田舎に引っこむ芹霊②それからの芹沢の行動力は、休みの日は家にいますねとのんびりと微笑んでいた普段の彼からは考えられないものだった。
土日を挟み、例の件から初の出勤日。
芹沢は「土曜日に役所が開いてる地方移住相談会?みたいなのに行ったんですけど、」と昼食の牛丼のふたを開けながら言い放ち、霊幻は頭を抱えた。
朝からその話題に触れられなかったために、霊幻は完全に油断していたのだ。
忘れてたんじゃなかったのか、というか本気だったのか。
裏切り者め!と内心悪態をつくと同時に、霊幻の背中にじんわりと汗が浮かんだ。
「俺、かあちゃんも歳が歳だから心配で、なるべくすぐに帰れるところがいいなと思ってて。それを相談したら〇〇町はどうですかって言われたんですけど、どうですかね。なんか一軒家をタダで貸してくれるらしいんですよ。あ、3年は住まなきゃいけないんですけど…」
霊幻が黙っているのをいいことに、芹沢は霊幻には一瞥もくれずに話し続けた。
どうする、どう切り抜ける。
芹沢を考え直させる一手を思案しようと脳を限界まで働かせるが、その間にも悩みのタネは話し続けその情報量は霊幻の脳を圧迫した。
一つ切り返しを思いつくと、また新しい情報が飛び出す、思いつくと飛び出す…その繰り返し。
霊幻は途中から考えを放棄して、芹沢が話終わるまで天井の模様で星座を作ることにした。
どれくらい経っただろう。
霊幻が天井の星座で11匹目のオリジナルの犬座を作った頃、芹沢は「霊幻さんはどう思いますか?」と始めて返答を求めた。
霊幻は天井を見上げたまま少し逡巡し、そして壁掛け時計を指差した。
「昼休み、そろそろ終わるぞ」
あえて興味なさげなぶっきらぼうな口調で告げると、芹沢は「もうそんな時間か」と声を漏らす。
ずっと話し続けていたのにいつ食べたのだろう、残り一口になった牛丼を箸からこぼさないようにそっとすくって口に運ぶと、芹沢は言った。
「ちゃんと話したいので、今日家に行ってもいいですか?こういうの早い方がいいと思うんですよね。」
「断る」
「じゃあ19時に行きますね。」
「話し聞いてんのか?」
怒りの抗議をしようと天井から目線だけを芹沢に移すと、芹沢は給湯室へ消えていた。
どうしようもなく噛み合わない。
芹沢はむしろわざと霊幻の話を聞いていないようにも思えた。
暖簾に腕押しとはまさにこのことで、霊幻が強く抵抗してもこの件に関しては芹沢はどこ吹く風で全く効いていない。
芹沢は案外自分の考えや世界をきちんともっている人間だ。霊幻に反対意見を述べることも珍しくなかった。
しかしこんなに話を聞かない頑固さは今まで霊幻は見たことがない。
その芹沢の頑固さの理由が分からないことが、霊幻の苦悩を加速させていた。
「早く食べないとお昼終わっちゃいますよ」
給湯室から戻った芹沢は、自席に戻り教科書を広げ始めた。
誰のせいで食えてないと思ってるんだ、と言いかけた言葉を霊幻は牛丼と共に飲み込む。
こうなったらとことん持久戦だ。
家を訪ねてきても居留守してやるし、今後この話には一切触れない。
そう強く決心した霊幻は、決意宣言の代わりに牛丼をかき込み芹沢を強く睨みつけた。