黛黒書店店員の場合 十八時
ピーッという音に顔を上げると、どうやら米が炊けたらしい。時計は現在午後六時半を指していて、そろそろ夕飯を作り始めようと読みかけの本に栞を挟んだ。
「おい、起きろ」
人様の膝に頭を乗せている男に問いかけるものの、本で隔たられて顔は見えない。
昨日、職場で買ってきた本は、もう残り一冊となり、せっかくの休日は二人で読書しかしていない。お互い本好きが高じて本を共有しているものの、どうも熱中しすぎるのはこいつの方だと気付いたのは、一緒に暮らし始めてからだった。
「聞こえてんのか」
無理矢理手を退けて顔を覗き込むと、男は目を閉じて穏やかな寝顔を晒していた。どうやら、昨日の睡眠不足が祟って、寝落ちしてしまったらしい。こうなったのも、オレが無理矢理寝かさなかったせいだ。
仕方なく本は邪魔にならない場所に置き、起こさないよう身体をずらそうとして固まった。
「おいおい……」
男は寝返りを打ったかと思えば、オレの腰に腕を回し、寝ている人間とは思えない力で抱きついて来たのだ。
こうなってしまうと、起こさないでここから脱出する術はない。仕方なく諦めてそのまま深く腰をかけると、男はオレの腹に顔をつけて幸せそうな顔をしていた。
お互い仕事はシフト制で、遅番早番もあるせいか生活リズムは意外にも合わず、そうなるとする事もタイミングが難しかった。
それが昨日はたまたま早番で、今日は休み。ともなれば、しないわけがない。
お互い淡白で、あまりそういう行為をしているようには見えないと、人から言われたことがある。余計なお世話だが、意外にもそんなことはない。気持ちの良いこと、すっきりすることは嫌いじゃない。それに、こいつを泣かせることが楽しいとまで思う。オレだけに与えられた特権を大いに利用し、快感を与えれば、ぐっと涙を堪えた顔でオレを見る。その表情がなんとも言えなくて、ついいじめたくなる。
結局泣かせてお互い気持ちよくなった後は、いつも以上に甘えたがるこいつを抱き枕にして寝る――それが、オレたちのいつものセックスだった。
昨日だって同じだった。足腰立たなくしてやって、綺麗にしてやったのが明け方で。そりゃ疲れて昼寝をしちまうのも無理はない。
幼く見える顔に掛かる髪をすきながら、無体を働いたことを少しだけ反省する。でも、きっとこれからも同じ事をするだろう。止めてやれるはずもないし、そのつもりもない。
「……んで、いつまで寝てるつもりだ」
鼻をつまみ、ぐっと押してやるとぱっと目が合った。その顔は寝起きの人間とはとても思えない。
「……バレましたか」
「バレバレだろ。お前、寝てる時だいたいよだれが垂れてるし」
「待ってください、嘘ですよねそれ」
「さぁな。ほら、はやく起きろ。飯作るぞ」
焦る黒子をほって、キッチンへ向かう。
今日は一気に暑くなったせいか、元々ない食欲がもっと落ちた奴のために、食べやすい丼とスープの予定だ。一人暮らしをしていた時、ほとんどまともな料理なんかしてこなかったのに、今じゃレシピを見なくても作れるようになっていたのは、大きな誤算だった。人間、必要に迫られるとなんでもするようになるのだ。仕方なく。
「黛さん。ボクあまり食欲ないです」
冷蔵庫から必要なものを取り出し、鍋の準備をしていると腰に巻きつく腕が見えた。今日は、やたら距離が近い。
「だろうな」
「だから、その、少しで良いので」
「オレの思う少しでいいか」
「意地悪しないでください。めっ、ですよ?」
「保育園児と同じようにすんな。食べられる量の器もってこい」
「はい」
最大限の譲歩をしてやると、黒子は急いで食器棚で器を探し始めた。それを横目に材料を切り、水を張った鍋にコンソメスープのもとを入れ、野菜とベーコンを入れて煮立たせる。ずいぶん手際が良くなったものだと自分でも思う。メインの食材も一通り切り終え、後は乗せるだけ。自分用の器にご飯を乗せていると、ようやく黒子が戻ってきた。
「あの、これでお願いします」
ずいっと差し出してきた器は、どう見ても普段のお茶碗で。それも、引っ越した時にもらった夫婦茶碗の一つだった。
「足りなくなったら、お代わりするので……」
「残したら食後のバニラシェイクはなしだから」
「残しませんちゃんと食べます」
「椅子座って待っとけ」
好物の名前を出した途端、急に元気になった黒子にオレは若干呆れつつもご飯をよそってやり、具乗せてスープも並べてやると、若干顔が引き攣っていた気がしたが無視した。
「あの、多くないですか」
「食べるんだろ?」
「た、食べま、んっ。美味しい……」
無理矢理口に突っ込んで黙らせて、満足したオレは手を合わせた。わかれば良いんだよ。わかれば。
「んじゃ、いただきます」
「いただきます」