随分と日の翳りが早くなったもので、夕刻、薄暗い周囲は街灯の明かりなしでは心許なくなっていた。
茜色から藍色一色に移り変わり、まばらに散った星々が目立ち始める冬空の下、スーパーで買った惣菜の詰まった袋を片手に、宮内は一軒の家の前にいた。
住宅街の角にあるその家は、古ぼけた庇の上に『駄菓子いぬ屋』の看板が掲げられていて、昔も今も変わらない見慣れた風景に不思議と安心感を覚える。
店はすでにシャッターが閉まっていたが、宮内は当たり前のように店舗の反対側に回ると、そこにある裏口のチャイムを押した。
「やあ、上がれよ」
中から鍵を開ける鈍い音がして、寒さに縮こまり半纏を着て丸くなった顔見知りの家主が姿を現す。
犬神仁郎。宮内の古くからの友人である一人だ。
「お邪魔します」
靴を脱いで、レトロ感漂うモザイクタイルの玄関を上がり、犬神に続いて奥の部屋へ向かった。じゃらじゃらとしたビーズののれんを潜ると、そこは8畳程度の和室になっていて、テレビや炬燵などのくつろぎの場にふさわしいものが配置されている。
犬神は宮内の到着を待っていたのか炬燵の上にはすでに温められた鍋が用意されており、宮内は顔を綻ばせた。
今夜は一緒に夕食を食べる約束をしていたのだ。
「待った?」
「ああ、待ってた、というか待ちくたびれた。まぁ座れよ。今日は遅かったじゃないの。仕事、立て込んでた?」
もそもそと犬神は炬燵に入るとカセットコンロのつまみを捻る。カチリと軽快な音がしてコンロに火が灯った。宮内は犬神の右斜めに用意された座布団に腰を下ろすと、持ってきたスーパーの袋から缶ビールと惣菜を取り出して並べる。
「ごめんごめん。仕事は予定通りの時間に終わったんだけどさ、帰りに須磨さんの将来の相談に乗ってて……。お詫びに『山猫軒』の焼き鳥買ってきたから許してよ」
山猫軒は犬神のおすすめの焼き鳥専門店だ。袋からスーパーで買ったものと一緒に入れていた焼き鳥の包みを取り出すと、犬神の目が輝いた。
「やったね、お皿に入れてくる。須磨さんってあの可愛い巫女さん。僕あの子ちょっと好みなんだよねぇ」
「だめだめ、須磨さんは格好よくて出来る彼氏がいるんだから。仁郎は俺でいいじゃん。結婚しようよ」
「唐突だな。まあそりゃ丁一のことは好きだよ。でもそれとこれとは別で、可愛い子とお喋りして癒されたいみたいなのあるだろ」
「あるけどさぁ。俺は仁郎だけでいいよ」
「はいはい。分かってるよ」
軽口を叩き合う合間にも、犬神が隣の台所で焼き鳥をプラスチック容器から皿に入れ替えて戻ってくる。
二人は缶ビールを開けて、同時にいただきますを言うと、たわいもない会話をしながら食事を始めた。
――――――――
ひとしきり食べて飲み、鍋も空になった頃、犬神は酔いも回ってすっかりいい気分になっていた。宮内はといえば酔い潰れて炬燵で仰向けになって寝てしまっている。
「こんなところで寝てると風邪ひくよ。……んー仕様ないなぁ」
元々、宮内は酒に弱く酔うと缶ビール3本目当たりから瞼が下がり始めるのである。そうなるともう、船を漕ぐまでそう時間は掛からない。宮内自身もそれを分かっているから外で飲む時は控えめだが、今日は犬神の家ということもありセーブしなかったのだろう。
ゆさゆさと宮内の体を揺さぶってみるが、宮内は一度だけ半分まで目を開き、またすぐに眠りについてしまう。このまま炬燵に宮内を置き去りにして風邪をひかれても困る。
犬神は宮内を何とか布団のある客間へ引っ張っていこうと、宮内の体を起こそうとした。
「うん、無理」
上半身を持ち上げ背後から腕を回すところまでは成功したが、そこから二歩目を踏み出したところで犬神は尻餅をつく。酔って足腰に力が入らない上に、脱力した成人男性を一人で動かすのは、どうにも難易度が高いようで、すでに諦めの境地だ。
「………ホント君、酒に弱いよなぁ」
倒れた勢いで、犬神の膝に頭を乗せる格好となった宮内を上から覗き込む。線が細く美形と形容される部類の顔立ちは、寝ていても美形である。
すると、犬神の視線を察知したのだろうか、不意に宮内が身じろぎをして、重たそうに瞼を持ち上げた。
「うーん……仁郎ぉ?寝ようよ、一緒に」
寝言のような呟きが宮内から発せられる。
「だからここで寝たら風邪引くって。あっ、ちょっ……!」
「いーじゃん。仁郎が温めてくれるって」
膝の重みが無くなったかと思えば、張りのある両腕が犬神の肩に回り、ずしりと体重が加わった。ふらりと起き上がった宮内が戯れるように抱きついてきたのだ。
咄嗟に受け止めて支えようとしたが宮内の膂力が勝ち、そのまま畳に押し倒された。
「えぇ……。もう、抱き枕じゃないんだからさー」
呆れたような声を出す犬神だったが、もはや聞いていない宮内は犬神の首筋に顔を埋め、規則正しい寝息を立てて再び眠りにつく。
「……じゃあ電気消すからさ。ちょっと待ってよ」
抱き枕は不本意だが、幸せそうに安眠する宮内を起こす気にもなれず、犬神は観念して一緒に眠ることにした。
宮内の腕から抜け出して電灯の紐を引き、真っ暗になった室内で、横になって目を閉じる。寒くならないように脱いだ半纏をお互いの体に被せ、そっと宮内の背中に手を回すと、密着した箇所に体温を感じて安心感を覚えた。
「おやすみ」
静かに言葉を紡ぐと、そうして段々と訪れる心地よい眠気に身を任せ、犬神は深い眠りに落ちるのだった。