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    Ikura0822Toro

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    Ikura0822Toro

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    🍶🌟ジューンブライド企画に参加したくて書いたものです。
    🍶🌟公開プロポーズ動画、100万回くらい視聴されてくれ。

    誓いのキスに立会人はいらない 世紀末も同然だったメトロシティの治安を剛腕で以て建て直したという名物市長、マイク・ハガー。その偉業を称える巨大な立像が、藍色の夜空を背負って誇らしげに佇んでいる。普段なら像の足元には、像と揃いのポーズを決めて記念写真を撮る観光客や、彼らを相手に似顔絵やら土産物やらを商う露天商たちが集まって賑わうはずなのだが、どういうわけだか、今はほとんど姿が見当たらない。暇を潰す地元の住人や、この近くを根城にする不良集団の下っ端が数人屯している程度だ。
    まるで、俺たちのために「そうあるべし」と誂えられた舞台みたいだ……なんて。逆上せたことを大真面目に考えてしまうくらいには、今夜のアーバンパークは静かだった。
    「……人、全然いねぇな」
    呟きながら、後ろを歩くジェイミーの気配を探る。さほど離れていない場所から聞こえてくる足音が隣に並ぶ様子はなく、俺もまた、そちらを振り返ることはしなかった。たかだか数秒の沈黙がどうにも気まずくて、重ねるように続けた言葉が普段よりずいぶんと早口になる。
    「ここっていつもはもっと賑やかじゃなかったっけ。何かあったのかな」
    「さあな。どこか別の場所でイベントでもやってて、そっちに人が流れてんじゃねぇの」
    「ふぅん、そっか」
    答えたきり再び沈黙が戻る。険悪な雰囲気では、決してない。ジェイミーに連れられるがまま向かった店で食べた夕飯も、料理と一緒に振る舞われた飲み慣れない中国酒も、一見して高級店なのだと分かる店の雰囲気に気圧されはしたものの、文句無しに美味かった。美味い飯で膨れた腹と、ほどよく酔いの回った頭。普通ならむしろ会話が弾む状況のはずなのに、中華街を後にしてから互いの口数は減っていく一方で、視線さえろくに交わっていない。沈黙の時間が長く続けば続くほど、くすぐったくなるような柔さを含んだ緊張感が全身を巡って、じわじわと体温が上がっていく。
    俺はいつもの調子で服の袖を捲りかけ、慌てて止めた。所在のなくなった指先で、濃紺色のジャケットの襟首を手持ち無沙汰になぞる。今着ているのは、しわくちゃになろうが砂埃に塗れようが構わないトレーニングウェアではなく、「ちょっとばかりかしこまった店に行くから、スーツとまでは言わねぇけどそれなりの格好をして来いよ」とジェイミーに告げられてわざわざ用意した代物だ。買い物に付き合ってくれたサーにも「分かっているとは思うが、その格好で殴り合いなんかするんじゃないぞ。おまえは少しガサツが過ぎるきらいがあるからな。大袈裟なほど丁重に扱うくらいがちょうどいい」とデッカい釘を刺されている。……それに何より、きっともうじき起こるであろう超重大イベントの前に、一張羅を台無しにしてしまったのでは格好がつかない。
    ぽつり、ぽつりとぎこちない会話を細切れに交わしながら、宛もなく園内を歩く。そのうち、水場を見下ろせる奥まった場所へと行きあたった。周囲にやはり人影はなく、表の大通りとも垣根で隔てられているせいか、行き交う人や車の気配が薄布で包まれているみたいに遠く感じる。緊張から詰めていた息を小さく吐き出せば、容量の空いた肺の中に微かな水の香りを乗せた空気が流れ込んできた。凛と涼やかなその匂いに、知らず背筋がすっと伸びる。
    仕掛けてくるなら、今なんじゃないか。
    そう予感する俺を見計らったように、後ろを歩くジェイミーの足音が止まる。「ルーク」と俺を呼ぶいつになく真剣な声に、歩幅の狂ったつま先が、ざりと地面を擦った。俺は答えることもできないまま、ただ黙ってジェイミーを振り返る。
    いつもの小憎たらしいほどの余裕はどこへやってしまったのか。じっとこちらを見つめるジェイミーの表情には、何かとてつもない秘密を告解にきた敬虔な信徒にも、あるいは、大きな戦争の最前線に送られることが決まった兵士にも似た切実さが滲んでいた。そのくせ、中華風の装飾が施されたジャケットの澄ました白さがあまりに卒なく似合っているものだから、あんな面をしていても色男は色男なんだなぁなんて場違いな感動が心臓の端っこを掠めて、少しだけ笑ってしまいそうになる。
    「…………正直なこと言うとな、結婚だとかパートナーだとか、そういうの、あんまり興味なかったんだ。所詮は他人同士なのにくだらねぇ、もっともらしい理由をつけてテメェの手元に置いておきたいだけなんだろって、ずっと思ってた」
    1歩、また1歩と距離を詰めながら、ジェイミーは所在なさげな手つきで項の辺りを撫でる。自分自身を宥めるようなそれが落ち着かない時に出るこいつの癖なのだと気がついたのは、たしか、もうずいぶんと前のことだ。
    「だけどアンタと過ごすうちに、そんなことも言ってられなくなった」
    半歩ほどの距離を残してジェイミーが足を止める。風を含んで揺れるジャケットの裾が、なんだかやけに眩しく見えた。光の粒を弾くようなそれの内側にするりと潜り込んだ左手が次に出てきた時、その手のひらの上には小さな箱が乗っかっていた。高級感のある艶やかな布地で飾られたそれの中身が何なのか。分からないほど、鈍感なつもりもガキなつもりもない。
    ジェイミーは小箱を俺に向けて差し出すように掲げたまま、滑らかな仕草で地面に片膝を着く。ドラマか映画の中でしか見たことの無いようなそれが、やっぱり息を飲むほど様になる男だった。
    緊張だとか、気恥ずかしさだとか、嬉しさだとか、……僅かばかりの躊躇だとか。込み上げる色々なものが喉の奥でこんがらがってしまって、息が狂う。きっと今の俺は、にやけ面とも顰め面ともつかない酷く情けない顔を晒しているのだろう。それなのに、ジェイミーはいつもみたいに茶化す素振りもなく、射抜くように真っ直ぐな目つきでこちらを見上げてくる。
    「アンタがいない人生なんて酷く味気ねぇだろうなって、どうしようもなく、そう思っちまったんだよ。幸せにしてやるなんて大それたことは言えねぇけど、後悔だけはさせないって約束できる。だから……、…………だから、オレと、」
    ぎこちなく言葉を途切れさせたジェイミーが、小箱の蓋に指をかける。長くしなやかなそれが微かに震えていることには、気が付かないフリをしてやった。一度は引き結ばれたジェイミーの唇がゆっくりと綻んで、ひゅう、とか細い呼吸の音がひとつ落ちる。後に続くであろう言葉に思わず息を詰めた……、正にその瞬間。
    「いました、兄貴! あいつです!!」
    耳障りな甲高い怒声が、張り詰めていた空気にぷすりと穴を空けた。
    飛び跳ねそうになる体を咄嗟に押さえ込んで声の出処へと視線をやれば、ジェイミーの背後……数メートルほど離れた場所に、何人かの男たちが集まっているのが見えた。特に若い1人がこちらを指さしながら、リーダーらしき男に向かって頻りに何事かを訴えている。あいにく男たちの顔ぶれに見覚えはないが、口ぶりから察するに、俺かジェイミーのことを探して辺りをうろついていたのだろう。道理で観光客が寄り付かなくなる訳だ。いかにもチンピラ崩れといった連中の風貌を眺めながら、俺はひとりで納得する。
    「探したぜ、トラブルバスターさんよぉ。今朝はウチの弟分が世話になったらしいじゃねぇか。まさか忘れたとは言わねぇよなぁ?」
    「取り込み中」を体現したような俺たちの状況が見えていないのか、はたまたハナから気にしていないのか。『兄貴』と呼ばれた男は、取り巻きを連れたままズカズカと距離を詰めてくる。
    「あー……、ご指名だってよ。どうする、色男」
    男たちを顎でしゃくりながら目配せをすると、ジェイミーはため息混じりに肩を竦め小箱をジャケットの中へと押し戻した。地べたに着けていた膝を払う手つきがいつになく荒っぽい。衣服やら装飾品やらを丁寧に扱うこいつにしては珍しいことだった。
    「もちろん、よぉく覚えてるぜ。このジェイミー様の街で観光客相手に因縁ふっかけて小銭稼ぎだなんてコスい真似する馬鹿は、そう多くねぇからな。本当ならアレ、アンタの懐に納まるはずだったんだろ? たかだかあの程度の端金の為に子分引き連れてお礼参りとは、ご苦労なこった」
    「てめぇ!! 兄貴に向かって舐めたクチきいてんじゃねぇよ!!」
    鼻を鳴らしたジェイミーに年若い男が吠える。いくらか距離の開いたこの場所からでも、飛び散る唾がありありと見て取れるほどの剣幕だった。まるで男に呼応するかのように、他の取り巻きたちも口々に威勢のいい言葉を吐き始める。
    ああ、これは……、一触即発って感じだな。俺が逸る拳を握るよりも早く、白い軌跡を残しながら脱ぎ捨てられたジャケットが手元へと押し付けられた。咄嗟のことで取り落としそうになったそれを、慌てて両手で抱え直す。
    「……は!? おい、ジェイミー!?」
    「それ持って大人しくしてろ。すぐカタつけてくる」
    「はぁ!? ひとりでやる気かよ!? ずりぃ!!」
    「ずりぃって何だよ。どうせその格好じゃろくに動けねぇだろ」
    「おまえだって似たような格好してるだろうが!」
    「オレはいいんだよ。アンタと違って泥くせぇ戦い方はしねぇからな。…………それに、もったいねぇだろ。せっかく似合ってんのにダメにしちまったら」
    ぼそぼそと言いながら、ジェイミーが俺のジャケットの胸元を軽く小突いた。思いもよらなかったその言葉に、俺は白いジャケットをバカ正直に抱き抱えたまま2度、3度と瞬きをして、それから堪らず吹き出してしまう。今日初めて顔を合わせた時には「ま、及第点ってところだな」なんて偉そうなことを言っていたくせに。
    「素直じゃねぇヤツ」
    「アンタほどじゃねぇっての」
    ジェイミーが拗ねた子供みたいに鼻を鳴らしたのと同時に、ひゅう、とひしゃげた風切り音が響く。次いで、鈍く光を弾く何かが夜闇を真っ直ぐに切り裂いた。まるでそれを予期していたかのように……、いや、こいつのことだから、どうせ実際に読めていたのだろう。身を翻して宙を舞ったジェイミーの蹴りが、群れをなすチンピラたちのひとりに突き刺さった。
    にわかに騒がしくなる集団を他所に、標的を失ったまま地面に叩きつけられたスパナが、カンと高く虚しげな音を立てる。その音で我に返ったらしい。リーダー格の男は、額に青筋を浮かべながら声を張り上げた。
    「何してんだ!! さっさと囲んでボコッちまえ!!」
    途端、巣をつつかれた働き蜂みたいな慌ただしさで下っ端たちがジェイミーを取り囲む。連中も荒事には手馴れているつもりらしいが、今回は流石に相手が悪い。肉の壁の向こう側で長い脚が奔放に動き、包囲網の一部を軽々と蹴り破る様が見て取れた。相も変わらず、惚れ惚れするほど見事な足さばきだ。動きは踊るように軽快なのに、繰り出される一撃は鋭く、重々しい。眺めながら、俺は抱えたジャケットが地面につかないよう気を使いつつ、近くにあった花壇の縁に腰を降ろす。
    「ちょこまか動き回りやがって!! 鬱陶しいんだよ!!」
    リーダー格の男が、地べたから拾い上げた砂だか石だかをジェイミー目掛けて投げつける。当たったようには見えなかったのだが、ジェイミーの体がぐらりとバランスを崩して覚束ない足取りで後ずさった。わざとらしいほど隙だらけなその動きには見覚えがある。案の定、勢いづいて繰り出された追撃を、ジェイミーはいとも容易く体勢を立て直して迎え撃った。本来の威力に加えて相手の攻撃の勢いまで上乗せした掌底が、男の鳩尾を深々と抉る。
    男が倒れ込むのを見届けながら、思わず、うへぇ、と間の抜けた歓声が口をついて出た。あれと全く同じ手口に、俺もまんまとしてやられたことがあるのだ。内臓を押し上げる手のひらの硬い感触を思い出して、腹の底がじんと重くなる。俺はそわそわと落ち着かない両腕を誤魔化すように、真っ白いジャケットをしっかりと抱え直した。
    ……どさくさに紛れて乱入したら、流石に怒られっかなぁ。機を窺う俺とは対照的に、親玉を潰された取り巻き連中は二の足を踏んでいるようだった。
    「おら、どうしたよ。次に吹っ飛ばされてぇのはどいつだぁ?」
    ジェイミーがドスの効いた声で凄めば、ただでさえ疎らになっていた人集りがぼろぼろと綻んでいく。あの様子では、しっぽを巻いて逃げ出すのも時間の問題だろう。
    気持ちよくひと暴れしたいところだけど、あいにく戦意を失った相手を追いかけ回す趣味はない。あれが片付いたら1戦だけ付き合ってくれたりしねぇかな……なんて考えながら、ひとり、またひとりとチンピラを蹴り飛ばすジェイミーを眺めていると、不意にアーバンパークの入口の辺りが騒がしくなった。
    「おい、こっちだ! 早く手ぇ貸せ!!」
    満身創痍で地面に転がされていた男のひとりが、痰の絡んだような声で叫ぶ。増援が来たのだと理解した瞬間、高揚のあまり反射的に腰が浮きかけた。園内になだれ込んでくるいかにも力自慢といった風体の男たちと、にわかに士気を取り戻す残党、意気揚々と拳を握る俺。ジェイミーだけが、無理やりに風呂へ入れられた猫のような顔をしている。
    「チッ、ぞろぞろとめんどくせぇ……」
    心底ゲンナリしたジェイミーの声に、俺は待ってましたと腰を上げる。預けられていたジャケットを安全な場所へ退けられたのは、僅かばかりに残った理性がなせる賜物だ。その後はもう、窮屈な自分のジャケットを脱ぎ捨てる手間さえ惜しかった。
    両腕をいかめしいタトゥーで飾った大男が、ジェイミーの背に襲いかかろうとしているのが見える。隠密も何もあったものじゃないお粗末な奇襲だ。あいつが勘づいていないとは思えないが、せっかくの飛び入り参加なのだから最初の1発は派手にかましてやるに限る。
    「ジェイミー!!」
    力いっぱい地面を蹴りながら、「伏せろ」の意味を込めて大声で呼びかける。鋭い目元が呆れたように眇められたのはほんの一瞬のことで、ふっと風を切る細い音を残しジェイミーの姿が視界から掻き消えた。直後、しなやかに揺れる三つ編みの先を掠めた拳がタトゥー男の横っ面を捉え、それとほとんど同時に、耳元で短く潰れた悲鳴が上がる。地面を滑るように俺の脚の間を抜けたジェイミーが、背後を取っていた別の男を伸したのだ。どっ、と。筋肉質な体が崩れ落ちる音がふたつ、重々しく響く。あまりにもぴったりと重なったそれにぞくぞくと震える俺の背中を、ジェイミーの背中が、とん、と軽やかに叩いた。
    「ったく、大人しくしてろっつったのに」
    「第一声がそれかよ? 手ぇ貸してやってんだから、もっと他に言うことがあるんじゃねぇの」
    「……このジェイミー様の背中を預かろうってんだ。下手打ったら泣かすぜ?」
    「はッ! 任せとけって!」
    ひりついた唇の端を笑みが滑る。軍にいた頃はさておき、路上でのファイトで誰かと背中を合わせて闘うのは初めてかも知れない。もちろん、トレーニングセンターの生徒に乞われて彼らのファイトに手を貸してやることや、タッグを組んだ状態での実践トレーニングをしたことなら何度もあるけれど、あれはあくまで教官として生徒の成長を見守ることが目的だから、少しばかり毛色が違う。もっぱら正面切って殴り合うばかりだったジェイミーと、まさか互いの背中を預け合って闘う日が来ようとは。そう思えば、息遣いや汗の匂い、いつもより僅かに高い体温まで、背中越しに感じる何もかもが新鮮で、腹の底がそわそわとくすぐったくなった。
    すぐ真後ろで、長い三つ編みがひらりと夜空を掃く気配がする。ジェイミーお得意の鋭い蹴りが男たちを蹴散らす音を聞きながら、俺もまた、ジンジンと熱の上がっていく拳を大きく振りかぶった。ジャケットの肩の辺りで聞こえた布の裂ける音も、ぱつんと何かが爆ぜたような不穏な感覚も、もうこれっぽっちだって気にかけてなんかいられなかった。



    次々に駆けつける増援をちぎっては投げ、ちぎっては投げ……。それを何度繰り返したことだろう。辛うじて足腰が立つらしい数人のチンピラたちが肩を組んで、互いの体を引き摺り合うように逃げ去っていく。くたびれたその背中がすっかり見えなくなるまで見送ってから、俺はべしゃりと地面に尻を着いた。熱の篭った頬を滑る夜風の心地よさに、ほう、と深く息を吐く。
    「あーあ、結局ダメにしちまってんじゃねぇか」
    ため息と一緒に、薄汚れた濃紺色のジャケットが投げ寄越された。おおかた乱戦の途中で邪魔くさくなって脱ぎ捨てたのだろうが、いつどこで脱いだのか全く覚えていない。受け取ったそれに袖を通してみれば、右肩の縫い目がばっくりと裂けて今にもちぎれそうになっていた。サーに知られでもしたら説教は免れないな……と苦い顔をする俺にジェイミーは肩を竦めてみせたが、そういう自分だってシャツのボタンは弾け飛んでいるし、ズボンの膝は擦り切れている。
    「おまえだって似たようなもんだろ。泥くせぇ戦い方はしないんじゃなかったっけ?」
    「いくらなんでもこの数は想定外だっての。大した腕もねぇくせに数ばっかり馬鹿みてぇに湧きやがって……、鬱陶しいったらありゃしねぇ」
    「そうか? 俺は結構楽しかったけど。協力プレイみたいでさ。こういうのも気持ちいいもんなんだなって思ったよ」
    「そりゃ、パートナーの腕が良かったんだろうな。アンタのめちゃくちゃな動きに合わせられるヤツなんざ、そう多くねぇと思うぜ?」
    ジェイミーはくつくつと喉を鳴らし、花壇の縁に掛けておいたジャケットを拾い上げた。「蜘蛛の巣が付いてんじゃねぇか」とぼやく声とは裏腹に、砂埃に塗れた後ろ姿はどこか浮かれているように見える。その広い背中がほんのついさっきまで俺に預けられていたのだと思い返せば、ぶり返す高揚にあてられて、続ける声がどうしようもなく弾んだ。
    「ノックアウトフェスティバルっつったっけ? ほら、少し前にビートスクエアでやってた、コンビで出る格闘大会! あれ、またやんねぇのかなぁ。俺たちが組んで出たら良いとこまでイけるだろうし、なにより、ぜったい楽しいと思うんだよ!」
    いや、いつになるのかも分からない大会を待つよりも、いっそ自分で企画しちまった方がいいのかも。例えば、トレーニングセンターでちょっとしたトーナメントを開いてみるとか。俺とジェイミーのタッグが少しオーバーパワー過ぎるから、生徒たちは5、6人で1組にするか、そうじゃなきゃ俺たちは別々のチームで……、……あれ? それじゃあ結局いつもと変わらないな。まあ、構いやしないか。背中合わせだろうが、正面切ってぶつかろうが、こいつとのファイトが最高に気持ちいいことに変わりはないのだ。
    あれこれと思案しているうちに、汗で冷え始めていた体がじわじわと熱を取り戻して、尻の据わりが悪くなってくる。やっぱり、ジェイミーに頼んで1戦だけ付き合ってもらおうか。そんなことを考えていると、頭上にふわりと淡い影が落ちてきた。
    「ルーク」
    僅かに上擦った声が俺を呼ぶ。顔を上げれば、白いジャケットを羽織り直したジェイミーと視線がぶつかった。じっとこちらを見つめる眼差しには、どこか浮き足立ったような熱ぼったさがある。
    なぁんだ、こいつだってとっくにその気なんじゃないか。気がついて、たまらず唇の端が緩む。
    「なぁ、」
    俺はそわそわと落ち着かない右手で拳を握りながら呼びかけた。「エキシビションマッチ、やるだろ?」と続けようとした声が、間の抜けた吐息に変わって溶け消える。ぶっきらぼうに突きつけられたジェイミーの左手。その手のひらには、蓋の開いた小箱が乗っていた。シンプルなリングと、その上で肩を寄せ合うぴったり同じ大きさをしたふたつの石が、暗がりの中でいっそう誇らしげに光り輝いて見える。
    おそらくは、金色と青。あからさまにジェイミーと俺を意識したデザインのそれを俺はしばらく呆然と眺め、それから、そろそろとジェイミーを見上げた。その瞳の底で渦を巻く熱が闘争心とはかけ離れた柔らかさを湛えていることに、今になってようやく気がついた。
    「にゃははッ、ひっでぇ間抜け面」
    ジェイミーは憎たらしいほど余裕めいた調子で唇の端を吊り上げ、俺の対面に座り込む。優雅さの欠片も、これっぽっちの気取った所もない、普段のこいつらしいチンピラじみた仕草だった。俺を見つめる眼差しばかりが、むず痒くなるほど優しい。
    「……さっきはごちゃごちゃと言ったけど、つまるところ、オレもアンタと同じでさ。この先もアンタと一緒に生きられたらめちゃくちゃ楽しいだろうなって思ったんだよ。生涯をアンタの傍で過ごせる権利が欲しい。……アンタの、家族になりたいんだ」
    ジェイミーは言葉の輪郭をひとつひとつ丁寧になぞるような声音で言って、眩しそうに目元を細めた。相も変わらず見蕩れるような色男っぷりとは裏腹に、白いジャケットは土埃で汚れて斑に染まっているし、シャツはボタンが弾け飛んでしわくちゃになっている。几帳面に引かれた目元の化粧だって、汗で滲んでしまってぐちゃぐちゃだ。格好つけたがりのこいつらしくもないそのチグハグさが、どうにも可笑しくて、たまらなく可愛いと思った。
    「……こういうのって、普通は日を改めて仕切り直すもんなんじゃねぇの」
    「知るか。伝えるなら今しかありえねぇって思っちまったんだよ」
    「なんだそりゃ」
    「ま、いいんじゃねぇの、こういうのも。却ってオレたちらしいだろ」
    しゃあしゃあと言ってのけたジェイミーに、苦笑と呼ぶには甘ったるい笑みがこぼれ落ちる。俺はまた、差し出された指輪へと視線をやった。街灯の明かりを受けて煌めくそれがあまりに眩しくて、目玉の奥がじんとなる。
    後悔はしないか。
    本当は、そう尋ねるつもりだった。制度の上で家族になったところで、子どもを産めるわけでもない。一度戦場に派遣されればいつ帰ってくるのか、……そもそも五体満足で、……いや、生きて帰ってこられるのかすらも分からない。ジェイミーをたったひとり遺して、死んでしまうかも知れない。そんな男を生涯の伴にして、本当に後悔しないのか、と。それなのに、言葉は腹の底でぐるぐると渦を巻くばっかりで、ちっとも音になりやしない。
    だって、到底ムリな話なのだ。こいつと一緒なら最高に刺激的で楽しい体験ができると改めて思い知らされて、もっともっとと先を望む気持ちに火を焚べられてしまったその後で「やっぱりあの選択は間違いだった」なんて言われたところで、大人しく手を引けるわけがない。そこまで読んだ上でこのプロポーズを強行したのなら、こいつは相当な策士だ。
    「あー、もう……。あんなに緊張してたのがバカみてぇじゃん」
    締りのない笑みを堪えられないまま、ジェイミーに向けて自分の左手を差し出す。ジェイミーは満足気に喉を鳴らすと、伸べられたそれをこれっぽっちの淀みもない手つきで掬い上げた。節くれだった無骨な薬指の輪郭を、一対の石で飾られたリングがするりと撫でる。初夏の空気にあてられて温くなった金属の温度をこんなにも心地いいと感じるのは、きっと後にも先にも、これっきりなんじゃないかと思った。
    「すげぇ。ちゃんとサイズもぴったりだ」
    「アンタ、どこもかしこも太ぇからな。店員に何回も確認されたぜ。『本当にこのサイズで間違いないですか』って。こんな大切なこと、間違えるわけがねぇってのによ」
    ジェイミーがふてぶてしく鼻を鳴らす。「間違えるわけがない」というその言葉が、ついぞ尋ねることのなかった「後悔はしないのか」という問いへの答えじゃないことは分かっている。それでも微塵の躊躇もなく紡がれたそれに、「そっか」と相槌を打つ声が、つかのま喉の奥に引っかかった。
    何か小さくて柔らかい温かな生き物が、体の内側で跳ね回っているような気分だ。俺は左手の薬指に光る金色と青をじっと見つめながら、馬鹿みたいに「そっかぁ」ともう一度繰り返した。不意に、視界の外から伸びてきた長い指が、するりと俺の頬に触れる。誘われるがまま顔を上げると、普段の勝気さが嘘のように柔く、優しく笑うジェイミーがいた。
    「くすぐってぇって」
    濡れてもいないはずの目元をすりすりとあやされる感触に瞼を伏せる。どちらがこぼしたのかも分からない笑い声混じりの吐息が鼻先で溶けて、ジェイミーの体温が唇の薄皮一枚を掠めた、その直後。パチパチパチパチッといくつもの火花が爆ぜるような音が、突然静寂を打ち破った。
    俺は今度こそビクリと飛び上がって、何事かと辺りを見回す。周囲には、俺とジェイミーを遠巻きに取り囲む幾人かの人影があった。先程のチンピラどもと違って敵意は感じられないが、ある者は携帯端末を手に、ある者は興奮した様子で拍手を打ち鳴らし、おめでとう、おめでとうと口々に歓声を上げている。
    ……メトロシティはストリートファイトの街だ。血の気が多い住人たちは乱闘が始まればどこからともなく騒ぎを聞きつけ、野次馬に集まってくる。戦っているのが名の知れたファイターなら尚更。少し考えてみれば、すぐに気がつきそうなことなのに!
    ぶわぶわと熱が上がっていく頭を抱えて蹲りながら、ぐぅ、と情けない声で呻く。すぐ隣からも似たような呻き声が聞こえてきたのでちらりと視線を流してみれば、ジェイミーが居心地悪そうに背中を縮こめて、真っ赤になった項を頻りに撫で摩っていた。どうやらこいつも、今の今までギャラリーの存在に気がついていなかったらしい。揃いも揃ってどれだけ浮かれていたんだか。力なくため息を吐く俺たちに、相も変わらず拍手と歓声は容赦なく降り注ぐ。
    「……あー、えっと、…………とりあえず、帰るか。……近いし、ジェイミーの家でいいよな?」
    「…………おう」
    示し合わせたように立ち上がり、汚れたズボンの尻を叩く余裕すらなく踵を返す。囃し立てるような口笛や、鳴り止まない拍手の音、おめでとう、お幸せにとこだまするいくつもの歓声から一刻も早く逃れるために、早足でアーバンパークを飛び出した。そのくせ、触れ損ねた互いの体温を手放すのはどうにも惜しくって、どちらともなく指を絡め、手を繋ぐ。互いの体温で温まっていく指輪のとろりとした温度が無性に愛おしかった。
    砂埃と返り血に塗れた大の男がふたり、身を寄せ合って夜の街を駆け抜ける様は、傍から見れば随分と奇妙に映るのだろう。時おりすれ違う通行人にギョッとした視線を浴びせられつつも、俺たちは中華街の裏道へと滑り込んだ。人気のない通りの隅で寛いでいたらしい野良猫が、ジロリと不機嫌そうにこちらをひと睨みし、細い路地へと逃げていく。長いしっぽが夜闇に溶け消えるのを息も絶え絶えに見届けながら、気がつけば俺は自然と笑いだしていた。ジェイミーがおかしなものでも見るような目つきで俺を見る。
    「なんか、公開プロポーズみてぇになっちまったな。ああいうのって映画とかドラマの中だけの話じゃなかったんだ?」
    「笑い事じゃねぇっての」
    ジェイミーは渋い顔でぼやき、休業中らしい飲食店のシャッターにぐったりと背中をもたれさせた。その間も手は繋いだままだから、当然俺もジェイミーに倣う形になる。ささくれだった鉄錆がざらりとジャケットの背中を擦る感触があったが、どうせもうボロ布も同然の有様なのだから、細かいことに気を遣う必要もない。俺は遠慮なくシャッターに背中を預け、ジェイミーのすぐ隣に並んだ。ギィと大袈裟に響いた耳障りな金属音に眉を顰める人間は、俺たちふたりの他に誰もいない。
    「ったく……。まさかおばあより先に、見ず知らずの野次馬連中に祝福されることになるとはなぁ」
    「そっか。ジェイミーのおばあさんにも、1回ちゃんと挨拶に行っとかねぇと。『お孫さんを俺に下さい!』ってさ」
    「大哥たちにもな。前にアンタの話した時に、会ってみてぇって言ってたんだよ。顔見せてやったら喜ぶと思うぜ」
    「お、いいな! ユン哥とヤン哥……だったっけ? めちゃくちゃ強いファイターなんだろ? せっかくだし、挨拶ついでに戦ってみてぇな。俺とジェイミーでタッグ組んで、2対2でさ」
    「ばぁか、向こうが何年ふたりで戦ってきてると思ってんだよ。ボコボコにされて、せっかくの香港旅行をミイラ男みてぇな格好で過ごす羽目になるのがオチだぜ」
    「うん。いいよ、それでも」
    答える声は誤魔化しようもなく浮ついて、甘ったれた響きを帯びていた。長い髪がさらりと滑る音と空気が揺れる気配で、ジェイミーの視線がこちらに向けられたことが分かる。俺は汗ばんだ手をきゅっと繋ぎ直しながら、高く澄んだ夜空を見るともなしに見上げた。チカチカと光る赤いランプを引き連れた飛行機が、濃紺の夜空に細く淡い雲を残している。あの飛行機は、一体どこへ向かうのだろう。
    「だってさ、ジェイミーと一緒に、ジェイミーが生まれ育った国に行って、ジェイミーの家族に会うんだろ? そんなの、どう転んだって楽しい旅になるって決まってんじゃん」
    夜風に削られ流されていく飛行機雲を目で追っていると、不意にずしりと肩口に重みが乗った。
    そのまま、人懐っこい猫がやるようにグリグリと横頭を擦り付けられる。普段こういうじゃれ方をするのは俺の方ばっかりだったから、珍しいこともあるものだと内心で目を瞠りながらジェイミーの方を見やる。ちょうど全く同じタイミングで、ジェイミーもちらりと俺の方へ視線を寄越した。
    「ファイトではしゃぐのは構わねぇけど、程々にしとけよ。……オレだって、アンタに見せてやりたい景色とか、食わせてやりたいモンとか、色々あるんだから」
    呆れ混じりの声音とは裏腹に、その横顔に浮かぶ表情は緩みきっている。締まりのねぇ面、と揶揄って笑うには、俺も大概同じような面をしている自覚があった。
    ジェイミーの指先が、薬指の付け根……、ふたり分の体温ですっかり温くなった指輪の輪郭をゆっくりとなぞる。それを合図にしたように、どちらともなく鼻先を寄せ合った。表通りから聞こえる喧騒に躊躇を覚えたのは、ほんの一瞬のことだ。こんな時間に、こんなうらぶれた脇道を通りかかる連中なんて、ゴミ箱と人間の区別もろくにつかなくなった酔っ払いくらいだ。多少のじゃれあいは見過ごしてもらえるだろうし、それに何より、明日にでもなれば例の『公開プロポーズ』の動画がこれでもかとフーチューブに出回るのだろうから。躊躇なんて、するだけ無駄というものだ。
    ふ、と短く切り落とされた吐息の音が、唇の表面を掠めて溶ける。ジェイミーがくすぐったそうに喉の奥を鳴らすのを聞きながら、俺はまだ見ぬジェイミーの故郷を瞼の裏に思い描き、そっと目を伏せた。風に乗った夜の街の喧騒が遠い拍手のように、いつまでも、いつまでも耳の中で響いていた。
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