やさしいヒヤシンス【お読み頂く際の注意事項】
※原作の内容とのズレや捏造箇所が多くありますので、そちらをご了承の上お読み頂きますようお願い致します。
※原作では登場しない灰谷兄弟が飼っている猫や設定自体もif軸になりますのでなんでも許せる方向けです。
※後半の方にぬるい流血表現がありますが、死ネタではございません。
上記内容をご確認の上、お読み頂きますようお願い致します。
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ヒヤシンスという花の名は、二人の神々から愛された一人の少年の逸話からつけられたとされている。
その少年の名はヒュアキントスと言い、二人の神のうち一人を太陽神アポロン、もう一人を西風の神ゼピュロスと言った。
ヒュアキントスは、移り気なゼピュロスよりも誠実で自分に対して真っ直ぐな愛情を向けてくれるアポロンに心惹かれ、やがて二人は恋仲となる。
アポロンとヒュアキントスが円盤投げに興じていたところをたまたま遭遇したゼピュロスは二人の姿を見て酷く嫉妬し、出来心から円盤が投げられたタイミングで風を強く吹かせた。
円盤は強風により軌道を大きく変え、あろうことかヒュアキントスの額に命中して絶命してしまう。
ヒュアキントスの亡骸から流れる血は地面に滴り落ち、その血からヒュアキントス(英名:ヒヤシンス)の花が咲いたことでこの名がついたとされている。
――――
マイキー率いる関東卍會と花垣率いる二代目東京卍會の最終決戦は東卍側の勝利という形で幕を引き、この抗争後双方のチームともに解散となった。
当初、人数も腕っ節も踏んできた抗争の場数においても関卍の方が勝っていると思われていたが、所詮マイキーという化け物級に強いカリスマの元に集められた烏合の衆に結束力なんてものは存在せず、マイキーが花垣に絆され黒い衝動から開放された瞬間、俺たち関卍の完全な敗北が決定した。
関卍解散後は元々仲間でもなかったため、それぞれがてんでばらばらとなった。
風の噂では、マイキーは『自分のような社会のはみ出しものの居場所を作りたい』という夢のため日中は働きながら夜間の高校に通いだしたらしいし、九井はずっと連んでいた乾の営むバイク屋で事務処理の手伝いをしているらしいし、一番心配していた鶴蝶は喧嘩屋を廃業してアマチュアの格闘家として活躍する一方で、時間のある時は養護施設の手伝いをしていると聞く。
その他の連中も不良からは足を洗い、今までのことを若気の至りだとでも言うように真っ当な道を歩こうと前を向いている。
一方で、俺と弟の竜胆はまるで青春ものの安いヤンキー漫画のオチのようなこの風潮に乗っかることはなく、その流れに逆らうように以前よりも悪どい法を犯すスレスレのことに手を出していた。
そんな俺らの前に現れたのは、俺らと今まで関わることがなかったはずの意外な人物だった。
───花垣 武道。
花垣は、映画や漫画の世界だけでしか聞いたことのない、【過去と未来を自由に行き来できるタイムリープ能力】を持っているらしく本人曰く、最終決戦後一度は未来へ帰ったらしい。
真っ当な道を歩きそれぞれが幸せを掴んでいた未来で、俺たち灰谷兄弟だけが犯罪に手を染め、巨悪な存在となっていたそうだ。
それに納得がいかなかった花垣は、過去にタイムリープして今に至るという。
まぁ花垣の言うタイムリープ能力を信じるかどうかは置いておくとして、俺たちが裏の社会に身を落とすことは時間の問題だろうし、簡単に想像がついた。
それにしても別に友達でもない、特段関わりのないどころか今までずっと敵サイドだった俺らに何する気なのか皆目見当もつかず、内心気味の悪さを感じた。
「オレは君たちを救います」
俺たちのことをやけに明度の高い青い瞳で見据えて、「君たちが悪の世界に身を落とすことなく、幸せになった時がオレにとって本当の【ミッションコンプリート】なんです」と訳の分からないことを言った花垣はその日以降、俺たちの行動を見張るためか俺たちに付きまとうようになった。
六本木界隈では”灰谷兄弟の金魚フン”だとか、”灰谷兄弟のオモチャ”だとか噂されているらしいが、当人である花垣は何処吹く風で全く気にしていない様子だった。
弟曰く、俺は人よりもパーソナルスペースが広いらしく、だからか他人が自分の陣地に土足で踏み込んでくることが俺は一番嫌いだ。
弟の竜胆以外の人間と関わる時はまずソイツに俺との距離感を徹底的に教えこみ、ルールを破れば二度と忘れさせないよう身体に叩き込むことから始める。
大抵の人間は傍から見れば意味の分からないことでキレる俺に対して深く関わろうとはしてこないし、俺もそれで良かった。
「蘭くん!竜胆くん!今日はどこ行きますかー?」
真隣にいるのに二メートル先の人間に話かけているかのようなどデカイ声量の持ち主は、今日も俺たちを入っただけで油あたりしそうな臭い店に誘おうとしている。
学校帰りであろう制服姿の花垣は、高校と自宅は目と鼻の先にあるらしいのに自宅を通り越して自転車で三十分近くかけて俺たちのいる六本木にまでやってくる。
別に待ち合わせてなどしていないのに、毎度目ざとく俺たちを見つけては、「ゆっくり話しましょ!」とマ〇クやらミ〇ドやらファミレスやらに連れて行き、安い油の匂いが充満する店内で半分酔いながらも食事を一緒にとらされるのだ。
以前、「今日は大奮発です!」と言って花垣に連れて行かれた白のセットアップスーツに白ひげを貯えたジジイのマネキンが店頭に立っているフライドチキンの店は一番悲惨で、この店に行って以来フライドチキンは一生目にしたくないと思った。
金がないという日は寒空の下、公園で三人並んでコンビニの中華まんを分けて食べたり、花垣の家に呼ばれてただオセロや人生ゲームなどのボードゲームをする日もあった。
別に俺たちには金があるし、花垣に付き合う必要はない。
だから最初の頃は、二度と俺たちに構うことがないよう痛みで思い知らせようとしたが、花垣には全く効かなかった。
暴力を奮うと、やけに澄んでいるのに何にも染まらず屈しないと訴える”あの眼差し”を俺たちに向けてくるのだ。
弱いのになぜ俺たちにビビらないのか、今まで関わることもなかったんだし他人なんだから放っておいてくれればいいのに。
どんなに殴られようとも次の日には包帯やらガーゼだらけになりながら、「蘭くん!竜胆くん!今日はどこ行きますか?」とのこのこやって来ては笑顔で尋ねてくるのだからコイツは俺たち以上に異常としか思えない。
ある者から見れば美徳に見えるかもしれないが、俺にとって花垣の異常なまでのしつこさは恐怖でしかない。
理解できないものほど怖いものはないのだ。
俺たち兄弟の地位や金、名誉、ブランドを利用しようとやってくる下心丸出しの人間はごまんといる。
そういう奴らは分かりやすくていい。
利用できそうなものは利用して、要らなくなったらボコって「はい、終わり!」なのだから。
下心があるヤツらは大抵ボコれば小便漏らすほどにビビり上がって、二度と俺たちの前に現れることはないし。
花垣の厄介なところはその”下心”がないため、追い払い方が分からないことだ。
花垣の天性の才能なのか、コイツは他人の懐に入り、無意識のうちに他人を自分のペースに巻き込むのが上手い。
だからなのか普段は他人に流されることがないはずの俺が、不覚にも花垣のペースに飲まれてしまい何の肉かも分からない謎肉パテが挟まったハンバーガーや、やたらと食べたあと口周りがテカテカになるフライドチキンに付き合わされてしまっている。
俺が一番嫌いなことは、自分のパーソナルスペースを侵されること。
俺は竜胆以外に興味もなければ感情を向けることなど今までなかったため、好きなヤツもいなければ嫌いなヤツも今までいた試しがなかった。
花垣は何度もオレの地雷であるパーソナルスペースに、あろうことか汚い土足で踏み込んでくる不届き者で、めでたく生まれて初めての俺が心底嫌いなヤツ認定がなされた。
花垣が俺たちから離れないことに頭を悩ませていたある時、『てか俺から離れればいいんじゃね?』となんで今まで思いつかなかったのか不思議なほど単純な答えが導き出された。
二人とも離れてはしつこさだけには定評のある花垣はきっと、俺たちを血眼になって捜し出し、追いかけ回すことは分かりきっているので、ここは大変不憫だとは思いながらも可愛い弟をスケープゴートとして差し出すことに決めた。
「竜胆ぉ〜。花垣の相手するのお前担当な〜」
俺の言葉に竜胆は、「兄ちゃんはいっつもめんどくさいことはオレに押し付けてまじズリィよな」と口をタコのように尖らせながら不服とばかりに小言を言っていたが、この可愛い弟は結局のところいつも俺に甘く、俺の言うことを断ることはないので最終的には花垣の件を飲んでくれた。
そのおかげで俺は質の悪い油による慢性的な胃もたれからも、その油と同じくらいにしつこい花垣からも解放され、久しぶりに静かな午後を過ごすことが出来た。
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最近竜胆の様子がおかしい。
おかしいというのは、別に体調不良などの類ではなく、様子が明らかにおかしいのだ。
俺と話をしていてもどこかうわの空だったり、着信があるとすぐにケータイを確認しては一喜一憂したり、やたらと物憂げな目をしながら意味深なため息をつくことが増えたり。
特に午後になると明らかにケータイを見る回数が増え、リビングにある姿見の前からどくことなく永遠と身支度をしている。
「お前さぁ、もしかしてあの”ちんちくりん”に惚れてたりする?」
からかったつもりだった。
きっと竜胆からは「はぁ?有り得ねぇし!」と少し怒った口調で返ってきて、このやり取りがおふざけで、いつものじゃれ合いになるはずだった。
一向に返事がないなと読んでいた雑誌を閉じ、竜胆へ視線を向けると、大きく目を開き、頭で湯でも沸かせるんじゃないかというほど顔を真っ赤にした竜胆が、
「本気なんだ」
ただ一言、俺にそう言った。
小さいけれどはっきりとした、決して一時の気に迷いではないという強い決意を感じた。
内心俺は、『あの全力投球クソダサ童貞DKのことを?アイツ男だぞ?いいオモチャだとは思うことはあっても惚れるって何?えっ?竜胆は花垣に”LOVE”ってことだろ?同じ穴から出てきた弟と言えどマジ理解できねぇ。てか無理だわ……』と生まれて初めて最愛の弟にドン引いていた。
俺と竜胆は物心つく前からずっと二人一緒で気も合うし、好きなものや関心を引くものもよく似ている。
竜胆の考えとか気持ちは言葉がなくとも俺には理解出来るし、きっと竜胆もそうだろう。
でも今回のこと、花垣のことは一ミリも理解出来ない。
うちの弟はビジュアルもセンスも世間的に言ったら超ハイクラスだ。(まぁ俺には劣るけど)
女なんて取っかえ引っ替え出来るはずだし、実際俺たちはそれを享受してきた。
俺の半身である竜胆が、”あんなの”に本気で肩入れするなんて…。
「兄ちゃんさぁ、兄ちゃんもアイツのこと好きだったり、する…?」
竜胆が花垣に惚れてるという事実を脳内処理するのにいっぱいいっぱいでその間俺はずっと黙っていたのだが、それを竜胆は何を勘違いしたのかとんでもない受け取り方をしている。
とどめと言わんばかりに侮辱としか思えない勘違いを投下され、優秀なはずの俺の機能は全て停止した。
だからこそ『竜胆のいうアイツってまさか、花垣のことか?』という簡単なはずの答えでさえも理解するのに数十秒要した。
竜胆の様子は冗談を言っている雰囲気でもなく、俺の返答を真剣な眼差しで見つめながら待っていた。
いつもヘタレで甘ったれな末っ子気質の竜胆が、俺にこんな真剣な眼差しを向けるのは生まれて初めてのことだ。
「いや、これっぽっちも」
俺はノリもおちゃらけることも忘れ、気付いた時には自分でも驚くほど冷たく突き放すような声で答えていた。
俺は綺麗なものにしか心惹かれないし、そもそも竜胆以外は要らない。
『どこをどう見たら俺が花垣のことを好きに見えんだよ』と言葉がなくとも理解し合えてたはずなのに、恋に侵され何もかも見えなくなっている竜胆に対して苛立ちが湧いた。
「ぁあああ…!!!それならマジ良かったわ」
そう言った竜胆は、先程までの真剣な眼差しは嘘のように奥に引っ込んで、俺が恋敵ではないと分かったからかいつもの甘ったれな弟に戻っていた。
「兄ちゃん、応援してよ!」と口をニッと開いて、大きさの整う白く美しい歯を見せた竜胆ははにかみながらそう言った。
「はいはい、分かったから早く花垣んとこ行けよ〜」とどっか行けとシッシッと手を振って花垣に会うためにめかしこんだ竜胆を送り出した。
竜胆がいなくなった部屋はやけに広く静かで、先程よりも肌に刺さるような寒さを感じた。
――――
ある時から竜胆は花垣のことを”武道”と呼ぶようになった。
花垣と会った日は必ずと言っていいほど俺に報告してくる竜胆は、表情筋が筋肉痛にならないか心配になるほどバリエーションに富んだ表情で花垣の話をする。
「武道が、学校でクレープの話になって、「一番上手いクレープはツナマヨだ」って言ったら「邪道だ」とか「王道はチョコバナナだろ」ってクレープのチョイスでさえもセンスがないってバカにされたって話を聞いたから今日は、武道と一番美味いクレープを探しに原宿まで行って片っ端からクレープを食べ歩いた」だとか、「ゲーセンに行ってUFOキャッチャーでカッコイイところを見せたかったのに、全然取れずに落ち込むオレを見兼ねた武道が、必死になって取ってくれたキーホルダーがびっくりするほどブスな猫で二人で大爆笑した」だとか。
誰も欲しがらないであろうブスな猫のキーホルダーを竜胆は愛おしそうに両手で包み、「やっぱオレ、アイツのこと堪んなく好きだわ」と歯が浮くような甘さを孕んだ惚気けを独りごちていた。
俺はそんな竜胆の話を右から左へ、左から右へと適当に受け流しながらも何故か言いようのない原因不明のイライラが俺の胸の奥で小さく燻っていた。
聞いてもないのに毎度毎度一方的に嫌いなヤツとの惚気話を聞かされているからだろうか。
竜胆は、花垣と会う時は決まって紫のヒヤシンスの花束を買って持って行く。
紫のヒヤシンスの花言葉は【初恋のひたむきさ】。
今の竜胆は人生において初めての恋を絶賛拗らせ中で、意中の相手に会う度に毎回自分の気持ちを詰め込んだ重い花束を健気にも送っているのだ。
ただ、その花束が受け取られたことは今のところない。
竜胆から直接花束の話を聞いた訳でもないのに、なぜ俺が竜胆が花垣に花束を送っていることを知っているかと言うと、花垣と会ったあと必ずと言っていいほどキッチンのシンクにその花束が置かれていて、処分しかねているのであろうそれを、俺が黙って竜胆の代わりに処理しているからだ。
きっと別れ際にでも告白と一緒に花束を差し出すも、花垣は無情にもその告白に対して首を縦に振ることはなく、同時に意味を持ちすぎているそれも受け取ってもらえないのだろう。
元々根気がないし、打たれ強くもない弟が、毎回会う度に花束を準備して告白しているなんて、そこまでするほどに花垣に魅力があるのか俺からすれば甚だ疑問だ。
風呂に入ろうとしてシャンプーが切れていたことを思い出した俺は、『ダル〜』と思いながらも仕方なく行きつけのサロンに買いに行き、その帰り道たまたま一人でいる花垣を見つけた。
捕まると面倒臭いことは重々知っているので、気付かれないようその場を去ろうとした時、「あ!蘭くん!!」 と久々に聞いたやけに通る声で俺を呼んだかと思うと、俺の方へと手を振りながら走ってきた。
内心俺は『うげぇ…ダル』と思いつつ、同時に可愛い弟のために一肌脱ぐ覚悟を決めた。
正直、毎回聞きたくもない惚気なのか失恋なのかイマイチ反応に困る話を聞かされている俺は、限界だった。
このままでは弟は、じいさんになっても初恋をこじらせ続け、一生花垣に紫のヒヤシンスの花束を送り続けるストーカーになり兼ねないし、そんなヤツを俺の身内から出す訳にもいかない。
花垣から竜胆のことをどう思っているのか探りを入れて、得た情報で弟を後押ししてやろうと近くにあるカフェに誘った。
店内に入るや否や「オレ、こんなオシャレなお店初めて入りました…。全面ガラス張りって、やっぱ蘭くんオシャレッスね〜」と言う花垣に、『カフェごときで何言ってんだコイツ』と内心呆れ無視し、適当に空いてる席に腰掛けた。
ここのカフェは駅や東京タワーから近く、東京らしい風景が広がるメインストリートに面していながら今時の何でもかんでも流行りに便乗する客に媚びたメニューもないため、全面ガラス張りの目立つ外観とは違い、中は静かで落ち着いた印象で俺のお気に入りの店だった。
俺はここへ来るといつも頼んでいるオレンジとチョコレートの香りがするパナマ原産の豆を使ったコーヒーを、花垣は英語で記されたメニューにあからさまに四苦八苦した様子で最終的にはどこか自信なさそうにホットミルクを頼んだ。
注文が終わると花垣は、「蘭くん、最近どうですか?」と俺に近況を尋ねてきた。
コイツが気にしているのは、”最近俺たちが喧嘩をしていないか”、”怪しいヤツらとの付き合いはないか”あたりだろう。
「なんもねぇよ」とつっけんどんに返すと、「最近蘭くんは運転免許を取るのに忙しいって聞いてたんで」今日も教習所帰りですか?と相変わらず男にしてはやけに大きな目でこちらを見つめながら訊いてきた。
実際俺は免許を取る予定もなければ、教習所にも通っていない。
花垣に会うのが嫌でもし、花垣から俺がなぜ一緒じゃないか聞かれたらそうでも言っとけと竜胆に伝えていた真っ赤な嘘だ。
「それはそうと、お前うちの可愛い弟の告白を一向にOK出さないらしいじゃん。うちの弟、優しいし可愛げあるし、金もあるし、体つきも男も羨むほどに恵まれてるし、夜の方も上手いぜ?正直、お前なんかにはもったいない超優良物件だと思うけど」
俺は話題を変えようと今日の目的である竜胆の話を花垣に振った。
「確かに竜胆くんは優しいッスけど、蘭くんも優しいッスよね。本当はオレのこと好きじゃないのに竜胆くんのためにこうしてオレとの時間に付き合ってくれてるんだから。しかもオレとの約束守って喧嘩も危ないことにも手を出してないみたいですし」
─────────は?
何言ってんだコイツ。
意味分かんねぇ。
俺は優しいと言われるようなことをしてきたこともないし、そんな評価を受けるような人間でもない。
その日の気分次第で人を殴り、貶め、蔑み、人はそんな俺のことを「悪魔」「人でなし」と呼ぶことは多くあった。
そんな俺に優しいなんて言葉を吐くのは、ベッドの上で欲しがる場所に突っ込んで気持ちよくさせてやった時のやたらと鳴くシモもアタマも緩いヤリマン女か、俺を恐れて機嫌を取ろうと近づく身の程知らずの大馬鹿か。
俺に優しいと言って近づいてくるヤツらは、大抵自分の利益のことしか考えていない。
本心から俺のことを優しいと評価する人間なんてこの世にいるはずはない。
こんな世の中のクズでゴミである俺に───どの部分に【優しい】が存在するって言うのか。
「どうかしましたか?」
珍しく、憎まれ口を叩くことなく押し黙る俺に本気で心配してるのか、「やっぱ慣れない運転の後だからお疲れでしたよね」竜胆くんに連絡しておきますね、と花垣はケータイを取り出した。
───なんで俺といるのに竜胆に連絡するんだよ。
「やっぱお前のこと嫌いだわ。頭悪すぎて反吐が出る」
「確かに勉強は全くですね!教科書開くだけで眠くなっちゃって…。かと言って、他に秀でたこともないんで我ながらどうしようもないッス」
「そんなお前にゾッコンで、一生お前の話ししかしないウチの弟の聞き役になってる俺の苦労も少しは考えろよな」
「え!?竜胆くん、家でオレの話してるんスか!?…そっかぁ」
そう言う花垣の顔は心做しか赤らんでおり、弟からの好意に満更でもないのかと思うと何故か胸がチクリとした。
それが顔に出ていたのか、「蘭くん、大丈夫ですか?やっぱ無理してオレに付き合ってくれてたんですね」と心配そうな表情をする花垣は、向かい合って座っていたところから俺の座る椅子へと近づき、膝を折って下から俺の顔色を伺った。
「別に…大丈夫」と素っ気なく返すと、花垣は俺の顔をじっと見つめながら「蘭くんと竜胆くんはよく似てますね。でもやっぱ違いますね」と小さく微笑み、俺の左頬をさするように触れた。
とんでもない言葉が俺の頭に浮かび、それを掻き消すように俺の頬を触れる花垣の右手を力の加減も忘れて思い切り叩いた。
「蘭くんは、竜胆くん以外の人に必要以上に近づいて来られたり、触られたりするの嫌ですもんね。嫌なことしてすみません」
鈍そうなのに人のことになると機微に察する。
コイツのそんなところも俺は嫌いだ。
悪いことをした訳でもないのに頭を下げて謝る花垣に、俺は伝票を掴んで徐に席を立ち上がった。
そのまま花垣を置き去りにして会計を済ませた。
店を出ると、「蘭くん、本当にすみませんでした」と早足で店を出た俺を追いかけてきたのか、息の上がった花垣が後ろから叫ぶのも無視して、俺はそのまま一度も振り返ることなく足早に帰宅した。
花垣に触られた左頬が芯まで燃えるような熱を持ち、目を瞑ると「蘭くんと竜胆くんはよく似てますね。でも、やっぱ違いますね」と言って俺を見つめる優しい色をした花垣の瞳が現れ、心臓が暴れ出すほどに大きく音を立てる。
───うるせぇよ。
考えの纏まらない頭から花垣の気配をかき消そうと日もまだ高いのに、帰宅早々俺はベッドの中に潜った。
――――
今日も竜胆はリビングの姿見の前で、山のように積み上げられた服を一着一着引っ張り出しては、「なんか違う」「これも違う」と床に放り投げて隣に別の小山を作っていた。
花垣と会う日は毎回こうで、この光景にも見慣れてきていた。
「兄ちゃんこれどう?」と訊いてきた弟に、「顔もいいんだし、何でもいいじゃん」と適当に返すと、「何でも良くない!武道の前では最高のオレでいたいの!てかさ「応援する」って兄ちゃん言ってくれたじゃん!」とあからさまに不貞腐れた顔をした。
やっと決まったのか機嫌も直った竜胆は、「じゃ、行ってきまーす!」と家を出ていった。
俺は花垣とカフェで話したあの日以降、”あの時のこと”が頭の容量をずっと占めているおかげで、居心地最高のはずの我が家でさえ落ち着かない気分になる。
なぜこんなことになっているのか分からないが、家が大好きの超インドアな俺はこの状況がかなり苦痛で普段、感情が表に出ない俺にしては珍しく、常にイライラの爆弾を抱えていた。
『このまま家にいても悶々とするだけだしな』と以前よく行っていたアクセサリーショップへ久々に行くことにした。
『季節も変わる頃だし、新しいピアスでも買えたらな〜』と思いながら店に向かって歩いていると、気づけばこの前花垣と行ったカフェのある通りに来ていた。
ガラス張りの店内は良くも悪くも見通しが良い。
見覚えのある二人───通りに面した窓際の席には向かい合って楽しそうに談笑する竜胆と花垣の姿があった。
二人の間に流れる空気は、ガラス越しのこちらからでも分かるほどに甘く柔らかなものだった。
───見たくない。
二人の姿を見た俺は、なぜそう思ったのか───。
その答えが見つからない俺は、まるで魔法にでもかけられたかのように楽しそうな二人の姿から目が離せなかった。
『毎回会う度に告白って。しかも一方は毎回振って、もう一方は振られてんのに相手の迷惑も考えず告白し続けて…。それなのに気まずいどころか、なんでそんなに楽しそうなんだよ…』
会う度に告白し続ける竜胆に対して花垣はどんな気持ちで竜胆と過ごし、そして竜胆からの告白を毎回振っているのだろう。
そうこうしていると、二人は会計を済ませ店から出てきた。
俺は咄嗟に物陰に隠れた。
別に二人に声をかけてもおかしくはないはずなのに、なぜか俺は声をかけられなかった。
カフェのある大通りをまっすぐ歩いて右に曲がると、両側からビルに挟まれた大人二人が並んで歩くのがやっとの細い路地が現れ、二人はその路地へと入っていった。
その路地を抜けたところには竜胆がよく行くシルバーアクセサリーのショップがあって、カフェのある通りからも行けるのだが、この細い路地から行く方が近道なのだ。
気付かれないよう二人の後ろを歩いているとふと、並んで歩く二人の後ろ姿に違和感を覚えた。
───違和感の原因が分かった時、俺は竜胆と並んで歩く花垣の腕を強く引いていた。
力任せに引っ張ったせいで華奢な花垣の体は、反動でビルの外壁に強く打ち付けられ「ドゴンッ!」と鈍く大きな音を立てた。
頭をぶつけたことで脳震盪を起こした花垣は失神していて、額からは少量だが血も流れ出していた。
「…っ兄ちゃん?なんでここにいるんだよ!?ってか何してんだよ!武道!おい!なぁ!武道大丈夫か!!」
俺がこの場にいることに驚きながらも、花垣の容体を心配する竜胆を見ながら俺は昔のことを思い出していた。
俺たちがまだ子どもだった頃、竜胆は動物が嫌いな俺に隠れて捨て猫を拾ってきて飼っていたことがあった。
ある時、その猫は毛球による腸閉塞を引き起こして嘔吐と下痢と高熱で命の危険に晒された。
「兄ちゃんどうしよう、コイツ死んじゃうかもしれない」
竜胆は俺に黙って猫を飼ってたことを怒られる覚悟で、泣きながら俺に「助けて欲しい」と訴えた。
竜胆の細い両腕に抱かれた捨て猫は明らかにぐったりしており、きっとこのままでは死んでしまうだろうということは一目瞭然だった。
「捨てられてるのを見てさぁオレ、可哀想だと思って…それでコイツ拾ってきたのに…オレのせいで、オレがちゃんと見てなかったから…!!」そう言う竜胆は、身体中の水分が枯れちまうんじゃないかと心配になるほど泣いていた。
話を聞いたあと、二人でその猫を動物病院に連れて行ったが助かることはなく、竜胆はあれから生き物をむやみに自分の傍へ置くことをしなくなった。
それは人に対しても例外ではなく、竜胆は俺と違って人当たりはいいがどこか他人との距離があり、一線を引いていた。
毎日喧嘩に明け暮れ、怪我や血、時には死にも直面したが、俺も竜胆も人前で涙を流したり、あからさまに気が動転する姿を見せなかった。
涙を流す姿や感情を顕にする姿を見られるということは、俺たちの世界では相手に弱点を晒すことになると理解しているからだ。
俺の弟は、俺と違って優しい。
俺が母親の腹の中に忘れてきた優しさを竜胆はしっかりと掴んで生まれてきた。
たかが一時、世話した捨て猫が死んだだけでも涙を流す───損得抜きで悼める心を竜胆は持っている。
竜胆はあの猫を失って以来、人前で”悲しい”や”苦しい”を見せなくなった。
喧嘩に明け暮れ、怪我なんて日常茶飯事のはずなのに額から血を流し気を失っている花垣の姿を見た竜胆は明らかに気が動転し、体は震え、涙を流している。
花垣の身を案じる竜胆からは”悲しい”も”苦しい”も様々な感情が強く感じられた。
俺が竜胆の涙を見たのは、あの猫が死んだ時以来だった。
花垣の左手には意識を失っているにも関わらず、今もしっかりと握られた紫のヒヤシンスの花束があった。
その花束はいつも竜胆が花垣に告白と一緒に送る、竜胆の”心”とも言うべきほどに意味を持つものだ。
ただその花束は、今まで送り主には受け取って貰えた試しはなかった。
だから、この竜胆の”心”である紫のヒヤシンスの花束の行き着く先はいつも我が家のキッチンのシンクで、寂しげに置かれている花を兄である俺が代わりに処分していたのだ。
【それをなぜ花垣が。花垣が”それ”を受け取っているんだ】
俺が二人の姿を見て感じた違和感の正体は”それ”だった。
花束を持ちながら嬉しそうに弟と話す花垣の姿を見た俺は、柄にもなく酷く困惑し、嫌悪し、ふつふつと湧く禍々しいどろりとしたものに飲まれ、気付いた時には花垣の手を強く引いていた。
───まるで、「そっちへ行かないで」と駄々をこねる子どものように。
竜胆が動揺しながら意識のない花垣の体を揺すると、額から流れる血が花垣の首から胸へ、胸から腕へ、腕から手首へと下へ下へ細い線を描くように流れていく。
手首にまで到達した花垣の若く鮮やかな色をした血が、花を束ねている茎の部分からヒヤシンスの花びらにまで到達し、花を赤く染めた。
花垣は怪我を負い、それに対して竜胆は心配と悲しみでグシャグシャになっていて、その状況を作り出した原因はすべて俺にある。
当事者であるはずの俺の頭の中にあるのは、花垣への謝罪や取り乱す竜胆にかける言葉ではなく、花垣の手の中にある赤く染ったヒヤシンスのことだった。
『確か赤いヒヤシンスには花言葉があったな』と。
赤いヒヤシンスの花言葉 : 【嫉妬】
自分の気持ちに正直で、何度断られても真正面から思いを伝え続けた末に初恋を実らせた竜胆に対して、自分の本心と向き合うことが怖くて逃げ続けた俺が”嫉妬”するなんて烏滸がましいにも程がある。
いつからだったかも分からない、もしかすると竜胆が好きになる前から俺は花垣のことが好きだったのかもしれない。
竜胆は、俺が花垣のことが好きだと気付いていたから、アイツが花垣に惚れてるとわかったあの時、「兄ちゃんさぁ、兄ちゃんもアイツのこと好きだったり、する…?」とわざわざ俺の気持ちを確認してきたのだろう。
だって竜胆は俺の半身で、俺にとって竜胆がそうであるように竜胆にとっての俺もきっと言葉がなくとも理解出来る存在だから。
俺にとって竜胆は何にも変え難い大切な存在だ。
物心ついた時から家族と呼べる存在が竜胆しかいない分、俺たち兄弟は他の兄弟姉妹に比べて絆も強く、他人を入り込ませない空気感があると自覚している。
一つしかないモノをお互いが欲しいと思った時、半分こすれば解決できた。
逆を返せば半分こできないモノを俺たち兄弟が欲しいと思ったことは今までなかった。
それはきっと、お互いの存在以上に必要なものに出会ったことがなかったから。
だから知らなかった。
本当に欲しいものには”半分こ”なんて生易しい解決方法がないということを。
大切な弟が感情を剥き出しにするほどに求め、人生で初めて見つけた気持ち───、心───、かけがえのない存在───。
俺は竜胆のことを深く愛している。
だからこそ俺が花垣に抱く想いは、最初からそこにあることすら許されない、望まれない、捨てるしかないものだと分かっている。
気付いたところでどうしようもない、口に出した瞬間に全てが壊れてしまう。
持っているもの全て捨てて、ここから逃げる度胸は俺にはない。
だから花垣の意識が戻った時、俺は弟バカゆえに恋人をいびりながらも二人を見守る理解ある優しい兄に【ならなければならない】。
自己演出は昔から得意だ。
元々アイツのことなんてなんとも思ってなかった。
なんなら嫌いだったし。
かわいい弟のためだろ。
竜胆がいれば他人なんてどうでもいいはずだろ───?。
アイツが目を覚ました時、俺は何て声をかけ、どんな顔をしようか。
冷静なはずの頭には、導き出さなければならない正解が何一つとして何も思い浮かばない。
馬鹿は俺だ。
知らないことは怖いのだといっそのことずっと無視しておけば良かったのに。
最悪が重なって気が付いてしまった”それ”の存在は、すでに俺の中で大きくなりすぎていた。
気付いたばかりの”それ”に向き合うことなく、俺の中で静かに殺すしかない。
それはまるで、受け取られることなくシンクの上で萎れていくヒヤシンスの花束を黙って処分するかのように。
それが俺に出来る唯一の優しさで、俺に与えられた役回りなのだろう。
血塗れた赤いヒヤシンスに気付いたのはただ一人、誰にも気付かれることなく赤は落ち、やがて鮮やかな紫に戻る。
【やさしいヒヤシンス】
───俺の”この感情”は要らない。