花黒弁護士の場合 四時
タバコをふかしながらパソコンの画面に向かっていると、テーブルの隅にマグカツが置かれた。キーボードを叩く手を止めて顔を上げると、眠そうな恋人が立っていた。
「お疲れ様です。少し休んだらどうですか?」
「悪いな。丁度喉が乾いてた。今やってるやつが終わったら休む」
「あまり今詰めないでくださいね。ボクは朝ごはんの買い物に行ってきます」
そう言いつつも、大きなあくびを一つ。目は半分開いてなくて、今にも寝落ちしてしまいそうだった。
「お前そんなんで行けるのか? 家出た瞬間車に轢かれそうだな」
「失礼ですね。大丈夫です」
「そう言ってこの間何もないところで転んだのは誰だろうなぁ」
「……あとどのくらいかかりますか」
「もう終わる。用意して待っとけ」
ブラックコーヒーを飲み干して、最後に保存をすればやらなければならない仕事は終わった。
シャットダウンをしてパソコンを閉じ、スマホと財布をつかむと玄関で健気に待っている恋人の元へ向かえば、少し不貞腐れた顔で出迎えられた。
「なんだ、そんな待ってないだろ」
「いえ。なんだか子供扱いされた気がして」
「実際ガキだろ。オレはお前がそこまでドジだったとはおもわなったがな」
「もういいです。さっさと行きましょう」
黒子は一人先に家を出ると、花宮はため息をつきながらその後を追った。
昨日降った雨は夜が明けるまでには上がっていて、道路はいくつか水溜りができていた。それを避けながら、夜明けの住宅街を並んで歩く。時々、犬の散歩をしている人を見かけるぐらいで、人はほとんど歩いていなかった。
数年前では考えられないこの並び。人生、何が起こるかわからないものだった。
「そういえば、今日休みなんですか?」
「あぁ。たまには休めって上がうるさくてな」
「もしかして今月初の休みじゃないですか」
「そうだな。休みといってもゆっくりはしてらんねぇけど」
抱えてる案件はいくつもあって、正直のんびり休んでいられない。しかし、倒れてしまえば、黒子に迷惑がかかる。それだけは避けたかった。黒子にじゃない、黒子の職場に、だ。
「少しは休んでくださいね。ボク、まだ喪主はしたくないです」
「勝手に殺すな。つーか、お前に喪主は無理だろ。泣きすぎて飯食うの忘れんなよ」
「花宮さんはボクが死んだら泣かなそうですよね」
「誰が泣くかバァカ」
「ボクも泣きませんよ。泣いたら、花宮さん成仏できなさそうですし」
二人で軽口を叩き合いながら目的地を目指す。付き合い始めてそれなりの年数が経っているが、お互い愛を囁き合ったりすることはほとんど無かった。ただ、同居人と言われて仕舞えばそれまでだが、それなりにすることはしているし、そばにいても邪魔にはならない。お互いそういう関係にすっかり慣れきっていた。
「ちゃんと毎日手合わせろ。じゃないと枕元で立って呪ってやるよ」
「死んでも会いに来てくれるんですか? ありがとうございます」
「勝手に転ばれたら困るからな。お前が先に死んでも会いにこなくていいぞ」
「まさか浮気するんですか?」
「バァカ。誰がするかよめんどくせぇ。お前で十分なんだよ」
「……そう、ですか」
時々、言葉選びを間違えるとこういう事になる。冗談だと言うよりも先に、黒子が返事をしてしまったせいで、逃げ道はなくなった。なんたる不覚。俯いてしまった黒子を見て舌打ちをした後、仕方なく手首を掴むとコンビニの自動ドアを進んだ。
「おい、何食うんだよ」
「……たまごの、サンドウィッチを」
「飲みもんは」
「バニラシェイク」
「却下。野菜ジュースにしろ」
「花宮さんは」
「オレは適当」
「なんで自分だけチョコレート入れてるんですか。ずるいです」
カゴにどんどん食べ物や飲み物を入れながら、この間で切れたゴムもついでに入れると、横からそっと戻される。
見れば、顔を赤らめながら黒子が首を振っていた。
「昨日、買いましたから」
「へぇ、そうかよ。もしかして期待してたのか?」
からかい半分、半分本気で問えば、情を宿した青い瞳と目が合った。
言葉がなくてもわかりやすい態度。案外嫌いじゃなかった。
「しちゃいけませんか」
「いや。ダメと言ってねぇだろ」
「なら良いじゃないですか。早く帰りましょう」
「案外積極的だよな、黒子先生は」
揶揄うように子供から普段呼ばれている名前で呼んでやると、あからさまに不機嫌な顔になる。昔は無表情で感情が読めなかったが、今ではこれほどわかりやすいやつもいないだろう。
「花宮先生も大概ですよね」
「あ? うるせえ。後で泣かす」
「そう言うことは言わないでください。め、ですよ?」
「はいはい。さっさと帰るぞ」
そろそろこのコンビニも来にくくなりそうだ。