タイトル未定両手に刀をもって人を斬る。体は軽く、まるで空をも飛ぶように高く飛ぶ。返り血でどす黒く汚れる身体など気にせず、手あたり次第に斬る。斬る。斬る。夢中になっているうちに、なにもかも、辺りの全てが地に伏せた。わずかに乱れた呼吸を整えるために深呼吸を一つ。
「帰るぞ」
「はい」
後ろからかけられる低い声。その声に従わなければならない気がして、返事をして振り向いた。
がばっと起き上がって見た通信端末は午前三時を表示していた。二度寝ができないほど血生臭い夢だと見るたびに思う。ベッドから降りて、キッチンへ。水道から水をなみなみとガラスコップに入れて、一息に飲んだ。
「はぁ」
コップをシンクにやや乱雑に置き、ため息をつく。中学生ごろから定期的にみるこの夢の生々しさに慣れることはない。人に話したところで良くて心配されるだけだ。いわゆる空気を読むのが上手いと自負する自分が考えたのはそんなところだった。誰にもこの夢のことは話していない。もちろん両親や兄弟にも。
「……はぁ」
社会人になって三年目。ここ最近、夢を見る回数が多くなっている気がする。仕事も少しできるようになって、やっと落ち着いてきたと思ったのに。昨日は隈が深くなっていないかと同僚にも言われた。はは、そんなことないですよと流しはしたが、どう思われたか。悩みならいつでも聞くからね、なんて言われたところでどうにもできないのだ。ぐるぐると勝手に頭の中を巡る声を振り払うために、現実の頭もぶんぶんと振った。ぐらりとする視界。うっ、と口から漏れた音とともにキッチンの床へ頭を抱えてしゃがみこんだ。
「あー」
今日は取引先と大事な会議がある。休むわけにはいかないんだ。
じりりり、と鳴る端末の音が聞こえる。
「……寝て、た?」
はっと目を覚ますと、そこはキッチンの床だった。あの後、寝たのか気絶したのかわからないまま、本来の起床時刻を迎えたようだった。
「うわー」
顔を洗いに入った洗面所。鏡には不健康そうな男が映っていた。せっかくの男前なのにと嘯きながらひげを剃る。いつもよりびしっと見えるスーツを選び、冷蔵庫に入っていた栄養ドリンクを一本開けて家を出た。混雑を避けたいつもの空いた電車に乗って、座席に腰を下ろす。周りの人の様子を伺うのはもはや癖のようなものだ。そうやって二駅が過ぎる。乗ってきた一人の男に目が奪われた。背の高い男前。涼やかな目元のわりに意志の強そうな目。座れそうな席を探す男と目が合う。心臓が射抜かれたみたいに、どくんと音が鳴った。呼吸が荒くなる。ひゅーひゅーと肺が鳴り、思わず胸を押さえた。
「大丈夫か」
男前がずんずんと近寄ってきた。あんたのせいだとは言えず、とりあえず頷いた。
「落ち着け」
男前が背をなでると、途端呼吸が楽になった。
「……ありがとうございます……」
かすれた声で礼を言う。
「おう」
離れようとした手を思わず掴んだ。
「え」
「それは俺のセリフだと思うが」
男前がにやりと笑う。顔に血が上る。頭がくらくらした。
「それでどうした」
「いや、お礼をさせてほしいな、と思いまして……」
尻すぼみになる声と同時に目を反らせてしまう。これじゃあ不審人物じゃないかと思った。きょとんとした男前がけらけらと笑い出した。
「こんくらい別にいい」
「え、いや」
「じゃあ今度、な」
引き留める俺を制して、男前は次の駅で降りていった。そして気が付く。俺は一体何でこんなに必死だったんだろうか。途端今朝の夢がフラッシュバックする。
「帰るぞ」
一気に血生臭い夢に引きずりこまれそうになった俺は、降りる駅を告げるアナウンスで現実に戻ってきた。鞄をひっつかんで、夢を振り払うように電車を降りた。さて、ここからは仕事モード。不肖藤田五郎、今日の会議も頑張りますよっと。