春宵一刻(赤黒3/25) 東京駅、丸の内口から歩いて十分ほどの場所にその店はあった。既にオープンしているせいか、店外に並ぶ客の列を見て黒子は目を丸くした。
「ここに並ぶんですか?」
「そうだよ。ちなみに、この店の前に並ぶ列じゃなくてあちらに並んでいるのが最後尾だ」
「嘘でしょう」
「本当だよ。ほら、早く並ばないとどんどん列ができてしまう」
赤司はそう言ってさっさと店とは反対にある行列に行ってしまい、黒子も慌てて後を追った。
『美味い豆腐を食べに行かないか』
恋人の赤司から突然連絡がきたのは、家での仕事を終え一息ついたタイミングだった。まるでカメラでも付いて監視でもされていたんじゃないかというタイミングだったせいか、黒子は一瞬部屋を見回してから返事をした。
『構いませんよ。待ち合わせは?』
『一九時に東京駅、丸の内口で』
今から一時間後の時間を指定され、黒子は脳内で支度の時間と東京駅までかかる時間を計算し、了承した。赤司は多分全て見越してこの時間を指定したのだろう。パソコンを閉じて服を着替え、支度をして家を出る。東京駅まで一本だが平日のこの時間は電車が少し混むかもしれない。そんなことを考えながらもあっさりと待ち合わせ時刻の五分前には待ち合わせ場所に着き、既に待っていた赤司と合流して今に至る。
「赤司君はこのお店に来たことがあるんですか?」
「ああ、一度だけ取引先の人に連れられてね。黒子とも食べてみたかったんだよ」
「そうなんですか。お豆腐屋さん、じゃないですよね?」
「そうだな、どちらかといえばおでん屋の方が正しいかも知れない」
「おでん屋? キミが誘うくらいですから、味も美味しいのでしょう」
「それは間違いないよ。ただ、こぢんまりとしているから、少し待ち時間が長いかも知れない」
赤司は腕に付けているデイトナを見ながら、ここから約一時間かなと呟いた。
「なるほど。今日ボクはあまり食事をとっていないので、そのくらいにお腹が空きそうです」
「へぇ。オレが作って置いた朝ごはんは食べただろうね?」
「……フレンチトースト美味しかったです」
「それは昨日のだよ。まさか、見てすらない事はないだろう?」
「さ……サンドイッチでしたね。夜食にいただきます……」
「黒子。素直に謝れば許してあげるよ」
「すみません。仕事に夢中で食べてません」
こういう時、素直に謝らないと後で恐ろしい目に遭うのは長年の付き合いで分かっていた。けれどやはり申し訳ない気持ちが先行してしまい、言い訳を考えてしまう。一緒に暮らすようになって、明らかに赤司の方が忙しいにも関わらずこうして食事を用意してくれるのに食べられないのだから、そう思うのも仕方がない事なのだが。
「いつものことだろう。だから今日はちゃんと食べてもらうよ。お前にも食べられるから」
「はい。どんな料理が出てくるのか楽しみです」
「あぁ。お前が驚く顔が目に浮かぶよ」
二人が並んだ後ろにも次々に人が並び始め、列はどんどん長くなっていく。少しでも遅れたら店に入るまでもっと時間がかかるだろう。何度か店員が列を確認したり順番の確認をするたびに、黒子は赤司がこうして並んでいる光景が不思議だった。
「なんだか、キミがこうして並んでまで食べたいと思うなんて、すごく不思議です」
「そう?」
「はい。その、キミが連れて行ってくれる店は予約が必要だったりするじゃないですか。こうやって並んで入るのは初めてじゃないかなって」
「そうかな。まぁ、確かにこうして並んで入るのは滅多にないけど、並ぶのは苦じゃないよ」
「そうなんですか? じゃあ、今まで誘えなかったラーメン屋とかも付き合ってくれます?」
「あぁ、火神と黄瀬と行った店だろう。構わないよ。二回目でも」
「もしかして、怒ってます?」
珍しく棘がある言い方に黒子は身構えた。今日の赤司は少し感傷的なところがあるように思えたからだ。
「そうだね。恋人のオレを差し置いて別の男とデートした事だったら怒ってないよ」
「怒ってるじゃないですか! それにボクが誘ったんじゃありません、誘われたんです」
「同じことだろう? でも怒ってないよ。ほら、そうこうしているうちにあと一組で呼ばれる」
「はぁ。次からはキミも誘いますよ。でもこの間はキミイギリスへ行ってたじゃないですか……」
「お前からの誘いなら飛んで帰るさ」
「秘書の後出場さんが泣くからやめてください。キミが日本にいる時に誘います」
「ぜひ、そうしてくれるとありがたいね」
なんでもスマートにこなし一見冷めた態度に見えるが、親しい人間に対しては自我を出し、殊更黒子のことに関して信じられない行動力がある赤司は、たとえ海外にいたとしても呼べばすぐ帰ってくるだろう。それが冗談ではなく本気なのだから、会社を継いだ今では大損害になるのは黒子でもわかる。だからこそ、突発的な誘いなど出来るはずがないのに、無茶振りをするのだから手に負えなかった。
「オレも久しぶりに火神や黄瀬に会いたいな」
「……伝えておきます」
「あぁ、是非そうしてくれ。ほら、オレたちの番がきたよ」
そうこうしているうちに店内へ招かれて、黒子はそこで赤司のいうこぢんまり、という意味を理解した。
二階建ての店内は、十にも満たないカウンター席が人で埋まっていて、急勾配の階段を登ればテーブル席が五つほど。そのどれもが狭く、二人は運良く隅にある四人席へ案内された。
「中はこうなってるんですね」
「あぁ。オレも始めは驚いたよ。でも、たまにはこういう店もいいだろう? お前が好きそうだと思ったんだけど」
「はい。今日はキミのおすすめが食べたいです。よろしくお願いします」
「あぁ、任せてくれ」
やがておしぼりと水を持ってやってきた愛想の良い店員に赤司があれこれと注文する姿を黙ってみていると、隣のテーブルへ運ばれた料理に目を見開いた。多分、赤司がいう豆腐料理とはあれのことを言っているのだろう。けれど、それは黒子が想像していたものとは別の形をしていたのだ。
「赤司君、もしかして」
「ん? あぁ、お前が何を言わんとしているか分かっているけれど、当たっているよ」
「勝手に湯豆腐かと思ってました」
「それはまた別の機会に。ひとまず乾杯といこう」
「はい」
タイミングよくビールが運ばれてきて、二人はグラスを合わせる。こうして外で赤司と酒を交わすのも随分と久しぶりだった。
黒子はそれほど飲める口ではないものの、赤司は絶対なども多く自然と飲めるようになったらしい。お通しをつまみながら二人で話していると、ついに赤司おすすめの豆腐料理が二人の席に運ばれてきた。
「これ、下はご飯ですか?」
目の前に置かれたそれは、ご飯茶碗に味が沁みた豆腐が乗っかっていて、下に何があるのかよく見えなかった。
「ご飯だよ。豆腐にご飯で【とうめし】というんだ。ここの名物だよ」
「えっと、これで一人前ですか?」
明らかに豆腐の存在感がすごいそれはいいけどを見て、黒子はつい疑問を口にしてしまった。
「当たり前だろう、と言いたいがこれで半分だよ。お前は一人前も食べられないだろう? それに、ここはおでん屋なんだ。おでんもいくつか頼んだからそれを摘むには丁度いい量だと思うよ」
「そうですよね。なんかこう、見た目が斬新ですね」
「あぁ。オレも最初見た時は驚いたよ。冷めても美味しいけど、温かいうちに食べてごらん」
「はい。いただきます」
「いただきます」
綺麗に割れた割り箸を使い、豆腐に割れ目を入れて下のご飯と一緒にすくって口へ運ぶ。見た目はねこまんまにも似ているけれど、ご飯と豆腐に染み込んだのは出汁の味だ。噛めば噛むほど味が出て、少し硬めのご飯と柔らかい豆腐のコンビネーションがなんとも言えない。とても美味しくて、すぐに二口目を口に運ぶ。
「どうやら黒子の口に合ったようだね」
「はい。ご飯に味がしっかり染み込んでいて、とても美味しいです」
「あぁ。豆腐と一緒に食べても美味いだろう? ほら、この出汁が沁みたおでんもきたよ」
赤司の言う通り狭いテーブルにはあっという間にたまご、大根、はんぺん、ちくわなど定番のおでんが並べられた。
「卵も美味しそうです」
「卵以外も美味いよ。これは黒子の分」
「あの、多くないですか?」
「オレと同じ量だよ。今日のノルマだ」
「ノルマ」
「食べられるだろう?」
赤司の目が黒子を捉える。中学の頃から食に関して受けてきたこの圧は、今になっても変わらない。むしろ、大人になってからの方が逃げ場もなく受け入れるしかなかった。
「……善処、します」
「あぁ、そうしてくれ」
結局、なんだかんだ言っても最後に赤司は助けてくれるのだが、それまでにはある程度食べなければならない。しかし、今日のメニューは黒子も自然と箸が伸びそうなものばかりだった。
それから赤司となんでもない話しをしながら酒を飲み交わし、どうにかとうめしを完食してはんぺんを半分赤字に譲った他は出されたもの全てを胃に収めることができた。お互い二杯目が全て無くなる頃テーブルの上にあった料理は全てなくなり、会計を済ませると二人は店を出た。店の外にはまだ人が並んでいて、黒子はこの店の人気を改めて実感した。
「それにしても、賑わってましたねお店」
「そうだね。オレが以前連れてこられた時も並んだけれど、今日はそれ以上だよ」
「失礼ながらてっきりいつもみたいにキミが予約して席を取っておく店かと思いました」
「なに、オレだってそういう店ばかり行ってるわけじゃないよ。ただたまにはお前とこうして並ぶのも悪くないと思っただけだ」
「ボクも楽しかったです。キミは並ぶような店は好きじゃないと思っていたので、ボクのオススメのカフェも連れて行きたいです」
「そこは誰と行ったの?」
「まだ怒ってるんですか」
東京駅へ向かう道すがら、二人は肩を並べて歩いた。人がいなければこの高揚とした気分に乗じて赤司の空いている手を繋いでいたところだが、いかんせん周りに人が多すぎた。黒子は東京駅から出ることなど初めてに等しかったが、夜が更けても煉瓦造りの駅舎を撮ろうと人が集まっている光景に圧倒されながらも、隣で憮然とした態度の赤司の顔を覗き込んだ。
「怒っていないよ。ただ、疑問なだけさ」
「疑問?」
「あぁ。オレだけがお前を好きでいるような気がしたんだ。実際、そんなことはないだろうけど。春だから別れの時期でもあるだろう。中三の終わり、お前と離れたことを時々思い出すんだ」
赤司の言葉に黒子は足を止めた。どうやら、今日の赤司が少し感傷的な気がしたのは気のせいではないらしい。
「ボクはキミのこと好きですよ」
「ビール二杯で酔ったのか?」
「酔ってませんよ。ただ、誤解してるようなのでちゃんと伝えたいと思っただけです」
「そうか。じゃあ、ちゃんとお前を恋人だと父に紹介しても?」
「ええ、構いません。この際全てバラしてしまいましょう。キミが中学の頃、ボクのファーストキスを勝手に奪ったことも、高校二年の夏に――「わかった。もう怒っていないから外で言うのは良しなさい」
赤司の手が黒子の口を塞ぐ。幸い、周りの人間は黒子たちのことを酔った男同士の戯れだと思っているのだろう。誰も気に留めるものなどいなかった。
「赤司君、好きですよ」
「知ってる」
「赤司君は?」
「オレも黒子が好きだよ。初めてあった時から」
「ふふ、知ってます」
自然と繋がれた手はほのかに温かく、黒子は目を細めた。まるで幼子のようなやりとりはどこかくすぐったいが、今日だけは構わないだろう。
気がつくと赤司の足は東京駅ではない方へ向かっていて、それがどこへ続く道なのか分かってしまった。
「たまには夜の散歩もいいだろう?」
「はい。明日は丁度休みですし」
「じゃあ、朝ごはんはフレンチトーストでも作ろうか」
「……きっと起きれないのでお昼が良いと思います」
「それもそうだね」
東京駅を背に、二人は手を繋いだまま夜の街へ溶けていった。