「どうした?ドラルク、疲れたか?」
少しぼんやりしていたようで、ヒナイチくんが声をかけてくれた。やや間を開けて「ああ」と曖昧に返したのは、ぼうっとしていた所為ではなく普段とは別人の彼女に面食らっていたからだ。
……ヒナイチ君、のはずだ。いつもの制服とは違うゴシック調のクラシカルな衣装にマントまで羽織っている。尖った耳、赤い瞳、口元には牙まで覗いている。
これではまるで。
「なんだかヒナイチ君、吸血鬼みたいだね」
イメチェン?それとも時期外れのハロウィン?よく似合ってるけど、と思ったままを口にしてみて、非日常的で突飛なシチュエーションの展開に、ああなるほどと自己完結した。辺りを見回すと、見知った格好の同胞たちが皆思い思いに談笑している。これは恒例の一族の新年会の場面だなとあたりをつける。そもそもこの場に彼女がいるはずがないので、まぁそういう事だ。
「やはり疲れているんだろう、別室で少し休ませてもらおう」
心配そうに言いながら手を引こうとする彼女に、いや大丈夫と笑ってみせた。それよりも、せっかくなので今やっておきたい事がある。
「……ヒナイチ君」
甘く呼んで、引き寄せて後ろから抱きしめて、彼女のまるっこいつむじにキスをする。あ、すごい、ちゃんと彼女の匂いだ。そのまま猫がするように、ぐりぐりと懐く。吸血鬼の尖った耳もかわいいので、ここにもキスをしておく。きれいなうなじにもひとつ。
「な、なんだどうした?くすぐったいんだが!」
今日はあまえただな、とくすくす笑われた。
許されている感覚が嬉しくて、込み上げてくる愛おしさのままに回した腕に力を込めた。
そういえばとふと思い、くるりと向かい合って、見えやすいように彼女の前髪を指ですいて横に流す。
改めて見る瞳は、緑ではなく髪の色によく似た赤だ。
そうだよね、吸血鬼だもの。
どうあってもヒナイチ君だけど、前の瞳も良かったのにな。過去の君もこれからの君も全部手に入れられたらいいのに。
「君が君のままで、作り替えたりしないで、私の側にずっといてくれる方法があればいいんだけどね」
「あるぞ」
事もなげに言って、ふわりと笑った顔は優しいのに嫌な予感がした。
「私が人のまま──」
続く言葉を聞きたくなくて、食らい付くように深く口付けた。
***
あり得ないのにやけにリアルな夢だったなと、天板にきちんと並んだクッキー生地をオーブンにかけながらドラルクは思い返していた。
そういう夢は絵心のある者がよく見るらしいと聞いた事があるので、はーんなるほどねと納得する。ジョンが何か言いたげに見つめてくるが、きっと同意なのだろう、うむ。
それはそれとして、今焼き上がった分のクッキーはチョコがけで仕上げようかななどと考えていると、「お邪魔するぞ、監視業務だ!」とクッキーモンスターもとい吸対副隊長さんが元気よく現れた。
「なんだこのクッキーの量は⁉︎」
「いやーついつい」
おやつの無心、もといお仕事にきたヒナイチ君に、いつもの倍以上はある量と種類のクッキーを差し出すと、期待通りのきらきらしたお顔と反応が返ってきた。
「改良と試作に夢中になってたらこんな量になってしまってね、ジョンと一緒に食べてくれると嬉しいんだけど」
「今でも充分おいしいのにまだ高みを目指すのか……?私も見習わないとな」
賞賛してくれるのは嬉しいが、クッキーモンスターとしては正解だとしても吸対副隊長としてどうなのかと思わずにいられない。
「まぁメインは発散かな、ひどい夢見ちゃって」
そう言えば彼女は目を丸くして、意外そうな顔を向けてくる。
口ほどに物を言うその瞳にいつもの緑を確認して、ほっとする。
一緒に生きて欲しいのに、人のままの彼女に安堵している。でも心の中でずっと永遠に生きていく、なんて屁理屈だ。もっと時間が経てばその永遠を受け入れられるのかもしれないが、今のところはまだこのちぐはぐな感情に、折り合いはつけられそうにない。
「悪夢か、お前もそういう事があるんだな。どんな夢だったんだ?嫌な夢なら話せば実現しないらしいぞ」
……いやその、悪夢ではなくて。申し訳なさの『ひどい夢』というか?
人である君に安心するのはそれとして、何の責任も覚悟もない状態で棚ボタ的に目の前にいる転化した君が嬉しくて浮かれてしまった、なんてちょっと、ね……?
「お茶のおかわりはいかがかな」
「いただく!」
この可愛い人の一生に、クッキーでお供する間に落とし所を見つけられれば、もしくは覚悟が決まればいいと思う。
……まずは彼女に私をクッキー以上だと認識させないといけないのだよなぁと、すでに半分になっている皿の空いた場所に、本末転倒と前途多難を見てため息をついた。
エンディング1
『葛藤と願望、差し当たり打倒クッキー』
エンディング2(転化)に進みますか?
YES→そのまま進む
NO →そのまま閉じる
***
腕の中に大人しく囲われていると、はっと息を呑む気配がした。
恒例の一族新年会会場の片隅で、疲れた様子のドラルクに声をかけたが、どうやらおかしな事になっていたらしい。戻ったか?と声を掛けると「あ──ただいま!」と破顔し、再びギュッと抱きしめられた。
「今様子の違うお前がいたが、もしかして過去のお前本人だったのか?」
「多分そう、いつだったかやけにリアルな夢見た覚えがあるよ」
まだクッキーに負けていた頃だったかなと懐かしそうに目を細める。タイムリープなんてあり得ないが、そこは常識と非常識が楽しく踊る我らが魔都シンヨコ。野良ポンチ吸血鬼が発動させた能力を流れ弾よろしく食らいでもしたのだろう。それくらいなら日常だと思わせる、良く言えば懐の深い街である。
「ヒトの頃の私も欲しかったとわがままを言うもんだから、ちょっと意地悪を言ったらめちゃくちゃキスされたぞ」
「ウワ──ソノセツハスミマセン‼︎」
慌てるのが可笑しくて見上げれば、ドラルクは困った様な何とも言えない表情を浮かべていた。
「また余計な事考えてるな」
「……少し」
この吸血鬼ときたら、愛したものは本能からくる執着をねじ伏せて手放そうとする。
いつもの享楽主義と自己肯定感おばけは鳴りを潜めて、殊勝なさまはまるで別人だ。
死にやすい体質といい難儀なやつだ。その優しさゆえに揺らぐところも好ましくあるけれど。
ドラルクの胸に顔をうずめる。腰に回した腕に力を込める。すぐ死ぬ吸血鬼は固くて平べったくて、出会った頃と変わらず痩せぎすなままだ。
変わるものと変わらないもの、消えるものと遺るもの。
相反するようで地続きなそれに思いを馳せる。
「何度も言うが、お互い様だ。お前は一方的に私を変えて奪ったつもりだろうが、私もお前を手に入れたんだ。履き違えて貰っては心外だ」
「……ん」
「ずっと私においしいクッキーを焼き続けてほしかったからな」
「なんか結局私クッキーのおまけっぽいね⁉︎」
否定も肯定もせずに笑うと、まさか本当にそうなのと不安げな表情を浮かべている。お前私をクッキーモンスターだと思いすぎだろう身に覚えはあるが。言ってたらちょっと食べたくなってきたが。
「おまけなわけないだろう」
薄い身体を繋ぎ止めるように抱きしめて、きちんと言葉にのせる。
「お前と生きていきたかったんだ」
少しでも想いが伝わるように願いながら。
エンディング2(転化)
『最果てまで君と』