口寂しいから 君を頂戴 【お読み頂く際の注意事項】
※キャラクターの喫煙描写があります。
※Notタイムリープものです。
※ペーパーカンパニーについてや反社会組織の業務内容について記載している箇所がありますが、あくまでフィクションですので雰囲気でお読み下さい。
※現在(1/15時点)発売されている単行本既刊(30巻)までしか履修していない人間が書いています。(本誌未履修です)
※原作の内容とのズレやキャラクターの口調、その他捏造箇所が多くありますので、そちらをご了承の上お読み頂きますようお願い致します。
上記内容をご確認の上、お読み頂きますようお願い申し上げます。
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俺がタバコを吸い始めたのは確か年少にいた頃。
きっかけはよくありがちな貰いタバコ。
誰だか覚えてもいないヤツに勧められて何の気なしに吸ったことが今に至っている。
誰から貰ったか全く覚えていないが、最初に吸ったタバコの味は今でもはっきりと覚えている。
タバコを咥えて吸った息は今まで味わったことのないほどに苦く、その苦味が口中に広がり、やがて肺に入ろうとした時、俺の体は完全に拒否した。
その結果、行き場を失った苦味のある煙で噎せかえり最悪だった。
タバコを渡してきたヤツにはボコボコにすることでお返しをし、二度と吸うかと思ったのもつかの間、そいつからかっぱらったタバコに何となくまた手を出しているうちに最初は苦味しかなかったはずが、いつの間にか肺にまで煙を入れられるようになり、そのうち入れた煙を吐き出す時のバニラのような特有の甘みが心地よく感じるようになった。
愛煙家はよくタバコのことを美味いと表現するが、俺にとってタバコとは美味いでも不味いでもなく、嗜好的な役割はない。
タバコがないと、俺は生き物としての最低限の動作である呼吸の仕方さえ忘れてしまう。
そんな俺は立派なニコチンの奴隷と言えるだろう。
タバコに旨味を求めていない俺は、特にこだわりもなく初めて吸ったタバコと一緒の銘柄を今もずっと吸い続けている。
クラシックな少し光沢感のある濃紺地に、金の鳥があしらわれたパッケージは、海外では濃紺が死者を彷彿とさせ嫌悪されることから、濃紺を高貴な色だと好む日本人好みに生み出された特注のデザインだそうだ。
弟曰く、傍から見た俺は気難しそうでこだわりも強いように見えるらしい。
ただ実際の俺はこだわりなんてものもないし、夢中になれることや譲れないものも持ち合わせてなどいない、面白みにかける部類だろう。
仕事や私生活も含め、俺の人生において一番必要不可欠だと言えるのはこのタバコくらいだ。
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俺の任された仕事は正直、仮病を使ってでも関わりたくないものだった。
平和ボケした世間の人々は、”反社”と聞くとちょっと強めの幻覚と依存性のあるオクスリを売っていたり、平気で人を嬲り殺すような残忍無慈悲な行為を犯す集団を思い描くのだろう。
ひと昔前まではそうだったかもしれないが、現代における反社はそうも言ってられない。
実際俺らの仕事は、書類仕事やパソコン仕事、顧客への接待や営業なんてのもあって、響きだけでいけばそこら辺のサラリーマンとさして変わらない。
決まった型にはめられた、誰にでも出来るルーティンワーク───パソコン仕事と書類仕事が特に反吐が出るほど俺は嫌いだが、大抵の仕事は華やかな俺には似合わない地味なものが多い。
数日前、反社組織梵天の息がかかった書面上の会社───所謂”ペーパーカンパニー”に近々ガサが入るととある関係者筋からのリークがあった。
手が空いている人間がいない中、のらりくらり仕事から逃げて暇していた俺に白羽の矢が立ってしまった。
ペーパーカンパニー自体は法でも認められている列記とした節税対策の一つだが、ただ問題は頭が反社であるということと、そこで実際行われている”事業内容”だ。
俺たちの所有しているペーパーカンパニーの仕組みとしてまず、梵天の傘下の消費者金融から金を借りたものの、元金以上の利息に苦しみ首が回らなくなった借入者に名前を捨てさせ、その名前を宙に浮かせた後、俺たちがその名前を”所有”することから始まる。
名前なんて何の価値があるんだと疑問に感じたそこのアナタ!
返済能力のない人間から雀の涙にも満たない金を引っ張ってくるよりも、俺たち反社からすれば何の手垢もついていないパンピーの名前一つの方が大いに価値があったりするのだ。
まあ借入者は名前を捨てた後、もれなく体とこれから先の人生ともさよならしてもらうことになるのだが。
その”元”借入者の名前をペーパーカンパニーの社員や代表取締役として立てて、表向きには事業をやっている”ように”見せるのだ。
もちろん事業なんてものは一ミリも存在するはずもなく、その実態はアシがつくことを恐れる詐欺集団やカルト教団に会社という”ハコ”だけを貸し出し、ソイツらから貸賃としてのアガリを頂くというサイクルだ。
詳しいことは梵天の金庫番と呼ばれる九井のみぞ知るところだが、簡単に言えば”バレればヤバい”し、”ロクなものではない”ということだ。
こういったペーパーカンパニー事業は、海外では取り締まりが厳しいこともあって、意外と買い手も多く、紙面上ではあるが日本国内だけで見てもウチは何百社と所有している。
そのためガサ入れなどは日常茶飯事で、その度に九井の部下の火消し要員が俺らの知らないところであくせく動いている。
ただ九井曰く、今回のガサ入れは今までと違い”ヤバい”らしい。
今回のガサ入れ対象のペーパーカンパニーの所有者は、とあるカルト教団らしい。
基本的にペーパーカンパニーで行われている”事業内容”を聞くことはタブーのため、詳しいことは知らない。
ただ、それはあくまで”知らぬ体を貫いている”というだけで、いつでも目が届くように粗方調べてはいる。
このカルト教団に貸しているペーパーカンパニーは、外ズラは化粧品の販売代理店を装っているもののその実、中毒性のある植物を栽培してそこから抽出したものからヤクを作り、そのヤクで化粧品目当ての客に「このサプリメントを飲めば若返る」とか、「飲むだけで痩せると」と謳ってヤク漬けにし、自我を捨てさせるために暴力を用いて洗脳し、本人の意思関係なく教団に入信させ、身内から犯罪者を出したくない家族を脅し口止め料として金を巻き上げるといった反社よりも血なまぐさい活動内容をやってのけている。
今回のガサ入れを知ったカルト教団の教祖は、九井の元に泣きついてきたらしく、元々太客で且つ今回のことを上手いこと処理してくれたら言い値を払うという先方の申し出に九井はあろうことか一つ返事でこの仕事を受けたそうだ。
九井からは「少しでもソイツらの”布教活動”を勘づかれると後々面倒だから絶対ヘマすんなよ」と念押しされた。
俺の仕事は、そのペーパーカンパニーの登録住所に赴いて勘ぐられない程度にそこを”至って普通の小さな会社”に見えるよう手を施すこと。
通常であれば九井の部下が片付けるはずなのだが、「宗教団体は金をたんまり持ってるからな。言い値でいいって向こうが言ってんだ。この際踏んだくれるだけ踏んだくってやる」と金に目が眩んだ九井という男のせいで、確実に金を踏んだくるため失敗のないよう幹部である俺にその役が回ってきたというわけだ。
俺は九井から三週間という期限付きで、他の仕事は当たらなくていい代わりに絶対しくじれない仕事を任命された。
九井から事前に聞いていたペーパーカンパニーの会社の所在地へと向かうと、そこには百坪ほどの長方形の白塗りの倉庫のようなものがあり、建物の目の前には会社の規模にしては広い駐車スペースもあった。
会社の目の前には畑、鉄塔、その奥にはなだらかな山々。
その他にあるのは、ウチと同じような白い長方形のハコ型の建物が点在しているのと、徒歩十五分はかかるであろう場所にある聞いたこともない名前のスーパーくらいだった。
住所では一応ここは東京都らしいが、俺の知っている高層ビルが立ち並ぶ東京ではない。
聞いたことのない住所だし、目的地に向かっているうちにどんどんと秘境を思わせるようなのどかすぎる景色なっていることに内心不安は感じていたが、これは予想以上にヤバい。
期限付きとは言え、今日からみっちり三週間ここに”出社”するのかと思うと、選り好みなんてせずに嫌いなデスクワークも適当にやったフリでもしてるんだったと東京のビル風に当たることの出来ない職場に飛ばされたこの状況と九井を呪った。
こんな何もない焼け野原同然だと事前に知っていればせめて竜胆だけでも都合をつけさせて連れてこれば良かったと遅すぎる後悔する中、ひとまず一服することにした。
長年愛用している唐草のレリーフがあしらわれたジッポライターからタバコに火をつけると、「ボッ」という音と同時に勢いよくタバコの先端に火がついた。
いつかの誕生日に派手好きの弟がタバコが手離せない俺にプレゼントしてくれた、これまた派手な装飾の施されたジッポライターに最初は違和感があったものの、今では手に馴染みオイル特有の香りも相まって俺のお気に入りだ。
「おはようございます!」
突然、耳元で言われたのかと思うほどのデカイ声が響いた。
こんな田舎に知り合いがいた記憶もないので、『俺じゃねぇな』と無視を決め込んでいると、「この会社の社員さんですか?」と続けて声がした。
『まさか俺に話しかけてるのか…?』と声のするほうを見ると、腰の高さほどしかない役に立ちそうにない柵越しに、こちらを見つめるちんちくりんの冴えない男が立っていた。
この柵の向こうにはウチの会社をコピペしたような全く同じ見た目をした会社があり、ソイツはそこの社員かだろう。
何の手も加わっていない無造作天パに、流行を三周は過ぎ去っているであろう型崩れしたスーツを恥ずかしげもなく着ている、いかにも仕事の出来なさそうなヤツで、ソイツの手には先がバシバシに傷んだ寿命をとっくに過ぎている箒が握られていた。
派手なスーツに派手な髪色、サラリーマンには見えない俺に、一度ならず二度も声をかけてくるとは。
余程空気が読めないのか、或いは余程心臓が強いのか、もしくはその両方か。
俺の素性や、今回の仕事内容においても、出来るだけ人と関わることを避けたい俺は、あしらうためにも得意のちょっと嫌味な演技派蘭ちゃんを発動させた。
「こんなのどかな場所だと、時間の感覚も人間性もゆるゆるなんですね〜」
「ありがとうございます!僕もここが大好きなんです」
嫌味で言ったはずなのに、なぜかこのちんちくりんは俺に感謝の言葉を伝えてきて、あろうことか「お互い違う会社ですが、お隣さん同士ですし困ったことがあればいつでも言ってくださいね!」と『え?俺とこいつってママ友だったっけ?』と勘違いを起こしそうになるような距離の近い口ぶりで、俺は内心ゲンナリした。
ちんちくりんの顔は、苦労知らずで緩みきっており、頼み込めば初対面の人間の借用書の連帯保証人欄にさえ簡単に判を押してくれそうなチョロさがダダ漏れだった。
始業時間が近いのか、「あっ、じゃあまた!」と会釈をして振り返ることなく、急ぎ足でウチと瓜二つのハコの中へと入っていった。
邪魔者もいなくなったので俺は、肺胞一つ一つに行き届かせるよう今度こそ紫煙を深く吸い込んだ。
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あの日以降、ちんちくりんをよく見かけた。
見かける度、いつも箒で外を掃いていたり、ゴミを出しに走っていたり、何かとちょこまか動いていた。
ちんちくりんのことで分かったことがある。
ちんちくりんは誰よりも朝早くに出社し、誰よりも遅くに退社している。
そのことを知ったのは偶然で、俺が珍しく遅くまで会社に残り、『この時間から東京に帰るのも面倒臭せぇな』と会社で寝泊まりした時のことだ。
ここ数日、ちんちくりんを見ていて仕事が出来ないポンコツだということは、初対面の時点で察しがついたし、その上ああいう人間はきっと頼まれたら断れない質だろうことは予想はついた。
きっと仕事を押し付けられても嫌な顔などせず、なんなら一生懸命こなそうとするちんちくりんを、あの会社のヤツらは都合のいい使いっ走りとしてこき使い倒しているのだろう。
あと、ここ数日で変わったことがある。
毎朝挨拶されるうちに俺は、ちんちくりんのことを「ハナガキ」、ハナガキは俺のことを「蘭くん」と呼ぶようになった。
なぜハナガキが俺のことをファーストネームで呼んでいるかというと、”灰谷”という苗字はなかなか聞かないレア苗字のため、なにかのきっかけでハナガキに俺が日本最大の反社組織の幹部だということが知られてしまうと色々とマズイからだ。
初めて挨拶を交わした日から特に約束などはしていないものの、花垣は朝の掃除に、俺は朝の一服タイムに、毎朝十五分ほど話すことがルーティンになっている。
「なんで毎朝お前しか掃除してないわけ?」
「みんな忙しいみたいで掃除する時間がないんですよ。俺は朝早く出社してる分、時間もあるので。たまたまです」
きっとハナガキのいる会社で、一番忙しいのはハナガキだろう。
この一週間、ハナガキ以外のヤツが走っている姿を見たことがないし、みんな揃って十八時頃には俺のいる会社の前を通って帰宅する姿を見ているから残業もしていないだろう。
他のヤツらはハナガキに仕事を押し付けるため、忙しい”フリ”をしてるだけだろう。
そんなふうに舐めた態度取られておきながらなぜコイツは平気そうにしているのか、俺には全く理解出来ない上、なぜかとてもイラついた。
そんな俺の気なんて知らないハナガキは、呑気に鼻歌を交じえながら傷みまくった箒でゴミを掃いていた。
「蘭くんはいつもタバコ吸ってますけど、タバコって美味いんスか?」
「別に美味かねぇよ」
「えっ!じゃあなんで吸ってるんですか?」
ハナガキにそう訊かれた俺は、少し考えた。
「強いて言うなら…」
「強いて言うなら?」
「息を吸うため…かな…」
「息を吸うため…?」
俺の言葉をきいたハナガキは、眉間に皺を寄せ、「タバコがないと息が苦しいなんて、それって病気じゃないんですか?蘭くん、最近健康診断って行きました…?」と不安そうに尋ねてきた。
「ぷはっ、あ〜なるほどね!うん、ダイジョーブ、ダイジョーブイッ!な〜んつって」
「人が本気で心配してるのに、なんで笑うんですか!もう!ふざけないで下さい!」
「いや〜だってさお前、ただのニコ中なのにまるで大病患ってる重篤患者みたいに俺のこと心配してくれるからさ〜なんか新鮮で」
「友達が体調良くないって言ったら誰だって心配しますよ!」
「えっ!俺らって…その、トモダチなの?」
「俺は蘭くんと友達だと思ってましたけど、蘭くんは違いました?」
俺には今までトモダチと呼べる間柄の人間は、一人もいたことがなかった。
俺には言葉がなくともつーかーのやり取りが可能な弟がいたし、傍から見ればめちゃくちゃなことをやる俺に友達なんていなくて当然で、友達が欲しいと思ったことも今までなかった。
確かに連んでいたヤツらならいる。
年少で出会ったイザナやモッチー、ムーチョ───。
今の同業者であるマイキー、三途、九井、鶴蝶───。
ただ、ソイツらとはトモダチではない。
ハナガキの周りにはきっと、こいつみたいなお人好しの友達がたくさんいるのだろう。
だからこそハナガキにとって”友達になること”は難しいことでもなく、たった毎朝十五分だけ話す相手ですら”友達だ”と言ってのけられるのだ。
ハナガキに「友達だ」と言われた俺は、自分の中の誰にも触れさせない場所をギュッと素手で握られたような感覚がしていた。
それは不快感や痛みを感じることはなく、ただどことなくスッキリしない不思議な感覚だった。
「はいは〜い、俺とハナガキは”オトモダチ”だな〜」
「何なんですかその言い方!オレのこと絶対バカにしてるでしょ!!」
「してねぇよ。ただ…なんかお前って恥ずかしいヤツだよな」
「やっぱバカにしてんじゃないですか!人が心配してるって言うのにー!タバコは”百害あって一利なし”って昔の偉い人も言ってるんですから、この機会に止めた方がいいですよ!止めれば長生きも出来るし、きっと今以上に空気も美味しく感じるんじゃないですかねぇ!?」
俺にバカにされたと勘違いしたハナガキは、プリプリと怒っていて、自分の感情に素直なハナガキのような人間は俺にとって新鮮だった。
そんなハナガキの反応が面白くてつい笑ってしまい、俺の態度にハナガキは、「蘭くんのことなんてもう知りません!」とフンッと俺から顔を背け、俺のいる場所から一番離れた場所へと掃き掃除をしに行った。
禁煙を勧めるハナガキの意見はごもっともだ。
ただ、タバコを吸わない人生よりも吸ってきた人生の方が長くなってしまった俺にとって、タバコを吸うことは朝起きて顔を洗ったり、喉が乾けば水を飲むことと同じくらいに当たり前のことなのだ。
謝る前にハナガキは社内へ戻ってしまったので、頭にカレンダーを思い浮かべながら今日が金曜日だから次ハナガキと会えるのは来週の月曜日だなと赤でマルをつけた。
日曜日、俺は近所のカフェで焼き菓子の詰め合わせを購入した。
俺みたいな人間は、元来派手好きで自我が強く、オシャレな街を歩いては周りからちやほやされる休日を過ごしていると思われているだろうが、実際の俺は休みの日は家から一歩も出歩くことがないほどに超インドア人間だ。
そんな俺が休日にわざわざ居心地最高の我が家から抜け出し、カフェにお菓子を買いに来ている。
しかもそのお菓子は自分が食べるのではなく、”人に渡すため”ときた。
俺が自分以外に労力を使うなんてことはまずありえない。
この光景をウチの弟が見たら、「兄ちゃんがおかしくなった…」と精神科のある病院にでも連れていこうとするだろう。
シンプルなベージュの箱の中にはチョコレートやバニラ、オレンジピールの入ったクッキーとブランデーに浸けたベリーの入ったパウンドケーキ、シナモンが程よく効いたフィナンシェにスノーボールクッキーなど、形も色も様々な焼き菓子が入っていた。
ハナガキがこの焼き菓子を食べたら、「こんなのオレ食べたことないです!」と嬉しそうに口いっぱいにお菓子を詰め込むんだろうなと想像すると、胸の当たりがこそばゆく感じた。
・・・あれから三日が経った。
週明けの月曜日からハナガキが外を掃いている姿を見かけていない。
前に話をした時に、「オレ、仕事は全然ダメダメでいつも上司に怒られてばっかなんですけど、人より体は丈夫なんで体力だけには自信あるんです!」と言っていたのに。
まさか仕事辞めたとか?とも思ったが、俺のことを友達だと要らぬ心配までするお節介具合を思い出せば、辞めると決めたらこちらが尋ねていないことまでペラペラ喋るだろうし、誰にも言わずに姿を消すといった自分のせいで誰かが困るであろうことをするのは、アイツに限ってはまずありえないだろう。
となると厄介事にでも巻き込まれたか、事故か、借金の肩を背負わされてマグロ漁船にでも乗せられたか、もしかすると断りきれずに死体遺棄の手伝いでもさせられているのか。
アイツのことで思い浮かべることは、そのどれもが最悪の可能性で、アイツのお人好しっぷりならどれも当てはまってしまい、仕事もろくに手がつかなかった。
連絡しようにも今まで毎朝話をするだけで連絡先も知らないし、ハナガキの同僚に聞こうにもハナガキ以外の知り合いもいなければ俺の立場上、無闇矢鱈に他人との接触は取れない。
───俺ってハナガキのこと何も知らねぇじゃん。
皮肉にも禁煙を勧めていたハナガキがいなくなったことで、一日に一箱を空にするほどプカプカ吸っていたタバコも吸う気が起きず、この三日間一本も減っていなかった。
次の日会社に向かう道中、型崩れしたスーツに無造作天パのハナガキの後ろ姿が見えた。
「お前今までどこにいたんだよ!」
後ろ姿を見つけた途端、ハナガキの肩を掴み出た自分の声は、自分でもびっくりするほどにデカくて、その声に反応して振り返ったハナガキは、明らかに大きすぎるサイズの合わないマスクをつけていた。
「実は風邪を引いてしまって…」と治りきっていないのか、喉風邪特有の掠れた声に俺は大きなため息をついた。
「お前、体力だけには自信あるんじゃなかったのかよ!心配させんな!」
そう言った自分の言葉に俺は驚いた。
コイツのことをずっと心配していたんだと、俺はこの時ようやく気が付いた。
俺という生き物は自分さえ良ければ全て良しで、他人に干渉するなんて野暮なことは絶対にしてこなかった。
そんな俺が人の心配をするなんて、絶対にありえない。
俺の中での常識が覆り、信じられない状況が今起きていることなんて知りもしないハナガキは、「蘭くん、オレのこと心配してくれてたんスね。蘭くんみたいに心配してくれる友達がいてオレ、嬉しいッス」とまだ病み上がりで本調子ではないからか、ハナガキの瞳には薄らと涙の膜が張り、それが陽の光の当たる角度によってキラキラとこちらに向かって細かい光を放った。
ハナガキに会った時に、頼まれてもいないのに勝手に準備していた焼き菓子の賞味期限が過ぎてしまったことへの嫌味をネチネチと浴びせてやろうと思っていたのに、俺は光の反射で輝く水面のようなその青く綺麗な瞳を見ているうちに、嫌味を言うこともすっかり忘れていた。
――――
俺がここへ来るのも残り二日。
あれから俺はタバコが欲しいと思わなくなった。
今までであれば一日一箱吸っていたタバコは、今では朝夕に一本ずつ吸えば十二分に満足で、一週間前にあけたタバコもまだ中身が残っているような状態だ。
別に禁煙を目指しているわけではない。
実はタバコを吸うことで以前なら満足出来ていたことが、今ではタバコを吸っても何も感じなくなってしまったのだ。
きっと、ウチの健康ヲタクな弟が今の俺を知ったら、「やっと兄ちゃんも健康への意識が芽生えたか〜」とダンベル片手にニヤつきながら嫌味っぽく言ってくることだろう。
弟との二人暮しの家のリビングでタバコを吹かす俺を見つけては、「タバコ吸うなら外!マジ外で吸えよ!」と弟はいつもキレていた。
「オレは兄ちゃんと違って、一回もタバコに頼ったことのないタバコバージンな肺なのに、兄ちゃんのせいで受動喫煙者だ!オレが肺ガンにでもなったらマジ兄ちゃんのせいだからな!」と言う弟があまりにも煩くて、「ほっとけ」と言って黙らせる代わりに、毎回全力の蹴りをお見舞いしてはケンカしていた。
タバコの量が減ってから分かったことがある。
俺は何かに執着する質ではないと思っていたが、それは大間違いだったということだ。
今まではタバコで埋められていたのが、今では代わりに”別のモノ”を欲しがるようになっている。
───ハナガキ タケミチ
ここ数週間で日課となっていた朝の一服は、いつからかハナガキと話す口実にタバコを吸うようになり、自分でも気が付かないうちに目的がすり変わっていた。
この仕事が片付いて元の生活に戻ればきっと、一般人であるハナガキとはもう会えない。
生まれて初めて強く【欲しい】と願ったモノは、傍から見ればどこにでもありそうなガラクタ同然だった。
傍から見ればなんてことないものだとしても、当人にとってはかけがえのない代物だったりするのだろうか。
誰かにとっての特別とは、その本人にしか価値が分からないものなのかもしれない。
タバコで満足していれば良かったのに、よりによって面倒臭いものを欲しがる俺は案外バカだったんだなと自嘲気味に笑った。
―――・・・・・・・
やっとの思いで手に入れた恋人の座。
今までの俺であれば金で買えるものか、必ず勝てる見込みのあるものにしか手を出さなかった。
プライドの高い俺が、恥も外聞も捨ててまで欲しいと思えたモノは、後にも先にもコイツくらいだろう。
俺の恋人は、他人のことには聡いのに、その矢印が自分に向けられた途端、 驚くほどに疎くてオトモダチから恋人に昇格するまで本当に大変だった。
「なぁ、タバコ吸いたくなっちゃった」
「蘭くんダメですよ!ほら、ガム噛みましょ」
俺の意図に全く気が付かないニブチンの恋人は、俺のためにと常備してくれている業務用のボトルガムを差し出してきた。
「そうじゃなくて、”いつもの”がいい」と甘い声でおねだりすると、顔を真っ赤にした恋人は、「…一回だけッスよ…」と先程までとは打って変わって、消え入りそうな小さな声で言った。
口をまるでタコのように前へ突き出し、固く両目を瞑った顔はまるで梅干しのようで、そんな姿にさえ俺はかわいいと思ってしまうのだからかなりの重症具合だろう。
恋人のすぼめられた小さな口に、俺の唇を重ねる。
恋人と出会うまでは、タバコを吸うことで寿命が縮もうが、今が楽しけりゃそれでいいと思っていたのに、今では一分一秒でも長く恋人と過ごしたいと元ヘビースモーカーが往生際の悪さを発揮し、タバコを一本も吸わなくなった。
不思議と吸いたいと思うことも今のところはないが、俺とのキスにいつまでたっても顔を真っ赤にして照れる恋人がつい可愛くて、「口寂しい」と言ってはキスを強請っている。
「タバコを我慢して口寂しい時は、キスをするのが体にいいんだって聞いたことがある」と俺がただ、恋人とキスがしたいがためについた真っ赤な嘘でも素直な恋人は信じてくれた。
何度もキスを求めた結果、ニコチン切れの症状が今よりも和らぐようにと、優しい恋人は少しだけニコチン成分を含んだ禁煙サポートガムを買ってきた。
「オレとのキスなんかよりもこっちの方がきっと効果あると思います!」と最近ではキスよりも先にガムを差し出してくるようになってしまい、俺のことを心配してくれている恋人には悪いが、俺としては”キスが欲しいだけなのにな”と正直なところガムの存在を疎ましく思っている。
タバコよりも欲しいと求めた恋人を手に入れた今、俺が満足しているかと問われれば、答えは『NO』だ。
ニコチンは切れると呼吸することすらもままならない感覚に陥る一方で、摂取した後の他では得られない開放感と多幸感がクセになる。
タバコと違い、俺の恋人はどれだけずっと一緒にいても会っている傍から”もっと欲しい”と求めてしまい、その欲求には底がないのだ。
「もっと欲しい───タケミチ」
付き合うようになってからハナガキのことを下の名前で呼ぶようになって、もうすぐで一年が経とうとしている。
お互いの唇が触れるだけの先程のバードキスでは物足りず、俺はかぶりつくように恋人の唇を求めた。
タケミチの容量の悪さは仕事以外にも発揮されており、何度もしているはずのディープキスも息継ぎの仕方が未だに習得出来ず、今も口の端からはどちらのだか分からない唾液がタケミチの服をじんわりと濡ら始めている。
それを分かっているのにキスを止められない俺は、こんなにも余裕がない人間だったんだなと思い知る。
タバコよりも甘く芳しく、一度手を出すと底の見えない愛欲に溺れてしまうほどの中毒性───それが俺の最初で最後の愛だ。