1714🎄 ◇
「あっ!燐音くん、おかえりなさい!」
夕方の帰宅早々、ニキのはつらつとした声が耳に届いた。今日は一段と元気な気がする。台所からは温かそうな匂いが漂っている。
「おう、ただいま。いい匂いだな」
「すぐご飯になるから、手、洗ってきてください!」
ニキはぱあっと目を輝かせ、たった今靴を脱いだばかりの俺に手洗いを促した。ニキに早く早くと急かされながら手を洗って食卓につくと、見たことのないたくさんの料理が机いっぱいに並んでいる。
今日は何か、特別な日だっただろうか?
机を挟んで向かいに座ったニキは、ふふふ……と得意気に口角を上げている。何かを企んでいる表情だ。出会った頃から思っていることだが、こいつは本当に表情が豊かだ。
「燐音くん、今日はクリスマスっすよ!」
「クリスマス? ああ、イエスキリストの降誕を祝う日だったか」
「へ? こーたん? 何すかそれ? っていうか燐音くん、クリスマス知ってたんすか!?」
「いや、前に本で読んだくらいだから、詳しくは知らない。故郷にはなかったし」
俺がクリスマスの「ク」の字も知らないと思っていたらしいニキは、そうではないとわかって少ししょぼくれている。元気で声が大きいと思ったら今度はこの顔だ。すぐに感情が顔に出るから見ていて飽きない。
「何笑ってるんすか~! もう、お腹空いちゃったっす! キリストがどうだかどうでもいいんすよ! とにかく今日は美味しいものがたくさん食べれる日なんすよ! 早く食べましょ!」
しょぼくれてしまったと思ったが、意識を食欲に振り切ったらしい。再び声が大きくなったニキに促され、声を揃えていただきますと手を合わせた。
とはいえ、いつもの何倍もの量の料理が並んでいるため、どれから食べるか迷う。薄く切られた肉にカレーに似た、肉が入った茶色いスープ。食事というより軽食に当たるであろう苺の載った白いケーキや切り株のようなケーキ、人型のクッキーにステッキの形をした飴。普段の夕飯よりも随分と豪勢で色とりどりの料理が机を隙間なく埋めている。
俺はとりあえず、その中でも一際目立つ丸々一羽の鳥をナイフで切り分け、かぶりついた。
◇
何から食べようと悩んでいたらしい燐音くんは、七面鳥から食べることにしたらしい。ナイフで器用に切って、お肉の中の詰め物も一緒に大きな一口を頬張っている。普段は料理を見て、これはどうやって食べるんだと聞いてくるけど、今日は珍しく聞かない。燐音くんがたまに口にする「故郷」は随分原始的な暮らしをしてるようだから、丸々一羽の鳥は見慣れているのかもしれない。
僕がそんなことを考えている間に、燐音くんは新たにお肉を切って自分のお皿に分けている。空色の目はきらきらと輝き、血が巡って薄っすらと赤くなった頬は、お皿に次のお肉を取る間も絶えずもぐもぐと動いている。燐音くん好みの味になるように材料も調味料もアレンジしてみたけど、そんなに勢い良く食べるとは思っていなかった。
「燐音くん、七面鳥、おいしいっすか?」
口をもぐもぐさせながら、燐音くんはこくりと頷いた。かわいいなあ。
そう思っているうちに、燐音くんによって目の前の七面鳥はきれいになくなっていく。僕は自分の箸を止めて台所に行き、置いておいたもう一羽の七面鳥を取り出した。
本当は、もう少し後で机に運ぼうと思ってたんだけど。
「燐音くん、七面鳥、まだあるっすよ!」
あまりにも美味しそうに食べるから、すぐに出してあげたくなっちゃった。続いて出てきた丸々とした七面鳥を見た燐音くんの目が瞬き、さらにきらりと輝いた。お肉で口をいっぱいにしてるから喋れないみたいだけど、食べたいと思ってくれているのがすごく伝わってくる。
そんな嬉しそうな顔を見ると、胸の辺りがぎゅーっといっぱいになる。
◇
あれだけ大量にあった料理も、あとはクッキーやキャンディーといった甘い物だけとなった。台所からはニキが食卓から下げた皿を洗う音と、ふんふんふ~ん、と上機嫌な鼻歌が聞こえてくる。ここ一ヶ月、街の至るところで聞くメロディーだ。歌詞は、ジングルベル、ジングルベル、鈴が鳴る、だったか。
鈴を鳴らすサンタクロースはこの家には来ない。サンタクロースの正体は子どもの親らしい。そしてこの家には、親に当たる大人はいない。
皿を洗う小さな背中を眺めていたが、なんとなくその顔が見たくなった。隣に立って、すすぎ終わった皿をふきんで拭く。
「んぃ? 燐音くん、休んでていいっすよ? いっぱい食べたっしょ」
「いや、やる」
「そっか、ありがと」
ニキは皿をすすぎ始め、同時に鼻歌も再開し、そのリズムに合わせて灰色の頭が小さく揺れている。髪の隙間から覗くニキの顔はほんのりと血色が良い。
今日のニキはいつになく元気で声が大きくて、よく笑う。機嫌が良いのはいつものことだが、空腹になるから後ろ向きなことは考えない、という苦しさを抑えてつくった笑顔ではなく心から楽しんでいるのが、鼻歌やぴょこぴょこ揺れる髪からわかる。
クリスマスとやらはどうでもいい。ニキが楽しそうに笑っているならそれでいいと、俺は思った。
◇
お皿を洗い終わって、温かいお茶を淹れて僕たちは机に戻った。机の上のお菓子をつまみながら、クリスマス特番を眺める。適当につけているだけだから内容はほとんど頭には入っていない。
ご飯を食べた後はお腹がいっぱいで、あまりお喋りはしない。でも、同じ机を囲んでテレビを見たり、ぼーっとしたりするこの時間が好きだなと僕は思う。そして、燐音くんのおいしい~って笑った顔を思い出すのだ。
今日の燐音くんは七面鳥がお気に召したみたいで、口をもぐもぐさせながら次のお肉を口元に待機させてたのがかわいかった。苺のケーキやブッシュドノエルも美味いって言いながら食べてたけど、甘いお菓子はそんなにいっぱい食べないみたい。その前にローストビーフやビーフシチューを食べてたから、すでにお腹いっぱいだったのかもしれないけど。
ご飯を食べる燐音くんの様子を一通り思い出してから、次は何を作るか考える。クリスマスが過ぎればお正月だ。燐音くんはおせちだったら何が好きかなあ? おせち料理には、ずっしりとした大きなお肉はない。燐音くんもお腹いっぱいになるには、思い切って品数を増やすのがいいかもしれない。でもお正月はいろんな物が値上がりするから、油断すると生活費がなくなっちゃう。でもでも、燐音くんにおいしいもの、いっぱい食べてほしいし……。
「笑ったり困った顔をしたり、ニキは百面相だな」
「へっ!? そんな顔に出てたっすか!?」
「出てた」
燐音くんはふふっと笑う。燐音くんが喜ぶおせち料理の予想とお財布の心配が、顔に出ていたらしい。
「何を考えてたんだ?」
「おせちは何作ろうかな~って」
「おせち?」
燐音くんは首を傾げる。おせちについては「お」の字も知らないみたいだ。それなら燐音くんの初めてのおせちはとびっきりおいしいのにしなきゃ。節約しながらでもおいしいのをつくるにはどうしたらいいっすかねえ?
去年よりたくさんご飯をつくって、おいしいと思ってくれる燐音くんがいて。次のご飯をつくるのが楽しみになる。
綺麗に飾りつけたツリーもサンタさんからのプレゼントもないけど、おいしいものが食べられるなら、燐音くんのおいしい~って顔が見れたら、僕はそれだけでお腹いっぱいになるっすねえ。