碧海に浮かぶ小花 「イヌピーくん!お誕生日おめでとうございます!!」
花垣のよく通るデケェ声がファミレスの店内中に響き渡った。
昼飯には遅ぇし、夕飯にしてはまだ早ぇ時間帯だからかまだ疎らにしか席が埋まっておらず、座っている客の中には微笑ましそうにオレたちを見る人間もいれば、あからさまにクスクスと笑っている人間もいて反応は様々だった。
遡ること一時間前、集会後にオレは花垣に「ちょっといいッスか?」と呼び止められた。
「イヌピーくん、このあと時間ってありますか?」
「花垣との時間ならいつでも空いてる」
常日頃から思っていることを口に出すと、
「良かったッス!じゃあ、二人でメシ行きませんか?」
とメシの誘いを受けた。
花垣からメシに誘われたのは今日が初めてで、花垣の周りには常に松野やマイキーあたりが両脇を固めて花垣のことを断固として離さないため、花垣の口から「二人で」と言われたことが何よりもオレは嬉しかった。
話に乗る理由はあれど花垣からの誘いを断る理由なんてあるはずもなく、花垣がよく行くというファミレスへとオレたちは向かった。
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「今日はオレの奢りなんで、イヌピーくんの好きなものを好きなだけ食べてくださいね!」
いつもよりも気持ち前のめりになりながら花垣はそう言った。
去年のクリスマスに東卍に負けて東卍の傘下に降った時は、まさか自分がこうして東卍の人間と同じ卓でメシを食う日が来るとは思ってもいなかった。
物心ついた時から基本ココと一緒につるんでいて、メシの時は当たり前のようにココが金を出してくれていたし、店もココが選んでくれていたからココと離れてからは誰かと一緒にメシを食うことなんてほとんどなかった。
花垣はココがいなくなったことでオレを心配する様子は確かにあったが、だからといって無理に一番隊のヤツらとつるませようとしたり、やたらと距離を詰めてコミュニケーションを図ろうとはせず、オレのことをそっとしておいてくれた。
そんな花垣のおかげでオレは”ここ”にいていいんだと思えたし、花垣の傍にいることは朗らかな日の昼寝のようにとても心地のいいものでオレの中にはなかった安らぎがそこにはあった。
オレはメニューの中からハンバーグを選び、花垣はピザを選んだ。
「イヌピーくん、ハンバーグだけで足りますか?遠慮せずにもっと食べてくださいね」
「オレ、今日のために小遣い貯めてたんで!」
と花垣は嬉しそうに言った。
中坊で貰える小遣いなんてたかが知れてるし、二個上の俺がたかってメシにありつくのもどうなんだと思ったが、オレからの追加の注文をまるで飼い主を待つ子犬のようなキラキラとした眼で待っている花垣の姿を見れば遠慮することが却って酷いことをしてんじゃねぇかと思った。
これ以上メシはいらねぇしなとメニューの一番最後にあるデザートのページを開いた時、
「デザートッスか!えーーと、それは…ちょ!ちょーーーっと待ってくださいね!!」
と花垣はなぜか焦った様子でテーブルの上にある店員を呼び出すためのブザーを押した。
「お待たせ致しました」と注文を取ろうとする店員に花垣は「スミマセン、あの〜…」とオレの方をチラっと見てコソコソと店員になにか耳打ちをして、耳打ちが終わったタイミングで店員が「かしこまりました」とキッチンの方へと姿を消した。
数分後、再び姿を現した店員のトレーには苺のショートケーキが載せられていて、オレたちの目の前にそれぞれ一つずつ置かれた。
ここで冒頭に戻る。
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花垣にデケェ声で「おめでとうございます!」と言われたオレはこの時、自分が今日誕生日だってことに気が付いた。
犯罪紛いなことを繰り返し、荒れた生活を送ってきたオレに対して親は良くも悪くもずっと無関心だった。
オレが年少に入った時でさえ叱ることもせず、そのことに一切何も触れてこなかった。
そんな腫れ物を扱うような親の態度に俺は、「何で赤音じゃなく出来損ないのお前が今も息をし続けているんだ」と責められているように思えて、ますます実家には居づらかった。
だからここ何年も実家でオレの誕生日を祝ってもらった記憶はねえし、そんなオレに毎年ケーキを買って「形だけ」と言ってアジトで祝ってくれていたココも関東事変後からは連絡が取れない。
きっと花垣は誕生日の時、こうやってダチや家族から祝ってもらってんだなと、花垣という情に厚くて仲間思いな人間を形作る環境が垣間見えて、オレの誕生日のために小遣い貯めてこうして祝ってくれていることに嬉しくなる反面、オレの知らない、オレとは違う、オレみたいな人間が花垣と一緒にいることが分不相応なのだと暗に見せつけられたように感じて、オレの中の黒くドロドロとしたものが心に重くのしかかり、息が詰まりそうになった。
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「気持ちだけッスけど」
と花柄のよく土産屋などで見る小さな紙袋を少し緊張した表情の花垣から手渡された。
「イヌピーくんと言えば、青ッスからね!」
そう言った花垣からのプレゼントを開けると、青い色をしたまあまあなデカさのある犬のキーホルダーがそこにはあった。
「イヌピーくんのバイクの鍵につけるのにどうかなと思って買ったんスよ。オレ、よくモノなくすんで鍵とか財布には鈴つけてて。ダセェんスけど母親が「つけとけ」ってうるさくて」
オレがバイクの鍵を何度かなくして探しているのを手伝ってくれた花垣は、オレのバイクの鍵に何もついてねぇことに気が付き、プレゼントの内容を決めたと言った。
送られたプレゼントの意味を知って、周りをよく見ている花垣らしいなと思った。
基本、人やモノに興味も執着もないオレだが、唯一バイクにだけはかなりのこだわりを持っている。
オレたち不良にとってバイクとは、ただの足ではなく自分を誇示するための”魂”で、絶対に欠かせない”相棒”だ。
何度鍵をなくしてもキーホルダーをつけない理由は、万が一でも愛車に当たって傷がつくリスクを考えてのことだ。
昔、ココからも花垣と同じ理由で革で作られたキーケースを貰ったが一度も使うことはなかった。
ただ、好きなヤツから貰ったとなれば話は別だ。
花垣から貰ったモンは例えこんなワケわかんねぇ変な色したイヌのキーホルダーでさえもオレにとっては何にも代え難い特別なモンに変わる。
今までろくに恋愛なんてしてきたことのねぇオレにとって、こんな感情を抱くことは初めてで愛車に傷をつけるリスクよりも勝ることがあるなんて一年前のオレが聞いたら、話を聞き終わる前に目を覚ませと今の恋に溺れたオレをボコボコにしていただろう。
…まぁ、これをくれた相手が花垣以外のヤツなら鉄パイプで瞬殺してるところだが。
「花垣ありがとう。大事にする。」
そう言ってオレは早速、花垣からのプレゼントをバイクの鍵につけた。
「いえいえー!イヌピーくんオシャレなんでプレゼント何にすればいいか分かんなかったッスけど喜んで貰えたならオレも嬉しいッス」
花垣は目と口元をふにゃっと緩ませ嬉しそうに笑った。
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オレたちはファミレスを後にして、一緒に帰ることにした。
オレと花垣は家の方角が違うから店を出た後はすぐ解散のはずだが、少しでも花垣と一緒にいたいオレは花垣と家の方向が同じだと嘘をついた。
「あれ?でもイヌピーくんオレと学区違いますよね…?」
と花垣は首を傾げていたが、あえてオレは聞こえないフリをした。
帰り道、最近ダチとバカやった話や数学の授業中寝ていたところを運悪く当てられ、全く分からず大恥をかいた話などを花垣が隣でする中、
「このままずっと一緒にいられたら。「じゃあまたな」と言わずに済むのなら。ずっと花垣とのこの時間が続くのならオレは、、、オレは何でもする」
と柄にもねえことを一人考えていた。
急に花垣の明るく大きな話し声が止んで不思議に思い花垣を見ると、花垣は歩みを止めていた。
花垣がじっと見つめる目線の先には花屋があり、
「母親の誕生日が近いことを思い出してんで、ちょっと見てもいいッスか?もし予定とかあればここで解散で大丈夫ッス」
と言った。
オレは、花垣と少しでも長く一緒に居られる口実を花垣はきっと意識していないだろうが、花垣の方から持ちかけられたことに内心かなり嬉しかった。
花垣の自宅に押しかける訳にもいかねぇから、どこかのタイミングで「じゃあ、ここで」と解散しなきゃいけねぇことは分かっていても、この突然生まれた束の間が度重なれば今日という日が終わることなく続いて、あわよくばこのままずっと花垣と一緒にいられるんじゃないかと往生際の悪いことを望んだ。
花垣が母親への花を見繕っている間、オレは店頭に設けられた 「きょうのおはな」とタグがつけられた黄色い小せぇ花が溢れんばかりに咲く鉢植えに目がいった。
普段、花に興味が湧くことなんてねぇのに、なぜかその花から目が離せねぇで花の前まで行きじっと見ていると
「そのお花、十月十八日の誕生花なんです。メランポジウムと言って可愛い見た目に反して暑さの厳しい時期に花を咲かせる力強いお花なんですよ。あとこのお花には素敵な花言葉もあって…」
店員から話を聞き終わったオレは、メランポジウムの鉢植えを買った。
店先ですでに母親への花束を買って待っていた花垣に
「この花はお前だ」
とさっき買ったメランポジウムを手渡した。
「うん?ん?それはどう言うことッスか?オレがこの花?”花”垣だから?えっ?」
花垣は首を傾げながら「どこらへんがオレなんだ…?」とオレの言葉の真意を見つけようと様々な角度から鉢植えを不思議そうに見ていた。
花垣の青く澄んだ穏やかな海のような瞳の中にメランポジウムが映り込む様を見て、まるで海中に突如現れた誰も知らないオレだけの花園を見つけたように思えて胸が高鳴った。
花垣の瞳を通して見るだけでこの花がより一層愛おしく思えた。
自分よりも図体がデカくて腕っ節も強い相手だろうが、どれだけ状況が悪くて追い込まれていようが、自分が弱いと分かった上でも困難に立ち向かい仲間を守ろうとする花垣と、どんなに厳しい環境下でも人の心を癒す愛らしい花をつけるこの花はやっぱり同じだと思った。
今、目の前で起きている光景にオレはぎゅっと胸が締め付けられ息をする動作に苦しさを覚えたものの、どこか温かくこの苦しさも含めて「ああ、幸せだ」と心からそう感じた。
きっとこれが”恋の痛み”というやつなんだな、と。
「イヌピーくんの誕生日なのにオレがプレゼントされてちゃカッコつかないッスね」
「申し訳ないッス」と少し困りながらもへへっと照れた表情で花垣は言った。
あの店でメランポジウムの鉢植えをオレは二つ買った。
一つは花垣に、もう一つはオレの分で。
オレがメランポジウムを花垣に送ったワケは、花垣に似た花だと言う他にもう一つあった。
この花に込められた言葉を知って、オレが花垣に抱く思いを少しばかりのせることにしたからだ。
この小さくて健気に咲く花にオレがどれだけ強く花垣のことを求め、欲しているかをのせることが出来るかは定かじゃねえけど。
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メランポジウムの花言葉:「あなたはかわいい」
「オレはオマエに命を預けられるほどにオマエのことを愛している」
まだ東卍に入って日も浅く、元々敵対チームにいた信用ならないはずのオレとココのことを信じた上で、伍番隊から身を呈して守ろうとしてくれた花垣にかつての初代黒龍総長の真一郎くんの姿を重ねたことがきっかけで始まったオレの初恋。
ただ、花垣にオレの気持ちを伝えるにはオレはまだ無力でどこまでも未熟だ。
年に一度の誕生日の今日くらいは、花垣を独り占めしてオレが花垣に対して抱えている思いのほんの欠片を伝えるくらいのわがままは許されるだろうか。
オレがこの花と花垣が「同じだ」と言ったワケ、この花に託したオレの思いを花垣が知ったらどんな反応をするのかを想像してオレは、誕生日って案外いいもんだなと思えた。