呪いと報い(後編⑤) カルエゴ先生が何か変なんです。
一時的な女体化から元に戻った日以降、そんな報告をいくつも受けているダリは、職員室の自席でカルエゴの様子を観察していた。確かに変だ。
カルエゴは今日の放課後もひとりで黙々と机に向かい書類作業をしているのに、時折手が止まり、顔が百面相になっている。先ほどはいきなり頭を机にガンッ!と打ち付けて周りを引かせた。その後自分で額を抑えて悶絶していたのでこれぞ自業自得だとは思うものの、間違いなく変だ。
ここ数日は、生徒達がいない場所ではいつもこんな感じではある。しかもバラムを見かけた瞬間に回り道をして明らかに避けている。あの日の放課後にブエルが準備室に呼ばれた時は傷を治したと報告は受けてたが…あれから何があったのか。あのふたりは学生時代からたまに、関係性をこんがらがせて周りを困惑させ、ダリの頭を悩ませている。
ダリが今回はどうしようと考えているうちに、片付いていなさそうな書類を引き出しの中に突っ込んだカルエゴは、そそくさと支度してひとりで帰ってしまった。珍しく、早く帰ることにしたらしい。明日の休み中に元に戻るだろうか。何となくバラムに「カルエゴ先生が帰っちゃいましたよ。」とメッセージを送る。彼ならなんとかしてくれるだろう。知らんけど。
実はカルエゴには内々に打診されている話がある。休みが明けても変だったらまた考えようと、ダリは次の仕事の書類に目をうつした。
「カルエゴ先生が帰っちゃいましたよ。」というダリからのス魔ホへのメッセージを見たバラムは、作業していた書類を急いで片付けて準備室を飛び出した。
あの日以降、カルエゴに明らかに避けられている。自分の姿を遠目に見つけた瞬間、飛び上がって回れ右している姿に気付かないわけがない。僕何かしたっけというより、何かした心当たりしか無いので数日様子を見ていたが、限界だ。今日は週末だから時間はある。何度も行ったカルエゴの塔への道はよく知っているので、全速力で追いかける。
塔について来客を告げるチャイムを鳴らすが、反応が無い。先に帰ったし追い越してはいないので、いないわけはない。どこかへ寄り道をしている可能性がないわけではないが、まっすぐ帰っているはずだと確信していた。
鍵に魔力を合わせてみると開いたので中に入る。本気でバラムを入れないつもりであれば、鍵に指定した魔力の範囲を変えれば良いだけなので、本気で拒絶はされていないようだ。
塔に足を踏み入れると、中は静まりかえっている。
試しに下から名前を呼んでみるが、応答は無い。
吹き抜けになっている場所を飛び越えて、どんどんと上階に登りながらカルエゴの姿を探すものの、いない。
最上階の寝室の前で、少し躊躇してから扉をノックして反応を待つが応答がないので、そっと開けてみると、いた。
ベッドの上でこんもりとしている、シーツに包まれた存在。
端っこから少しだけはみ出ている、頭のくせ毛が揺れている。
外から帰ったまま潜り込んだようで、上着が無造作に置かれているのが珍しい。
「カルエゴくん。」
声をかけてからベッドまで近づいてシーツに手をかけて、一気に剥がす。
「おい!」
中から顔が真っ赤になっているカルエゴくんが現れた。
ベッドに入る前に必ずシャワーを浴びて着替える習慣がある彼なのに、すごく珍しい。僕が来たことに気付いてシーツの中に籠もって隠れたつもりだったのだろうか。
「ねえ、なんでここ数日避けるの。そりゃ心当たりしか無いけど…。」
真っ赤だけど逃げる気は無いようなので、もう潜れないようシーツは確保したままに、ベッドの隣に腰掛けて話しかける。
「僕の告白、そんなにイヤだった?」
「ちがう!」
ガバリと起き上がって即否定してきたカルエゴに少し安堵したバラムは、起き上がった体を抱きしめる。一瞬緊張で体が固くなったようだが、特に抵抗はされなかった。
「…おまえの顔を見たら、なんて言えば良いか分からなかっただけだ。」
カルエゴは、少し顔を赤くして明後日の方を向きながら、それでも律儀に正直に答えてきた。
「そう。…で、何を言ってくれるの?」
僕は言葉で伝えたけれど、彼にはまだ言葉を貰っていない。そう思ったバラムはわざと先を促す。なお、言い逃げのように寝てしまったのはバラムだ。
ただその時は、目が覚めた後に冷静を装ってそそくさと去っていたのがカルエゴだ。その後は避けられ続けていたわけなので、どちらもどちらだとは思っている。
今この腕を避けられていない以上、嫌われてはいないとは思っているが、言葉で本心が聞きたい。
次を促されたカルエゴは、しばらく考えているように時間をおき、言い淀んでから思いきったように話し出した。
「…けじめを、つけてくる。」
「けじめ!?何の!??」
想定外の言葉をもらったバラムは思わず抱きしめていた体を離し、肩を掴んで聞き返す。
「…とりあえず、ちょっと本家に行ってくる。」
いやいやいや、ちょっと待て。その言葉デジャブ。
前回、その”ちょっと”が一年以上かかってなかった??ダメ。ゼッタイ。本家ダメ。
ただ、絶対にこの手を離さないぞという形相でカルエゴの肩を掴んだバラムの目に映るのは、自分の意見を曲げる気が無いときの顔だ。先ほどまでの赤い顔どこいった。
「…理由を、聞かせて。」
「だから、けじめをつけるためだ。」
「だから、何の!?そもそも、何故!??」
カルエゴが聞いたことに全部答えていない時は、答える気が無いときだ。彼は嘘をつかない。ただ、言わないことはある。そうなると基本的に口を割らないことをバラムは知っている。
「…僕に、なんて言えば良いか分からなかったのは、その話?」
「…それは違うが、言う前にけじめが必要な気がしてきた。」
「だから何のけじめだってば…。」
堂々巡りになってきた。バラムはため息をつく。どうしてそんな発想になったのかも分からない。
「本家との、けじめだ。」
説明が増えたようで変わっていない。そしてバラムがはいそうですかと言うわけが無い。しかし本家の"ほ"の字ですら、今カルエゴの口から出てくるとは思っていなかった。
「じゃあ、僕も行く。一緒に行く。」
「ダメだ。」
今度こそ、ひとりにさせない。もう待つなんてイヤだ。そう思うバラムの主張は即却下される。
「なんで!?」
「俺のけじめだからだ。」
誰が何と言おうとついて行くという顔をしているバラムを見て、カルエゴは言葉を追加する。
「俺が留守にするんだから、その間はおまえがバビルスを守れ。それにどうせ、本家には許されたものしか入れない。」
「それでも!せめて近くに!」
「ダメだ。おまえは、バビルスにいろ。」
入れなくとも、近くで待つことすら許されないのか。だんだんバラムは腹が立ってきた。周囲にハイランク悪魔の威圧感が生まれ出す。とはいえここにいるのは同ランクのカルエゴだけなので、効果は無い。
いきなり、カルエゴが指を広げて片手をバラムの目の前に突きつけてきた。
「5日だ。5日以内に帰ってくる。」
「…根拠は。」
「根拠は無い!だが、俺が言うのが根拠だ。」
非常に自信満々だ。先日バラムの腕の中で過去に向き合い泣いていたのは誰だ。
もうこれは何を言っても聞かない。ただ、僕も何を言われても行かせたくない。完全に堂々巡りだとバラムはリアルに頭を抱える。
そんなバラムを下から覗き込んできたカルエゴは、「おまえには迷惑をかけるな。すまん。」と言葉では言いつつも、確固たる意思を持っているときの強い瞳をしている。
「迷惑じゃ無いよ。迷惑じゃ無くて、心配なんだよ。自分にとって大事な悪魔が、どう考えても危険なことをしようとしているんだもの。」
バラムは訂正しながら続ける。
「どうか自分の体を大事にして。君は僕にとって、大事な悪魔なんだから。」
「心配するな。けじめをつけてくるだけだ。」
だからそのけじめの内容が心配なんだってば、危険はないとは言ってくれないし…と思いつつも、バラムは分が悪いことを自覚し始める。
本当は、どこにも行けないように彼を自分の元に無理矢理閉じ込めてしまいたいが、そんなことはできるわけはない。こっそりついて行くにも、この図体だ。認識阻害眼鏡という手はあるが、結局一緒に中に入れるわけでもないうえに、バビルスを守れと託されてしまったのだから、もうお手上げだ。
逆に考えよう。こっそりではなく、バラムに伝えてから行こうと思っただけでも上出来だ…いや、さすがにそれで納得するのは無理だった。バラムは交換条件を出す。
「5日間待って戻ってこなかったら、誰が止めても僕は迎えに行くよ。あの時よりも強くなったし、もう待たない。」
「…分かった。」
ちょっと待て、その一瞬の間は何だ。実は5日で帰ってこれないかもとか思ってるんじゃないか。
バラムの分析は大抵正しい。だが今回のカルエゴは譲らない。
「5日で帰ってくるから、バビルスを頼む。」
5日"以内"だったのが5日になったという細かい部分にもう突っ込むことは諦めた。何か確固たる意思と目的があるが、それを今の段階で言う気は無いようだ。
カルエゴはバラムに対して嘘は言わないし、基本的には隠し事はしない。稀に言わないことがあるが、それには何かしらの理由があり、その理由が無くなったときにはきちんと説明してくる。今回もそのケースのようだ。
ダリには打診済みなので来週か再来週にはという目安を聞き、相変わらず根回し段取りはしっかりしていると舌を巻きながら、バラムは渋々了承し、その数日後に本家に向かうカルエゴを見送ることになった。