことだった。
途中道幅の狭いインヴィディア坑道や、高低差のあるモルクナ大森林を通る関係でレウニスは使用できず、徒歩での物資輸送となったわけだが、おかげで疲労困憊気味である。
いつも威勢よく狂言を述べているコロニー11の面々ですら、イオタに到着する頃にはしなびて威嚇する元気を失っていた。
だらしない、と一蹴したいところだったが、旗振り役を引き受けたユーニも疲労を隠せないほど体力を消耗していた。
出迎えてくれたイオタの軍務長、ニイナに開口一番“とりあえず休みましょう”と提案されるほどに、酷い顔をしていたらしい。
イオタの兵たちに抱えられながら連れていかれたのは医療用天幕。そこの一室を間借りして折り畳み式ベッドに横になると、ようやく一息つくことができた。
天幕の天井を見つめながら、今回の任務を依頼してきたアシェラに内心悪態をつく。
あの野郎、面倒なこと頼んできやがって。今度会ったらぶっ殺す。
「随分な長旅だったらしいな」
右腕を額にのせ、ぼうっと天井を見つめていたユーニの耳に聞きなれた声が届く。
視線だけ天幕の入り口に向けると、そこにはやはりあの男の姿があった。
「タイオン……?」
「久しぶりだな、ユーニ。まさかここで会うとは思わなかった」
天幕の支柱に寄り掛かり腕を組んでこちらを見つめているその男は、間違いなくあのタイオンだった。
相変わらずセンスがいいとは思えないマフラーを首に巻き、度の強い眼鏡をかけ、癖だらけのもじゃもじゃ頭をした彼と会うのは、実に1カ月ぶり。
ミオの妊娠が発覚し、6人全員がガンマに集合したあの日以来久しぶりの再会である。
まさかイオタで会うとは思わず驚くユーニだったが、今はその驚きを顔や態度で表現できるほの体力はない。
視線だけを向けたまま、ベッドから起き上がることもせずかすれた声で問いかける。
「なんでここにいんの?」
「野暮用だ。ニイナに話があってな」
「ふぅん」
もしかして将来の話とか……?
なんて疑念が一瞬頭を過ったが、余計なことは聞かなかった。
あまりに疲れているせいで、そういう複雑な話題を投げかける気になれなかったのだ。
ずっと歩いてきたせいで全身が重い。足が痛い。頭が働かない。とにかく眠い。
瞼がどんどん重くなっていくユーニとは裏腹に、何故かタイオンの方は機嫌がいいようだった。
口角を上げ、跳ねるような声色でユーニに声をかけ続けてくる。
「それにしても久しぶりだな。1カ月ぶりか」
「あー……、うん」
「旅をしていたころは毎日顔を合わせていたからか、少し会わないだけで随分久しぶりに感じてしまう。元気だったか?」
「んー……、ぼちぼち」
「そうか。髪、少し伸びたな」
「うん……」
「コロニー11からの物資輸送だったらしいが、遠かっただろ。まったくアシェラも無理をさせる」
「ぉん……」
「暫くイオタにいる予定なのか?僕は明日ラムダに発つ予定なんだが、よかったら君も―――」
「……」
「ユーニ?」
「ん……?」
「眠いのか?」
「んー………」
疲労に支配された頭は、もはや使い物になりそうにない。
瞼は完全に落ち、意識がふわりと浮遊する。
微睡の中、遠くの方でタイオンの声が聞こえた。
誰かと話しているらしい。おそらくはニイナだろう。
断片的にしか聞こえないが、声色からしてそれなりに大事な話をしているのだろう。
聞きたい。けれど眠い。
興味と睡魔が激闘した結果、ユーニは睡魔に敗北しそのまま意識を閉じるのだった。
***
ゼットの討伐が叶った後、6人のウロボロスたちはそれぞれ元いたコロニーへと帰還を果たしたが、タイオンはガンマに変えるより前にコロニーラムダへと単身赴いていた。
とある約束を果たすためである。
“すべてが終わったら会わせたい人がいる”
ゆりかごで再生されていたかつての師に、彼はそう約束していた。
世界があるべき姿になりはじめた今こそ、その約束を果たすとき。
ラムダから軍務長のイスルギを連れ出したタイオンは、シティーのサモンに再びブレイブリーを借り受け、忘却のコロニーへと旅立った。
戦いが終わった後も、岸壁で囲まれたこのコロニーの美しさは薄れない。
舞い散るサフロージュの花びらを背に、彼女は、ナミは笑顔でタイオンとイスルギを迎え入れてくれた。
目を細め涙ぐむイスルギの第一声は、“久しぶり”ではなく“初めまして”だった。
イスルギのナミを見つめる目は、あの頃と同じように熱を帯びている。
あの頃は、イスルギにとってナミはかけがえのない戦友だからこその視線なのだと思っていたが、今となっては別の意味を見出してしまう。
今のイスルギは、ミオを見るノアと同じ目をしている。
慈しみ、思いやり、守ろうとする目だ。
そして確信する。ノアにとってのミオがそうであったように、イスルギにとってのナミもまた、代えのきかない大切な人なのだと。
以降、ナミはかつての彼女と同じ運命を辿ることになる。
外の世界を見に行きたいとせがむナミの言葉に、あのイスルギが反対できるわけもなく、承諾。
イスルギとタイオンの2人きりだった旅は、ナミを伴い3人でラムダへと帰ることになった。
この世界は、もう命の時間を制限されることがない。
身体の限界が来るまでこの命は続き、そしていつか伴侶を見つけてまた新しい命が紡がれてゆく。
それが、この世界の新しい理だ。
この新たなる価値観に従い、人々は新しい命の芽吹きを得るためパートナーを探し始めている。
恐らく、イスルギのパートナーとなるのは間違いなくナミだろう。
イスルギもナミも言葉にはしないが、だれがどう見ても二人が行きつく先の未来は想像が出来る。
ラムダで新しい生活を始めたイスルギとナミを見て安堵するとともに、タイオンは羨ましささえ感じていた。
言葉にせずとも、一見して絆が感じられる二人の関係が羨ましい。
ノアにとってミオ、イスルギにとってのナミ。
そんな相手が自分にもいるとしたら、きっと相手はあのユーニになるのだろう。
そういえば、最近ユーニに会えていない。
彼女は、自分とのことをどう思っているのだろう。
そんなことを考え始めた折、イスルギからタイオンにひとつ依頼が来た。
付近のコロニーと交易がしたい。
恩あるイスルギからの望みをかなえるべく、タイオンは即座にラムダから一番近い位置にあるコロニー、イオタへと向かった。
軍務長であるニイナは、少々正確に難があるが利益になりえることは断らない。
タイオンの説得にあっけなく応じたニイナはラムダとの正式な交易に同意。こうしてふたつのコロニーは物資のやり取りを定期的に交わすことを約束したのだった。
「君が賢い判断が出来る軍務長で助かった」
「あら。私がこんなに益のある話を断ると思って?」
「割と私怨で動くタイプだろ君は。未だにコロニー30との交易を渋っていると聞いたぞ」
「あれは私怨じゃないわよ。ただ気に入らないだけ」
「……それを私怨というんじゃないのか」
戦いの時代は終わったというのに、未だニイナはコロニー30を、というよりもルディを毛嫌いしているようだった。
素直で邪気のない彼とはだれがどう見ても合わないのは理解できる。
だがいい加減、かつて惜敗した過去のことは水に流してもらいたいものだ。
何度か30の話題を出して様子を伺ってみたものの、そのたびニイナは眉間にしわを寄せる。
これは時間がかかりそうだが、幸い新しい世界では10年という命の限界時間は存在しない。
ニイナの顔にしわが増え始めるころ、きっと30への悪い印象も払しょくされていることだろう。
その時を気長に待つしかないのかもしれない。
「じゃあ僕はラムダに戻る。後のことはよろしく頼む」
「あら、もう帰るの?せっかく明日いいものが届くのに」
会談の席から立ち上がった僕を、ニイナはさりげなく引き止めた。
“いいもの?”と聞き返すと、明日コロニー11から医療物資が届く予定だと教えてくれた。
たしかにイオタにとっては“いいもの”かもしれないが、自分取っては特に有益な物資とは言えない。
だから何だと言うのだ。そう言いたげな目で見つめ返すと、ニイナは両手で頬杖をつき不敵な笑みを浮かべながら言った。
「輸送担当、誰だと思う?」
「さぁな。11なら隊長の誰かじゃないのか?」
「ユーニよ、ユーニ」
「は?」
「向こうの軍務長が調整役として彼女に依頼したらしいわよ。つまり明日、ユーニがここに来るの」
「……」
「もう一度聞くけど、もう帰るの?」
ニイナのこの人を挑発するような態度は前々からあまり好きになれなかった。
こちらの心をすべて見透かしたようなその目は、どうにも居心地が悪くなる。
少しでも弱みを見せれば延々と揶揄ってくるのも気に食わない。
この問いかけに頷けば、どうせまた延々と揶揄われることは分かっていた。
だが、跳ねる心に嘘はつけない。
「……宿泊用の部屋をひとつ用意してくれ。明日まで残る」
「そういうと思って、既に用意させてるわ。感謝してよね」
何もかもニイナの掌の上で転がされているような気がして腹立たしかったが、そんな苛立ちをかき消してしまうほどに心が高揚していた。
ユーニと会うのは久しぶりだ。元気にしていただろうか。
最近は忙しくて連絡すらも取れていなかった。せっかくだし、一緒にラムダに行こうと誘ってみようか。
そうだ。久しぶりにハーブティーを淹れてやろう。彼女は自分のハーブティーを痛く気に入っていたし、きっと喜んでくれるはず。
会ったら何を話そう。何を聞こう。
心浮かれるままに、タイオンはイオタで夜を過ごした。
翌日。ニイナの言う通り夕方ごろユーニ率いるコロニー11の物資輸送部隊が到着した。
随分と過酷な長旅だったらしいく、ユーニをはじめとするほとんどの人員がイオタについた途端へなへなとダウンしてしまう。
ユーニが運ばれたという空き天幕の前で、ひとつ咳ばらいをする。
こうして彼女と面と向かい話すのはかなり久しぶりだ。何故だか少し緊張している。
そっと天幕の中に入ると、ベッドの上で寝転んでいるユーニの姿が視界に入ってきた。
少しだけ髪は伸びているが、あの頃と変わらない彼女がそこにいる。
自然と口角が上がって、声のトーンが明るくなった。
「随分な長旅だったらしいな」
そう声をかけた瞬間、視線だけがこちらに向けられる。
そして低いテンションで“なんでいるの?”と問いかけてくるユーニだが、その態度に少し寂しさを覚えた。
久しぶりの再会だというのに、随分と反応が薄い。
会っていなかった時間を埋めるように声をかけ続けていた僕だったが、次第にユーニの反応が極薄になってゆく。
どうやら疲れ切っていたらしい。いつの間にか彼女は眠っていて、ベッドの上で規則正しい寝息を立て始めている。
なんだ。せっかく久しぶりに会えたのにまともに会話すらできないなんて。
すやすや眠っているユーニの寝顔を見下ろしながら内心文句を垂れていると、天幕に何者かが入ってきた。
人の気配に振り向くと、そこにいたのはあのニイナだった。
「あら?ユーニ、寝ちゃったの?」
「あぁ。相当疲れていたらしい」
「ふぅん。ちゃんと話せなくて残念ね」
「別に構わない。明日もあるしな」
「え?明日までここにいる気?」
「なんだ。ダメなのか?」
「ダメではないけど……。本来は今日帰る予定だったんでしょ?いいの?そんなにずらして」
「問題ない。イスルギ軍務長には既に連絡済みだし、いつ帰るとも伝えていない。それに積もる話もある。寝てる間に勝手に帰ったらへそを曲げられるかもしれないしな」
「誰が?」
「ユーニがに決まってるだろ」
口を小さく開けながら眠りについているユーニを見下ろしつつ、タイオンは目を細める。
彼女は自分の感情に素直な性格だから、きっと自分が先に帰ったりしたら怒るはず。
せっかく久々に会えたのにいつの間にか消えるとか薄情者だなお前は。そう言ってむくれるに違いない。
後々たらたらと文句を言われるのも嫌なので、仕方なく明日までここにいてやろう。
そんな心持でいたのだが、得意げなタイオンを少々冷ややかな目で見る者がいた。ニイナである。
「……貴方って、変なところで自信家よね」
「どういう意味だ?」
「気にしないで。独り言だから。それより前から聞きたかったんだけど、貴方は将来どうするつもりなの?」
「“どうする”、とは?」
「ほら、新しい命がどうのって話が出てるでしょ?」
「あぁ、その話か」
シティーの人間たちの先導により、各コロニーで命の講義が開かれている。
その結果、こうして将来の話を振られることも多くなった。
命を宿し、“子育て”というものを経験するかどうかは個人の自由だ。
しかし、ウロボロスの力を得たタイオンは、他の兵たちよりもこの世界に対する使命感が強い。
その目でシティーの人々の営みを目にしている分、あの時見た光景をこの世界に広めなくはという思いが強いのだ。
新しいことを広めるには、まず手本が必要だ。
成功事例を多く輩出しなくてはならない。ノアとミオが先陣を切ってくれたが、自分も同じウロボロスとして模範を示さなければならない。
ゆえにこそ、彼の中で答えは決まり切っていた。
「自然な命の営みこそ人間として正しい姿というのなら、試みるべきだと思っている」
「つまり、命を紡ぐつもりなのね?」
「あぁ。そもそも、ゆりかごの機能が停止している時点で選択肢はない。世界を保つには人が必要で、人を増やすためにはシティーに倣って生きていくしかない。ならば、ウロボロスたる僕たちが模範を見せるべきだろ」
「世界規模で見たらそれが正解なのかもしれないわね。私はまだ、自然な営みだの新しい命の芽吹きだの、そういうのは100%理解しきれていないけど」
「僕だって同じだ。だが、いずれ理解できる時が来る。かつての六氏族たちがそうであったようにな」
元々アイオニオンには、シティーの人間たちのように母体から産まれた人間など一人もいなかった。
だが、かつてシティーを形成した人間たちや、所謂六氏族と呼ばれた者たちの尽力の甲斐あって今のシティーが存在できているのだ。
きっといつか、これが当然だと思える時が来る。
何年、何十年、何世代後になるかはわからないが、遠い未来に希望を感じずにはいられない。
「とはいえ、これは僕個人の希望の話だ。ユーニが望まないなら無理強いはしない」
「そうね、そういうのは相手とよく話し合って……。ん?」
「ん?」
「ユーニ?今ユーニって言った?」
「あぁ、言ったが?」
「えっ、相手、ユーニにする予定なの?」
「予定も何も、自然な流れだろ。ノアとミオがそういうことになったのなら、僕とユーニが結びつくのは当然の結果だ」
「そういうものなの?」
ニイナは思わず首をひねった。
シティーでの価値観や営みに関して言えば、彼女はタイオンほどの知識を身に着けていない。
インプットした情報が正しければ、基本的に新しい命は男と女、ついとなる人間同士が生殖好意と呼ばれる儀式的な行為をすることによって宿る。
シティーでは対となった男女は“ケッコン”し、“フウフ”となる。
別の相手と契りを交わすのはご法度とされているため、特別な相手と“フウフ”関係を結ぶのが普通なのだとか。
理論上、複数の異性と交わり命を宿すことは可能だが、それはリンリとやらに反しているため糾弾されがちなのだとも聞いた。
つまり、命を宿す相手は相当特別な存在である必要がある。
タイオンとユーニは、ニイナの目から見て“相応の関係”として映っていたが、タイオン自身もその自覚があるとは意外だった。
この男は、人間関係や自分自身の心の機微に疎いタイプだと思っていたから。
「ユーニはどう思ってるのかしらね」
「さぁな。シティーで生まれたばかりのコドモを初めて見たとき、彼女も感動を覚えていたようだから、命を宿すことに興味はあると思うが……」
「そうじゃなくて、相手が貴方でいいと思っているのかって話よ」
「え?」
キョトンとした表情で見つめ返してくるタイオンに、少々呆れが出てしまう。
まさかとは思ったが、やはりユーニと詳しく話し合っていないらしい。
タイオンはユーニと結びつくのが当然と思っているらしいが、その実声に出して気持ちを確認しあったわけではないのだ。
今目の前ですやすやと寝息を立てているこのユーニが、同じ熱量でタイオンを見つめ返してくれる保証はどこにもない。
そんな重要な事実を、タイオンという聡明な男は愚かにも見逃しているようだった。
「それは……。お、思っているだろ、流石に」
「どうしてそう思うのよ?」
「僕とユーニはウロボロスのパートナーだったんだぞ?体と命を共有した間柄だ。これ以上ふさわしい相手はいないだろ」
「ウロボロスとして一緒に戦ったからって、一緒に新しい命を紡ぐ相手として絶対にふさわしいとは言い切れないでしょ」
「ノアとミオは現にパートナー同士で結びついている。客観的に見て、あの二人がそうなるなら僕たちだってそうなるのが自然だ」
「あの二人とあなたたちは違うでしょ。客観的って言うけど、貴方たち自身のことなんだからどう頑張っても主観でしか考えられないと思うけど?」
論理のぶつけ合いで負けた経験がほとんどないニイナだったが、唯一、タイオンにだけは何度か白旗を上げたことがあった。
タイオンが口にする論理にはいつも鋭さがある。
彼が本気で相手を言い負かそうものなら、敵う者はほとんどいないだろう。
だが、今のタイオンはなぜかいつもの鋭さを鈍らせている。
差し出してきた手札はすべて弱く、言い負かすのは驚くほどに簡単だった。
いつも理路整然としている彼が、なぜ今日に限ってこんなにも理論破綻しているのか、ニイナにはよくわからなかった。
「……君は他人とインタリンクしたことがないからそう思うんだ。実際にしてみればそれがどんなに特別なことかわかるはずだ」
「こっちが未経験な事例を武器に戦うのは少し意地が悪いんじゃない?」
「意地悪も何も事実だ。君には僕とユーニの関係性なんてきっと1ミリも理解できない」
「あなた自身はわかるって言うの?自分がユーニにどう思われているのか」
「当然だ。口に出さずともわかる。もうこの議論はいいだろ。煩くすると彼女が起きる」
これ以上この議題で争うつもりはないらしい。
顔をそむけ、眼鏡を押し上げたタイオンの言に同意したニイナは、“そうね”と頷き天幕の入口へと歩み寄った。
天幕から出る直前に背後を振り返ると、先ほどまで立っていたはずのタイオンはユーニが眠っているベッドの端に腰かけ足を組みながら“瞳”を確認していた。
彼も天幕から出るのかと思っていたが、どうやら出ていくつもりはないらしい。
ユーニは眠っているというのに、ここに居続ける意味なんてあるのだろうか。
彼女のそばから離れる気配のないタイオンを横目に、ニイナはそっと天幕を後にした。
***
その日、タイオンはうまく眠れなかった。
イオタの来客用天幕の居心地が悪かったわけでも、折り畳み式のベッドが堅かったわけでもない。
日暮れごろニイナと交わした議論が、脳裏に張り付いて仕方がなかったのだ。
ノアとミオを例に挙げて、あの二人と自分たちは違うのだとニイナは言った。
彼女のその言い切りが、どうにも気に食わなかった。
違うものか。同じだ。
ノアとミオが周囲から結びついて当然と思われているのと同じように、自分とユーニの関係だって何も変わらない。
ユーニだってきっと、自分と同じように思ってくれているはずだ。
何度自分に言い聞かせても、ぼんやりとした不安はぬぐえなかった。
やがて朝が来ると同時に、支度をしてすぐに天幕から出る。
向かった先はユーニがいる天幕。ほとんど話せなかった昨日の時間を取り返すためにも、今日は彼女ときちんと話がしたかった。
閉じている天幕に手をかけると、中からユーニの話し声が聞こえる。
誰かと一緒にいるのだろうか。
念のため一声かけてから天幕を開けてみると、そこには着替えを済ませた状態で“瞳”を開いている彼女の姿があった。
「はぁ?あのなぁ、少しはこっちの事情も考えて依頼しろよ。今アタシはイオタに……、ちょ、だから無理だって!おいグレイ!あぁもう切りやがった……」
どうやらグレイと通信中だったらしい。
一方的に通信を切られたらしく、いらだった様子で舌打ちをしている。
「どうかしたのか?」
「グレイの奴が急ぎの用でシティーに来いってさ。ったくどいつもこいつも人使い荒すぎだろ」
ため息交じりにベッドから立ち上がったユーニは、ぶつくさと文句を言いながら荷物をまとめ始める。
グレイからの呼び出しに不満はあるようだが、断るつもりはないらしい。
早くもこのイオタを発とうとしているユーニの様子に、タイオンはようやく焦りを感じ始めた。
「もう行くのか?」
「あぁ。急ぎらしいからな」
「一休みする暇もないのか。そんなに慌てて出ることないのに」
「それはアタシじゃなくてグレイに言ってくれよ。“人にもの頼むときはちゃんと相手の都合も考えろ”ってな」
すべての荷物をまとめ終えたユーニは、懐から取り出した小さな鏡を見ながら羽根を片手で整え始めた。
先ほど彼女はずっと早口で、世間話をする暇もない。
離そうと思っていたことは山ほどあったのに、ユーニはこちらの話など気にするそぶりも見せずさっさとこの場を去ろうとしている。
この事実に、タイオンの心は複雑な色をにじませ始める。
「じゃあなタイオン。また今度飯でも行こ」
そう言って脇をすり抜け、天幕から出ていこうとするユーニ。
彼女の腕をつかみ引き留めてしまったのはとっさの行動だった。
髪と羽根を靡かせながら振り向くユーニの青い目と、タイオンの少し焦った褐色の目が視線を絡ませる。
そして、目と目が合っている状況に焦りを募らせたタイオンは、らしくもないことを口にしてしまった。
「……僕も行く」
「え?シティーに?なんで?」
「別にいいだろ」
「結構遠いぜ?用でもあんの?」
「まぁ、あるにはある」
「ふぅん」
嘘だった。シティーに用なんてない。
むしろラムダに帰る予定だったのに、とっさにユーニと一緒に行くことを選択してしまった。
ここで別れるのが惜しくて、手を振るのが勿体なくて、つい言ってしまった。
不思議そうな視線を向けてくるユーニだったが、それ以上追及することはない。
何も聞かず歩き出す彼女の隣に並び、タイオンもシティーを目指すこととなった。
こうして二人きりで旅をするのは初めてのことである。
続く