オレの一番好きな色 「イヌピーくん、紅葉狩りに行きませんか?」
そう言った花垣の右手には、こういった話題に疎いオレでも聞いたことのある、都内有数の紅葉人気スポットのチケットが二枚握られていた。
なんでも花垣の親と長年付き合いのある新聞屋が好意でそのチケットを分けてくれたそうだ。
腹も膨れない紅葉狩りに興味がある花垣という存在が、オレには不思議だった。
花垣という男はとことん不思議な男だ。
誰よりも腕っ節が弱いのに威勢よくどんな困難にも果敢に立ち向かう姿勢や、決意の固い瞳、自らを盾にしてまで他人を守ろうとする自己犠牲をも厭わない慈悲深い優しさ。
普段は年相応で、どちらかと言うとどこか頼りなく、友達と話す姿を見ていると幼稚な一面もある
───【弱く】て【強い】。
自分の弱さを受け止めながらも立ち向かう誰よりも強く頼もしい背中に誰もが恐れ、焦がれる。
花垣という男はどこまでも不思議であり、魅力的なのだ。
ふと、花垣とは二つ歳の離れたオレは、今の花垣と同じ歳の頃の自分を思い浮かべた。
当時のオレは、腐っていた。
黒龍というチームに憧れて念願叶って隊員になれたものの、実際はオレの憧れていた初代黒龍の志は見る影もなく消え失せ、金になるのであれば犯罪にも手を染めるただのタチの悪い輩だった。
最初は落胆していたオレも、いつしか何も考えず周りに流される【クズ】になることを選んだ。
毎日喧嘩ばかりで学校にもまともに通わず、家にも寄り付かなかったため、今が何年何月何日の何曜日なんてことすらも考えないような、同じような日々をただ繰り返していた。
そんな日々に疑問を抱かなくなるためにも【感情】は早い段階で切り捨てた。
【それ】に目を向けると途端に自分のやってきた言動に疑問を持ち始めて、振り返らなければならない【怖さ】があった。
だから弱いオレは極力考えることから逃げた。
そんなオレの青春時代は澱んではいるものの【無色】で【空っぽ】だった。
───そんな日々が、花垣との出会いをきっかけに変わった。
花垣がオレとココを庇ってくれたあの瞬間から、色を失くしたオレの世界に少しずつ色が戻ってきた。
オレが向き合うことを恐れて切り捨てた【感情】を花垣は大切にして、表情や仕草などからそれらを教えてくれる。
オレはそんな花垣を通して自分の切り捨ててきた【感情】には一つ一つ名前があることを思い出した。
そんなオレが花垣に初めて教えて貰い、今も一番大切にしているのが【好き】という感情だった。
○○○
花垣は紅葉にかなり興味があるのか、興奮気味に紅葉特集とデカデカと書かれた雑誌をオレに見せもって、紅葉狩りの良さをプレゼンしてくれている真っ最中だ。
十一月は紅葉シーズン真っ只中で、テレビ番組や雑誌でも馬鹿の一つ覚えのように、”紅葉デート”、”家族と紅葉狩り”、と紅葉にかこつけて誰かと一緒にいることを強いるような風潮が色濃く、正直そういうマスコミの極端な風潮にオレはうんざりしていた。
夏に最盛期を迎えた青々と茂る葉が、秋になると気温の変化によって黄色から赤色へ、赤色から茶色に色変わりして、最後は役目を終えて枯葉となり地面に落ちる。
紅葉と言えば聞こえはいいが、葉の色が変化していくことは、見方を変えれば日に日に葉としての寿命がすり減る、いわば【死へのカウントダウン】のように思えてオレは花垣には悪いが、紅葉自体にあまり興味が持てないでいた。
なぜ人々はこんなにも色付く葉を見て喜ぶのか、綺麗だと思えるのか、オレには分からなかった。
あとオレは───【赤】が苦手だ。
赤や黄色の色づく葉が目の前いっぱいになるのを想像するだけで、オレの日常を一瞬にして奪ったあの日の燃え盛る【炎】を思い出し、煙を吸った時のような息苦しさを覚える。
オレにとって【赤】は、【仇】であり、【恐怖】であり、自分は何も救えなかったと胸の底でずっと根を張り息し続けている【後ろめたさ】の象徴でもあった。
花垣と出会って少しは向き合えるようになったものの、もう何年も経っているはずなのに、オレはまだ【そこ】に縛られ続けている。
「イヌピーくん、大丈夫ですか」
オレよりも背の小さい花垣は、心配そうにオレの顔を下から覗き込んでいた。
昔のことを思い出していたオレはきっと花垣が心配するほどに酷い表情をしていたのだろう。
「イヌピーくん忙しそうですし、きっと疲れが出てるんですね。オレの言ったことは忘れて休日はゆっくり休んでください!」
そういった花垣は笑顔を浮かべていたが、心做しか花垣から生える見えるはずのない犬耳と尻尾がシュンと元気なく垂れていた。
落ち込ませてしまったと申し訳ない気持ちで花垣を見やると、寒さからか頬が真っ赤になっていることに気がついた。
───(この【赤】は好きだ)
花垣の頬にさす【赤】は、同じ【赤】のはずなのにオレを苦しめるものではなかった。
むしろオレのために寒さを我慢して、一緒にいて話もしてくれて、今もオレを思って心配してくれているのだと思うと花垣の頬を染める【赤】がとても愛おしく感じた。
「…やっぱり花垣はすごいな」
「えっ?!どういうことですか?」
「いつ行くつもりだ」
「えっ?」
「その日、店を閉める。だから紅葉狩りに行く予定を教えてくれ」
そう返したオレに「いいんですか!」と目を大きくし、見えないはずの花垣に生えた犬耳と尻尾が心做しか今度はブンブンと左右に勢いよく揺れ、もう一段階頬を赤く染める花垣を見てオレは嬉しくなった。
───・・・・・・・・・
後日、花垣と紅葉狩りに行ったオレは、花垣に勢い余って「好きだ」と想いを告げた。
花垣から「オレもイヌピーくんのことが好きです」と返ってきて自分にとって都合のいい夢でも見ているのかと信じられなかった。
花垣曰く、オレを紅葉狩りに誘った理由は、オレと二人になる口実が欲しかったということと、その日オレに告白する予定だったから、だそうだ。
告白するつもりの相手からまさか告白されるとは思ってもいなかったと泣きながらも嬉しそうに話す花垣からオレは目が離せなかった。
そう言った花垣は、この日見たどの紅葉よりも鮮やかで美しい【赤】だった。
この告白以降、オレの一番好きな色が赤色になることを、想い人である花垣から紅葉狩りに誘われ、どう返事しようか困っている現地点でのオレはまだ知らない。